2011年10月26日水曜日

スペインの王様。

カスティリア王フェルディナンド三世は「聖王」と呼ばれてますね。

フランス人にとっては「聖王」と言えばルイ九世なんですが。この二人、従兄弟同士でもあるのですね。二度の十字軍遠征を行い、聖遺物をフランスに持ち帰ったルイ九世は「Saint Louis(聖ルイ)」と呼ばれ、フランスのあちこちに「サン・ルイ」と言う地名があります。

同じく「聖王」フェルディナンド三世はイベリア半島からアラブ勢力を駆逐したという事で「聖王」なんですが、二人共キリスト教徒から見れば「聖」なんでしょうが、アラブ人から見ればいきなり乱入して来た無法者なんでしょうね、きっと。

この「聖王」フェルディナンドを祀った教会があります。


この人がその王様。


このプレートでは生年が1198年となってますね。WIKIでは1201年、フランス語WIKIでは「おそらく1199年」生まれとなっております。まぁ、この位の違いはよくある事ですが。

例のアレもありまして。


17世紀、この土地の区画はテルヌ城の敷地に属していた。1750年にこの区画はサブロン(訳注:テルヌの近くにある地名)の土地の所有者であったディゴヴィルという人物に売却された。王政復古時代には公共の公園となり、いくつかの娯楽施設が置かれ、その中には1816年8月11日にオープンした名高い「ロシアの山(ジェットコースター)」や、多くの人々を惹きつけた、レリーフで表わされたヨーロッパ主要都市の大パノラマ「パンステレオラマ」などがあった。1822年、この緑の庭園は所有者であるニュイイ市議ド・ベルジー氏によって住宅地へと変えられた。小さな礼拝堂が建てられ、ここは1848年にサン・フェルディナンド教区教会が建てられるまでテルヌの住人の礼拝の場として使われた。

中世には、パリの(当時の)城壁の外に館を作って、別荘として使ったり農場を作ったりしたそうですが、ここに出て来る「テルヌ城」と言うのもそういう物の一つらしいですね。で、城壁の外なので館は「Villas Externes(外の館)」と呼ばれ、「エクステルヌ」から「エステルヌ」「テルヌ」と訛って行ったとか。

で、そのサン・フェルディナンド教会ですが。


なかなか見応えのある教会です。


壁画だけでも一日見てられる位ですが、ここに来るとフランス史の他にもスペイン史まで意識させられますしね。その上にまたこんな物まであって。


うーん、この聖水盤一つだけで一体どれだけの意味が盛り込まれてるんでしょうか。

帆立貝の事をフランス語で「サン・ジャック」と言いますが。日本語に直せば「聖ヤコブ」スペイン語なら「サンティアゴ」です。スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」には聖ヤコブの墓があって巡礼地になってますね。貝殻は巡礼さんのシンボルです。

鍵は聖ペテロのシンボルですね。聖ペテロは天国の門番で、絵画や彫刻では鍵を持った姿で表されます。パリの教会にも幾つかペテロ像がありますけど、信者さん達が「天国に入れて下さいね」ってな感じでペテロ像に触れて拝むので、大抵ペテロ像って足の辺りが擦り切れてテカテカになってます。

αとΩはご存知の通り、ギリシャ文字の最初と最後。聖書のイエス様の言葉に「我はアルファなり、オメガなり」というのがありますね。神がすべての始まりであり、終わりであると。

XとPの組み合わせ文字はキリストのシンボルですね。ギリシャ語で書けば「XPIΣTOΣ」で、その最初の二文字の組み合わせはキリストそのものを表すそうです。

深いですねぇ。

歴史とか宗教とかを専攻してる学生さんならこの「聖水盤に表されてる象徴について」とかで論文書けそうです。

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