2011年10月18日火曜日

世界大戦だけじゃない。

フランスで一番人口の多い宗教はカトリックです。全人口の六割以上と言われていますね。

では二番目は?6%強を占めるイスラム教徒だそうです。
フランスにはトルコやイラン、イラク、エジプト、数々のアラブ系の国の人達が暮らしてますね。アラブ系のラジオでは、祈りの時間にはコーランの朗読を流してます。
そして更に多いのがマグレブ(「日の沈む所」の意、北アフリカ)の人達で、アルジェリア、チュニジア、モロッコの三国は特に有名です。

フランスがアルジェリアを侵略したのは1830年。
王政復古時代、揺らぎ始めた政権を、民衆の目を外国に逸らす事によって繋ぎ止めようとした国王シャルル十世の思惑と、北アフリカアラブ圏の鉱物資源を狙っていたロスチャイルド家の思惑が一致して行われたのがアルジェリア侵略です。(ふむ。南アのアパルトヘイトみたいなものですかね。それにしても、またか。)
アルジェリアにはコロンと呼ばれる入植者が送り込まれ、フランス本国の人達と同等の権利が保障されました。

1881年には、フランスはアルジェリアの東隣のチュニジアを手に入れました。オスマン帝国が力を失っていくに連れて、ヨーロッパ勢力が伸張した訳ですね。
西隣のモロッコは、イギリス・フランス・ドイツが取り合った結果、1912年のフェス条約でフランス保護領となります。
チュニジアもモロッコも1956年に独立しましたが、アルジェリアではそう簡単に事は運びませんでした。古くからのフランス系入植者もその子孫も多く、更にフランス系支配者側と現地人被支配者、被支配者の中でも親仏系、反仏系の対立を含んでいた上、アルジェリア駐留フランス軍は第四共和制政府の弱腰に業を煮やしてクーデターを起こします。

ここで大統領権限を強化した新憲法を背景に、一度は引退したドゴール大統領のカムバックと相成ったのですね(7/6の記事も参照下さい)。

アルジェリアの領有権を主張する過激派軍人や極右派の活動家が起こしたのが「バリケードの一週間」事件で、この事件の指導者たちが後に結成した秘密結社がOrganisation de l'armée secrète(OAS、秘密軍事組織)です。この組織が殺し屋「ジャッカル」にドゴール暗殺を依頼した…というのが映画「ジャッカルの日」のストーリーですね。

第二次世界大戦は映画「凱旋門」のラヴィックとジョーンを、そして「カサブランカ」のリックとイルザを引き裂きますが、アルジェリア戦争は「シェルブールの雨傘」のギーとジュヌヴィエーヴを引き裂きますね。とは言っても「凱旋門」みたいな悲劇的な終わり方でも、「カサブランカ」の「さぁ、これからだ!」みたいな気合でもなく、再会と、現在のそれぞれの幸せな暮らしを静かに喜び合い、少しだけノスタルジーのスパイス。ジュヌヴィエーヴは自分の娘を見てギーに言います。「貴方に似てるわ」と。
ジュヌヴィエーヴは、アルジェリア戦争で消息の途切れたギーの子供をお腹に宿した彼女を、その事を承知で受け入れてくれた宝石商カサールと結婚していたのですね。


エッフェル塔の近くにあるアルジェリア戦争およびモロッコとチュニジアの戦闘の戦没者の記念碑(Mémorial national de la guerre d'Algérie et des combats du Maroc et de la Tunisie)。

青い文字は23000人と言われる戦没者の名簿、白い文字はアルジェリア戦争の教訓と行方不明者に捧げるメッセージ、赤い文字も戦没者名ですが、この記念碑にはこんな装置があって、


遺族や関係者が戦没者の名前を打ち込むと、その名前が赤い文字の列に出て来る様になってます。

アルジェリア戦争は、しばしばアメリカにとってのベトナム、ロシア(ソ連)にとってのアフガニスタンに譬えられます。

ベトナム戦争は「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」「ランボー」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」等を生み、ソ連のアフガニスタン侵攻は「レッド・アフガン」「チャーリー・ウィルソンの戦争」を生み、「007」や「ランボー」でも取り上げられました。
まぁ、浦沢直樹氏「パイナップルアーミー」と船戸与一氏「血と夢」も挙げておきたいですが。

ボブ・ディランの名曲「Blowin' in the Wind」は、いつまで歌い継がれるんでしょうかね。

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