2011年10月16日日曜日

裏?表?

リュクサンブール公園について書いたのっていつだっけ?と見返して見たら6/14でした。やぁ、そんなに経ったのか。

で、今日はリュクサンブールを裏から?いや表から?ともかく庭園の方じゃなく、建物の方から見てみようという事です。

国会の上院にあたるSENA(元老院)がありますよ。


下院に当たるのはAssemblee Nationale(国民議会)ですね。こちらは上院。この上院が入っている建物は元々はリュクサンブール宮殿といいまして、マリー・ド・メディチが造らせたものですね。


アンリ四世の未亡人、フランス摂政のマリー・ド・メディチは1615年からサロモン・ド・ブロスに命じて、子供時代を過ごしたフィレンツェのパラッツォ・ピッティを思わせるような、イタリア風の石の打ち出し模様の宮殿を造らせた。
1630年11月、リュクサンブールで繰り広げられた「裏切られた者達の日」の後、マリーは息子であるルイ十三世によって追放された。宮殿はオルレアン公ガストン(訳注:マリーの次男)に引き継がれた。
1750年、東棟にヨーロッパ最初期の物に属する絵画館が開館した。
この美術館は1780年プロヴァンス伯(訳注:ルイ・ド・プロヴァンス、後のルイ十八世)が兄ルイ十六世の王領から宮殿を引き継いだ時に閉ざされた。
革命時代には牢獄にもなったこの王家の宮殿は、二世紀前から議会を受け入れている。
共和国元老院は1879年からここに置かれている。

「裏切られた者達の日」というのはおっさんの勝手な直訳です。たぶん歴史用語としてちゃんとした訳語があると思うので、鵜呑みにしないで下さい。
これは国王ルイ十三世と母・摂政マリーの対立によって起こった事件ですね。当時マリーは摂政として政治を見ていましたが、アンリ四世時代の政治を全く顧みない新しい政策を次々に打ち出したため、周囲の反感を買うようになり、次第に追い詰められて行きます。そこに登場するのが名宰相リシュリューで、マリーはリシュリューを味方につけて窮地を脱しようとしましたが、息子ルイ十三世が一足早く、マリーを幽閉、リシュリューを重用します。マリーは今度は王の片腕となったリシュリューを失脚させようと画策しますが、結局敗れて追放されてしまいます。…王家なんぞに生まれると色々大変なんですねぇ。

そして、リュクサンブール宮が革命時代牢屋として使われていた頃、新古典主義の画家ダヴィッドが、おそらく彼の生涯のうちでもそう何点も描いていないであろう「風景画」をここで描いてますね。ダヴィッドはやっぱり人物画が有名ですけど。

美術の話序でにもうひとつ。このリュクサンブール宮殿の離宮にあたるんでしょうか、リュクサンブール美術館はいつも面白い展覧会をやってますねぇ。


もうひとつ離宮(?)としてプチ・リュクサンブールもあります。


16世紀に建てられたこの館は1570年にピネー公爵フランソワ・ド・リュクサンブールに買い取られ、更に1612年に王妃・摂政マリー・ド・メディチに譲られた。彼女はすぐ近くのリュクサンブール宮殿ができるまでの間ここに住み、後、1627年、リシュリュー枢機卿に与えられた。
館は相続によって大コンデ家の物となり、1709年から1716年にかけて、アンヌ・ド・バヴィエール(訳注:コンデ公アンリ三世の妻)が建築家ボフロンに命じて拡張・装飾を行った。
館は革命によって没収され、総裁政府の宿舎となった。
革命暦8年ブリュメール(霧月)18日(訳注:1799年11月9日)のクーデターの準備の後、ボナパルトはここに数ヶ月滞在した。
1814年にコンデ家に返還され、館は1825年に国王シャルル十世に買い取られ、パリ議会議長の住居として使われた。
第三共和制以降、元老院議長公邸となっている。

ブリュメールのクーデターによって、ナポレオンは「軍人」から「政治家」へと転身していきます。(勿論その後も軍人であり続けますが。)
ナポレオンのイタリア遠征で北イタリアとベルギーを手に入れたフランスですが(カンポ・フォルミオ条約)、今度はナポレオンのエジプト遠征中に対仏大同盟軍の反撃により、イタリアも奪われ、フランス本土さえ危なくなってしまいました。
フランスに戻ったナポレオンは議会の外を軍隊で包囲し、総裁政府を倒して統領政府を樹立します。クーデターを計画したのはフランス革命初期からの指導者の一人シェイエスでしたが、ナポレオンは実力でシェイエスをも押さえて三人の統領の筆頭になってしまったのですね。


通り側から撮ってるので、他の資料との比較ができなくてよく分からないんですが、たぶんこの建物じゃないかと。

リュクサンブールと言えばやっぱり庭園の方を散策してしまうのでして、宮殿の方まで見て歩く事ってあまりありませんね。でも毎年「文化遺産の日」にはここも一般公開されますけど、大行列してますよ。大統領官邸エリゼー宮とかも人気がありますね。

何年か前、この文化遺産の日にコンコルド広場の海軍省の前を歩いていたら、海軍の水兵さんが「海軍省を見学したい方はいらっしゃいませんかぁ!」と「見学」の「呼び込み」をやっていて、何だか笑ってしまいました。人気無いんだろうか、海軍省。

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