2011年10月14日金曜日

ショリショリ。

さてもうすぐBNPバリバ・マスターズ・テニスのシーズンです。毎年10月後半から11月初め頃に行われる室内テニスのトーナメントですね。ベルシー総合スポーツ会館で行われます。

で、この冠スポンサーがBNPパリバという銀行ですが、BNP(バンク・ナショナル・ド・パリ)とパリバ銀行が合併してできた銀行です。
BNPは1848年、ルイ・フィリップの七月王政が倒れ、臨時政府が樹立された二月革命の混乱期に設立された二つの銀行、国立パリ割引銀行と国立商工業銀行が合併してできた銀行ですね。
パリバ銀行はパリ銀行(1869年創業)とオランダ貯蓄信用銀行(1863年創業)が合併したパリ・オランダ銀行(Banque de Paris et des Pays-Bas)の流れを汲む銀行。パリ(Paris)とオランダ(Pay-Bas)を合わせてParibasです。

で、このパリ・オランダ銀行(Banque de Paris et des Pays-Bas)の建物がオペラ座地区にありまして、例によってペール・スタークが立っております。


1713年にルイ十三世の城壁のヴァンドーム障壁の場所にダンタン通りが開通すると、通りにはすぐに美しい館が立ち並ぶ様になった。中でも特に素晴らしかったのは1720年に建てられた、Banque de Law(訳注:LAW銀行?どこを調べても載ってないんですが。)の会計係得ティエンヌ・ブルジョワ・ド・ボワンヌが住んだ館だった。この館は1754年にデュバル・デュ・エピノワに買い取られ、彼は館を娘であるマンドラゴン侯爵夫人に贈った。1793年に徴用され、1795年から1833年まではパリ市2区の区役所として使われた。ナポレオン・ボナパルトは1796年3月9日、ここでジョセフィーヌ・ボーアルネと結婚した。1869年、新たに設立されたパリ銀行がこの建物に入った。1971年にパリ・オランダ銀行となり、現在は「パリバ」となっている。

ペール・スタークの設置が1992年ですからね。この頃はまだパリバ銀行で、BNPと合併したのが2000年です。

そして、この建物が区役所として使われていた頃、ナポレオンとジョセフィーヌがここで結婚したと。
え?でも結婚式って教会じゃないの?というか婚姻届を提出に来たんですね。フランスの結婚式は勿論教会でやるんですが、その前後に二人でドレスとタキシードで役所に行って、係の人の前で一緒に婚姻届にサインするのが一般的ですから、ナポレオンとジョセフィーヌもそうしたんでしょうか。

二人の結婚を後世に伝える役割をするのはペール・スタークだけじゃなくて、パリ市がペールとは別に設置したプレートや、


ナポレオン財団(そんなものがあったのか)によるものもあります。


建物の入り口にはこの二つのプレートと共に、今でもパリ・オランダ銀行(1872年創業)の看板が掲げられてます。


パリの中心地は19世紀、ナポレオン三世時代のオスマン男爵のパリ大改造の時にほぼ現在の町並みの基礎が創られましたけど、この辺に関しては18世紀の街並って事ですね。

この辺りを歩きますと、他にもダンタン通りとダニエル・カサノヴァ通りの角には1785年の銘のある建物があったり、


一本隣のルイ・ル・グラン通りにはイアサント・リゴー(ルイ十四世の画家、ルーブルやヴェルサイユに作品がありますね)が住んでいた家なんてのもあったりして(プレートの拡大写真撮っとくの忘れた)、


いや、ホント、道草ってしてみるもんですね。

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