「犬も歩けば棒に当たる」という諺には、「余計な事をすると酷い目に遭う」という意味と「何か行動を起こすと(良い事も悪い事も含め)何かに出会う(つまりは経験値が上がる)」という意味と、同じく「思いがけない幸運に出会う」という三通りの解釈がありますね。
で、経験値上がったかな?
先日、バスに乗っていたらいきなり「この先デモ行進があり、このバスはルートを変更します」とのアナウンスが。よくある話です。
メトロでもよくあります。突然メトロが止まり、「今からストだ」とか、「故障でこれ以上走れないので全員降りてください」とか。そこまでは行かずとも、「運行調整のため少々お待ちください」とか、「只今送電が来てませんので復旧するまでお待ちください」とか。
「少々お待ちください…何故かって?さぁ…?判りません」というアナウンスがかかったこともありました。乗客はみんな笑ってましたけど、日本でこんな事言ったら大変でしょうね。
で、話を戻すと、その変更されて通らなくなってしまった部分に行きたかったおっさんはバスを降りて歩いた訳です。もう結構近づいてたから良かったようなものの。
例によって周りを見回しながら歩いてたら、当たりましたよ、棒に。
Quai Voltaire(ヴォルテール川岸)です。そのまんまの名前のホテルに、こんな看板が。
このホテルにはシャルル・ボードレールが泊まってたんですねぇ。
言わずと知れた「フランス近代詩の父」にして「悪の華」の詩人ですねぇ。ボードレールに影響を受けたと言われる人にはラフォルグ、アポリネール、ランボー、ベルレーヌ、マラルメ…なんかがいます。そして彼の作品「悪の華」の一節。
「朝の黄昏」とでも訳すんでしょうかね。
ピンクと緑のドレスで震えるオーロラ
誰もいないセーヌ川へとゆっくりと進む
そしてパリは、目を擦り、
道具を手にする、働き者の老人みたいに見える。
なんてとこでしょうか。こんなの真に受けちゃ駄目ですよ。取りあえず言葉通りに訳しただけですからね。ボードレールの詩をちゃんと読みたい方はちゃんとした翻訳家さんの訳で読んで下さいね。
他にも「フィンランディア」の作曲家シベリウス、「歌劇王」ロマン派歌劇の雄ワグナー、作家のオスカー・ワイルド。
中学生位だったかな?ワイルドの「ドリアン・グレイ」を読みまして。大好きでした。怖いんだけど。その頃から性格暗かったって事か。いや、それはさて置き。
更に歩いて行くと、またこんなのが。
ダンサー、振付師、パリオペラ座バレエ団監督ルドルフ・ヌレエフが晩年住んでた建物ですね。「ニジンスキーの再来」なんて呼ばれているヌレエフですが、その呼び名はジョルジュ・ドンなんかの方が相応しい様な気もしますけど。
もう少し歩くと…
1778年、ヴォルテールがここで亡くなってると。この通りの名前、「ヴォルテール河岸」はここから来てるんですね。レストランの看板の下、小さなカフェの看板が可愛いですねぇ。
啓蒙思想家、ディドロ・ダランベール・ルソーなんかと共に百科全書派に数えられるヴォルテール終焉の地ですか。するとここもフランス革命前夜の大きなうねりの発信地だった訳でしょうかね。
同じ建物にもうひとつプレートがあって、
Mr.ピコによって管理されていたこの建物で、占領下から解放の時まで、ここで抵抗運動の警察関係者部門の責任者達が会合してた様ですね。その指導者がアンリ・リビエール、ピエール・コンベ、ロジェ・プリウ・ヴァルジャン、ジャン・アングセなんていう人達だったという事ですか。まぁ、この警察の機構を説明しているのであろう部分はよく分らないんですが。
ここはいつか書いた「芸術の橋」も近いですしね。
角を曲がってバック通りへ。ここは嘗てセーヌ川を渡る渡し舟乗り場への道だったのでバック(渡し舟)通りと言うんだとか。
そしてまたすぐにありました。こんなの。
大デュマの「三銃士」「ダルタニアン物語」のダルタニアンはここに住んでたんですね。で、プレートには「ここで育った」とも書いてあります。ダルタニアンは十代半ばでガスコーニュ地方からパリに出て来てますから、その後割とすぐにここに住んだんでしょうね。
んー、ちょっと寄り道しただけでいろいろあるもんですねぇ。こういう所がパリの楽しい所ですなぁ。
序でに、その辺に普通にある建物の装飾が凄かったのでこれもUPしときます。今風に言うなら「うp」ですか。
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