2011年6月30日木曜日

へぇ。

さて今日はこんな写真から始めましょうか。


アレクサンドル三世橋越しのアンヴァリッド。アンヴァリッドは以前書いてるので、今日はアレクサンドル三世橋です。1891年、フランス・ロシア同盟が結ばれた記念に架けられた橋ですね。アレクサンドル三世と同盟を結んだのがフランス大統領サディ・カルノー(6月23日の記事のコンドルセー高校の出身者)です。アレクサンドル三世の息子、ニコライ二世(ロシア最後の皇帝、皇女アナスタシアの父君ですね)によって礎石が置かれ、1900年のパリ万国博覧会に合わせて完成しました。

建築は技師のアメデ・アルビー(ドゥビリー橋、ミラボー橋も彼の手になる橋ですね)、ジャン・レザル(アルビーと共同で前出の二つの橋、他にもベルシー橋、ノートルダム橋)、建築家のカシアン・ベルナール(モンマルトルのトリアノン劇場、メトロのオペラ駅に代表されるネオ・クラシック様式の入り口等)、ガストン・クーザン(この人の資料が見当たらん)に任されました。もともと灰色だったこの橋は、その後緑になり、明るい灰色になり、1998年の修復以降は元の灰色に戻っています。

パリのセーヌ川に架かる橋の中でも最も美しい橋と言われてます。雑誌とかの撮影なんかにもよく使われてますね。

今度は少し角度を変えて、こんな風に見ると…


わかりますか?この橋はセーヌ川の中に柱を立てず、一本のアーチだけで支えられているのですね。ほかの橋は大抵、セーヌ川の中に柱を立て、幾つかのアーチに分かれて支えているんですが、この全長107メートルの橋は一本のアーチだけ。

セーヌ川がちょうどカーブする所で、船の通行を妨げない為と、デザイン上の理由でこういう構造になったそうです。


今度はエッフェル塔とツーショット。

この橋の四隅の石の柱は、それぞれコンセプトがあって、

右岸上流:アルフレッド・シャルル・ルノワールによる「中世のフランス」
柱の上の「芸術」の寓意像はエマニュエル・フレミエ(モン・サン・ミシェルの大天使像、ピラミッド広場のジャンヌ・ダルク像の作者)作。

右岸下流:ギュスターヴ・ミッシェルによる「近代のフランス」
「科学」の寓意像、同じくエマニュエル・フレミエ

左岸上流:ジュール・クータンによる「ルネッサンスのフランス」
「戦い」の寓意像、ピエール・グラネ

左岸下流:ローラン・マルケストによる「ルイ14世のフランス」
「産業」の寓意像、クレモン・シュタイナー

それぞれ美しい彫刻で飾られてますけど、この四本の柱はただの飾りではないのですね。カウンターウェイト、つまり「重石」です。四隅から重石でしっかり押さえておいて、セーヌ川の中には柱は立てないという構造です。

何と豪華な重石だ。そういえば、「ドラゴンボール」のかなり初期の頃、金持ちの夫婦が占いババ様の所に、純金の漬物石をどこにしまい忘れたかを占ってもらいに来てましたね。

実を言うと、この橋にもフレミエさんの彫刻がある事は今回初めて知りました。まだまだですなぁ。

2011年6月29日水曜日

コラボ。

この言葉はフランスではあんまり良い言葉ではありません。日本ではコラボレーション、何かと何かの(或いは誰かと誰かの)コラボ、という感じで、協力して、ジョイントして何かをする事ですね。フランスでは「コラボ」と言えば「コラボラター」(協力者)の意味があって、これは第二次世界大戦中、占領時代にナチスに「協力」した人、団体を指していました。転じて内通者、スパイ。現在でもすぐ告げ口する様な子供は「あいつはコラボだから」なんて周りから言われたりするそうです。

で、今回はその意味のコラボとは関係ありません。古さと新しさのコラボ(日本的意味での)。

サン・トーギュスタン教会です。この教会の前にもジャンヌ・ダルク像がありますよ。


サン・トーギュスタン教会の建築が1860年から1871年にかけて。ちょうどナポレオン三世時代ですね。ジャンヌ・ダルクは1412年から1431年、とは言っても実際活躍したのは1429年以降ですが。
前回紹介したサン・ドニ・ド・ラ・シャペル教会は、実際にジャンヌが立ち寄ったとされている所で、言わば「縁の地」ですが、ここはどうなんでしょうね。まぁ、1429年、パリ奪還の為にパリ郊外サン・ドニに陣を敷いたジャンヌは、パリの西側を目指します。当時のパリはまだ小さく、シャルル五世の城壁に囲まれていた時代です。その頃はルーブル美術館周辺がパリの西端でした。そしてジャンヌはそのルーブルの近くで負傷する訳ですから、北からパリを西回りに迂回して現在のサン・トーギュスタン教会の辺りを通った可能性は十分あるとは思いますが。


このジャンヌ像は珍しく剣を振りかざしてますね。大体ジャンヌ・ダルク像と言えば旗を持ってるのが多いんですが。

大天使ミカエルのお告げを聞き、ロワール川近くのシノン城へと王太子シャルル(後のシャルル七世)に会いに行ったジャンヌですが、シャルルはジャンヌの事なんか全然信用してません。
「はぁ?17歳の農家の娘がフランスを救う為に立ち上がった?何だそりゃ?」
という事になりますわな、そりゃ。

で、王太子としては、「こいつちょっとからかってやろうか」という気になったんでしょうね、ちょっとしたイタズラを仕掛けます。王座には王太子の扮装をさせた偽物。王太子本人は家来の扮装で、家来の群れの中に紛れていました。
ところがジャンヌは偽物には見向きもせず、本物の王太子を一目で見抜き、本物に向かって「貴方こそ本当のフランスの王になる方です」と告げたと伝えられますね。
この瞬間、王太子は二つの事を悟る訳です。

その一。「これは本物だ」
当然ジャンヌは王太子の顔は知りません。王座にはそれらしい偽物。王太子本人は家来の扮装。周りは似たような格好をした家来で一杯。その中で本物を一目で見抜いたと言う事は、これは神様のお導きに違い無い。大天使のお告げ、神様のお導き、これは本物だ、と。

その二。「自分は正統の王太子なのだ」
当時、イギリス派のブルゴーニュ公と結んだ母后イザボー・ド・バビエールは、もうフランスをイギリスに差し出す気に半分なりかけていたんですね。その為には王太子が邪魔です。だからイザボーさんは、「王太子シャルルは不倫で出来た不義の子である」と言う噂をばら撒いて、王太子を廃嫡しようとしてたんですね。で、イザボーさんという女性の人柄からして、これは大いにありそうな事だった為、周りも「火の無い所に煙は立たない」と思うし、王太子もその事で悩んでました。ところが、大天使のお告げの、神様のお導きの聖なる少女が、言わば神様の使いが自分に向かって「本当の王だ」と言ってるんですから。

王太子に認められたジャンヌは、やがて聖職者達や裁判所の取調べの結果、やはり本物と認定されました。ジャンヌには一頭の白馬と、特別製の甲冑一式が贈られたそうですが。当時の普通の甲冑は60から80㌔ありました。ジャンヌの甲冑は特別で25㌔。普通の半分以下ですが、それでも25㌔。重くて持ち上げるのに苦労するスーツケースがその位の重さですね。そんな重さの甲冑を着けて、18歳の女の子が戦場を駆け回る事が、果たして可能でしょうかね?

さて、それでも戦場を駆け回ったジャンヌですが、神様の使いですから、基本的には「人殺し」はしたくない。そこでジャンヌはよく旗持ちをしてたそうですね。
というか、ジャンヌは本来農家の娘です。別に戦闘訓練を受けている訳でもなし、経験もありません。物理的な戦闘能力より、ジャンヌの存在意義は「旗持ち」つまりは象徴だったんですよね。そりゃ、神様の使いが先頭に立って軍を率いるんですから、士気も上がろうってもんです。

そんな事で、旗持ちでなく、剣を振りかざすジャンヌ像は割と少数派なんですね。

で、この「少数派」ジャンヌと「コラボ」するのはサン・トーギュスタン教会。サン・トーギュスタン、日本語にすれば聖アウグスティヌスは神学者で、「拍手を。お芝居は終わりだ」の辞世の言葉で有名ですね。


教会の方は、第二帝政時代に建てられました。外見も立派ですけど、中も凄いですから、パリにおいでの予定の方は覚えといて下さいね。まぁ、外壁が大分黒ずんでますけど。これはこの教会のすぐ脇を通る道路の交通量の多さ、排気ガスの凄さと共に、街の教会(有名な観光地でない教会)を維持する事の難しさを物語ってますねぇ。

建築家ヴィクトール・バルタールによって建てられたこの教会は、この頃流行の「エクレクティック・スタイル」(複合様式)で、ローマ風デザインとビザンチン風デザインを「コラボ」させた物ですね。

そしてこの教会に隠されたもうひとつの「コラボ」。この教会は鉄骨の枠組みと石積み建築が同居する、この規模の建造物としては最初期に属するもので、中に入ると、その鉄柱の一部なども見る事が出来ますので、建築関係の方、建築ファンの方なんかには面白いんじゃないかと思いますよ。

建築様式からも、構造からも、歴史からも、これだけ面白い教会ですけど、他にも観光地としては全然有名ではない、街の教会で、やっぱり面白い教会がいろいろあるパリですから、どうですかね、どこかの旅行会社がこういう「有名でない、街の普通の教会を巡るツアー」なんてのを企画したりしませんかね。

もしあったら、行きますか?

2011年6月28日火曜日

あれ?

本日はまたもや食べ物ネタ。

昼食にファラフェル。ヒヨコ豆のコロッケですね。本来ファラフェルとはこの豆のコロッケのことを指しますから、こういう物は正確には「ファラフェルのサンドイッチ」と呼ぶべきでしょうね。


店名の「L'As du Fallafel」が見える様に撮ったのでこの角度です。もうちょっと中がよく見える様に撮るとこういう感じ。


「L'As du Fallafel」さんはマレ地区のユダヤ人街 rue Rosier の中でも一番有名な店で、各国の雑誌に掲載された記事が店に貼られてます。他の店でもファラフェルをやってる所はありますけど、いつも行列なのがここ。ウィンドウに書かれた「Toujour imite,jamais egale」(いつも真似されるけど、絶対に追いつかれない)という文句も、ナンバー1の自負を物語るんでしょうか。


カウンターでは次々入る注文を、店員さんがこなしてます。


ところで、この店は店内で食事をする事もできるし、持ち帰りもできます。店の外に向けてカウンターが二つ。左のカウンターにはテイクアウトの行列。右のカウンターの前では、店員さんが「店内でお食事の方、こちらへ並んでくださーい」と交通整理をしてます。だからでしょうか、みんな右のカウンターはテイクアウト用じゃないと思い込んでしまうのか、右のカウンターは空いてるんですよね。この、交通整理をしてる店員さんに、「テイクアウトお願いします」と声をかけると、持ち帰り客の注文をとる係りの人に取り次いでくれて、「ファラフェル・スペシャル」と告げると、その場で支払い(5ユーロ)、伝票をもらって、それを持って右のカウンターへGo。暑い中行列してる人には申し訳無いですが、早々にファラフェルをゲットして人混みから離脱。

しかし、ピタパンに野菜と豆のコロッケとホワイトソースをたっぷり入れて、「Sauce Piquante?」(ピリ辛ソースは?)と聞かれ、「Oui,s'il vous plait」(はい、お願いします)と答え、確かに何かのソースをかけてくれたけど、ちっとも辛くないぞ、これ。

このRosier通りはユダヤ人街で、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)もあります。キリスト教徒の町じゃないからか、日曜日でも結構店が開いてますね。Rosier通りの一本北側、Francbourgeois通りも、数少ないパリの日曜日のショッピングスポットのひとつです。

Rosier通りを歩いてると、


近くのカフェにはハヌキア(ユダヤ教の祭祀に使う、九本に分かれた燭台)が…


パン屋さんにも…


ユダヤ教の通常の祭祀にはメノラーという七本に分かれた燭台(オイルランプの事もある)を使います。ハヌキアは本来ハヌカのお祭りの時に使う物なんですが、まぁ、メノラーもハヌキアも、一般にユダヤのシンボルですからね。いろんな所に飾られてます。

ハヌカの祭りは、紀元前167年のマカバイ戦争(旧約聖書に「マカバイ記」がありますね)による、ユダヤ民族のギリシャからの解放と、そのとき起こったひとつの奇跡を記念するお祝いですね。
解放されたユダヤ人達は、ユダヤの伝統に則って聖なる灯火を点そうとしましたが、その為のお清めを受けた聖なる油が無い。やっと見つけた聖なる油はせいぜい1日か2日分。次の油のお清めが終わり、油を追加できるまで一週間はかかる。ところが、この途中でオイル切れで消えてしまう筈の灯火が、8日間燃え続けたという奇跡です。
だからハヌキアは通常の七岐じゃなくて九岐なんですね(8本と種火用の一本)。

ユダヤ暦はグレゴリオ暦とは違うので、ハヌカの祭りも毎年期日が違いますが、大体12月頃です。以前はそれ程盛んではなかった様ですが、第二次世界大戦以降、ユダヤ人もキリスト教徒も住み分けがなくなって来て、キリスト教徒の子供達が「クリスマスプレゼント何を貰った?」なんてはしゃいでるのに、ユダヤ教の子供達は「うちはクリスチャンじゃないからサンタクロースは来ないのよ」なんて言うのもかわいそうだし、だからハヌカをキリスト教のクリスマスに対抗できる様な大きなお祭りとして復活させたなんて聞いた事がありますが。

ハヌカには、ラトケス(ポテトパンケーキ)やブリンツ(焼き菓子)、シュフガニヤ(ジャムドーナツ)等を食べて、ドレイドル(独楽遊び)をしたり、ハヌカゲルト(ハヌカのお小遣い)を貰ったりして、楽しく過ごす訳ですね。

これならクリスマスにも匹敵するだろう、という事でしょうかね。

すみません、いつの間にか思いっきり季節外れの話題になっちゃいました。

2011年6月27日月曜日

そういう事なら。

さて、昨日の続きの様なものですが。

日本から見える方から割とよくある質問で、「別にブランド物とか、高価な物じゃなくて良いので、可愛い小物とかの店はありませんか」というのがあります。そう、こういう風に狙いを定めてくれると、こちらもアドバイスし易いですね。

じゃ、こんな所はどうでしょう。

シャルル・ド・ゴール空港とパリを結ぶロワシーバスの乗り場のすぐ前、11 rue Scribeにある「Igloo」です。なんかかわいい店の割には結構オッサン風の人が写ってますけど。ここはインテリアとキッチン用品かな。プラスティックの食器のシリーズなんか結構好きです。

これも割と似た系統の店ですね。

こっちは結構ギャググッズぽい物もありますね。キッチン用品やインテリアの他、オフィス用品からオーデイオ、照明その他、かなりの物があります。オペラ座とマドレーヌ寺院の間ってとこです。「La Chaise Longue」2 rue de Seze

もうひとつ。

ここは前の二つとはちょっと毛色が違って、インテリアが主なんですが、なんか掃除用具が結構充実してたりします。16 boulvard des Capusines の「Perigot」。ルーブル美術館の地下のショッピングモールにも入ってます。その他ギャラリーラファイエット、プランタン、ボンマルシェなんでいうデパートにも出店してます。結構手広くやってますね。
で、この画像の熊さん(?)の背中にはチャックがあって、チャックを開くとエコバッグになったりします。

そしてこれは単純に自分の趣味で付け加えておきますが。

手編みの指人形屋さんです。動物の指人形もさる事ながら、猿に持たせるバナナとか、兎に持たせる人参とかまであって、かなり芸が細かいです。15 rue elzevir 「Roxana」

そんな訳で。パリをぶらつく度にいろんなお店を見付けて資料作りをするのも楽しいもんです。日々発見ですね。お店に限らず。

2011年6月26日日曜日

「何でも良いです」

これ、一番困る答えです。

まぁ女の娘とデートするなら前もってプランを練ったり、誘うお店も下調べしたりしますがね。
それ以外のケースで、例えば「食事でも」、となった時、
「何が良いですか?」
「何でも良いです」
これ以上不毛な会話はありませんね。
以前、やはり何でも良いですと言われ、シーフードを提案した所、それで良いですと。で、海の幸盛り合わせ(今時の人は「海の幸盛り合わせって何ですか?」「蟹とか、生牡蠣とか貝とかの盛り合わせです」「何だ、シーフードプレートの事か」なんて事になるんでしょうか?)で有名な店があるんですが、と言ったらそれで良いですと。その店に行き、「ここは海の幸盛り合わせが名物です」「それで良いです」注文の品が出て来ました。山盛りの氷のプレートに、生牡蠣、貝、海老、蟹などが盛り付けられてまして、さあどうぞ、と言ったら、「僕は胃腸が弱いので生物は食べないようにしてるんです」と。
だったらシーフードプレートを提案した時点で言って欲しかった。

「お勧めのレストランを教えて下さい」
これも困りますね。何の店が良いんですか?「おいしければ何でも良い」と答えた方もいましたが、それでマムシを目の前で捌いてくれて生き血と刺身を食す店とか、韓国に伝わる不老長寿の秘薬ムカデの姿焼きや踊り喰いの店とかに連れてったら何て言うでしょうね。まぁ、そんな店はパリでは見た事ありませんが。羊の脳味噌を出すアラブ料理店とか。これならパリにあるし。

蕎麦アレルギーの人にガレットは勧められないし、卵アレルギーの人にはオムレツは勧められません。ベジタリアンにジビエを勧めてもしょうがないですし。
そこまでは言わなくとも最低限、「フランスの定番料理で、そんなに堅苦しくない店」とか、「あんまり高くても困るけど、パリジャンがちょっと頑張って彼女を誘う位のレベルの店」とか、「フランスの地方料理も食べてみたい」とか注文をつけてくれないとこっちも勧めようが無い。

「お勧めの観光スポットを教えて下さい」ってのもありましたね。これも同じです。絵画や彫刻に興味の無い方に美術館をお勧めするのは意味ないし、お酒が飲めない人にお洒落なワインバーを紹介してもしょうがないし、乗り物に弱くてすぐ酔う人に観光船は勧められませんよ。

昔は「何が良いですか?」と聞かれて、「あれが食べたい、これが食べたい」といろいろ注文をつけるなんて失礼だ、みっともない、みたいな感覚はありましたね。最近の日本の方は主張すべきはきちんと主張する様になって来たかと思ってましたけど、そうでもないんでしょうかね?それともこれは主体性の問題か?

おっさんとしては、例えば若い頃、彼女が手料理を作ってくれる事になって、「何が良い?」と聞かれたら、仕事で疲れ切って頭が回らなくて、何も思い浮かばなくても、「何でも良いよ」なんて答えたら「どうでも良い」と言ってるみたいで嫌な顔されそうで、やっぱり言いにくい。「そーだなー、君の一番の得意料理を頼むよ、何が出て来るかはサプライズって事で。楽しみにしてる。」とか気を使ったもんですが。
少年漫画風リアクションなら「君が俺の為に料理してくれるだけで感激だよー!」とかいう展開もありそうですけどね。

ってか何の話でしたっけ。

2011年6月24日金曜日

物置の片付けも兼ねて。

飛行機の中で。

私立の高校の修学旅行らしい、制服の少年少女の団体さん。「ミネラルウォーターをください」とか、「寒いので毛布をください」とか、結構CAさんに英語で話しかけてます。近くの席でそれを聞いていた「大人」の方が一言。「現役は強い」。

ちょっと待てぇ~!

別に原子炉の構造や中東情勢を議論してる訳じゃないだろうに。「みねらるうぉーたー ぷりーず」とか「いっつ こーるど。ぎぶ みー ぶらんけっと」とか言っている高校生を「現役は強い」と?

先日仕事関係でお会いした日本の方。

パリの前にロンドンに寄ってから来たんだそうです。で、ロンドンで靴を一足買ったが、パリへ出発間際になって、箱の中に、右側と左側で違う靴が入っている事に気が付いた。片方ずつのちぐはぐな靴なんかじゃ困るけど、お店に寄って取り替えて貰う時間は無い。

「で、旅行会社の現地事務所に電話して聞いてみたら、『その旨の手紙を書いて商品を店に送り、正しいペアの靴を送り返して貰うしかない』と言われたんですが… 英語の手紙なんか書けないじゃないですか。だから…書いて貰えませんか」

「書けないじゃないですか」とはどういう事だ。でも書いてあげましたよ。「すごぉい」
これまたちょっと待てぇ~!

中学・高校レベル以上の単語も文法も使ってませんよ。(と、その人にはっきり言っちゃいました)
てか中学の英作文のレベルだと思いません?(てかおっさんの英語力がその程度なんですが)

「私は昨日、貴方の店で靴を一足買いました」
“あい はぶ ぼうと あ ぺあー おぶ しゅーず あっと ゆあー しょっぷ いえすたでい”

「ホテルで箱を開けてみたら、右と左と違う靴でした」
“ほえん あい おーぷんど ざ ぼっくす あっと ほてる、あい ふぉうんど ざ しゅーず いーち さいど でぃふぁれんと”

「私が欲しかったのは左側の靴です。」
“ざ しゅーず あい うぉんてっど わず ざ れふと わん”

「靴を送り返します」
“あい せんど ゆー ばっく ざ しゅーず”

「正しい組み合わせの靴を送って下さい」
“ぷりーず せんど みー ざ らいと ぺあー おぶ しゅーず”

まぁ実際にはもう少し長い手紙ではありましたけど、内容はこんなもんです。
これで「すごぉい」と言われてもなぁ。

いつかも書きましたが、日本の方は真面目すぎて、文法的にきちんとした文章を作らなければならないとか、単語の綴りひとつひとつまで完璧じゃなきゃいけないという強迫観念みたいな物がありますね。だから考え過ぎて言葉が出て来ない。
アメリカ人やイギリス人だって結構間違った文法を使ったりしますし、綴りの間違いなんてしょっちゅうです。フランス人も然り。日本人だって漢字の書き間違いも、「てにをは」の間違いもあるでしょうに。

そんな訳で、再び書きますけど、如何でしょう、日本で英語の先生をなさってる方、英作文の題材に、「海外旅行をして、ホテルに忘れ物をしてしまいました。探して、送り返してくれる様に依頼する手紙を書いて下さい」とか、「海外旅行で滞在したホテルのスタッフの方に、滞在中にスタッフと一緒に撮った写真を送ります。お世話になったお礼の手紙を書いて下さい」とか、やってみませんか?

それから、「英語ができない」と思い込んでる方、物置の掃除も兼ねて、中学・高校の英語の教科書を読み返してみては如何でしょう。「あぁ、こんな言い方もあったなぁ」「あれ?こんな単純な文章だったっけ?」なんて思い出して、口に出して言って見ると良いと思うんですが。

あと、おっさんが学生の頃やったのは英語の歌の翻訳ですかね。日本って親切な国ですから、CD(おっさんの頃にはレコードでしたが)に歌詞カードが付いてるじゃないですか。それを辞書を引きながら、曲を聴きながら訳してると、単語にしろ言い回しにしろ頭に入って来ます。ただ英語の歌を聴いてても何を言ってるのかわからないですけど、そうやって調べた文章はちゃんとそういう風に聞こえるのが不思議です。ボブ・ディラン、ビートルズ、PPM、ジョーン・バエズ、トム・ウェイツ、スプリングスティーンとか、やりましたね。好きな曲なら取っ付き易いし。

どうですかね。たまには一杯やりながら、「空耳アワー」なんかも参考にしながら。

2011年6月23日木曜日

名門校。

さて先日またもパリをうろついてたら、ちょうどサン・ルイ・ダンタン教会でミサをやってまして。まぁ、ここの教会は、資料によるとミサとか結構よく行うと書いてあるんですが、意外と、実際ミサに出くわすことはあんまり無い様な気がするんですけどね。


ここの祭壇画も凄いですよ。


教会そのものも凄いんですが、実はこの教会は高校の中にあるというか、繋がってるんですね。高校の方もまた凄い。ペール・スタークによりますと…


証券取引所を設計したブロンニアールは1780年、カプチン会の為に、庭園と菜園に囲まれた新しい修道院を建設した。外壁に囲まれた二つの建物は、左側は礼拝堂(現在はサン・ルイ・ダンタン教会)、右側は修道士が集う場所になっていた。1792年に国の資産として売却され、以降この修道院は印刷所、更に病院となり、1803年には国に買い戻され「ボナパルト高校」となるが、この高校は政治体制の移り変わりと共に、1815年ブルボン高校、1874年フォンターヌ高校、そして1883年にやっとコンドルセ高校となる。修道院は隣接する、ドーリア式の厳格で簡素な回廊にあって、これは現在高校の中庭となっており、正面の門から見る事ができる。19世紀のサン・ラザール駅やデパートの建設などの大発展を遂げたこの地区にあって、同校はテオドール・ド・バンヴィル、ジャン・ジャック・アンペール、アレクサンドル・デュマ(小)、エドモンとジュールのゴンクール兄弟、ナダール、ウージューヌ・スー、サディ・カルノー、マラルメ、ヴェルレーヌ、シュリー・プリュイドム、マルセル・プルースト、オスマン、モルニー公、アンリ・モニエなどを輩出した。

歴史の方はともかく、ここの出身者を見るだけでも凄いですねぇ。
バンヴィルさんは詩人、劇作家、評論家。アンペールさんは歴史家、作家、旅行家。小デュマは言わずと知れた。ゴンクール兄弟が設立したゴンクール賞はフランスの最も権威ある文学賞のひとつですね。ナダールさんは印象派にアトリエを提供した写真家。スーさんは作家、カルノーさんは政治家(大統領経験者)。マラルメ、ヴェルレーヌ、プリュイドムは詩人、プルーストもご存知の通り。ナポレオン三世の下、パリを大改造したオスマン男爵。政治家のモルニー公。劇作家、風刺画家、俳優のモニエ。

なんていう人達を輩出した名門校なんですねぇ。
しかし、毎回文句言って申し訳ないが、おっさんとしてはこの出身者リストに、ナビ派の中心人物ボナール、ヴイヤール、ドニの三人とか、ロートレックとか、やっぱり入れといて欲しかったんですけどね。

それはさておき。学校に部外者が立ち入るのはまずいかも知れませんが、教会のほうは開いてれば見学に入っても問題ありませんからね。ちょうどプランタンデパートの裏側辺りですから、買い物の序でに覗いて見たらどうでしょう。

2011年6月22日水曜日

ノッポビルの麓。

パリにはパリ駅・中央駅というのはありません。
ローマならテルミニ駅、ベルリンならベルリン中央駅、ジュネーブならコルナヴァン駅という中央駅があります。
パリは六つの長距離線の駅があり、行き先によって使い分けなきゃいけないんですね。

本日はパリの六つの駅の中で唯一近代建築のモンパルナス駅。


元々のモンパルナス駅は1840年に建てられてます。その後1852年、現在のモンパルナスタワーやギャラリーラファイエットデパートのモンパルナス店がある辺り、モンパルナス大通沿いに新しい駅舎が造られました。
この頃、フランス西部への列車を走らせていた鉄道会社が再編されて西鉄道会社が発足します。で、この西鉄道(Chemin de fer de l'ouest)がモン・サン・ミッシェルまで汽車を走らせていたのですね。


このモン・サン・ミッシェルへと続く防波堤道路(今はもう線路は無く、道路です)はもうすぐ無くなってしまいます。モン・サン・ミッシェル湾の保護のために取り壊されてしまうんですね。
この西鉄道の「左岸駅」がモンパルナスで西フランスの南部担当、「右岸駅」がサン・ラザールで、西フランスの北部担当でした。
更に、現在のモンパルナス駅とほぼ同じ位置にメーヌ駅が増設されます。

1960年代、パリ・モンパルナス地区の再開発計画で、モンパルナス駅は南に移動し、メーヌ駅と合併します。旧モンパルナス駅前、モンパルナス大通り側にあった地下鉄モンパルナス駅と、旧駅裏にあった地下鉄ビヤンブニュ駅が繋がって地下鉄モンパルナス・ビヤンブニュ駅になりました。ビヤンブニュはメトロの父といわれた技師、フュルジョンス・ビヤンブニュの名からとった駅名ですね。

旧駅舎跡地にはショッピングモールとモンパルナスタワーが建てられました。この高層ビル「モンパルナスタワー」は物議を醸しました。パリの街にこんな高層ビルは似合わないと言う議論が巻き起こり、再開発計画そのものをもう一度見直す破目になったのですね。


今ではこのモンパルナスタワーの屋上展望台は人気の観光スポットです。地上200メートルから、360度の眺望がありますからね。

さて、この今はもう無い「旧モンパルナス駅」はフランス人にとっては忘れられない駅だったんじゃないでしょうかね。1944年、ドイツの支配からパリを解放したルクレール将軍は旧モンパルナス駅に司令部を置いて市街戦を指揮しました。
今でもモンパルナス界隈には軍人さんの名前のついた通りとかが多いですね。ルクレール将軍通りを始め、ドロンヌ大尉通り(パリに一番乗りした戦車隊長)、第2機甲師団通り(ルクレール将軍が指揮した部隊)とか、ムショット司令官通り(第二次世界大戦のエースパイロット)とか。

そして1895年の鉄道事故。これもいまだに絵葉書やポスターになって売られてますから、パリに行った事がある方はお土産物屋さんなんかで見た事があるんじゃないでしょうか。


現在のモンパルナス駅付近は、クレープ屋さんが多い事で有名ですね。クレープの名産地、ブルターニュ地方からノルマンディー地方にかけての列車の玄関口ですもんね。勿論レストランみたいな店を構えたクレープ屋さんもありますが、こんな屋台も人気です。


そしてモンパルナスに限らず、屋台のクレープ屋さんといえば、もうワンセットの様にしてあるのがメリーゴーラウンド。


パリ中いたる所にこのクレープ・メリーゴーラウンドのセットがあるんですけど、ここのメリーゴーラウンドを見てて、さすがフランス、とか思っちゃいました。

お馴染みの馬とか馬車とかに混じって、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」に出て来る潜水艦「ノーチラス号」


同じくジュール・ヴェルヌの「地球から月へ」に出て来る宇宙船「コロンビアード号」


サン・テグジュペリの「星の王子様」(フランス語「Le Petit Prince」)のロゴの飛行機


ディズニーランドのアトラクションにもフランス風の味付けをして、スペースマウンテンをジュール・ヴェルヌの「地球から月へ」の世界に合わせてアレンジしちゃう国ですもんね。今はスペースマウンテンは改装されて「ミッションⅡ」となり、本来のスペースマウンテンに近い形になってますが、「地球から月へ」のロケット打ち上げをイメージした、スタート直後の急上昇は変わってませんね。

新しい物も取り入れつつ、自己のアイデンティティーも忘れない。フランス人の良い所でもありますが、それが時に「頑固」「頑迷」になって顔を出す事も結構多いですけど。

2011年6月21日火曜日

「何故だ!?」 「…坊やだからさ。」

この画像だけ見ても何の事か判りませんね。


上の画像はパリの環状道路。
パリを取り巻く環状道路の事をペリフェリックと言います。そのまんま「周辺」という意味ですね。コンピューターの「周辺機器」の事もフランス語でペリフェリックと言います。
ポルトというのはフランス語でゲートの事ですね。ドアの事もポルトといいますが、要するに出入り口の事。パリと郊外の「出入り口」が「ポルト」な訳で、環状道路に沿ってポルト何とか、という地名が沢山あります。

ここは「ペリフェリック」の、パリの南東側、ポルト・ド・イヴリー付近です。
実はここにイベーダーちゃん達が編隊を組んでやって来てるんですが。ひょっとして、パリ旅行を計画中の方で、キリアド・ポルト・ド・イヴリーというホテルに泊まる方がいたら、ベーダーちゃんの編隊にお目にかかれると思いますよ。

で、もう少し近づいた画像。重いかも知れませんが、大きいままでないと、何処にベーダーちゃんがいるのか判らないので。


見つかりました?

で、何でこのタイトル? いや、「編隊」からつい連想しちゃっただけです。

「ブライト、敵の編隊が行くわ」
「よし、ミライ、位置に戻れ、砲撃をかける」
「ガンタンク、ガンキャノン、ホワイトベースの各銃撃手は照準合わせ。十秒後に一斉射撃。十、九 … 三、二、一、撃て!」

「君は良い友人であったが、君の父上がいけないのだよ、はっはっはっはっはっ」
「シャア… 謀ったな、シャア!」

おっさんは世代的にファーストガンダムです。その後のガンダムはよくわからん。ヤマトもそうですが。

因みに言うと、銀河万丈さんのギレン総帥の演説、
http://www.youtube.com/watch?v=JIS5gLNPClk
凄いです。
で、その前にガルマ・ザビの最期も見とくと良いかも知れません。http://www.youtube.com/watch?v=mrxelXl16Uo&feature=related

2011年6月20日月曜日

さて今日はスイーツだ。

という訳で、ショコラティエの「クリスチャン・コンスタン」に行って参りました。
一人飯、一人焼肉はおろか、一人フランス料理フルコースだって平気なおっさんです。一人カラオケは…カラオケそのものが嫌いだからなぁ…でももしカラオケが好きだったらきっとやるだろうとは思いますが。
ま、それはさておき、やっぱり一人スイーツってのは虚しいモノがありまして。二種類のケーキを味わえるという利点もあり、今回は会社の同僚nnkさんに同行願ったのでした。


日本にも支店がありますね。というか、今、日本で手に入らない物を探す方が大変じゃないか?という気もしますが。ま、でも「パリの『コンスタン』のティールームに行く」ことは日本じゃできませんからね。
店の前には無造作に置かれたアイスクリーム。


店内に入ると、いろいろとありますねぇ。
惣菜もあって、ランチもできますよ。


でもやっぱりここの本命はこっちですねぇ。流石ショコラティエだけあって、ケーキもチョコケーキ類がメイン。


タルトっぽいのもあります。


チョコのバッグとか、チョコのハート型容器(?)とか。


母の日の売れ残り?それとも早くも来年の母の日に向けて?


で、nnkさんが選んだのは「シシリアン」ミルフィーユ風の土台(?)の上にプラリネチョコクリーム、シシリア産のピスタチオ。


おっさんは「チョコ・プラリネ」二種類のチョコクリームにハシバミの実。


チョコ・プラリネの方は、素直なチョコクリームの味がすっきりしてます。シシリアンの方は、食感が面白い。弾力のある、不思議な歯応え。何かに似てる、と思ったけど思い出せない。nnkさんと二人して、「チョコ・プラリネが豆腐の食感だとしたら、このシシリアンの食感はハンペンだよねー」などと言ってたんですが。


他にも店内には紅茶も緑茶も有ります。瓶に入った碁石かおはじきみたいなのは「ドラジェ」、結婚式のお祝いなんかによく使う砂糖菓子ですね。


他にもいろいろなケーキがありますが、そんなに次から次へと食べる訳にも行かないので、今回はここまで。

ん?おっさんは甘い物も行けるクチですよ、昔から。お酒も嫌いじゃありませんし。今も一杯やりながら書いてます。所謂「両刀使い」って奴ですか?
この言い方は誤解を招くかも知れんな。

2011年6月19日日曜日

街角のドラクロワ。

さて、本日は教会のお話。

それも、例によってヒネクレたおっさんの事ですから、有名な観光地になっている教会は後回し。町の教会こそがこんなに凄いという見本みたいな所が好きなんですねぇ。

サン・ドニ・デュ・サン・サクレマン教会。マレ地区からも、バスティーユからもそう遠くない、というかその間にある教会です。外見はどうって事無い町の教会。


てかむしろ凄くシンプルな教会ですよね。で、何が凄いかというと、ここでまたペール・スターク登場。


この教会は1826年から1835年にかけて、ノートル・ダム・ド・ボン・ヌーベル教会、ペール・ラシェーズ墓地の礼拝堂、サン・シュルピス教会の神学校等を手がけた非常に精力的な建築家ゴッドによって建てられた。非常にシンプルな正面は、中央の列柱は四本のイオニア様式の柱を備え、柱の上は三角形の破風は彫刻家フシェールの手になる信仰、希望、慈愛の寓意像で飾られている。扉の両側の壁龕にはサン・ピエールとサン・ポールの彫刻がある。内陣はピュジョルによるグリザイユで飾られ、またドラクロワが素晴らしい「キリスト降架図」を描いた。ドブレーヌ・カイネによるオルガンは1839年のもの。このオルガンはまず1866年カヴァイエ・コルにより、更に1969年にも修復されている。

町の普通の教会にドラクロワの壁画ってのも凄い事ですねぇ。ドブレーヌ・カイネもカヴァイエ・コルも一流のオルガン職人ですしね。

この教会に入ると、まず正面の祭壇に惹き付けられます。これだけだって十分凄い。


入って左の側面に沿って一回りしましょう。そして奥の祭壇の裏をまわって、そのまま真っ直ぐ。ドラクロワの作品に突き当たります。でも暗くてよく見えないなぁ…等と思ってると、右手にスイッチがあって、これを押すとしばらくの間照明が点きます。消えるまでゆっくりと眺めて…でも、こんな物が普通に無料で見られるなんてのも凄いですね。しかも番人一人立ってる訳でもない。そういえばフィレンツェでマサッチオを見に行った時もこんなだったかな…


こういう所も、町の普通の教会を覗いて歩く時の楽しみの一つですね。まぁ、ランスの大聖堂やマインツの聖シュテファン教会のシャガールのステンドグラスとかもありますけど、そういう所はそれこそ大手旅行会社のグループツアーなんかにも入ってます。それだけ有名な観光地な訳ですよね。パリで言うならノートルダムとか、サクレ・クールとかの様なもんでしょう。何ていう事も無い町の教会にこんな物がある所が凄い。

亀居山大乗寺の円山応挙とか、知恩院の所蔵品や新薬師寺の十二神将にしたって、こんなに気軽に手軽に無造作に見られる様に置いてはありませんもんね。