2014年6月10日火曜日

「石炭をば早や積み果てつ。」

懐かしいですねぇ、「舞姫」など読んだのはいつの事だったか…中学生?高校生?

で、何でいきなり鴎外かと言えば、菩提樹の季節だからですね。


大田豊太郎がベルリンに赴任し、ウンテル・デン・リンデンに立つ場面がありますが、この大通りの名前は「菩提樹の下」という意味ですね。そして実際に菩提樹並木でもあります。英語にすれば Under the Tilias でしょうか。パリのシャンゼリゼにも肩を並べるベルリンの大通りです。実際のドイツ語の発音はウンター・デン・リンデンに近いですけどね。

「菩提樹下と譯するときは、幽靜なる境なるべく思はるれど、この大道髮の如きウンテル、デン、リンデンに來て兩邊なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。」

成程、菩提樹の下なんて言うとしーんと静まり返った所みたいに思うけど、実は賑やかな大通りなのですね。ただお釈迦様が悟りを開いたという菩提樹はこの木じゃありませんけどね。
ドイツでリンデンバウム、英語やフランス語でティリアという木は一般に菩提樹と訳されますけど、実はシナノキというんだそうで、お釈迦様が悟りを開いた木はインドボダイジュという別の木です。

で、実はおっさんはこの木に関しては花より実のほうが好きなのですよ。いや、別に食べる訳じゃありませんよ。


これはもう実をつけ始めた頃の写真ですけど、実のついてる所だけ、他と色と形が違う葉がついてるのが分かるでしょうか?一番上の花の写真でもそうですが。
菩提樹の花言葉…じゃなくて木の言葉は「夫婦愛」で、それはこの木の葉がハート型に見えるからなんだそうですが、実のついてる所にはハート型ではなくて細長い、黄緑の葉がついてます。


で、茎みたいな物の上に細長い葉、下には実がついていて、この葉・茎・実がワンセットになって、何と言うか八分音符(こんなの→ ♪ )みたいになってポロリと落ちます。すると実が重りになって、葉がプロペラみたいにくるくる回りながら落ちるんですね。この瞬間を何とか撮影したいとかねがね思っておりますが、まだ成功しておりません。
白洲正子さんが、いつも知らないうちに開いている夕顔が開くその瞬間を見たくて、一つの蕾にずっと目を凝らしていたら、その蕾は結局開かずに萎れてしまった、という様な事を書いてましたが、そんな物なんでしょうかね。

ところで話は飛びますが、この文章を書く為に、毎度お世話になる青空文庫さんで「舞姫」を読み返していたら(短いからすぐ読めるし)、夜中にもかかわらず声を上げて笑ってしまいましたよ。
「舞姫」のストーリーそのものは勿論悲しい話ですし(てか主人公、その優柔不断な性格を何とかせい、って話ですよね)、笑う様な話じゃないのは重々承知です。

何で大笑いしたかというと、この文章。エリスが豊太郎を家に連れて行き、父が亡くなり、葬儀を出す費用もない、それどころかこのままでは生きて行く為には体を売るしかない、どうか助けて下さいと懇願するのですが…

「『我を救ひ玉へ、君。金をば薄き給金を拆きて還し參らせん、縱令我身は食はずとも。それもならずば母の言葉に。』彼は涙ぐみて身をふるはせたり。その見上げたる目には、人に否とはいはせぬ媚態あり。」

はっはっはっ。かの森鴎外先生でも、美少女・涙目・上目づかいの萌え要素三連発攻撃には耐えられなかった訳ですね。はっはっはっ。てか最強コンボじゃないか。
ピクシヴ辺りの絵師さんに、この場面の豊太郎とエリスを描いてみてほしいと思うのはおっさんだけでしょうか。あ、できれば劇画調で。
しかしその後で

「この目の働きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。」
などと考察するあたり、さすが鴎外先生。

「昔の様に、もう一度、温もりを…」

いや、それは違うオウガイ先生だから。

「悲しい男よ、誰よりも愛深き故に…」

だから違うって。

鴎外の「舞姫」に潜む萌え場面、って訳で、「壁ドン」とか「月が綺麗ですね」とか「台風で飛ばされて来た変な物」とか、時々ツイッターで大喜利をやってますけど、どうですかね、「文豪の名作に隠された萌え場面挙げてけ」なんてどなたかやってみませんか?