2011年10月22日土曜日

また劇場。今度は結構有名。

劇場と言うべきか。名前は「Cirque d'hiver」、冬のサーカスって言うんですけどね。


んー、普段ならもう少し画像小さくするんですけど、今回は大きいままです。綺麗だからねー。小さくする気になりませんでした。特に赤と黄色の帯の中なんぞ、よーく見てみてください。

で、次はこれ。


シャンゼリゼの庭園に建てられていたシルク・デテのオーナーであるルイ・ドゥジャンは、冬季用のサーカス劇場も開きたいと考えた。(訳注:「シルク」は「サーカス」「エテ(deとくっついてデテと発音する)」は「夏」「イヴェール(同様にディヴェール)」は「冬」を意味する)モルニー公の後押しのおかげで、彼はベルヴィル水源の旧貯水池跡地に土地を取得した。「シルク・デテ」や北駅の建築家ジャック・イニャス・イットルフは新しい劇場を三ヶ月で完成させた。1852年12月2日のすぐ後に完成したこの建物は「ナポレオン・サーカス」の名を与えられた。(訳注:1851年にクーデターを起こしたルイ・ナポレオンはこの日に国民投票の結果皇帝になった)この20角形の直径41メートルの建物は4000人を収容できたが、現在では2090席となっている。1870年にヴィクトール・フランコーニに、そして1897年から1907年まではその息子のシャルルによって運営され、1934年からは経営はブリオンヌ兄弟の手に移った。

イットルフは北駅、シルク・デテ、シルク・ディヴェールの他にもサンヴァンサン・ド・ポール教会も設計してましたね。あの記事書いたのって、もういつの話だったか覚えてませんが。
「シルク・デテ」は現在残されていません。嘗て「シルク・ディヴェール」が「シルク・ナポレオン」だった頃は「シルク・デテ」は「シルク・ダンペラトリス(皇妃のサーカス)」と呼ばれていましたが、このサーカス劇場は1900年に取り壊され、今ではその名残として「Rue du Cirque(サーカス通り)」の名前だけが残されています。


そしてシルク通りが映画「シャレード」に出て来た切手市の通り、ガブリエル通りに突き当たった所にあるのが超高級レストランの「ローラン」です。

元はここには狩猟に使う館があったんでそうですが、昔はシャンゼリゼの辺りも狩ができる様な所だったんでしょうか。革命時代には酒場だった様ですが、1842年、国王ルイ・フィリップのシャンゼリゼ整備の際に、これまたイットルフによって造られたのが「ローラン」です。


「ローラン」の名前は1860年頃、当時のオーナーの名前をそのままつけたらしいですね。結構安直。
しかし高級すぎちゃって、サーカスの帰りにちょっと寄ろうか、なんていう店ではありません。ここはしっかりお洒落して、気合入れて行かないと浮いちゃいますからね。

ところで話を戻しますけど、ペール・スタークの解説に出て来る「ブリオンヌ」一家は昔から有名な、フランスでも有数のサーカス一座です。ジプシー系とかルーマニア、アルバニア系とか、いろいろな流れを汲んではいる様ですが、中心となるのはブリオンヌ一家だそうで、現在代表を務めてるのはアレクサンドルさんという人ですね。でもそのおばあちゃんルネさんも健在、ルネさんの曾孫のニコラさんも、曾々孫娘のセレナちゃんもちゃんと舞台を努めます。凄い一家ですねぇ。

サーカスって、「ダンボ」とか「ピノキオ」とか見ててもあまり「家族でやっている」というイメージはありませんでしたけど、考えてみればあちこち流浪しながら巡業する訳ですから、やっぱり家族でステージに立つ事になる訳ですね。

そうか。森田童子「セルロイドの少女」
「一輪車で17歳のミドリちゃんは…」「火を噴く弟、母の水芸…」そういう事だったのか。

0 件のコメント:

コメントを投稿