さて、昨日の続き、そう、ボブ・ディランが活躍する60年代からですね。
「The times they are a-changin’(邦題『時代は変わる』)」
この、かなり直接的なメッセージから、ディランは若者の代弁者の地位を確立して行きます。
(今の人にとっては「あ、この言葉『One Piece』で見た」って感じでしょうかね)
おっさんにとっては特に四番の歌詞。
「Come mothers and fathers throughout the land
and don’t criticize what you can’t understand」
「全国の父母の皆さん、理解できないならああだこうだ言うのはやめなさい」
とか、
「Please get out of the new one if you can’t lend your hand」
「手を貸す事さえできないのなら引っ込んでいてくれ」
とか。
自分が親の保護下にある時は「そーだそーだ引っ込んでろ」という意味で賛同してましたが、自分が親になって、子供達は当然、おっさんにはよく分からない、またはおっさんの目には奇異に映る事にも熱中し始めます。そういった物を、自分が理解できないからといって排除したり、増してバカにしたりする事だけはすまいと思いましたし、子供達が本当にやりたい事なら、自分には理解できない事であったとしても手を貸したいですよね。
で、その60年代。
ベトナム戦争、池田勇人内閣の所得倍増計画、高度成長、公害、ケネディ暗殺、東京オリンピック、新幹線、ウルトラマン、キング牧師やマルコムXの活躍と暗殺(二人共活躍は50年代からですが)、ブラック・パンサー結党、アポロ11号の月面着陸、三億円事件、ゴダール「気狂いピエロ」(「勝手にしやがれ」は59年でしたね)、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、PP&M、そしてビートルズ。日本では岡林信康、加藤登紀子…
1970年代。
たけしの「コマネチ!」というギャグの元祖は湯原昌幸だったそうですね。「1970年のこんにちは」の大阪万博、都内に「ホコテン」が登場、ドルショック、オイルショック、仮面ライダー、プロ野球ON時代、ブルース・リー「燃えよドラゴン」。一連の赤軍派、連合赤軍事件、ペレも、ハイセイコーも、長嶋も大鵬も引退しました。エノケンさんが亡くなりました。拓郎、陽水、中島みゆき登場。古い習慣としては既に廃れてしまっていた「恵方巻」を、大阪の海苔店の経営者さんや海苔問屋共同組合さんが現代風にアレンジして復活させたのもこの頃ですね。
1980年代。
おっさんは大学受験でした。受験当日の朝、一応早めに起きてラジオを聴きながら最後の復習をやってたら、ホテルニュージャパンの火事のニュースをやってました。その翌日、日航機の事故があって「心身症」「逆噴射」が流行語になりましたね。レフ・ワレサの「連帯」、ミハイル・ゴルバチョフの「ペレストロイカ」。イラン・イラク戦争、スペースシャトル、ハレー彗星接近。昭和から平成へ。「ホワイトデー」の習慣が始まったのもこの頃ですか。おっさんパリに移住。
1990年代。
ネルソン・マンデラ、カール・ルイス。バブル経済の終わり、湾岸戦争。尾崎豊の突然の死。ヨーロッパ連合発足、ユーロ経済(まだ決済上だけのもので、ユーロの通貨そのものは流通していない)。オウム事件。ジャイアント馬場が亡くなり、猪木も現役引退。おっさんは結婚して、さらに父親となりましたよ。28歳の三月に結婚して29歳の一月に最初の子が生まれてますから…計算は合ってるな。
2000年代。
最大仕様で850席という巨大旅客機エアバスA380。ユーロ通貨流通開始。シャルル・ド・ゴール空港のコンコルド墜落事故、路線廃止。バラク・オバマ氏の黒人初の米大統領就任。河島英五、清志郎も死んじゃいました。
おっさんの息子は我が家で唯一の21世紀生まれであります。
そんな訳で、1900年から2000年まで。一通り見渡したんですが、ここでちょっと後戻り。
チュイルリー駅入り口 1901年 エクトル・ギマール
この駅の入り口は、チュイルリー公園の柵と一緒に取り付けられている、非常に珍しい例の一つである。エクトル・ギマールによって、この狭い立地に鑑みて、入り口を半周する囲いが造られた。実際、市の公園課はチュイルリー公園の地下に切符売り場のスペースを設ける事を拒否している。
植物や花にモティーフを取った鋳鉄で作られた手すりを、渦巻き模様(?)が装飾している。公園の柵に取り付けられたメトロの看板は、この特殊な状況に合わせて特別にデザインされた唯一の例である。駅へと狭い階段が続いているが、この駅には、向かい側のリヴォリ通りのアーケードを取り壊さずに済む様に、アーケードとは反対側の同じ歩道上に向かい合った二つの通路しか設けられていない。
この入り口の画像は以前UPしたんですけどね。その時はこの解説板に気づかなかったもんで。再録です。
ではこれにて。チュイルリー駅の巻でした。
2012年1月7日土曜日
2012年1月6日金曜日
♪まわるまわるよ 時代はまわる♪
懐かしいですね、中島みゆき「時代」。おっさんとしてはみゆき姐さんはやっぱり「暗い時代」が良いのでして、所謂「ご乱心の時代」頃から離れ始め、「かっこいい」時代にテレビなんかでよく耳にするようになり、改めて聴いて見るとやっぱり凄いのはわかるんだけど…ちょっと。
例えば、亡くなった父君の事を歌ったと言われる曲に「あ・り・が・と・う」(このアルバム大好きだわー。前二作の突っ張った感じから、その次の「愛していると言ってくれ」の強烈なインパクトの間の過渡期というか、橋渡し役というか、とにかく何かが変わったなと感じさせるアルバムでした。)収録の「まつりばやし」と「臨月」収録の「雪」がありますけど、やっぱり「まつりばやし」の方が好み。というか「臨月」の頃からのステージの演出がどうも???で、「夜曲」とかね。
何と長いマクラだ。
さて。「時代」の話です。先日のヨーロッパ駅にもあった「メトロ100年」記念のプレート、今度はチュイルリー駅です。
メトロ100年のための九つの駅
メトロ100周年に際して、九つの駅が19世紀と20世紀をつなぐ指標となるテーマに沿って演出された。各駅ごとにテーマがあり、感動、時に驚きを呼び起こす。メトロの歴史の中で、これらの駅はメトロの文化的側面を見せてくれる。九つの駅とは、歴史の証人・チュイルリー、健康・パストゥール、音楽・カールフール・プレイエル、スポーツ・ヴィルジュイーフ・レオ・ラグランジュ、ヨーロッパ・ヨーロッパ、映画・ボンヌ・ヌーヴェル、メトロを造った人々・モンパルナス・ビヤンヴニュ、創造・サン・ジェルマン・デ・プレ、都市におけるエコロジー・リュクサンブール、である。
チュイルリーの証人 思い出は歌う
時代と、パリの交通を巡る様々な証言が一堂に会した。1900年から2000年までの、分かち合われ、目撃され、顧られ、時に忘れられた記憶達の世界。10年ずつに区切られた11枚の展示の中で、それぞれが出会い、記憶のひとつひとつを再構成し、それぞれの時代の流れの中、活発で行動的な当社の歴史を辿る。ユーモアとノスタルジーが混じり合う詩的、視覚的な旅を…
さてそんな訳で1900年代から。
メトロが開通した年、パリ万博の年ですねぇ。1900年といえば…おっさんの祖父が生まれた年でもありますね。
1900年代には哈爾浜事件の伊藤博文暗殺、ABO血液型の発見、ライト兄弟の動力飛行機による世界初飛行、それに続くサントス・デュモンのヨーロッパ初飛行、ルイ・ブレリオのドーバー海峡横断飛行、日露戦争、相対性理論発表なんかがありました。
1910年代。
パリの交通にメトロの他にバスが加わりました。
第一次世界大戦、ソヴィエトの成立、アフガニスタンの独立、ローラン・ギャロスによる地中海横断飛行、タイタニック事件、明治から大正への移り変わり、ガンジーの非暴力・不服従、幸徳秋水らの大逆事件、マチュピチュ遺跡の発見、アメリカ禁酒法制定とか。
1920年代。
ジョセフィン・ベーカーの時代、タンタンも登場、スピリット・オブ・セントルイス号によるリンドバーグの大西洋横断無着陸飛行(この時リンドバーグが降り立ったブルジェ空港はまた「ダ・ヴィンチ・コード」でも有名になりました)、関東大震災、アル・カポネの時代、大正から昭和へ、ブラック・サーズデイに始まる世界恐慌、等々。
1930年代。
チャップリンの時代、とはいえ30年代といえば「街の灯」「モダン・タイムズ」なんかの頃で、1910年代の短編の時代は過ぎ、でもまだ「独裁者」や「殺人狂時代」にまでは行ってなかった頃。ナチスは1933年にすでに政権を取ってましたが。スペイン内戦でも、ナチスドイツや、1925年からイタリアで政権を取っていたムッソリーニの後押しで、フランコ率いる右派が優勢となります。このスペイン内戦はピカソの「ゲルニカ」ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を生み出しますね。そして第二次世界大戦へ。
1940年代。
フランスの占領と解放、太平洋戦争、原子爆弾、ラスコーの洞窟壁画の発見、国連、冷戦、中華人民共和国成立、大横綱双葉山の時代でもありますねぇ。この頃力道山はまだ相撲取りでした。大山倍達も空手界での活躍は始まってましたが、まだ極真空手は成立してません。
1950年代。
マリリン・モンローの時代。古き良き時代ですねぇ。モンローと並ぶセックス・シンボル、ブリジット・バルドーの登場が50年代で、モンローはその前、40年代のデビューです。「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「七年目の浮気」なんかで大ヒットしたのが50年代ですね。
さて50年分か。続きは明日にしましょうか。
例えば、亡くなった父君の事を歌ったと言われる曲に「あ・り・が・と・う」(このアルバム大好きだわー。前二作の突っ張った感じから、その次の「愛していると言ってくれ」の強烈なインパクトの間の過渡期というか、橋渡し役というか、とにかく何かが変わったなと感じさせるアルバムでした。)収録の「まつりばやし」と「臨月」収録の「雪」がありますけど、やっぱり「まつりばやし」の方が好み。というか「臨月」の頃からのステージの演出がどうも???で、「夜曲」とかね。
何と長いマクラだ。
さて。「時代」の話です。先日のヨーロッパ駅にもあった「メトロ100年」記念のプレート、今度はチュイルリー駅です。
メトロ100年のための九つの駅
メトロ100周年に際して、九つの駅が19世紀と20世紀をつなぐ指標となるテーマに沿って演出された。各駅ごとにテーマがあり、感動、時に驚きを呼び起こす。メトロの歴史の中で、これらの駅はメトロの文化的側面を見せてくれる。九つの駅とは、歴史の証人・チュイルリー、健康・パストゥール、音楽・カールフール・プレイエル、スポーツ・ヴィルジュイーフ・レオ・ラグランジュ、ヨーロッパ・ヨーロッパ、映画・ボンヌ・ヌーヴェル、メトロを造った人々・モンパルナス・ビヤンヴニュ、創造・サン・ジェルマン・デ・プレ、都市におけるエコロジー・リュクサンブール、である。
チュイルリーの証人 思い出は歌う
時代と、パリの交通を巡る様々な証言が一堂に会した。1900年から2000年までの、分かち合われ、目撃され、顧られ、時に忘れられた記憶達の世界。10年ずつに区切られた11枚の展示の中で、それぞれが出会い、記憶のひとつひとつを再構成し、それぞれの時代の流れの中、活発で行動的な当社の歴史を辿る。ユーモアとノスタルジーが混じり合う詩的、視覚的な旅を…
さてそんな訳で1900年代から。
メトロが開通した年、パリ万博の年ですねぇ。1900年といえば…おっさんの祖父が生まれた年でもありますね。
1900年代には哈爾浜事件の伊藤博文暗殺、ABO血液型の発見、ライト兄弟の動力飛行機による世界初飛行、それに続くサントス・デュモンのヨーロッパ初飛行、ルイ・ブレリオのドーバー海峡横断飛行、日露戦争、相対性理論発表なんかがありました。
1910年代。
パリの交通にメトロの他にバスが加わりました。
第一次世界大戦、ソヴィエトの成立、アフガニスタンの独立、ローラン・ギャロスによる地中海横断飛行、タイタニック事件、明治から大正への移り変わり、ガンジーの非暴力・不服従、幸徳秋水らの大逆事件、マチュピチュ遺跡の発見、アメリカ禁酒法制定とか。
1920年代。
ジョセフィン・ベーカーの時代、タンタンも登場、スピリット・オブ・セントルイス号によるリンドバーグの大西洋横断無着陸飛行(この時リンドバーグが降り立ったブルジェ空港はまた「ダ・ヴィンチ・コード」でも有名になりました)、関東大震災、アル・カポネの時代、大正から昭和へ、ブラック・サーズデイに始まる世界恐慌、等々。
1930年代。
チャップリンの時代、とはいえ30年代といえば「街の灯」「モダン・タイムズ」なんかの頃で、1910年代の短編の時代は過ぎ、でもまだ「独裁者」や「殺人狂時代」にまでは行ってなかった頃。ナチスは1933年にすでに政権を取ってましたが。スペイン内戦でも、ナチスドイツや、1925年からイタリアで政権を取っていたムッソリーニの後押しで、フランコ率いる右派が優勢となります。このスペイン内戦はピカソの「ゲルニカ」ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を生み出しますね。そして第二次世界大戦へ。
1940年代。
フランスの占領と解放、太平洋戦争、原子爆弾、ラスコーの洞窟壁画の発見、国連、冷戦、中華人民共和国成立、大横綱双葉山の時代でもありますねぇ。この頃力道山はまだ相撲取りでした。大山倍達も空手界での活躍は始まってましたが、まだ極真空手は成立してません。
1950年代。
マリリン・モンローの時代。古き良き時代ですねぇ。モンローと並ぶセックス・シンボル、ブリジット・バルドーの登場が50年代で、モンローはその前、40年代のデビューです。「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「七年目の浮気」なんかで大ヒットしたのが50年代ですね。
さて50年分か。続きは明日にしましょうか。
2012年1月5日木曜日
BGMはサンタナで。
お願いします。“ヨーロッパ”ですから。
ヨーロッパ地区の最後にヨーロッパ駅という訳ですね。という割には今おっさんの部屋では「シークレット・ポリスマンズ・コンサート」のエリック・クラプトン&ジェフ・ベックの「Cause we're ended as lovers」がかかっておりますが。いいですねぇ、このアルバム。
さて、ローマ駅があるバティニョル通りからローマ通りを下ってヨーロッパ駅へ向かいます。ここローマ通りには嘗てパリの音楽学校があったので、今でも楽器屋さんが多い所です。現在音楽学校はパリの北東部、ヴィレット地区にあります。そういえばヴィレットには音楽博物館もありましたね。今度行ってみよう。
それはさておき楽器屋さん街。
楽器屋さん街を下って行くと、ウィーン通りとの交差点近く、ヨーロッパ駅がありますよ。
これまたギマールのアール・ヌーヴォーの入り口。
そしてこの駅にはこんな案内板がありまして。
(関係ありませんが、この文章を書いてるうちに、BGMは1984年の「バンド・エイド」の仕掛け人、ボブ・ゲルドフの「I don't like Mondays」に変わっております。アムネスティ・インターナショナルのために開かれたこの「シークレット・ポリスマンズ」がゲルドフにチャリティーアルバムというアイディアを与える訳ですね。そして作曲されたのが「Do they know it's Christmas?」でした。)
メトロ100年のための九つの駅(てかこのイラスト、メトロっていうより虫みたいだ)
メトロ100周年に際して、九つの駅が19世紀と20世紀をつなぐ指標となるテーマに沿って演出された。各駅ごとにテーマがあり、感動、時に驚きを呼び起こす。メトロの歴史の中で、これらの駅はメトロの文化的側面を見せてくれる。九つの駅とは、歴史の証人・チュイルリー、健康・パストゥール、音楽・カールフール・プレイエル、スポーツ・ヴィルジュイーフ・レオ・ラグランジュ、ヨーロッパ・ヨーロッパ、映画・ボンヌ・ヌーヴェル、メトロを造った人々・モンパルナス・ビヤンヴニュ、創造・サン・ジェルマン・デ・プレ、都市におけるエコロジー・リュクサンブール、である。
ヨーロッパ:ヨーロッパを巡り歩く
似ている所、違う所、ヨーロッパに毎日出会う。ヨーロッパ連合の15の国(訳注:この辺に時代を感じますね。現在ヨーロッパ連合は27カ国です)に、週ごとに発見すべきそれぞれのライフスタイルがある。行程に沿って、それぞれの国が順番に「駅」が表現しうる方法で紹介せれ、各々比較される:光、音、映像によって。それぞれが近隣国の習慣に出会ったり、比較検討してみたり。そしてヨーロッパの文化を探検してみよう。
…意味のよくわからない案内だ。
大体それらしい展示が見当たらん。こんなことが書いてあるから、リエージュ駅のモザイクの様に、またはショセ・ダンタン・ラファイエット駅の天井画の様に、展示がある筈だと思ったんだが…
あるのはこんなモニター。
駅のホーム中に幾つものモニターがあるけど、全部同じのをやってる。これでモニター毎にヨーロッパのいろんな国を紹介してるんならまだ分かるが。
キノポルスカ 2011年11月ー12月
パリ地下鉄・バス公団、メトロ3番線は、第四回フェスティバル・キノポルスカで上映される、スタジオ・セ・マ・フォルのアニメ作品の一部をご紹介するために、ポーランド協会と力を合わせる機会を得た事を嬉しく思います。フェスティバル・キノポルスカは2011年12月7日から13日、パリ5区、ルフレ・ド・メディチ映画館にて、今年はカンヌ映画祭の前哨として、ロマン・ポランスキー、イエジー・スコリモフスキ、アンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ズラウスキ、また、若い世代からはBartosz Konopka、Jan Komasaなどを含む、20人程の高名な招待客が集い、それぞれの映画のヴィジョンとヨーロッパの歴史を分かち合う。
フェスティバルはまた、その多大な部分をスタジオ・セ・マ・フォルに関するアニメ映画にもさいている。このスタジオはポーランドのアニメ映画の分野では最も知られたグループのひとつである。そのレパートリーは1400作以上を数え、その半分以上は立体アニメであり、1983年のズビグニュー・リプチンスキー作「タンゴ」なども含まれる。
フェスティバル・キノポルスカはこのスタジオを上映・交流・アトリエなど10件程のイベントを通して全面に押し出している。
フェスティバル・キノポルスカはポーランドがヨーロッパ連合議長国となった機会に際し、12月7日から13日、パリ5区シャンポリオン通り3番地のReflet Medicis映画館で行われる。
もう「行われた」になっちゃってますよ。
まぁ、解説の文章にある(若手の方は残念ながら存じませんが)招待客はビッグネームばっかりですし、リプチンスキー監督は日本でも有名ですね。どんなに力の入ったイベントか分かろうってもんですが、だからって全部のモニターに同じ映像流さなくたって良さそうな。
で、フェスティバルは去年もう終わっちゃったんですけど、いつになったら新しい映像に切り替わるんだろうか?
さて、BGMの方も、ラストのシークレット・ポリスマンズ全員のコーラスによるボブ・ディラン「I shall be released」になりました。しかし、このバージョンを初めて聴いた時は、ボブ・ディランのオリジナルと同じ曲と気づくのに結構時間がかかりましたね。増してディランⅡの「男らしいってわかるかい」と比べると…うわ。
ところで、何故「I will be…」でなくて「I shall be…」なのかは10/25の記事を御覧頂きましょうか。単なる「こうなるだろう」という未来型ではなく、「こうする(なる)んだ」という意思が含まれてると「Shall」なんですよね。
ともかく。ヨーロッパ地区一回りの散歩も一段落。お疲れ様でした。
さて、ここらで一服。プカプカ プーカプーカ プカー。
ヨーロッパ地区の最後にヨーロッパ駅という訳ですね。という割には今おっさんの部屋では「シークレット・ポリスマンズ・コンサート」のエリック・クラプトン&ジェフ・ベックの「Cause we're ended as lovers」がかかっておりますが。いいですねぇ、このアルバム。
さて、ローマ駅があるバティニョル通りからローマ通りを下ってヨーロッパ駅へ向かいます。ここローマ通りには嘗てパリの音楽学校があったので、今でも楽器屋さんが多い所です。現在音楽学校はパリの北東部、ヴィレット地区にあります。そういえばヴィレットには音楽博物館もありましたね。今度行ってみよう。
それはさておき楽器屋さん街。
楽器屋さん街を下って行くと、ウィーン通りとの交差点近く、ヨーロッパ駅がありますよ。
これまたギマールのアール・ヌーヴォーの入り口。
そしてこの駅にはこんな案内板がありまして。
(関係ありませんが、この文章を書いてるうちに、BGMは1984年の「バンド・エイド」の仕掛け人、ボブ・ゲルドフの「I don't like Mondays」に変わっております。アムネスティ・インターナショナルのために開かれたこの「シークレット・ポリスマンズ」がゲルドフにチャリティーアルバムというアイディアを与える訳ですね。そして作曲されたのが「Do they know it's Christmas?」でした。)
メトロ100年のための九つの駅(てかこのイラスト、メトロっていうより虫みたいだ)
メトロ100周年に際して、九つの駅が19世紀と20世紀をつなぐ指標となるテーマに沿って演出された。各駅ごとにテーマがあり、感動、時に驚きを呼び起こす。メトロの歴史の中で、これらの駅はメトロの文化的側面を見せてくれる。九つの駅とは、歴史の証人・チュイルリー、健康・パストゥール、音楽・カールフール・プレイエル、スポーツ・ヴィルジュイーフ・レオ・ラグランジュ、ヨーロッパ・ヨーロッパ、映画・ボンヌ・ヌーヴェル、メトロを造った人々・モンパルナス・ビヤンヴニュ、創造・サン・ジェルマン・デ・プレ、都市におけるエコロジー・リュクサンブール、である。
ヨーロッパ:ヨーロッパを巡り歩く
似ている所、違う所、ヨーロッパに毎日出会う。ヨーロッパ連合の15の国(訳注:この辺に時代を感じますね。現在ヨーロッパ連合は27カ国です)に、週ごとに発見すべきそれぞれのライフスタイルがある。行程に沿って、それぞれの国が順番に「駅」が表現しうる方法で紹介せれ、各々比較される:光、音、映像によって。それぞれが近隣国の習慣に出会ったり、比較検討してみたり。そしてヨーロッパの文化を探検してみよう。
…意味のよくわからない案内だ。
大体それらしい展示が見当たらん。こんなことが書いてあるから、リエージュ駅のモザイクの様に、またはショセ・ダンタン・ラファイエット駅の天井画の様に、展示がある筈だと思ったんだが…
あるのはこんなモニター。
駅のホーム中に幾つものモニターがあるけど、全部同じのをやってる。これでモニター毎にヨーロッパのいろんな国を紹介してるんならまだ分かるが。
キノポルスカ 2011年11月ー12月
パリ地下鉄・バス公団、メトロ3番線は、第四回フェスティバル・キノポルスカで上映される、スタジオ・セ・マ・フォルのアニメ作品の一部をご紹介するために、ポーランド協会と力を合わせる機会を得た事を嬉しく思います。フェスティバル・キノポルスカは2011年12月7日から13日、パリ5区、ルフレ・ド・メディチ映画館にて、今年はカンヌ映画祭の前哨として、ロマン・ポランスキー、イエジー・スコリモフスキ、アンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ズラウスキ、また、若い世代からはBartosz Konopka、Jan Komasaなどを含む、20人程の高名な招待客が集い、それぞれの映画のヴィジョンとヨーロッパの歴史を分かち合う。
フェスティバルはまた、その多大な部分をスタジオ・セ・マ・フォルに関するアニメ映画にもさいている。このスタジオはポーランドのアニメ映画の分野では最も知られたグループのひとつである。そのレパートリーは1400作以上を数え、その半分以上は立体アニメであり、1983年のズビグニュー・リプチンスキー作「タンゴ」なども含まれる。
フェスティバル・キノポルスカはこのスタジオを上映・交流・アトリエなど10件程のイベントを通して全面に押し出している。
フェスティバル・キノポルスカはポーランドがヨーロッパ連合議長国となった機会に際し、12月7日から13日、パリ5区シャンポリオン通り3番地のReflet Medicis映画館で行われる。
もう「行われた」になっちゃってますよ。
まぁ、解説の文章にある(若手の方は残念ながら存じませんが)招待客はビッグネームばっかりですし、リプチンスキー監督は日本でも有名ですね。どんなに力の入ったイベントか分かろうってもんですが、だからって全部のモニターに同じ映像流さなくたって良さそうな。
で、フェスティバルは去年もう終わっちゃったんですけど、いつになったら新しい映像に切り替わるんだろうか?
さて、BGMの方も、ラストのシークレット・ポリスマンズ全員のコーラスによるボブ・ディラン「I shall be released」になりました。しかし、このバージョンを初めて聴いた時は、ボブ・ディランのオリジナルと同じ曲と気づくのに結構時間がかかりましたね。増してディランⅡの「男らしいってわかるかい」と比べると…うわ。
ところで、何故「I will be…」でなくて「I shall be…」なのかは10/25の記事を御覧頂きましょうか。単なる「こうなるだろう」という未来型ではなく、「こうする(なる)んだ」という意思が含まれてると「Shall」なんですよね。
ともかく。ヨーロッパ地区一回りの散歩も一段落。お疲れ様でした。
さて、ここらで一服。プカプカ プーカプーカ プカー。
2012年1月4日水曜日
失敗したな。
折角バティニョル通りを通ったのにローマ駅を素通りしてしまったとは。
ま、メタボオヤジ化防止にはちょうど良いか。てな訳で再び坂を上って参りました。
ローマ駅です。
メトロ初期のギマールによるアール・ヌーヴォースタイルの入り口ですね。「鉄の女」マーガレット・サッチャーさんの伝記映画の宣伝でしょうか?メリル・ストリープさんも結構雰囲気出してますね。
ギマールのメトロ入り口
1900年
1899年、アール・ヌーヴォーの建築家エクトル・ギマールは、当時建設中だった地下鉄のすべての入り口をデザインする事を請け負った。
彼は安価であり、同時に堂々たる効果をあげる素材、鋳鉄を選び、植物の姿に発想を得たアーチに飾られた入り口の柵をデザインし、パリっ子達を驚かせた。一部にはこのメトロ入り口を見て「怪物」または「虫」みたいで、赤い二つの明かりはその眼みたいだという人もいた。
1902年以降、メトロの入り口は他の芸術家にも発注される様になり、そして1912年、地下鉄道会社はギマールの入り口を新設する事は無くなった。現在歴史的記念建造物になっているギマールの入り口は88件が残されており、パリにおけるアール・ヌーヴォー・スタイルの重要な証人となっている。
斬新過ぎる物は叩かれるのですね。
エッフェル塔然り、ジェリコー、ドラクロワ、クールベ、ゴッホやモディリアニ然り。
そしてここにはもうひとつ、メトロ100周年記念で設置された「メトロの歴史」プレートがありますよ。
鉄の橋床
1900年
この駅の天井は鉄製の橋床で構成されている。鉄の横梁が煉瓦の小アーチを支えており、これは当時最新だったギュスタヴ・エッフェルの設計を思わせる。この工法はいくつかの駅に採用され、そのうち10件前後は一番線に見られる。この工法は、工事の全期間中を通じて通行止めになていた通りに沿って、地下の比較的浅い所にトンネルを通すことを可能にした。大きく口を開いた工事の穴は、いくつものトンネルで崩落が起きるのではないか、セーヌ川の増水で水没するのではないかと心配したパリの人々の間に不安を引き起こした。
しかしフュルジョンス・ビヤンヴニュによって設置された金属の屋根は頑丈で、交通は遅滞無く回復した。
嘗て「シャンソン酒場」と称せられた地下鉄工事の穴は塞がれた。
かくしてメトロが誕生した。
こういうのですね。
しかし鉄の梁は結構あちこちで見ますけど、こんな天窓(?)があるのは初めて見た様な気がします。
ところで、この「鉄の天井」のローマ駅だからかどうか存じませんが、この駅のホームで、他ではちょっと見かけない面白い物を見つけました。
これは…ベンチと言うべきか、ストゥールと言うべきか、はたまた止まり木か?
その昔、大喜利のお題で「一字違いで大違い」と言うのがありまして、曰く
「ベンチは二人で座るもの。便器は一人で座るもの。」
なんてのがありましたが。
だからどうしたって?いえ、別に。
これは一人々々座る訳ですから、ベンチじゃないって事ですね。
ローマ駅に限らず、そうしょっちゅう使う訳でもない、と言うか一度も降りた事も無いような駅なんかも結構ある筈ですから、一つ々々降りて色々眺めてみたら面白いでしょうねぇ。
そんな時間は今の所ありませんけど。隠居してからかな。
(老後だってこの様子じゃ楽じゃなさそうだ。)
ま、メタボオヤジ化防止にはちょうど良いか。てな訳で再び坂を上って参りました。
ローマ駅です。
メトロ初期のギマールによるアール・ヌーヴォースタイルの入り口ですね。「鉄の女」マーガレット・サッチャーさんの伝記映画の宣伝でしょうか?メリル・ストリープさんも結構雰囲気出してますね。
ギマールのメトロ入り口
1900年
1899年、アール・ヌーヴォーの建築家エクトル・ギマールは、当時建設中だった地下鉄のすべての入り口をデザインする事を請け負った。
彼は安価であり、同時に堂々たる効果をあげる素材、鋳鉄を選び、植物の姿に発想を得たアーチに飾られた入り口の柵をデザインし、パリっ子達を驚かせた。一部にはこのメトロ入り口を見て「怪物」または「虫」みたいで、赤い二つの明かりはその眼みたいだという人もいた。
1902年以降、メトロの入り口は他の芸術家にも発注される様になり、そして1912年、地下鉄道会社はギマールの入り口を新設する事は無くなった。現在歴史的記念建造物になっているギマールの入り口は88件が残されており、パリにおけるアール・ヌーヴォー・スタイルの重要な証人となっている。
斬新過ぎる物は叩かれるのですね。
エッフェル塔然り、ジェリコー、ドラクロワ、クールベ、ゴッホやモディリアニ然り。
そしてここにはもうひとつ、メトロ100周年記念で設置された「メトロの歴史」プレートがありますよ。
鉄の橋床
1900年
この駅の天井は鉄製の橋床で構成されている。鉄の横梁が煉瓦の小アーチを支えており、これは当時最新だったギュスタヴ・エッフェルの設計を思わせる。この工法はいくつかの駅に採用され、そのうち10件前後は一番線に見られる。この工法は、工事の全期間中を通じて通行止めになていた通りに沿って、地下の比較的浅い所にトンネルを通すことを可能にした。大きく口を開いた工事の穴は、いくつものトンネルで崩落が起きるのではないか、セーヌ川の増水で水没するのではないかと心配したパリの人々の間に不安を引き起こした。
しかしフュルジョンス・ビヤンヴニュによって設置された金属の屋根は頑丈で、交通は遅滞無く回復した。
嘗て「シャンソン酒場」と称せられた地下鉄工事の穴は塞がれた。
かくしてメトロが誕生した。
こういうのですね。
しかし鉄の梁は結構あちこちで見ますけど、こんな天窓(?)があるのは初めて見た様な気がします。
ところで、この「鉄の天井」のローマ駅だからかどうか存じませんが、この駅のホームで、他ではちょっと見かけない面白い物を見つけました。
これは…ベンチと言うべきか、ストゥールと言うべきか、はたまた止まり木か?
その昔、大喜利のお題で「一字違いで大違い」と言うのがありまして、曰く
「ベンチは二人で座るもの。便器は一人で座るもの。」
なんてのがありましたが。
だからどうしたって?いえ、別に。
これは一人々々座る訳ですから、ベンチじゃないって事ですね。
ローマ駅に限らず、そうしょっちゅう使う訳でもない、と言うか一度も降りた事も無いような駅なんかも結構ある筈ですから、一つ々々降りて色々眺めてみたら面白いでしょうねぇ。
そんな時間は今の所ありませんけど。隠居してからかな。
(老後だってこの様子じゃ楽じゃなさそうだ。)
2012年1月1日日曜日
「アケオメ」でさえ難しいらしい。
新年です。
フランス人さん達から「日本語で『Bonne Annee』は何て言うんだ?」と聞かれる事が多いのですが。
「明けましておめでとうございます」Akemasite omedetou gozaimasu
と言ってやると、「え?たった『Bonne Annee』だけにそんなに?」なんぞと聞き返されます。じゃあ簡単に「あけおめ」だと言ってやったら、「え?エケイ…何だって?」だと。
日本人にとってフランス語の発音が難しい様に、フランス人にとっては日本語の発音は難しいのですねぇ。当たり前か。
さて新年、気持ちも新たに昨日の続きです。…意味が通ってないな。
「黄土色」トーンのリエージュ風景
マリー・クレール・ヴァン・ヴュシュレンのタイル壁画
ウェルカンラート国立陶芸院
この駅を飾る18点のタイル画は、図柄の上からエナメルをかけた6576枚のタイルで構成されており、これらはRATP(パリ地下鉄・バス交通公団)とリエージュ市の文化協力の下、ベルギーで製作された。
このホームにはリエージュ地方の風景や有名な記念建造物を舞台芸術化マリー・クレール・ヴァン・ヴュシュレンが黄土色を基調に描いている。オユー渓谷、ヴェドル渓谷、スマーニュのウェジモン城、リエージュの石段、リエージュのクルティウス館、ヴェルヴィエの町の市役所、ヴィゼの市役所、ユイの聖堂と城壁、ウルトゥ渓谷のコロンステ城である。
渓谷と言ってもモダヴの町の辺りのオユー川はほんの小川って感じで、とても渓谷なんてもんじゃありませんが。
ここはなんかバルビゾンとかオーヴェル・スュル・オワーズなんかを思わせますね。
このお城は今はシャトーホテルになってる様です。結構行ってみたかったりして。
後ろの物凄い数の人々は一体何なんだろうか。
クルティウス館もまたベルギールネッサンス様式建築の至宝のひとつですねぇ。
ヴェルヴィエはベルギーを代表する毛織物の産地ですね。
ムーズ川沿いの町です。市役所の建物の形が面白い。
ここもまたムーズ川の畔。ノートル・ダム聖堂はいかにも古都らしい貫禄がありますね。城壁もかなり急な上り坂の様ですが、おっさんはそういうの結構好きです。
こういう所でのんびり過ごしたいもんですね。なんて言いつつ、しばらくすると退屈して嫌になるんでしょうが。人間ってのは勝手なものです。
さて、画像縮小もせず大きいままで載せちゃいました。リエージュ駅のタイル画シリーズでした。
フランス人さん達から「日本語で『Bonne Annee』は何て言うんだ?」と聞かれる事が多いのですが。
「明けましておめでとうございます」Akemasite omedetou gozaimasu
と言ってやると、「え?たった『Bonne Annee』だけにそんなに?」なんぞと聞き返されます。じゃあ簡単に「あけおめ」だと言ってやったら、「え?エケイ…何だって?」だと。
日本人にとってフランス語の発音が難しい様に、フランス人にとっては日本語の発音は難しいのですねぇ。当たり前か。
さて新年、気持ちも新たに昨日の続きです。…意味が通ってないな。
「黄土色」トーンのリエージュ風景
マリー・クレール・ヴァン・ヴュシュレンのタイル壁画
ウェルカンラート国立陶芸院
この駅を飾る18点のタイル画は、図柄の上からエナメルをかけた6576枚のタイルで構成されており、これらはRATP(パリ地下鉄・バス交通公団)とリエージュ市の文化協力の下、ベルギーで製作された。
このホームにはリエージュ地方の風景や有名な記念建造物を舞台芸術化マリー・クレール・ヴァン・ヴュシュレンが黄土色を基調に描いている。オユー渓谷、ヴェドル渓谷、スマーニュのウェジモン城、リエージュの石段、リエージュのクルティウス館、ヴェルヴィエの町の市役所、ヴィゼの市役所、ユイの聖堂と城壁、ウルトゥ渓谷のコロンステ城である。
渓谷と言ってもモダヴの町の辺りのオユー川はほんの小川って感じで、とても渓谷なんてもんじゃありませんが。
ここはなんかバルビゾンとかオーヴェル・スュル・オワーズなんかを思わせますね。
このお城は今はシャトーホテルになってる様です。結構行ってみたかったりして。
後ろの物凄い数の人々は一体何なんだろうか。
クルティウス館もまたベルギールネッサンス様式建築の至宝のひとつですねぇ。
ヴェルヴィエはベルギーを代表する毛織物の産地ですね。
ムーズ川沿いの町です。市役所の建物の形が面白い。
ここもまたムーズ川の畔。ノートル・ダム聖堂はいかにも古都らしい貫禄がありますね。城壁もかなり急な上り坂の様ですが、おっさんはそういうの結構好きです。
こういう所でのんびり過ごしたいもんですね。なんて言いつつ、しばらくすると退屈して嫌になるんでしょうが。人間ってのは勝手なものです。
さて、画像縮小もせず大きいままで載せちゃいました。リエージュ駅のタイル画シリーズでした。
2011年12月31日土曜日
まず片方。
さて、リエージュ駅の続き、この駅の目玉と言ったらこれです。上り・下り線のホームにそれぞれ9点ずつの壁画。
ブルー・トーンのリエージュ風景
ダニエル・ヒクターのタイル壁画
ウェルカンラート国立陶芸院(訳注:公式にはなんと言うか存じませんが、取りあえず意味の上では合ってると思います)
この駅を飾る18点のタイル画は、図柄の上からエナメルをかけた6576枚のタイルで構成されており、これらはリエージュ出身の二人の芸術家マリー・クレール・ヴァン・ヴュシュレンとダニエル・ヒクターの二人ののデッサンの下、ウェルカンラート国立陶芸院によりベルギーで製作された。
このホームにはリエージュ地方の風景や有名な記念建造物を建築家ダニエル・ヘクターが青を基調に描いている。アンブレーヴ渓谷、レ・ファーニュ、ジレップ堤防、モマーユのロマネスク教会、ル・ランブール、ジュエ・ボドニェ城、ショキエ・スュル・ムーズ城、スパ・フランコルシァンのサーキット、リエージュ司教領宮殿である。
実際に壁を飾る作品の順序とこの案内板に記載されてる順序が違うんですけどね。ま、フランスじゃよくある事さ。
フランス語でアンブレーヴ川、ドイツ語ならアメル川ですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Waterfalls_of_coo_belgium.jpg
いや、なんかそのまんまじゃないか?
レ・ファーニュって、何と言うか尾瀬みたいな所ですね。
ジレップ川の水を堰き止める堤防。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:La_Gileppe_15-04-2007_17-11-26.jpg
面白いですね。
案内板と作品の画面に書かれた地名が一致してませんが。正確にはモマーユ地方のエベ教会なんでしょうね。(多分こう発音するんだと思います)
ランブールはフランス語読み、日本ではリンブルクと言いますかね。リンブルク語という独自の言語を持った地方です。アーヘン(ドイツ)、マーストリヒト(オランダ)、リエージュ(ベルギー)に囲まれた辺りですね。
この城は12世紀頃の記録に既に載ってるそうですが、現在のベルギー・ルネッサンス様式のものは16-17世紀に建てられてます。
これもシャトーと言うのだろうか。どっちかと言えば「岩山の上の館」って感じなんですけど。
このサーキットを走った人達が投稿した動画が結構You Tubeなんかにも出てますね。
トリはやっぱりこれ?司教領と言うのは司教を君主とする小国家みたいなものですね。その宮殿ですから、ラストに持って来たい気持ちもわかろうと言うモノです。
さて、本日はここまで。明日は対向車線(?)です。
一駅に足かけ二年かかるのか。では皆様良いお年を。
ブルー・トーンのリエージュ風景
ダニエル・ヒクターのタイル壁画
ウェルカンラート国立陶芸院(訳注:公式にはなんと言うか存じませんが、取りあえず意味の上では合ってると思います)
この駅を飾る18点のタイル画は、図柄の上からエナメルをかけた6576枚のタイルで構成されており、これらはリエージュ出身の二人の芸術家マリー・クレール・ヴァン・ヴュシュレンとダニエル・ヒクターの二人ののデッサンの下、ウェルカンラート国立陶芸院によりベルギーで製作された。
このホームにはリエージュ地方の風景や有名な記念建造物を建築家ダニエル・ヘクターが青を基調に描いている。アンブレーヴ渓谷、レ・ファーニュ、ジレップ堤防、モマーユのロマネスク教会、ル・ランブール、ジュエ・ボドニェ城、ショキエ・スュル・ムーズ城、スパ・フランコルシァンのサーキット、リエージュ司教領宮殿である。
実際に壁を飾る作品の順序とこの案内板に記載されてる順序が違うんですけどね。ま、フランスじゃよくある事さ。
フランス語でアンブレーヴ川、ドイツ語ならアメル川ですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Waterfalls_of_coo_belgium.jpg
いや、なんかそのまんまじゃないか?
レ・ファーニュって、何と言うか尾瀬みたいな所ですね。
ジレップ川の水を堰き止める堤防。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:La_Gileppe_15-04-2007_17-11-26.jpg
面白いですね。
案内板と作品の画面に書かれた地名が一致してませんが。正確にはモマーユ地方のエベ教会なんでしょうね。(多分こう発音するんだと思います)
ランブールはフランス語読み、日本ではリンブルクと言いますかね。リンブルク語という独自の言語を持った地方です。アーヘン(ドイツ)、マーストリヒト(オランダ)、リエージュ(ベルギー)に囲まれた辺りですね。
この城は12世紀頃の記録に既に載ってるそうですが、現在のベルギー・ルネッサンス様式のものは16-17世紀に建てられてます。
これもシャトーと言うのだろうか。どっちかと言えば「岩山の上の館」って感じなんですけど。
このサーキットを走った人達が投稿した動画が結構You Tubeなんかにも出てますね。
トリはやっぱりこれ?司教領と言うのは司教を君主とする小国家みたいなものですね。その宮殿ですから、ラストに持って来たい気持ちもわかろうと言うモノです。
さて、本日はここまで。明日は対向車線(?)です。
一駅に足かけ二年かかるのか。では皆様良いお年を。
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