ラベル その他の薀蓄 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル その他の薀蓄 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年3月14日金曜日

今年は冬が来なかった様な。

暖冬だなぁ、などと思ってたらもう三月も半ばですねぇ。
オリオンが傾き、双子座が上り、獅子座が後を追い(蟹座はパリみたいな街灯の沢山ある明るい所では良く見えん)、冬が来ないまま春です。

花も色々と咲き、散歩には良い季節ですね。
所で先日、日本の方のパリ旅行記ブログを覗いていたら、こんな物が出てまして。
パリをお散歩中に見つけた標識なんだそうですが、


この標識は一体何だろうという事で、「誘拐禁止?散歩禁止?」等々と首を捻ってましたが、いや、まさか。

これは「ホコテン終わり」、つまりこの標識の所までは歩行者専用道路、ここでホコテン終了、という事ですね。しかし誘拐禁止か。世の中にはユニークな発想の方がいるのですねぇ。

因みにこっちは「ここからホコテン」の標識。
上に「歩行者道」下には「二輪を含む全ての車両の通行及び駐車禁止」と書かれております。


所で今、「ホコテン」という言い方は日本では古いのでしょうか?今の人は何て言うのだろう?

またもや因みに「歩行者専用道」と「歩行者通行禁止」。禁止の方は分かるとして、専用道の方は上のと同じ理屈で「これは何の標識だろう?」と考え込む人もいるかも知れませんね。


さて、前置きをここまで引っ張っておいて何ですが、今回のネタはホコテンとは全然関係ありません。ま、標識ネタではあるんですが。

「進入禁止」の標識ってありますよね。こういうの。


結構前から、この標識にイタズラして面白くするのが流行の様で、色々見かけたのでまとめてみた訳です。はい。

「彫刻家:モアイ型」


おっさんはモアイには親近感を覚えるのですよ。眉の所が盛り上がって鉤鼻、良く言えば彫りの深い顔立ち。ま、いつかも書きましたが現在の日本人の主流である弥生型と違って、おっさんは縄文型の骨格をしている訳ですね。弥生系が北伝、縄文系が南伝だとすれば、イースター島と縄文日本は関わりがあったのだろうか?いや、無いと思うぞ。多分。
所で所謂新島モアイ、渋谷駅にもありますけど、あれは正式には「モヤイ像」と言うのだそうですね。モアイをもじってモヤイなのかと思ったら、「舫い(もやい)結び」のもやいの意味をも込めたネーミングだそうで。繋ぎ止める、一緒になるという意味なんでしょうね。そういえば子供の頃練習したなぁ、舫い結び。池から蛇が顔を出し、池のほとりの木を一周して池の中に戻って行きました…あー懐かし。

「手械・首枷:罪人型」


いや、別に「SM調教型」でも良いんですけどね。それは又別の機会に。

「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」

やっぱりこっちで行きましょうや。いや、実際石川五右衛門が手械・首枷をされてたかどうかは知りませんよ。「罪人」繋がりで。創作の世界では五右衛門は釜茹の刑の際、息子を高く持ち上げ、滾った油の中に落ちない様に護った、等と言われてますが、実際はそんな立派なものでもなかったらしいですね。処刑される時「打ち首と釜茹、どちらが良いか」と聞かれて、「釜茹なんて恐ろしい、打ち首にしてくれ」と言った後、考え直して「いや、少しでも長く生きていられるから釜茹が良い」と答え直した、なんて話もどこかで読んだ様な気もしますが。

「重き荷を負いて:徳川家康型」


「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。堪忍は無事長久の基、怒りを敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負くることを知らざば、害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

ま、これは家康本人の言葉ではないという説もある様です。

負け戦で命からがら城に逃げ込んだ時、恐怖のあまりウンコを漏らしてしまい、その時の様子を絵師に描かせ「今後私が増長する様な事があったらこの絵を見せて諫める様に」と言った、なんていうエピソード(実話かどうか存じませんが)のある家康らしい言葉じゃないですか。(そうか?)

因みに中島みゆきファンのおっさんですが、嫌い、と言うより聞きたくない曲があります。「重き荷を負いて」という、正にこの家康の言葉に題材を取った曲なんですけどね。そんな大層な物は何一つ背負わずにヘラヘラしてるおっさんとしてはこんな立派な曲はどうしても聴く気になれないのですよ。もう一つ苦手なのが「背広の下のロックンロール」でして。おっさんはそんな大層な物を内に秘めたりしてませんのでね。中身無いから。

序でに好きな曲はと言えば「蕎麦屋」と「タクシードライバー」であります。理由?「蕎麦屋」の歌い出しの歌詞そのものだからです。

「爆弾三勇士:突撃型」


爆弾三勇士ねぇ…普通そんな事考えるか?大抵の人は引越しの荷物運びか工事現場を連想すると思うぞ。

ま、意味の分からない方は「爆弾三勇士像 画像」とググって頂ければと。第一次上海事変の英雄ですな。

1931年の柳条湖事件(おっさんが子供の頃は「柳条溝」と習ったんですが、今は違うんですね。「硫黄島」の「いおうとう」「いおうじま」もそうですけど。)、1932年第一次上海事変、1937年盧溝橋事件とそれに続く第二次上海事変、そして日本は泥沼の対中戦争へと足を踏み入れてしまったのですね…

以前、おっさんより一回り位年下の方と話していて、なんの加減か覚えてませんが「木口小平」の話になりまして。

キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、
シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ。

おっさんにとっては日清戦争の英雄、戦前の日本人の一典型を成す人物なのですがね。その(おっさんより)若い方が言うには「死んでもラッパを離さなかった…?ミュージシャンですか?」

昔は軍隊では色々な合図をラッパで知らせていたんだよ、木口小平は命令や伝達事項をラッパで皆に知らせるラッパ手だったんだ、等と説明しながら、明治は遠くなりにけり、木口小平がミュージシャンかよ…等と思った次第です。

突撃の命令が下った時に吹く「突撃ラッパ」は今でも結構有名な様ですが、「正露丸」のコマーシャルのラッパのメロディーが、食事だぞ、と知らせる「食事ラッパ」な訳でして。 「ラッパのマークの大幸薬品」の「正露丸」の前身となった薬が「征露丸」で、日清戦争で生水で腹を壊したり感染症にかかる兵士が多かった為、その対策として日露戦争の時には兵士に「征露丸」が配布されたのですね。征露丸…読んで字の如し、です。

ま、今回はこの辺で。 今後、更にいろんなイタズラ標識のバージョンが出て来るでしょうから、また画像が溜まったら纏めましょうかね。   しかしパリの標識の話だったんだけど、今回の話は見事な程にパリに何の関係もありませんね。 ま、いつもの事か。

2013年12月3日火曜日

Some say Love…

さて愛とは一体何なのでしょうね。

I say Love, it is a flower, and you, its only seed…

Just remember in the winter far beneath the bitter snows,
lies the seed that with sun's love in the spring, becomes the rose…

ベット・ミドラーの「the Rose」 名曲ですなぁ。しかし実際にジャニス・ジョプリンみたいな女がいたら、周りの人達はえらい目にあうでしょうな。

おそらく求め続けて行く物が恋、奪うのが恋
与え続けて行く物が愛、変わらぬ愛
だからありったけの思いをあなたに投げ続けられたらそれだけで良い

さだまさし「恋愛症候群」この人も詩人ですね。大抵のミュージシャンは「作詞」というけれど、この人の場合は「作詩」なのも頷ける。

まぁ、難しい話をするつもりはありません。単なるマクラです。

本題はこちら。


Mur des je t'aime とググれば絶対出て来ます。おっさんがモンマルトルを歩く時には大抵寄るポイントですが。

612枚のタイルに覆われた40㎡の壁一面に250の言語による311個の「愛してる」が書かれていて、これはフレデリック・バロンとクレール・キトーという二人のアーティストの作です、とパリ市観光局のHPには書いてあるのですが、


実際にはダニエル・ブローニュという人のサインも入っているぞ?誰だ?


そしてこの壁はオリビエ・ペラとダニエル・ブローニュによる個人メセナであると。あ、この寄贈主のブローニュさんが作者の方にも入ってるという事か。製作にも関わったんだろうか。

暇な時、この壁の前でこれは何語、これは何語と調べるのが結構楽しみだったりします。

これは間違い無く分かりますな。ジュテーム。フランス語です。


これも分かるけど、一部間違いもありますな。キトーさんの方が東洋の言語の表記を担当したらしいですが、やっぱり完璧ではないらしい。

 

英語。


イタリア語。


スペイン語。


カタロニア語。


ドイツ語。


あれ、我爱你もあったのに画像が無い。

この位は分かるけど、さっぱり分からない物もあって、これはどこで使われてる言語(文字)だ?


そしてあちこちに鏤められた赤い欠片は、現代社会において様々な形で引き裂かれてしまった「愛」を表現しており、その、ばらばらになってしまった愛をこの壁が一つにまとめるというコンセプトだそうで。


ここに来た記念に自分達の名前を書いちゃう人もいたりして。(多分。)


手話と点字でも書いてあるんですが、この点字、点字アルファベット表と照らし合わせてみても、どうも一致しないんですが?


なんか手話の下にも誰かが書き込んじゃったっぽいのがありますね。しかし「パパ愛してる」って、他に書く相手はおらんのか?

これは国際手話ですね。小指を立ててアルファベットの「I」、親指と人差し指を立てると「L」、親指と小指を立てると「Y」、「I Love You」の頭文字を全部一遍に表してるんですね。国際手話は聴覚障害者の国際的な集まりの為に特別に作られた手話ですが、実際にはアメリカ手話の方がよっぽど通じる様です。人工言語である所も、英語の方が広く使われている所も、エスペラント語みたいなもんですか。

日本手話でもアメリカ手話でも「私」「あなた」はそれぞれ自分と相手を指差しますが、「愛」「愛する」という単語は日本では左手の拳の甲を右手で撫で回す(子供にイイコイイコするみたいに)、アメリカでは両手を握り、胸の前で腕をクロスさせて抱き締める仕種をしますね。映画「Siter Act(邦題『天使にラブソングを』)」で、フィナーレの「I will Follow Him」の中で二人のシスター・マリアのデュエットからシスター・マリア・ロバートのソロに移る時、「There isn't an ocean too deep, a mountain so high it can keep, keep us away, away from his love.」の「Love」の歌詞の所でシスターがする仕種です。

フランスはちょっと違っていて、手のひら(やっぱり「掌」の方が雰囲気が出るんだが…)を胸に当て、その胸にある思いを相手に差し出す様な仕種で「愛してる」を表しますね。

てか、手話を言葉で表すのって難しいので、こんなのを御覧頂ければ一目瞭然かと。



ま、この「ジュテームの壁」の事は書こうと思いつつ、伸び伸びになってたんですがね。今日丁度同僚の方と食事してて「Sister Act」の話も出て来たし、そう言えばこの人の名前にも「愛」の字があったなぁ…などと思ったんで。

いや、アルファベット表記でしか見た事無いので確かな事は言えませんが…
違ってたらゴメンナサイ。

2011年12月12日月曜日

スイッチ入った。

昨日のクリスマスソングで薀蓄スイッチが入りましたよ。

ジャクソン5の(とは言っても彼らのオリジナルじゃありませんけどね)「ママがサンタにキッスした」(I saw Mommy kissing Santa Claus )のお話。

歌詞はこんな感じ。

Wow! Mommy's kissing Santa Claus!

I saw Mommy kissing Santa Claus
Underneath the mistletoe last night
She didn’t see me creep
Down the stairs to have a peep
She thought that I was tucked up
In my bedroom, fast asleep

Then I saw Mommy tickle Santa Claus
Underneath his beard so snowy white
Oh, what a laugh it would have been
If Daddy had only seen
Mommy kissing Santa Claus last night

He saw Mommy kissing Santa Claus
I did! I really did see Mommy kissing Santa Claus
And I'm gonna tell my Dad

Then I saw Mommy tickle Santa Claus
Underneath his beard so snowy white
Oh, what a laugh it would have been
If Daddy had only seen
Mommy kissing Santa Claus last night

Oh, what a laugh it would have been
If Daddy had only seen
Mommy kissing Santa Claus last night

I did! I did! I really did see Mommy kissing Santa Claus
You gotta believe me! You just gotta believe me!
Come on, fellas, believe me! You just gotta believe me!

この途中の、
「見たんだよ!本当にママがサンタにキスしてるのを見たんだ、パパに言ってやる」
とか、最後の
「本当に見たんだ、信じてよ、信じてってば!」
という台詞。この辺が可愛くて良い訳ですね。当時12歳のマイケル・ジャクソンのヴォーカル、台詞、この子が将来児童虐待で訴えられる事になるとは誰が想像したでしょうね。

ま、それはさて置き。
この歌は日本でも沢山の人達が歌ってます。英語バージョンの事もあれば、日本語訳の事もありますね。アンパンマンの中で使われる曲を数多く歌っている「ドリーミング」さんなんかも歌ってます。そして日本語訳を見ると…

それは昨日の夜
サンタのおじさんが
重い袋肩に担いで
そっとお部屋に入って来たら
ママは寄り添いながら
優しくキッスして
とても嬉しそうに
お話してる
でもそのサンタはパパ

…何だこれは?
元の歌詞と比べてみると、

英「ママは僕が階段の陰に潜んで見ていたのに気づかなかった、部屋に行って寝てると思ってたんだ」
日「サンタのおじさんが重い袋担いでそっとお部屋に入って来たら」

英「何て事が起こったんだ?もしパパがこんな所を見てたら…ママがサンタにキスをした」
日「ママがサンタにキスをした、でもそのサンタはパパ」

もう一度書きます。何だこれは?(大事な事なので二回言いました)

身も蓋も無いというか…全く別物ですね。
或いは「ママがパパ以外の男にキスする事などあってはならない」という日本の倫理観(実際どうかは別として、建前上は)の押し付けか?
まぁ、この歌詞の中では、キスといってもどの程度のキスかは語られてませんけどね。所謂欧米のソーシャル・キス、挨拶の軽いキスなら、人妻に、旦那の目の前でしたって何の問題も無いし。でも「何て事だ」「パパに言ってやる」なんて言ってるからにはちゃんとした(?)キスだったんでしょうね。

そしてもうひとつ、
「I saw Mommy kissing Santa Claus,Underneath the mistletoe last night 」
「ママがサンタにキスしてるのを見た、昨夜、ヤドリギの下で」
ここが問題ですね。

Mistletoe(ミスルトゥ)とはヤドリギの事ですね。日本にもありますし、フランスでもよく見かけます。フランス語ではGui(ギー)と言います。クリスマスや新年の飾りに使う縁起物です。


木の枝にマリモみたいな塊がくっついてるのがヤドリギ、木に寄生する木ですね。クリスマスにはこれを切り取って来て、部屋に飾ったりします。

北欧神話では、オーディンの息子・光の神バルドルは、邪神ロキに騙され操られた異母弟ヘズによって殺されますが、その時の武器がヤドリギでした。

元々は、バルドルの母フリッグは息子を蘇らせる為にあらゆる手を尽くしたが果たせず、光の神を失った世界は闇に閉ざされてしまった…というのが北欧の厳しい気候の由来を説明する神話であった様ですね。

キリスト教伝播以降は、光の神亡き後の世界はラグナロク(最終戦争、ハルマゲドンみたいな物かな)へと突き進み、ラグナロク後にバルドルが蘇るとか、フリッグの奔走によってバルドルは蘇り、(キリスト教の「復活」思想の影響?)その時フリッグが流した涙が、真珠の様なヤドリギの実になったとか、バリエーションが生まれてきた様です。(ラグナロクの概念そのものはキリスト教伝播以前からありますが)

このバルドルの母フリッグの奔走は、争いを止めさせるという意味から、ヤドリギの下で出会った者は、戦争中の敵同士であっても仲直りのキスを交わさなければならないという言い伝えを生み出しました。

これは男女間のキスにも延長して適用され、クリスマスにヤドリギの下にいる女の子には、男の子はキス「しなければなりません」。女の子は「拒んではなりません」。もし適齢期の女性が誰からもキスして貰えなければ次の年まで(最低限)結婚できません。ヤドリギの下での恋人同士のキスは求婚を意味します。或いは女性はヤドリギの下での男性からの求婚にキスで応えなければなりません。etc.etc.

バルドルの母フリッグは時に愛の女神フレイヤと同一視される事もありますしね。このフリッグの神話が「愛」の方向に向かうのは必然だったのかも知れません。または「母の愛」から「男女の愛」への移行と言おうか。
まぁ、フレイヤは愛だけじゃなく美、死、戦い、いろんな特性を兼ね備えた女神ですけどね。

さて、本体の木の方が葉が全部落ちて裸になっても、枝に寄生して葉のままで冬を越すヤドリギは生命力、繁栄の象徴でもあります。また魔を払い、病気を治すとも言われてますから、上記神話とも合わせて縁起物になるのは当然ですね。

しかし御用心、ヤドリギの実には毒性があるそうですからね。「縁起物」にあやかって…なんて思って実を食べてみたりしちゃ駄目ですよ。

2011年12月8日木曜日

街角の「おや?」。

さて、街を歩いていると、いろいろ目に飛び込んで来るものがありますね。「おや?」なんて立ち止まって眺めてるといつの間にか結構時間が経ってたりして。


画廊街マティニヨン通りの、とあるビルの彫刻。天空を支える巨人アトラスかな?
毎度思いますけど、ギリシャ・ローマ神話って、生臭かったり、血腥かったり。

ティタン神族はゼウス率いる神々と戦争をして敗れ、ティタン族に属するアトラスは天空を支える役目を言いつけられ、とんでもない重さの「天」を未来永劫支えなければならなくなります。

アトラスの弟、人類に「火」をもたらしたプロメテウスは永遠に禿鷹に肝臓をつつかれ、食われる責め苦にあいますし、そのまた弟エピメテウスにはゼウスの謀略でパンドラが送り込まれ、パンドラの箱から世界中に災いが撒き散らされますね。

ま、日本の神話だって結構エグいのもありますけどね。蛆の湧いたイザナミとか。


こっちはバッカスでしょうかね。オペラ広場です。

ロレンツォ・デ・メディチの「酒の神なるバッカスとその妻なる女神アリアドネ」の一節。

青春は何とまた美しいかな、
何とまた淡く儚く消ゆるかな。
快楽に溺れる人は溺れな、
明日の事定めある身と誰か知るかな。

一説によるとこの詩の一節からインスパイアされたのが「ゴンドラの唄」であったとも言われてますね。まぁ、「ゴンドラ」の言葉そのものはアンデルセンの作品からとったそうですが。

黒澤明の1952年の映画「生きる」の中で志村喬さん演じる勘治が公園のブランコでこの「ゴンドラの唄」を歌いますね。そして勘治は「自分という人間が生きた証」である公園で倒れ、息を引き取ります。

「自分の生きて来た証」ねぇ。考えさせられますなぁ。特にこの齢になると。
「明日の月日は無いものを」か。


これは彫刻とは言えないでしょうけど、きれいなんで載せちゃいます。
以前書いたロシア正教の教会の近くにあるんですけどね。ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡後、コンスタンティノープル教会の主である東ローマ・ビザンツ帝国皇帝レオ三世の偶像崇拝禁止令に端を発して、とうとう1054年、東西教会は完全に分裂します。
ローマ教皇率いるカトリック教会は当時のゲルマン民族への布教に聖画像なんかを使ってましたから、東ローマ皇帝からいきなり偶像崇拝禁止を言い渡されてもハイそうですかって訳には行かなかったんですね。
しかし、イスラム勢力から偶像崇拝を非難されて「成程、それもそうだ」ってな感じでレオ三世は偶像崇拝禁止令を出した訳ですけど、結局現在の正教会にもイコンとかの形で偶像は残ってますよね。どうなってんでしょう。
カトリックと比べればプロテスタントの方が偶像から離れた立場をとっていて、だからプロテスタントの教会ってシンプルですよね。カトリック教会みたいな壁画や天井画が殆ど無くて、本当にただ十字架が掛かっているだけなんて所もあります。
しかし、異教徒(どころか無宗教者)の、しかも素人考えですけど、十字架だって偶像じゃないのかな?

ま、でも偶像崇拝をしない分、イスラムの寺院はタイルとかモザイクとかきれいですね。
そのイスラムに影響された正教会もカトリック程には偶像を用いません。
正教会と特別関係ある建物には見えなかったけど、この鉄格子(?)もイスラムや正教会の装飾にちょっと似てる様な気もします。


インスティテュート・ハングロワ(「ハンガリー協会」とでも訳しましょうか)。
ダ・ヴィンチ・コードで有名になったサン・シュルピス教会の近くです。

正式名称はInstitut Balassiというそうですが、フランス・ハンガリー両国の交流、親善の為に1927年に創立された機関です。その入り口にあるからには、これはやっぱりハンガリー人彫刻家さんの作品ですね。人待ち顔(?)でベンチに座っている女性像。「Sous le chapeau(帽子の下)」、アンドラス・ラピさんという彫刻家さんの作品だそうです。


最後はこれ。rue des Canettes(小鴨通り)にある鴨の彫刻。これまたサン・シュルピス教会の近くです。
鴨の彫刻があるから小鴨通りなのか、小鴨通りだから鴨の彫刻が造られたのか?卵と鶏みたいな話ですね。ま、通り自体は13世紀の地図に出ていて、その頃は「サン・シュルピス通り」と呼ばれてたそうです。

東からこの通りに突き当たる短い通り「ギザルド通り」がありますが、これは16世紀宗教戦争時代、旧教同盟の主要人物ギーズ公の屋敷があって、ここでカトリック派がプロテスタント派に対する陰謀の計画を練ったんだそうで、「ギーズ派の通り」という名が残ってるんだとか。

東西教会分裂の次は宗教戦争です。カトリック教会は「免罪符」を発行して売っていました、というのは少々語弊がありますが。もともとはこの免罪符は十字軍に従軍した人に与えられていましたが、実際に従軍できない人は従軍の代わりに巡礼や寄進を行う事で免罪符をもらうことができたんですね。寄進をもって代える事ができるとなれば、これはもう「販売」と紙一重です。結局最終的には免罪符は「金で買える」物になってしまい、これに異議を申し立てたのがマルティン・ルターですね。ジャン・カルヴァンやフリードリッヒ・ツヴィングリがルターに続きます。

そしてカトリックとプロテスタントは戦争状態にまでなってしまうんですね。イギリス・フランス・ドイツ・スイス・オランダ等で宗教戦争が起こり、この中ではフランスはカトリックに留まりましたが、ルターのドイツ、カルヴァンやツヴィングリのスイスはプロテスタント化します。オランダもですね。
イギリスはまだそれほどプロテスタント優位という訳でもありませんでしたが、ヘンリー八世がカトリックから独立したイギリス国教会を発足させると、プロテスタントがイギリスにどんどん流入してきます。別にヘンリー八世はカトリックを捨ててプロテスタントになった訳ではなく、新しい嫁さんを貰いたいがために、離婚を認めないローマ・カトリックの支配権から離れて、離婚を認める、自分に都合のいい「イギリス国教会」を作っちゃっただけなんですけどね。でもイギリスが脱カトリックしたとなればあちこちで迫害されていたプロテスタントがイギリスに逃げ込んで来るのは当然です。

そしてこの時代にプロテスタント化したイギリスをカトリックに戻す為、容赦無いプロテスタント迫害を行ったのがヘンリー八世の娘メアリ一世、俗に言う「ブラディー・マリー」ですね。

さて、やっぱりキリがなくなって来た。そりゃ時間もかかるわ。
でもやっぱり道草ってのは楽しいですねぇ。

2011年12月6日火曜日

♪上を向いて歩こう♪

なんて古いんだ。坂本九さんの「上を向いて歩こう」は永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九歌唱の所謂「六八九トリオ」の最初の曲じゃありませんでしたか?このトリオも今は「六」さんしか生き残ってませんねぇ。(清志郎も死んじゃいましたし。R.C.の「上を向いて歩こう」も好きでした。)
1961年の発表。海外でもこれだけのヒットを収めた曲も珍しいんじゃないでしょうか。尤も海外では何故か「スキヤキ」という意味不明のタイトルになっておりますが。

ところで。パリの街を歩く時、「上を向いて」いるとこんな物が…


あぁ、パン屋さんの看板ですね。「Boulanger」(ブランジェ)とはパン屋さんの事です。正確にはパン職人の事で、パン屋さんは「Boulangerie」(ブランジュリー)ですが。
「Artisan」(アルティザン)は職人とか手作りとかの意味です。ジャック・シラク大統領時代でしたかね、自分の所でパンを焼いて売ってる店しか「パン屋」と呼んではいけない事にしよう、なんていう法案が国会に提出されたりしましたね。あれは結局可決されたんだろか?
では自分でパンを焼いていない、他から仕入れたパンを転売する店はなんと言うかといえば、「Depot du Pain」(デポ・デュ・パン)といいますね。村に一軒しかないパン屋さんの定休日に、その村の食料品・雑貨屋さんがデポ・デュ・パンをしてるなんてのは良くある話です。

ところで、この看板、まったく同じ物をヴェルサイユでも見かけました。こういうパン屋さんの設備とか用品を扱ってる会社があって、この二軒のパン屋さんは、たまたまその会社の同じ製品を購入したんでしょうね。


さて、今度のは…看板とは言えませんけれど、でもちょっと勘違いで面白かったので載せちゃいます。


赤提灯に「寿司」。こういう店は間違い無く「なんちゃって」日本料理店ですね。赤提灯なら「焼き鳥」「おでん」「酒」「居酒屋」でしょう、やっぱり。今はもう無くなってしまいましたが、やっぱり赤提灯に「寿司」「刺身」なんて書いてあり、でも店の名前が「上海」なんて店が昔モンマルトルにありました。

赤提灯といえば…おっさん世代にはやっぱり1974年のかぐや姫の大ヒット曲「赤ちょうちん」と、その映画化、秋吉久美子の映画「赤ちょうちん」が思い浮かびますなぁ。
映画の主題歌やエンディングテーマがヒットしたとか、映画と曲のタイアップ売り込み戦術なんてのはありふれた話ですが、まず曲がヒットして、その作品世界をモティーフとして、曲のストーリーを元にして映画が撮られたケースなんてそう多くはありませんね。「かぐや姫」では「神田川」「赤ちょうちん」「妹」が映画化されてます。
こういうのって、他に見当たりませんけど…1991年中島みゆきの「南三条」が柳葉敏郎・浅野ゆう子主演のテレビドラマ「親愛なる者へ」になった位かなぁ。

と思ったら。あったじゃないですか。1962年の映画「上を向いて歩こう」が。
当然の事ながら九ちゃん主演。若き日の高橋英樹さんの学生服姿がなんか笑えました。吉永小百合さん、やっぱりきれいですねぇ。おっさんは結構サユリストです。
まぁ、映画のストーリーの方は曲の作品世界とは大分違いましたけどね。

更に「上を向いて」歩いていると…


おや、馬肉屋さんの看板ですか。読んで字の如しと言うか、そのものズバリと言うか。フランス人は結構馬肉も食べます。おっさんもタルタル・ステーキなんて大好物です。まぁフランスの馬刺しというかユッケですかね。タルタル・ステーキは牛肉でも馬肉でも作ります。

日本からの旅行者さんが、パリのレストランでフランス語のメニューと格闘中。「わかんないよー」なんて声が聞こえて来ます。そのうちどうでも良くなっちゃったんでしょうか、「これでいいや、ナントカ・ステーキ。」注文の品が出て来たらきっと驚くんだろうなぁ。

いつかカフェでタルタル・ステーキを注文したら、ボーイさんが「タルタル・ステーキってのは生肉だぞ、本当にいいのか?」と聞いてきました。そりゃ生じゃなきゃ困ります。焼いてあったらハンバーグになっちまう。
生肉に驚く日本人が多いから、一応確認したんでしょうね。

生肉料理なんて日本にいくらだってあるだろうに。日本から見えた方のお供で食事をする時、タルタル・ステーキなんか注文すると、
「何ですか、それ?」
「タルタル・ステーキ、生肉です。」
「えぇぇぇ~!生肉ですかぁぁぁ~!?」
「日本でも食べるでしょ、生肉。」
「食べませんよぉ、生肉なんて!」
「そうですか、私は焼き肉屋に行ったら必ずユッケを食べますし、馬刺しや牛刺しなんかもあるでしょう?」
「ユッケ?馬刺し?…あ!ホントだ!食べますね、生肉!あぁ~、そうかぁ~」
こんな会話を何度繰り返した事か。ユッケが生肉だと今まで知らなかった訳じゃあるまいに。
大体、生の魚肉を普通に食べてる人達が、生の牛肉や馬肉で驚くなよ、今更。
豚は寄生虫の問題もあるから火を通した方がいいですが。

日本でも東京・深川辺りに行くと「馬刺し」屋さんがたくさんありますね。結構高いのでそうそう行くこともできませんけど、好きだわ。
コリアンレストランの「牛刺し」ユッケも好きですけど、「たたき」のスッケも良いですねぇ。

ヨーロッパで言う「タルタル・ステーキ」はモンゴル起源と言われてます。タタール人の肉料理で「タルタル・ステーキ」ですね。タタール人とはロシアの南側のモンゴルからタタルスタン辺りにかけてのモンゴル系、チュルク系、ツングース系の人々を指す言葉だったそうですね。中国語で韃靼人。「鉄腕アトム」に「ロボット共和国」という話があって、ロボットが人間の支配から独立しようとするんですが、この時のロボット軍の戦士の一人(一体?)に「ダッタン」てのがいました。やっぱりそれらしき民族衣装風のデザインでしたね。
ロシアのアレクサンドル・ボロディン作曲の「韃靼人の踊り」も有名です。

さて、そろそろ話を戻して最後の看板。これは上だけ見てても駄目ですね。下も見なきゃ。


さて、何の看板の影でしょう?ヒント:モン・サン・ミッシェルで撮影しました。


これです。竜(悪魔)を打ち倒す大天使ミカエルですね。これはモン・サン・ミッシェルの海洋博物館の看板です。大天使ミカエルについては何度も書いてますが、差し当たり12/1、4/29辺りの記事を御覧頂きましょうか。

天使とか悪魔とか、その辺に御興味ある方にはミルトンの「失楽園」をお勧めします。平井正穂さんの名訳が岩波文庫から出てますしね。おっさんなんぞが何を言うよりも、冬の間の炬燵の友として、この壮大な叙事詩など通読してみては如何でしょう。

さて、そういう訳で、モン・サン・ミッシェルで「上を向く」と…こんな感じ。今までに何度も行きましたけど、やっぱり、きれいですねぇ。

2011年12月2日金曜日

浮気してる訳じゃありません。

さて、二日間に亘るモン・サン・ミッシェルのネタが一段落した訳ですが。

以前モン・サン・ミッシェルを訪れた日本の方がふと漏らした素朴な疑問をひとつ。

「キリスト教って、キリスト様が唯一絶対じゃないんですか?大天使とか聖母とか、キリスト様以外の人や天使を祀るってどういう事ですか?」

成程。「キリスト教」なのにキリスト様以外の人に祈る事はキリスト様を裏切ってないかという事ですか。いささか極端な理論ではありますけど、ご本人はかなり不満な様子。

こういう事ってキリスト教文化圏に身を置いてみないと分からない時がありますね。まぁ、フランス在住のおっさんにしたって別にクリスチャンでもなし、生まれた時からキリスト教に親しんで来た人達とは当然感覚が違いますし。

この質問に、説明する言葉が咄嗟には見つかりませんでした。聖母や聖人、天使達に祈りを捧げる事はある程度当たり前なんですけどね。そこで、どう説明したらいいか考えてみた訳です。

例えばキリスト教という宗教を、会社組織みたいなものと想像してみたらどうでしょうかね。
勿論宗教と会社は違いますけど、あくまでも喩えとして。

キリスト教のトップはキリスト様です。(というか「父なる神」「私をお遣わしになった方」ですけど、三位一体の理論からすればキリスト様と言っても差し支えない筈…だと思うんですが。)

会社のトップは社長さんです。でも取引先、出入り業者、お客さん達、個人のエンドユーザー一人々々がいちいち直接社長さんに会いに行く訳じゃありません。その会社と取引する人達が接するのは専務や常務かもしれないし、部長・課長・係長・ヒラ社員、それどころかアルバイトの売り子さんかもしれません。でもそのバイトさんからであれ、その会社の製品を買ったお客さんは、その「取引」を通じて会社組織と繋がっている訳で、その「会社」のトップである社長さんとも必然的に繋がっているんですよね。

同じくキリスト教でも、どこか田舎の小さな村の教会でも、祈りを捧げた人はちゃんとその祈りとキリスト教信仰を通じてキリスト様と繋がってるって事で…いいでしょうかね?

聖母マリアが副社長に相当するか、大天使が専務か常務に相当するか存じませんが、その「祈り」「信仰」を通じてキリスト様とちゃんと繋がっている以上、これはキリスト様に対する裏切りにはなりませんよね。

なんて喩え話を思いついた訳ですが。本物のクリスチャンの方々からすると「いや、それは違う」なんて御意見が出て来るかも知れませんけど。如何なモンでしょう。

仏教にしても、お釈迦様の入滅後56億7000万年後に世を救いに現れる弥勒菩薩とか、それまでの間六道輪廻する衆生を救う地蔵菩薩とか、現世に苦しむ人々の病を癒す薬師如来とか、「役割分担」みたいなものもありますしね。

こんな事考えた事も無くて、「何故キリスト以外の人を拝む」と訊かれた時は驚きましたけど。人間の発想というのは本当に人それぞれですねぇ。

2011年11月1日火曜日

ブリュッセル編のトリです。

さて、ここまで引っ張って来たブリュッセルネタの締め括りはサン・ミッシェル・ギュデュル聖堂です。

サン・ミッシェルはお馴染みでしょうが、ギュデュルさんはというと、七世紀の聖女で、ブリュッセルの守護聖女ですね。パリのサント・ジュヌヴィエーヴみたいなもんか。


9世紀、カストラムの丘に大天使を祭る教会が造られた。11世紀にロマネスク様式の教会になり、この教会は1047年に聖堂参事会のタイトルを得た。そして、聖ギュデュルの聖遺物がここに移されて来た。
現在のブラバント地方風ゴシック建築の教会の建築は、13世紀始めにブラバント公アンリ一世の命によって始まった。これはまたこの地にゴシック様式が現れて来た時代とも一致している。この巨大な計画が完成を見るには300年近くを要し、カール五世の君臨の少し前に終了した。
1983年から1999年まで続いた修復工事は石やドーム、ステンドグラスに嘗ての輝きを取り戻させた。そしてこの工事によって、重要な、そして非常によく保存された11世紀ロマネスク教会の遺跡が発見された。
1962年に教会は、メヘレンの聖堂と共にメヘレン・ブリュッセル大司教座として昇格し「サン・ミッシェル・ギュデュル『大聖堂』」に叙せられた。


歴史を少々

サンミッシェル・ギュデュル大聖堂の歴史はブリュッセルの街の歴史と密接に結びついている。元の教会の由来については確かな事は分かっていない。そして聖堂参事会が発足し、それ以前はサン・ジュリ礼拝堂にあった聖ギュデュルの聖遺物が元のロマネスク様式の教会に移されたのがやっと1047年の事である。この教会は町の最初の城壁の中にあった。
おそらく1225年頃現在の聖堂の建設が始まり、これはこの地にゴシック様式が現れた時期と一致している。13・14・15世紀を通じて、ロマネスク様式の教会はゴシック様式のものに取って代わられ、段々に姿を消して行った。壮大な二つの塔の完成は15世紀末まで待たねばならなかった。

聖堂には初期ゴシック、レヨナン・ゴシック、フランボワイヨン・ゴシックの他ルネッサンス、バロック、ネオ・ゴシック等様々な建築様式が混在している。
19世紀には建築家スュイの監督の下、主に教会外壁に対する大規模な修復工事が始められた。
時代を経るにつれ、特に大気汚染によって傷んできた。実際、教会は砂質の石灰岩でできており、これは強い息吹を伴う天候には弱かった。
そのため1950年台から60年代にブリュッセルの町とブラバント地方の主導によって修復工事が始められた。

修復工事公団による修復

この修復工事を成し遂げる為に、作業は1981年、公団に委ねられた。
芸術品(訳注:多分彫刻部分等の)の材質、建築上・考古学上の建物に対する吟味等の、この建築物に関する歴史の研究により、財団はすべての建築上・構造上・物理上の問題点を明確にすることができた。
作業は二部に分けて行われた。

第一部(1983-1990)
さらに二段階に分けられ、第一段階(1983-1987)は身廊、交差廊、交差部の尖塔の屋根、側廊と、連なる礼拝堂の屋根の修復を含んでいた。内部の修復作業はステンドグラスの繊細な修復、交差廊の透かし彫りの復元だった。
第二段階は石材の修復、飛梁と控え壁の安定。考古学調査の折に、昔のロマネスク様式の教会の壁と前庭の遺跡が発見された。この場所には、一般者がアクセスできる地下スペースが整備された。

第二部(1990-1999)
内陣、翼廊交差部、内陣の礼拝堂、聖具室と管理室の修復。調査中、内陣の地下にロマネスク教会の地下墓地の遺跡が発見された。その考古学的な価値の故に遺跡は埋め戻された。条件つき、用予約ではあるが、一般の見学もできる。
作業は1999年11月に終わった。大聖堂ではその十五日後にフィリップ皇太子とマチルド妃の結婚式が執り行われた。


この大聖堂にはちゃんと大天使ミカエルがいますよ。って当たり前か。
ちゃんと龍(悪魔)を打ち倒してます。


ではこれは?誰だか分かりますか?ヒントはこの人物が右手に持っているものですが。


聖ラウレンティウス、フランス語ならサン・ローランです。手に持ってるのは「焼き網」ですね。
この聖人に関しては5/13の記事を御覧頂きましょうか。

さてさて、これでブリュッセル編は終わりです。明日から「仏蘭西薀蓄堂」に戻ります。