2011年10月24日月曜日

畑の聖母。

面白い名前です。

ノートル・ダムといえば誰もがパリの、所謂「ノートル・ダム」を思い浮かべると思いますが、Notre=「私達の」Dame=「貴婦人(というか英語のレディと同じで、女性の事を丁寧に言う言葉です)」、つまり聖母マリアを指します。聖母に捧げた教会は「ノートル・ダム」と呼ばれる訳で、ノートル・ダムという教会はあちこちにありますね。ここもそのひとつ。
しかし「畑の聖母(Notre dame des Champs)」という風変わりな名前はどうして付けられたんでしょうか。


元々この辺りにはローマ時代の、マーキュリーを祀る神殿があったそうです。その後ゲルマン民族の侵入、ローマの撤退を経てフランスがキリスト教化して行き、ここに聖処女(聖母マリア)を祀る教会ができます。その頃はこの辺りは一面の葡萄畑で、「葡萄畑の聖母」と呼ばれたそうです。
カペー朝二代目のロベール敬虔王は初代パリ司教聖ドニがキリスト教義における「謎(三位一体・復活・救済など)」を称えたと伝えられるこの地に新たな教会を建てます。
同じ頃、ノワールムティエ修道院のベネディクト派修道士達はこの地に修道院を建てる許可を得て、葡萄畑は姿を消し、教会は「畑の聖母」ノートル・ダム・デ・シャン」と呼ばれる様になります。
1603年、ベネディクト派は、修道院をスペインのカルメル会に譲ります。ルイ14世時代に最も栄えた修道院のひとつであったそうです。
革命で修道院は閉鎖、教会は破壊されます。「ノートル・ダム・デ・シャン」の名前は嘗て教会があった通りの名前として残されるのみとなりました。
1858年、木製の礼拝堂を持つ新「ノートル・ダム・デ・シャン」教会が造られました。
1867年3月17日、現在の教会の礎石が置かれ、1876年10月31日献堂。
1912年5月25日、パリ大司教アメット枢機卿によって公認。

なんかフランス語WIKIの解説が教会のHPの丸写しで笑えるんですけど。


この近くはまたモンパルナス地区の芸術家が集まったカフェが沢山ある事でも知られてます。ロトンド、ドーム、クーポール、セレクト等々。
ピカソ、モディリアニ、藤田嗣治、キスリング…


しかしこの教会の圧巻は何と言っても聖母マリアの生涯を描いた22点の連作フレスコ画ですね。


ノートル・ダム・ド・ボン・ヌーヴェル教会でも同じ事思いましたけど、やっぱりいいカメラが必要だなぁ。

1生誕 2聖アンヌ(マリアの母)に育てられる 3寺院にお参りする 4ヨセフとの婚約 5天使ガブリエルの訪問を受ける(受胎告知) 6エリザベート(洗礼者ヨハネの母)を訪ねる 7ベツレヘムで宿を求める 8イエス生誕 9寺院で清めを受ける 10エジプトへ脱出 11エジプトでの休息 12ナザレの泉の畔 13ナザレ 14夫ヨセフの死 15十字架の下 16イエス処刑後 17イエスの亡骸 18セナクル(エルサレムの礼拝堂) 19復活のイエスとの対面 20秘蹟を受ける 21息を引き取る 22被昇天

本当ならこの一枚一枚をきちんと撮って保存しておきたいんですけどね。
ま、今の所はしょうがない。また時間があったらじっくり見に行く事としよう。
この「聖母の生涯」連作やノートル・ダム・ド・ボン・ヌーヴェル教会の壁画程では無いにしろ、大抵の教会にはイエスの生涯が現された一連のプレートが在り、これが教会ごとに違う味わいを出してます。

これもいつか特集してみたいもんだ。

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