2011年10月23日日曜日

第二の人生。

おっさんはまだ隠居する様な歳じゃありませんけどね。

第二の人生を送ってるのはこの建物。


ブロンニアール館といいまして、嘗ては証券取引所だった建物です。今はパリ市の管理の下、セミナーとか、会議とか、イベント、展示会なんかに使われてますね。

さて、例によって。


サン・トーギュスタン通りからフェイドー通りにまで至る巨大な修道院であったサン・トマ女子修道士会の土地に、1808年、ブロンニアールの設計による証券取引所の建設が始まった。1826年11月4日の現在の建物の完成前、1724年からパリの証券取引所は1793年までマザラン館のギャルリー・ヴィヴィエンヌに入っていて、後にルーブル、パレ・ロワイヤル、1796年から1809年まではノートルダム・ド・ヴィクトワール教会内、再びパレ・ロワイヤル、そして1818年からはフェイドー通りのサン・トマ女子修道士会の建物に置かれた。証券取引所の中には1824年から64年まで商業裁判所が、1826年から53年の間は商工会議所も置かれた。

これまた味も素っ気もない解説ですねぇ。

パリの証券取引がコンピューター化されたのは1987年の事でした。それまでの証券マン達の喧騒は姿を消し、コンピューターと睨めっこするのが仕事になっちゃったんですね。

ブロンニアール館を挟んで両側に「ギャロパン」や「ボードヴィル」なんていうブラッスリー・レストランがあって、古き良き時代の面影を伝えてます。


旧証券取引所の近くにある、設計者ブロンニアールの名を冠した通り。


この標識がまたうらぶれた感じを演出しておりますが。てかパリ市の管理部門さん、清掃ぐらいしろよ。

ところで、この証券取引所の地下鉄駅「ブルス」駅もなかなか面白いですよ。


サン・ラザール式の囲い

ブルス駅の入り口は、1903年地下鉄3番線の開通に伴ってサン・ラザール駅の為に生み出されたモデルによって作られている。建築家エクトル・ギマールがすべての入り口をアール・ヌーヴォー調で飾った地下鉄1号線以降、CMP(首都圏地下鉄会社)は結局のところ他の芸術家に声をかける事になった。ギマールの作品はしばしば非難を浴びたからである。そしてこれがパリ市によって作り上げられた、街灯、広告塔、噴水、ベンチといった近代的な街並に地下鉄の出入り口がよくマッチする様に、もっと落ち着いた、錬鉄の入り口が少しずつ作られていった理由である。ここでは、錬鉄製の囲いはフリーズで飾られ、パリ証券取引所の前庭に下に地下鉄駅がある事を示す白黒の標識を支えている。

やっぱりギマールの地下鉄入り口はいろいろと物議を醸した様ですね。まぁ、個人的には別に嫌いじゃありませんけれど、当時としては斬新過ぎて人々の評価が分かれたであろう事は容易に想像できます。

オルセー美術館の中二階には、机からベッドから本棚から箪笥から壁の飾りまで、すべてをアール・ヌーヴォー様式で統一して装飾した部屋が展示されてますが、正直言って「こんな部屋に住みたい!」と思う人はいないんじゃないか?
興味ある方は是非一度実物を見てみてください。
おっさんは結構変人の部類に入るだろうとは思いますけど、それでもあんな部屋に住む気にはとてもなれない。

アール・ヌーヴォーそのものは決して嫌いじゃないんですけどね。

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