2014年3月29日土曜日

なんと美しい…

さてと、モン・サン・ミッシェルに行って来ましたよ。

だからと言って素直にMSM(長くて面倒なので略)の事を書く筈が無い、素直でないおっさんであります。

ま、写真位は載せておこうかな。


これはMSMの近く、モワドレーの風車からの眺め。
良いですねぇ、菜の花畑。

 
                                    

やっぱり好きだ、森田童子。♪ 例えば僕が死んだら~

で、MSMはさて置いて、本題はこっちです。


ボーボワールと言えばサルトルとボーボワールを連想する方も多いんじゃないかと思いますが、直接の関係は無いそうです。

ボーボワール村はMSMへの通り道にあって、観光用の鰐・亀・蛇・蜥蜴牧場みたいなのがあります。夏の観光シーズンには結構賑わってます。以前家族を連れて行った時、折しも亀さんが交尾の真っ最中で、へぇ、亀さんもこうやって交尾するんだ、と変な事に感心した覚えがあります。

で、亀さんの事もまたさて置き、このボーボワール村には伝説があります。目が見えない女性がMSMで祈りを捧げた所、見える様になったと言うもので、見える様になった女性が思わず発した言葉が

「Qu'il fait beau, voir!」(見える、なんと美しい!とでも訳せばいいのかな)

であったと伝えられ、これが村の名前として残っている訳ですね。村の教会にはその時の物語を表したステンドグラスがありますよ。

                                              

 女性をアップにすると…何か不思議な表情ですね。


別にこのステンドグラスしか無い訳じゃありませんよ。他にも色々。まとめて貼っちゃいましょう。

のどかな村の風景。


教会は普段開いてないんですが、村役場の人に聞いてみたら「んーと、この用事が終わったらちょっと時間が空くから…ちょっと待っててね」てな感じであっさり見せてくれました。
古めかしい鍵も良い感じ。


中に入ると所謂ノルマンディー様式、海沿いのノルマンディー地方ですから、屋根は船大工さんが船を造り、それを逆さまにして建物に蓋をするみたいに乗っけた、なんて言われてますけど、ホンマかいな?
確かにそう見えなくもないけど。

                                    

これは修道院の大天使像じゃなくて、MSM村のサン・ピエール教会のものの様ですね。大天使に王冠を被せてるけど、そういう何かの儀式が1877年にあったんだろうか?


オベール司教にお告げを下す大天使ミカエル。このお告げによってMSMが開かれたのですねぇ。


同じく大天使ミカエルのお告げを受けたジャンヌ・ダルク。


鎖に繋がれた聖ペテロ。「ペテロ十字」と言えば逆さまの十字架を意味します。聖ペテロは処刑される時、「主イエスと同じ形の十字架に磔にされるなんて恐れ多い、主と同じにならない様にしてくれ」と言い、望み通りイエスとは逆、つまり逆さ磔になったんだとか。従って聖ペテロと言えば普通逆さ磔の図が多いんですけどね。


天の軍団の司令官である大天使ミカエルは、軍人ですから剣を持ってます。変わった形の剣ですが。そして最後の審判の時に魂を量るための天秤量りも持ってますね。
ここでやっぱり

♪ 天秤量りは 重たい方に傾くに決まっているじゃないか~ と歌いたくなる訳ですね、これが。


ステンドグラスの他にも絵画の大天使。


聖母子と洗礼者ヨハネの彫刻もあります。


さて、教会を出て街道沿いの商店街に出ると…あったあった、パン屋さん。



ここで売ってるチョコレートの写真を載せたくてね。


これじゃ何だか良く判りませんね。包装を取ると…


と言う訳でチョコレートのMSM。これはブラックですけどミルクチョコのもあります。

でも、これ、中身は空洞なんですよね。中にもぎっしりチョコレートが詰まった塊ならお土産に良いかも知れませんけど、これは日本に持って帰ったら、きっと粉々になってるでしょうね。粉々とは言わずとも、無傷で持ち帰るのは至難の業かと。ま、幾つかに割れてたとかいう程度なら、3Dパズルとしての楽しみ方が…ある訳無いか。

一応改めてMSMの写真。チョコと実物。見比べて下さい。


以前も載せたな、この写真。

菜の花や 月は東に 日は西に     蕪村

黄色い菜の花、青い空、赤い夕陽、白い月、緑の春風…
カラフルな句ですねぇ。
地上の菜の花畑、沈み行く太陽、上り来る月、空間の広がりの表現も見事です。

結局脱線しましたね。いや、脱線しない事のほうが珍しいおっさんでありました。

2014年3月14日金曜日

今年は冬が来なかった様な。

暖冬だなぁ、などと思ってたらもう三月も半ばですねぇ。
オリオンが傾き、双子座が上り、獅子座が後を追い(蟹座はパリみたいな街灯の沢山ある明るい所では良く見えん)、冬が来ないまま春です。

花も色々と咲き、散歩には良い季節ですね。
所で先日、日本の方のパリ旅行記ブログを覗いていたら、こんな物が出てまして。
パリをお散歩中に見つけた標識なんだそうですが、


この標識は一体何だろうという事で、「誘拐禁止?散歩禁止?」等々と首を捻ってましたが、いや、まさか。

これは「ホコテン終わり」、つまりこの標識の所までは歩行者専用道路、ここでホコテン終了、という事ですね。しかし誘拐禁止か。世の中にはユニークな発想の方がいるのですねぇ。

因みにこっちは「ここからホコテン」の標識。
上に「歩行者道」下には「二輪を含む全ての車両の通行及び駐車禁止」と書かれております。


所で今、「ホコテン」という言い方は日本では古いのでしょうか?今の人は何て言うのだろう?

またもや因みに「歩行者専用道」と「歩行者通行禁止」。禁止の方は分かるとして、専用道の方は上のと同じ理屈で「これは何の標識だろう?」と考え込む人もいるかも知れませんね。


さて、前置きをここまで引っ張っておいて何ですが、今回のネタはホコテンとは全然関係ありません。ま、標識ネタではあるんですが。

「進入禁止」の標識ってありますよね。こういうの。


結構前から、この標識にイタズラして面白くするのが流行の様で、色々見かけたのでまとめてみた訳です。はい。

「彫刻家:モアイ型」


おっさんはモアイには親近感を覚えるのですよ。眉の所が盛り上がって鉤鼻、良く言えば彫りの深い顔立ち。ま、いつかも書きましたが現在の日本人の主流である弥生型と違って、おっさんは縄文型の骨格をしている訳ですね。弥生系が北伝、縄文系が南伝だとすれば、イースター島と縄文日本は関わりがあったのだろうか?いや、無いと思うぞ。多分。
所で所謂新島モアイ、渋谷駅にもありますけど、あれは正式には「モヤイ像」と言うのだそうですね。モアイをもじってモヤイなのかと思ったら、「舫い(もやい)結び」のもやいの意味をも込めたネーミングだそうで。繋ぎ止める、一緒になるという意味なんでしょうね。そういえば子供の頃練習したなぁ、舫い結び。池から蛇が顔を出し、池のほとりの木を一周して池の中に戻って行きました…あー懐かし。

「手械・首枷:罪人型」


いや、別に「SM調教型」でも良いんですけどね。それは又別の機会に。

「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」

やっぱりこっちで行きましょうや。いや、実際石川五右衛門が手械・首枷をされてたかどうかは知りませんよ。「罪人」繋がりで。創作の世界では五右衛門は釜茹の刑の際、息子を高く持ち上げ、滾った油の中に落ちない様に護った、等と言われてますが、実際はそんな立派なものでもなかったらしいですね。処刑される時「打ち首と釜茹、どちらが良いか」と聞かれて、「釜茹なんて恐ろしい、打ち首にしてくれ」と言った後、考え直して「いや、少しでも長く生きていられるから釜茹が良い」と答え直した、なんて話もどこかで読んだ様な気もしますが。

「重き荷を負いて:徳川家康型」


「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。堪忍は無事長久の基、怒りを敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負くることを知らざば、害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

ま、これは家康本人の言葉ではないという説もある様です。

負け戦で命からがら城に逃げ込んだ時、恐怖のあまりウンコを漏らしてしまい、その時の様子を絵師に描かせ「今後私が増長する様な事があったらこの絵を見せて諫める様に」と言った、なんていうエピソード(実話かどうか存じませんが)のある家康らしい言葉じゃないですか。(そうか?)

因みに中島みゆきファンのおっさんですが、嫌い、と言うより聞きたくない曲があります。「重き荷を負いて」という、正にこの家康の言葉に題材を取った曲なんですけどね。そんな大層な物は何一つ背負わずにヘラヘラしてるおっさんとしてはこんな立派な曲はどうしても聴く気になれないのですよ。もう一つ苦手なのが「背広の下のロックンロール」でして。おっさんはそんな大層な物を内に秘めたりしてませんのでね。中身無いから。

序でに好きな曲はと言えば「蕎麦屋」と「タクシードライバー」であります。理由?「蕎麦屋」の歌い出しの歌詞そのものだからです。

「爆弾三勇士:突撃型」


爆弾三勇士ねぇ…普通そんな事考えるか?大抵の人は引越しの荷物運びか工事現場を連想すると思うぞ。

ま、意味の分からない方は「爆弾三勇士像 画像」とググって頂ければと。第一次上海事変の英雄ですな。

1931年の柳条湖事件(おっさんが子供の頃は「柳条溝」と習ったんですが、今は違うんですね。「硫黄島」の「いおうとう」「いおうじま」もそうですけど。)、1932年第一次上海事変、1937年盧溝橋事件とそれに続く第二次上海事変、そして日本は泥沼の対中戦争へと足を踏み入れてしまったのですね…

以前、おっさんより一回り位年下の方と話していて、なんの加減か覚えてませんが「木口小平」の話になりまして。

キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、
シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ。

おっさんにとっては日清戦争の英雄、戦前の日本人の一典型を成す人物なのですがね。その(おっさんより)若い方が言うには「死んでもラッパを離さなかった…?ミュージシャンですか?」

昔は軍隊では色々な合図をラッパで知らせていたんだよ、木口小平は命令や伝達事項をラッパで皆に知らせるラッパ手だったんだ、等と説明しながら、明治は遠くなりにけり、木口小平がミュージシャンかよ…等と思った次第です。

突撃の命令が下った時に吹く「突撃ラッパ」は今でも結構有名な様ですが、「正露丸」のコマーシャルのラッパのメロディーが、食事だぞ、と知らせる「食事ラッパ」な訳でして。 「ラッパのマークの大幸薬品」の「正露丸」の前身となった薬が「征露丸」で、日清戦争で生水で腹を壊したり感染症にかかる兵士が多かった為、その対策として日露戦争の時には兵士に「征露丸」が配布されたのですね。征露丸…読んで字の如し、です。

ま、今回はこの辺で。 今後、更にいろんなイタズラ標識のバージョンが出て来るでしょうから、また画像が溜まったら纏めましょうかね。   しかしパリの標識の話だったんだけど、今回の話は見事な程にパリに何の関係もありませんね。 ま、いつもの事か。