2011年4月30日土曜日

♪映画を見るなら~フランス映画さぁ~♪

古いなぁ。知ってます?この曲。文化祭バンドでやりましたよ。それも何故かキーボードで。

先日「鉄砲玉の美学」の事を書いたら、なんとなくATGについて書きたくなりまして。ATG(アート・シアター・ギルド)というのも面白い会社でしたね。最初は外国映画の配給。それも、商業的にはそれほどでもないが、芸術性の高い映画を配給してましたね。ATGでフェリーニやワイダ、ゴダールに出会ったという人も多いんじゃないでしょうか。

1960年代後半にはテレビがかなり普及して来ます。1959年の皇太子明仁親王(当時)と美智子皇太子妃殿下(当時)の結婚パレードを機にテレビの普及が進んだのだとか。序でに言うと、翌60年の浩宮徳仁親王(当時)の誕生で、この前後の生まれの人は「浩」の字を使った名前の人が多いそうですね。その好例が身内にいますし。
それはさておき、テレビが普及すれば映画業界が厳しくなって来るのは当然の理。芸術映画よりも、観客動員が期待できる娯楽作品にウェイトがかかって来ます。それでも芸術映画を作りたい監督は、独立プロを作って製作する訳ですが、ATGは芸術映画を目指すこういう監督達を支援します。大島渚なんかこの頃ATGで製作してますね。他にも寺山修二、実相寺昭雄、吉田 喜重、唐十郎、市川崑…

それでもやはり映画が売れないと会社が立ち行かなくなる訳で、80年代以降は若手監督を起用した娯楽映画が増えて行くのですね。
この頃のATG映画は東陽一「サード」「もう頬杖はつかない」、大森一樹「ヒポクラテスたち」、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」、岡本喜八「近頃なぜかチャールストン」、森田芳光「家族ゲーム」、そして新藤兼人「墨東綺譚」、いやぁ、いろんな人が撮ってますねぇ。

で、ATGの事を書いてたら、やっぱり「にっかつロマンポルノ」が浮かんで来た訳ですよ、これが。にっかつロマンポルノというのも、コンセプトそのものが面白いですね。
おっさんにとってはやっぱり日活といえば「太陽族」、なんですが。(中学生の頃の、「高校大パニック」も非常に印象に残ってますが。数学できんのが何で悪いとよ!)裕次郎デビューのきっかけも面白いですよね。スタッフとして参加してたのに役者が足りないからと駆り出され、そして国民的スターへ。他にも小林旭、長門裕之 、南田洋子 、岡田眞澄、 津川雅彦 …でもやはり60年代後半から苦しくなって行きます。
そして、日活改め「にっかつ」のロマンポルノ路線が始まる訳ですね。しかし、このにっかつロマンポルノが、今の若い女の子に結構人気があるというのも分かる様な気がします。ポルノと言ったって大したエロさじゃないですから、せいぜいちょっとエッチっぽい、という程度で、女の子でも抵抗無く見られるんでしょう。「エロかわ」程度のモンですもんね。イマドキの一般映画のちょっと過激なエロシーンの方がよっぽどすごいんじゃないでしょうか。

低予算で観客動員が見込める映画というのは後期のATGと同じコンセプトですが、このロマンポルノというのは製作の自由度が途轍もなく高い所に特徴がありました。なんせ、裸さえ出て来ればあとは何でもアリ、「団地妻」シリーズから、「大奥」シリーズをはじめとする時代物、学園もの、修道院もの、刑事もの、ソープ(当時はそう呼んでませんでしたが)もの。団鬼六先生と宇能鴻一郎先生はもう別格でしょうけれど。名作「花と蛇」はいまだにリメイクされてますしね。
とにかく10分だか15分だかごとに裸、エロシーンがあれば、あとは制作費さえあまりかけなければ、監督の自由裁量がかなり通った様ですね。そして、ロマンポルノ出身、またはロマンポルノを撮っていた中には「青春の蹉跌」の神代 辰巳、「あぶない刑事」「刑事貴族」の長谷部安春、「ミナミの帝王」の西村 昭五郎、「ダイアモンドは傷つかない」「スローなブギにしてくれ」の藤田敏八なんて人達がいた訳ですもんね。

ところで。ここまで書いておいて何ですが、おっさんはこのロマンポルノって、ちゃんと見た事は一度もありません。有名な作品は当然知ってますが。
いや、別におっさんは聖人君子じゃありません。きっちり俗物です。なんせ脳内メーカーをやったら頭の中の半分カネで半分オンナだったという筋金入りの俗物です。「あれは見るもんじゃない、やるもんだ」とはエーベルバッハ少佐の台詞ですが(「エロイカ」を知らない方、ごめんなさい)。基本ケチであるおっさんは、エロ映画になんかカネは使いません。女の子を口説くのにカネを使うのならともかく。って、そういう事も結婚してからはしてませんからね。念の為。

マズイ方向へは深入りしない事にして、と。フランス映画に目を転じると、(かなり強引な方向転換に見えるんですが。)う~ん、やっぱり「過去の栄光」的な感じは否めませんねぇ。フランスでも、やっぱり流行るのはハリウッド映画だったりする訳です。最近フランス映画で成功したのって…せいぜい「アメリー」位しか思い浮かばないんですけど、他にありましたっけ?フランス人はアメリカ文化が嫌いで云々とよく言われますけど、そうでもないですよ。

ゴダールやトリュフォーからもう50年です。大学生の頃、「勝手にしやがれ」がアメリカでリメイクされる(「ブレスレス」リチャード・ギアです)から、ベルモンド版がもう見られなくなるかも知れないというんで授業サボって見に行きました。「アメリカン・ジゴロ」のセックスシンボル・リチャード・ギアも今や「約束の犬」の教授役ですもんね。

フランス人と日本映画の事を話すと、大抵出て来るのは小津・溝口・成瀬です。まぁ世界のクロサワは別格としても。たけしとか。今の日本の若い方の中には、「オヅ?ナルセ??ミゾグチ???」という方も多いですから、まぁ、似たようなモンか。

ところで、ロマンポルノの復活に続いて、「ATGリターンズ」とは行きませんかね。

2011年4月29日金曜日

ミッシェルさんも応援してくれてます。

さて、昨日は大天使ミカエル像がパリのサン・ミッシェル・ド・バティニョル教会に復活した所まで行ったんでしたね。今日はその続きです。

ミカエルはカトリックでは天使長とされていますね。バンコランとマライヒの間に産まれたフィガロ坊やですが。「パタリロ!」を御存じない方、ごめんなさい。で、それとは別に、偽ディオニュシオスの天使学の分類に拠れば、天使には九階級有り、上級三隊が熾天使(セラフィム)、智天使(ケルビム)、座天使(スローンズ)、中級の三隊が主天使(ドミニオンズ)、力天使(ヴァーチュズ)、能天使(パワーズ)、下級三隊が権天使(プリンシパリティーズ)、大天使(アークエンジェルス)、天使(エンジェルス)となってますね。大天使って下から二番目?あれ?結構階級低い?でもこの大天使ミカエルは、大事な役目を担っているのですね。
写真はパリのサン・ミッシェル広場のミカエル像。鎧を着て、悪魔を打ち倒しています。ミカエルさんは天の軍団の司令官です。御本人も軍人さんですし、軍人さん達の守護天使です。ミルトンの「失楽園」は、どちらかというとルシファーを結構美化してるきらいがありますが、かつて神に一番近い地位にいた最高位の天使ルシファー(「光を帯びた者」という意味です)がいかに神と敵対する様になったかは、この名作を読んで頂きましょうか。で、このルシファー率いる悪魔の軍団(などと言うと「ショッカーですか?」とか言いたくなるのはおっさんがそういう世代だからです)の前に立ちはだかるのがミカエル率いる天の軍団ですね。そして彼はルシファーに向かって「ミ・カ・エル」と叫んだと伝えられますね。我こそ神の如き者、または神に似た者は誰か、という意味になるそうですが、これがこの天使の名前の由来でもある訳ですね。再び写真はモンマルトルの丘、サクレ・クール寺院の屋根の上のミカエルさん。
このミカエルさんにはもう一つ大切な役割がありまして、この方は最後の審判の審判官です。どのように最後の審判を下すかと言うと、単純明快、人の魂を秤で量って決めるのですね。そういう訳で、ミカエルさんは、秤を持った姿でも表され、従って八百屋さんでも魚屋さんでも肉屋さんでも、秤を使う商売の人の守護天使でもあります。写真はパリのノートルダム寺院正面、「最後の審判の扉」の浮き彫りの中の、「秤を持った天使」ミカエル。
最後の審判に使う位で、秤は正義や平等、真理の象徴ですね。弁護士さんとか、法律関係の事務所なんかの紋章に秤が使われるのもそういう事でしょうし、「てんびんばかりは重たい方に傾くに決まっている」訳ですね。「どちらへも傾かないなんておかしいよ」という事です。

ミカエルさんのもう一つの役割は、死者の魂を導く事ですね。黒人霊歌の「漕げよマイケル」は、死者の魂を導くミカエルを船を漕ぐ姿に見立てて(三途の川って訳じゃないでしょうが)歌った物だといわれてますね。ミカエルはフランス語でミッシェルですが、英語ならマイケルになります。これはまたギリシャ・ローマ神話のヘルメス・マーキュリーの役割でもありますね。ボッティチェルリの「春」の左端にいるのがマーキュリーで、先導役らしく彼はこの行列(?)の先頭にいます。彼の着ている服には逆さに燃える炎の模様があり、これは死の象徴です。(パリのノートルダムの正面浮き彫りにもこの逆さに燃える炎が見られます。)死の後にやってくる蘇りの春、これがボッティチェルリがこの作品で表現したかった事ですね。蘇る、復活する為には一旦死ななければならない訳で、イエス様がまさにそうでしたし、復活する為に、蘇る為に、人為的に「死」を創り出すのが「生贄」の儀式ですね。

再び写真はサン・ミッシェル・ド・バティニョル教会にあるもう一つのミカエル像です。
もう一つ。モンサンミッシェルの見学順路の最後の所にいる、これは石の彫刻の大天使ミカエル。
さて、大天使ミカエルは日本の守護天使でもありますね。フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた時にそう定めています。(後にミカエルは外されて、ザビエル自身が日本の守護聖人になったんだそうですが。)

こんな最強の天使もついててくれるんですから。大変な時ではありますけど、頑張りましょう。日本人。

2011年4月28日木曜日

復活です。

復活祭ですし。いや、自分を神様と同列に置く程に自己インフレしてる訳じゃありません。
復活祭は過ぎちゃいましたけどね。また出張で更新できなかったので、今日から復活すると。それだけの意味です。

さて25日は復活祭の祝日でしたね。以前、「復活祭」と言ったら、日本の方が、「復活祭って何ですか?」と聞いてきまして。「十字架にかかって亡くなり、人間としての生涯を終えたイエス様が神として復活した事を祝うキリスト教の行事です。といってもクリスマスが元は冬至のお祝いだった様に、復活祭も元は春を祝うお祭りだったんでしょうね。(詳しくは3月4日「主無しとて春な忘れそ」をご参照ください)キリスト教以前の春祭りの風習が、ヨーロッパのキリスト教化に伴って復活祭として取り入れられたんでしょう。」と答えましたが、「ふ~ん…?」てな反応。「オランダのヤコブ・ロッゲフェーンが1722年の復活祭の日に発見したので、復活祭の島という意味の名前がついたのがモアイで有名なイースター島ですね」と言ったら、「あ、何だ、イースターの事か」と。ふむ。ちょっと待って。それじゃ、あなたは今まで「イースター」って何のお祭りだと思ってた訳?

まぁ良いんですけどね。で、それはさて置き。
イエス様の復活、これが三位一体の教義と共にキリスト教の中核をなす思想ですね。ところで復活するのはイエス様の専売特許では無い様で、聖書にはヨナの魚の話が出て来ますね。大きな魚に飲み込まれたヨナが、魚のお腹から出て来て助かった話。これはキリスト復活の前触れとされ、また絵画や彫刻では魚その物も復活の象徴として描かれる事があるんだとか。そういえばイスラム圏の「邪視」除けの「ファトゥマの手」にも魚が描かれてたり、魚その物が魔除けになる事もあるそうですが。やっぱりキリスト教とイスラム教、結構共通点も多いですね。

さて、もう一つ、復活した話です。パリ北部、モンマルトルの丘の北西側、サン・ジャン通りにあるサン・ミッシェル・ド・バティニョル教会に金色の大天使像が復活しました。資料を見ると、この教会には、モンサンミッシェルの教会の天辺にあるのと同じ大天使像があると書かれてるのに、見に行ってみたら無かったんですね、これが。で、おかしいなと思ってたら、ある日突然、復活してました。グーグルのストリートビューにも出てませんから、恐らく何年かかけて修復でもしてたんでしょうかね。しかしグーグルがパリの街を撮影したのなんてかなり前でしょうから、大天使像は本当に長い間雲隠れしてた事になります。
(ところで、またまた脱線しますけど、グーグルマップといえば、「沖縄にバットマンの基地がある」って知ってました?いや、勿論バットマンじゃなくて米軍の施設なんですが。ヒマな方はグーグルマップで沖縄・嘉手納基地を航空写真で見てみてください。)
大天使の部分を拡大するとこんな感じ。
モンサンミッシェルとは、「モン」(山)「サン」(聖)「ミッシェル」(ミカエル)の意味で、「聖ミカエルの山」、「大天使ミカエルの山」ですから、当然大天使ミカエルを祀っている訳ですね。サン・ミッシェル・ド・バティニョル教会も、そういう訳で大天使ミカエルを祀った教会です。バティニョル地区の大天使ミカエル教会とでも訳しましょうか。で、モンサンミッシェルの金色の大天使像は、色んなサイトやブログに写真が出てますから、興味のある方は探してみてください。

序でに言えば、オルセー美術館にも大天使像がありますね。こちらは金色じゃなくてブロンズです。で、資料によるとこれはモンサンミッシェルの大天使とは少し違う、所謂ヴァリアント(バリエーション)との事。でも、いくら見ても違いがわからないんですが、どうしましょう。オルセー美術館内は撮影禁止なので、写真は撮って来られませんでした。でも、時々旅行記のブログなんかに写真が載ってる事もありますが…

さて、そんな訳で、今後フランス旅行計画があり、特にモンサンミッシェルにおいでの予定の方は、サン・ミッシェル・ド・バティニョル教会とオルセー美術館を要チェックです。
本当はもっと大天使をツッコミたかったんですが、明日に続く、という事で。

で、今回も、潜在意識が「妻の誕生日」について書く事を拒否したわけじゃないからね。
数日遅れではあるが、Joyeuse anniversaire.

2011年4月17日日曜日

本日はVOWネタ。

さて、おっさんはVOWネタも大好きです。前にも書いたけど。で、久々にVOWネタ。

「宝島」本誌上にも連載復活した様ですし、単行本も出て、VOWもすっかり一般的になりましたね。しかしまぁ、まだ「VOW」って何?という方もいる様なので、一応御紹介。
おっさんは別に「宝島」ヘビー読者だった訳じゃありませんし、増して「宝島」の前身「ワンダーランド」は読んだ事ありません。まぁ、この「ワンダーランド」にVOWというコーナーがあった訳ですね。元は情報コーナーだったのが投稿コーナーになって行きます。街で見かけた変な物、新聞や雑誌の変な記事、誤植、勘違い記事、etc。「101本」時代、連載が無くなった時期も含め、今のネット投稿の時代まで。カーツ佐藤氏や吉村智樹 氏なんか、読者から投稿者、編集者、そしてプロのもの書きになっちゃいましたもんね。VOWすげぇ。御本人もだけど。

さて。やっぱりこれから行きたいですね。
ゲボツアー。素敵なツアーじゃないですか。そういえば本家VOWに「下呂の香り」というお菓子が出てましたが。
「きのこ寿司」ねぇ。パリには300とも400ともいわれる和食屋さんがありますけど、大半は「似て非なるもの」、それどころか「似ても似つかない」日本料理が出て来る所もあります。ここもそういうニオイがしますね。
とある会社の看板。何の会社か知りませんけど。漫画にでも出て来そうです。
川魚専門店か?
シモネッタ…シモネッタ…シモネータ…シモネt…世界中のシモネッタさん、ごめんなさい。
パリ北駅にて。まぁ銃やナイフの持込み禁止はわかるけど、メリケンサックってどうよ。大体今時持ってないだろ。
そんなワケで、本日はこれまで。じゃ、またな。

2011年4月16日土曜日

良い男になるのも大変だ。

しまった。
昨日の記事を読み返してたら、新たな脱線の選択肢を得てしまった。脱線の選択肢って変な言葉ですけど。
で、昨日、音楽の喚起力と書いた時点でイメージしてたのは、例えば「エレンの歌第三番」、所謂シューベルトのアヴェ・マリアを聴いた時にイメージするものと、ワグナーの「ワルキューレ」第三幕の冒頭、「ワルキューレの騎行」を聴いて思い浮かべるものとの違い、といったものだったんですがね。まぁ、どうしても、アヴェ・マリアといえばディズニーの「ファンタジア」や、しかづきさんのアヴェ・マリアシリーズに連想が向いたり、ワルキューレと言えばすぐに「地獄の黙示録」やバイロイトの劇場建築を思い出してしまう、というのは仕方の無い事ですけど。

で、今日になって、「音楽の喚起力」から連想してしまったのは「鉄砲玉の美学」でありました。この映画は、義理・人情の立派な「侠客」、格好良い任侠物に限界を感じた中島貞夫監督が、ATG(監督の自由裁量がかなり認められていた)で、敢えて「格好悪い」チンピラを主役にして撮った作品ですね。渋いオジサマ振りからは想像もつかない、若き日の渡瀬恒彦が「美学」なんか何も無い、ただ状況に流されるチンピラを好演しとります。長い事埋もれてたこの作品も今ではアマゾンなんかにも出てますねぇ。そして中島監督は、深作欣二監督の「仁義無き戦い」と共に、東映実録ヤクザ映画時代を拓くのですね。

冒頭、いきなり流れ出す頭脳警察の名曲「ふざけるんじゃねえよ」。ヤクザ映画とロックという組み合わせも当時珍しかった事もあり、強烈な歌詞とも相俟って、一体何が始まるのかと、まず驚かされますね。まぁ、おっさんは頭脳警察が元々好きですから、(出会ったのは学生の頃…だから30年前だなぁ…)そっちに惹かれてこの映画を知ったんですけど。

そしてパンタのボーカルに被るのは、まさに「豚ども!」と言いたくなる様な飽食・飽食・飽食の映像。で、やっぱりヒネクレたおっさんは詳しくストーリーとか追いませんけど(ここではストーリーあんまり関係無いしね)、ラスト近く、銃弾を喰らった主人公の清が逃げるシーン。ここでもやっぱり「ふざけるんじゃねえよ」。そして走り続ける清の周りに流れる平凡な日常。嘗て、この平凡な日常を嫌悪し、鉄砲玉にも二つ返事で志願した清は、今、それを永久に失った事を知るのですね。冒頭で「この作品は普通じゃないぞ」と宣言し、ラストでは「どうしてこんな事になっちまったんだろう」と考えさせる。(パンタは平凡な日常を嫌悪し続けますが。)この曲を選び、こういう使い方をした中島監督のセンスもさる事ながら、やっぱり、頭脳警察の音楽が凄い!(まぁ、「従兄弟の結婚式」とか、底に流れるトーンそのものは共通ながら、かなりユーモラスに歌ってる曲なんかもありますが…)
音楽と映像の喚起力の競演というか相乗効果というか。

しかし、この「鉄砲玉の美学」などという、何か己の生き方の美学に殉じる、凄くストイックな主人公が出て来るんじゃないかと思わせる様なタイトルと、実際出てくる、冴えないヘタレ主人公のギャップは、「イージー・ライダー」を思わせますねぇ。「自由」を求め、自分のやり方を、スタイルを貫くキャプテン・アメリカは格好良いし、それはそれで大切な事ではありますけど、結局彼は社会のはみ出し者であり、麻薬に現を抜かしてるんですよね。(ピーター・フォンダは後に、「この映画で吸ってるのは本物のマリファナだ」と言ってます。)そして、そういう人物を受け入れる事のできない硬直した、殺伐とした社会。何が正しくて何が間違っているのか?
「イージー・ライダー」という言葉は「売春婦を囲っている男」と言う程の意味なんだとか。「自由」を求めた筈のキャプテン・アメリカが得た物は、瀕死の、イージーライドにも似た儚い自由の幻想でしかなかったって事でしょうか。それは彼のせいなのか?それともそれを許そうとしない社会のせい?

嘗て、これまた名曲「卒業」で、尾崎豊は「これからは何が俺を縛り付けるだろう?あと何度自分自身卒業すれば本当の自分に辿り着けるだろう?」と歌いました。そして、「この支配からの卒業」と言う歌詞に、「何にそんなに支配されていると、縛り付けられていると思うんですか?」「何からそんなに自由になりたいんですか?」と無邪気に問うて来るイマドキの若者。

はぁ。この辺で止めときましょうか。それでなくても性格が暗いのに、更に落ち込みそうだ。
で、「鉄砲玉の美学」に戻りますけど、この男、清には「鉄砲玉の美学」なんか欠片も無い。でも、男の美学はあったと思ってます。自分が死を迎えると悟った時、彼は愛した女、潤子と一緒に行こうと約束した地、雲仙に向かうバスに乗り、そこで息絶えます。男って、意外とこういう事覚えてるもんですよ。夢想家とでも、未練がましいとでも、何とでも言うが良い。

「良い男とは、妻や恋人の、誕生日は覚えているが、齢は覚えていない男である」と、これは何の台詞だったか覚えてませんが。いい男でいるのも楽じゃありませんね。
おっさんは、良い男に、なれますかね、いつの日か。
ここまで書いて、結果的には昨日の記事にシンクロしてたんじゃないかと改めて思ったおっさんでありました。「僕と妻の1778の物語」とか、「酔いが醒めたらうちへ帰ろう」とかの世界に入る事ができるのか、それとも「星守る犬」のお父さんの様に朽ち果てるのか。
「星守る犬」の登場人物は、悲惨な筈なのに、全く悲壮感を感じさせませんね。うわ、ここでまた、一面真っ黄色の向日葵畑が浮かんで来ました。一面真っ黄色の菜の花畑とも、シンクロ、してるかなぁ。

2011年4月15日金曜日

電車の運転士には絶対なれないな。

あゝ皐月 仏蘭西の野は火の色す… じゃなかった。これはもっと先だ。
菜の花のシーズンがやって参りました。別に遠くまで行かなくても、パリ近郊、例えばシャルル・ド・ゴール空港からパリに入る高速道路の脇にも一杯咲いてます。

菜の花や 月は東に 日は西に 蕪村

この句は蕪村が神戸六甲山脈の摩耶山で詠んだものだそうですね。摩耶山は菜の花の名所だったとか。海にも近く、青い海に沈む赤い夕陽、反対側から昇る白い月。一面黄色い絨毯の様な菜の花畑。更に春風の柔らかな緑色も加えましょうか。そして土の匂い、花の香り、山の空気の匂い。お日様の匂い。潮の香り。で、ここに蕪村は一人でいるのでしょうか?それとも誰かと?もし連れの人がいるとして、その人と蕪村は一体どんな気持ちでこの風景を眺めるのでしょうか?或いは一人だったら?…このたった十七文字で、どれだけのイメージが頭に浮かぶんでしょうか。豊かな句ですねぇ。
老後、子供達が巣立ってヒマができたら、古女房と二人、こんな風景の所を巡って、まったりしたいもんだ…などと考えてるのはこっちだけ、女房の方はそんなの全然興味無い、なんてのはよくある話ですなぁ。

で、以前モンサンミッシェルに行った時に、菜の花、夕陽、潮の香り、ん~、これってまさしく…等と思い、こんな写真をとる気になったんですねぇ。
「菜の花や…」
もう一つ。こちらはモンサンミッシェルからちょっと離れた Moulin de Midrey からの眺め。
「月は東に…」
ここで躓いた。高性能カメラが欲しいと切実に思った瞬間でありました。そして、鋭い人はお気づきになったかも。月の形が句の内容と合ってない。(これをはじめると国語じゃなくて、理科の話になっちゃうんで、今回はパス。)すみません、これ、同じ時に撮影した物じゃありません。

「日は西に」
海じゃなくてクエノン川に沈む夕陽?まぁ、クエノン川の先に海があるから。このクエノン川はノルマンディー地方とブルターニュ地方の境界線でもあるのですね。

月の写真がダメだったので、代わりにこんな物を買って来ました。モンサンミッシェルの近くに工房を構える職人さんの手作りの七宝焼きのペンダント。まさに「月は東に日は西に」です。
モンサンミッシェルは陸地から見れば北側にありますので、左側(西)に夕陽、右側(東)に月。

で、お土産物屋さんを物色してたらこんなのを見付けてしまい、やっぱり衝動買い。悪い癖だ。
ところで、これ、何でできてると思います?ひょっとしたら空港の金属探知機に引っ掛かるかも知れません。このペンダントとブレスレットは、釘でできているんですねぇ。それもただの釘じゃなく、蹄鉄を馬の蹄に打ち付ける為の釘です。
モンサンミッシェルがあるノルマンディー地方は、競走馬の産地でもあるのですね。そして蹄鉄は幸運のシンボルでもあります。モンサンミッシェルの中にある民家の入り口に飾られた「幸運のシンボル」蹄鉄。
チャップリンの短編映画「ボクサー」にもありましたねぇ、飛び入りボクシングで、仲間の参加者から「幸運の蹄鉄」を貰って、グローブの中に蹄鉄を入れて、まさに「鋼鉄のパンチ」で相手をノックアウトするギャグ。もう一つ、幸運のオマジナイの兎の足の話も笑いましたけど。
チャップリンの芸って基本がパントマイムですから、台詞が無くても十分楽しめますね。トーキーに移ってからの作品ですが「独裁者」の、風船の地球儀のシーンなんか、解説なんか要りませんよね、ホント。チャップリンもそうですけど、「天井桟敷の人々」のバティストとか…

こらこら、また脱線して来たんじゃないか?と言う声も聞こえて来そうですが。
十七文字の「言葉」でこれだけの世界を表現する俳句と、仕種、表情、視線の動き等で様々な「言葉」を伝えうるパントマイム。対極にあり、且つ同種の喚起力を持つ、何とも不思議な関係にある二つの芸術ですねぇ。

喚起力と言えばやっぱり音楽も見逃せない訳ですが。って、まとめようとしてるのか、また脱線しようとしてるのか、どっちだ、まったく。

2011年4月14日木曜日

昔々のお話。

結構前の事になりますが、ワインの産地として有名な、ある地方の小さな村に行った時の事。ひょんな事から村の古老と知り合い、色々と話を聞いたのでした。
昼食と夕食の間の中途半端な時間帯で、誰もいない村の居酒屋の片隅のテーブルで、老人は、時々ワインで喉を湿らせながら話し始めます。

「今は機械化だの近代化だの、石油と電気がなければ成り立たないがな、昔は皆、自分で鍬や鋤を持って畑を拓き、葡萄を植えたもんじゃよ。そりゃ、大変な重労働ではあったが、この汗の一粒々々がやがて葡萄の一粒々々になると思えばやり甲斐もあった。
収穫期には村人が総出で葡萄を摘んだ。そして幾つもの籠に一杯になった葡萄から果汁を取るのも、昔は桶に入れた葡萄を、足で踏んで搾ったのさ。この葡萄搾りは若い娘たちの仕事じゃった。そりゃそうじゃ、いかつい男達のごつい足で踏んだら、あの繊細なワインの味は出せやせん、これはどうしても、羽根の様に軽やかな娘達の、柔らかな足で優しく踏まんければならん。ほれ、そこにいるこの居酒屋の女将だって、今じゃ樽みたいな体つきをしとるが、若い頃は細っこい、結構可愛い娘じゃったよ、ハハハ。」

「さあ、いつ頃の事なのか…何百年前?昔はワインと言えば白しか無かったのじゃよ。その頃もやっぱり、いや、わしらの若い頃以上に素朴な農具しか無かったのだから、ワイン作りは当然、総ての工程を人力でやっておった。
そしてある時、収穫した葡萄を踏んで搾る娘の一人が、村の若者に恋をした。かなりいい男だったらしく、ライバルも多かったのかな、結構積極的な娘は、旅の商人に、今度町に行ったら勝負下着を買って来てくれと頼んだ。葡萄の収穫期を迎える頃、旅の商人が再び村にやって来ると、心待ちにしていた娘は、早速注文の品を受け取った。ピンクの、小さなバタフライじゃった。田舎の小さな村の事じゃ、普通はありきたりの白い下着しか手に入らなかったんだがな、娘はこの勝負下着を穿くと気分が高揚したからか、大層美しく見えたという。」

「そして、娘は早速アタックを開始した。ある日、若者が畑に出る前に駆け寄って、(今夜、村はずれの菩提樹の木の下で)と囁いた。若者も、今日はいつもと様子が違う娘に惹かれたんだろう、OKしたそうじゃ。仕事が終わってすぐに若者に逢いに行って告白する予定じゃったから、娘は当然、朝から勝負下着のまま仕事に行った。いつもの様に娘が葡萄を踏むと、なんと!その娘が踏んだ葡萄桶から取れた果汁はピンク色をしているではないか!バタフライのピンク色と、娘の桃の実の様なお尻の色が映えて、ピンクの果汁ができたのじゃ。この果汁から作ったワインもまたピンク色をしておった。世界初の、ロゼワインの誕生の瞬間じゃった。」

「目出度く思いを遂げた娘は、それからも毎日、若者との逢瀬を続けた。ロゼワインはこの村の名物になって行った。そして一年が過ぎ、再び葡萄の収穫期を迎えた頃の事じゃ。ある日、いつもの様に若者と愛し合った娘は、この日に限って、どういう訳か眠り込んでしまった。若者の方も同じく眠り込んでいた。ふと目を覚ますと朝日が昇りかけている。もう、皆が仕事場に集まり始める時間じゃ。慌てて支度をした二人は、若者は畑へ、娘は葡萄搾り場へと大急ぎで駆け付けた。いつもの様に娘が葡萄を踏むと、なんと!その娘が踏んだ葡萄桶から取れた果汁は真っ赤ではないか!大急ぎで支度をして来た娘は、何とパンツを穿き忘れておったので、ノーパンのスカートの中身を見て、果汁が照れて真っ赤になってしまったのじゃ。この果汁から作ったワインもまた真っ赤じゃった。世界初の、赤ワインの誕生の瞬間じゃった。」

「赤ワインもまた、この村の名物になって行った。今でも、この地方でワイン産業に従事する女達は皆ノーパンじゃよ。ん?あんた、半信半疑ってな顔をしとるな。嘘だと思うなら確かめてみたらどうじゃな?もうそろそろ娘達の仕事も終わる頃じゃ、ナンパでもしてみるか?まぁ、ノーパンかどうか確かめられるかは、あんたの腕次第じゃがな、ハッハッハッ」

と、老人はさも愉快そうに大笑いしたのであった。

昔読んだオリジナルの話に、結構脚色を加えてはいますがね。この話、何で読んだのだかもう覚えていませんけど、ワインで有名などこかの地方に本当にこういうジョーク(と言うか猥談?)が伝わっているのか、誰かの創作なのか存じませんが、いかにもフランス人の好きそうなお話ではありますね。はっはっはっ。

2011年4月13日水曜日

鬼が出るか蛇が出るか。と言う程アブナくはないと思うんですが。

先日、薬局について書いた時にふと思い出し、それからずっと気になってた事を確認して来ました。
かなり昔、「フランスの薬局には茸の鑑定ができる人が居て、野山で取った茸を持って行くと、これは毒キノコ、これは食べて大丈夫、と教えてくれる」という話を聞いた事があって、普通に納得してたんですが。実際そうなのか?
結論から言うと、「否」です。パリの何軒かの薬局に聞いてみた所、「昔はそういうのもあったけど、今はあんまり…。古くからの係員が居る薬局なら多分…。パリとか大都市ではあまり無いけど、茸が採れる様な野原や森がある地方の薬局なら…」という回答で、「今はそういうのもインターネットのサイトで見られるから、あまり必要なくなって来た」との事でした。結構寂しい話ではありますね。

で、この薬局のネオンサインは恐らくはパリで一番派手なネオンじゃないかと思う訳です。と言うか、他に余り派手なネオンがありませんから、薬局が目立つんでしょうね。まぁ、この辺が一般的な所でしょうか。
最新式だと、こんなのもありまして、日付、気温、時間等が交互に表示されるタイプ。
ところで、こんな図柄もあるんですが。これも又、薬局のマークの定番ですねぇ、「ヒュギエイアの杯」。
こんな風にイラストになってる所も有りますよ。鏡になったショーウィンドウに描いてあるので、後ろの建物が映って見づらいですが。

これは結構珍しい。ピンクと黄緑。
この「ヒュギエイアの杯」も、緑十字と並んで薬局のシンボルですね。ギリシャ神話の医学の神様「アスクレピオス」の娘の一人が「ヒュギエイア」ですね。アスクレピオスはまた一時星占いで流行った「蛇使い座」の主でもあります。医者の祖先、ヒポクラテスもこのアスクレピオスの子孫と言われます。蛇は脱皮を繰り返す所から長命、再生のシンボルとされました。この蛇が絡みついた杯が「ヒュギエイアの杯」ですね。ヒュギエイアは薬学のシンボルでもあります。
アスクレピオスのもう一人の娘、パナケイアは治癒を司る女神ですね。ヒュギエイアは衛生の女神。英語のHygiene(衛生)の語源はこの女神様です。

アスクレピオスの杖にも又、蛇が絡み付いてますね。アスクレピオスの杖は、WHOのシンボルマークにもなってます。
日本でも白蛇が神の使いとして崇められる地方があるとか。ブラックジャックにもありましたねぇ、全身蛇の鱗のようになってしまう奇病を持った巫女さんを救う話。
元々蛇は知恵者と言われてもいました。だからこそ神様の使いにもなれるんでしょうね。

ところで。うちの家族にも蛇さんが居るんですけど。72年違いの蛇さんが。大蛇さんも、子蛇さんも、頑張って下さいよ。
ん?そう言えば鬼…というか…時々ツノが出る人も約一名、居た様な…気も…したりしなかったり。

2011年4月12日火曜日

良い方にまわるな、良い方に。

このタイトルのネタが判った方は「パタリロ!」ファンでしょう、きっと。

えー、今日の昼食は、馴染みのアラブ人さんの店のチキンサンドイッチでした。前回のケバブやメルゲーズと造りは同じですけど、中身がチキン。サンドイッチの形式は決まっていて、あとは具とソースを選ぶだけ。おっさんは普段はアリサ(真っ赤な唐辛子ソース)を選ぶ事が多いですが、最近は割とケチャップ&マスタードも好きです。サムライソースなんてのもあって、一見サウザンド・アイランド・ドレッシングみたいに見えるけど、でもピリ辛のソースです。中にはケチャップ&マヨネーズなんて謎のミックスをしてる人も居ますが。
相変わらずフライドポテト大盛りですねぇ。マックに行ってもそうですけど、日本だったら例のボール紙の入れ物に小ぢんまり入れますけど、こっちのマックは入れ物からポテトが溢れてます。

で、チキンサンドを食べながらチキンについて思いを巡らせてた訳です、はい。
フランスってチキンの国なんですよね。いや、フランスは鶏肉の生産量や消費量が多いとか、フランス人がチキン(臆病者)だという意味ではありません。鶏はフランスの象徴なんです。ざっと思いつく所だけでも、例えばフランスサッカー連盟のロゴ。
大きな鶏のイラストが目立ちますけど、左上の方、わかりますか?フランスを表す六角形(フランスは国土が六角形をしているというので、ヘキサゴン=六角形とも呼ばれます。そういえばありましたねぇ、そんなクイズ番組。)の中にも居ますよ、もう一羽。

フランス人の御先祖様、ガリア人。紀元前500年頃、西ヨーロッパにケルト人が入って来ます。当時既に鉄の武器を持ち、乗馬が得意で勇猛な性格のケルト人は西ヨーロッパに浸透し、先住民族と混血してガリア地方、ガリア民族を形成します。そして紀元前52年、シーザー率いるローマ軍に破れ、ガリアはローマの属領になりました。更にこのガリア・ローマの地に四世紀頃にゲルマン民族が大移動して来る訳ですね。ゲルマン民族大移動で建国されたのがフランク王国、これが現在のフランス・ドイツ・北イタリアの素です。
御先祖様ガリア人を主人公にしたフランスの国民的漫画、アステリックス。主人公は羽の飾りの鉄兜を被ってます。
「ガリアの煙草」ゴロワーズ。これも羽の生えた鉄兜。かなりいがらっぽい煙草ですけど。
何で鶏かというと、勇猛なガリア人達は、闘鶏の勇敢な鶏を自分達のシンボルとしていたからで、ガリア人の勇猛さはローマ人達も認める所でした。(シーザーは勇猛果敢さだけでなく、ガリア人の優れた技術も高く評価していました。じゃあそんなに技術水準も高く、勇猛なガリア人が何故シーザーに敗れたか?シーザーが優れた指揮官だったという事、そしてガリア人は部族間の結びつきが弱くて統制がとれてなかったからだそうですが。)そこで、ローマ人たちはこの「ガリア人の勇猛さ」にあやかり、自分達の闘鶏の鶏を、雄ならガルス、雌ならガリナと呼びました。このガルスという言葉、現在でも鶏の学名ですね。学名ってのはラテン語ですからね。だからフランスは、シンボルマークやロゴがあっちこっち鶏だらけな訳です。

フランス語で鶏の鳴き声は「ココリコ」または「コクェリコ」ですね。イタリアでは「ココリコ」英語で「クック・ア・ドゥードゥルドゥー」ドイツでは「キケリキー」。因みにお笑いコンビの「ココリコ」さんの名前の由来は「coq au rico」という喫茶店の名前だそうですね。この「coq au rico」という言葉は色々調べてみても意味がわかりません。鶏の鳴き声はフランス語では大抵COCORICOと表記するんですが。鶏の鳴き声の別の表記の仕方なのか、何か別の言葉なのか。どうなんでしょう。
序に言うと、おっさんとしては、鶏の鳴き声の表現で一番好きなのは「東天紅」ですねぇ。まぁ、観賞用の(というか天然記念物でもある長鳴鶏の)東天紅鶏に限らず、江戸時代位には鶏の鳴き声を一般に「東天紅」と表現してた様です。東の天が紅い、とは夜明けを告げる鶏の鳴き声としてはぴったりじゃないですか。

おっさんは高校位まで、神奈川県で育ちました。神奈川というと「横浜ですか?」とか聞かれることも多いですが、いえいえ、そんな都会じゃなく、どっちかといえば、「喜劇 駅前団地」みたいな所でした。思えばあの森繁、伴淳、フランキーのおっさんトリオの映画「駅前シリーズ」も40~50年前の話なんですねぇ。子供の頃、母に連れられて東京の祖父の家へ行った帰り、遅くなってしまって、家の近くの駅まで行く電車はもう終了、二つか三つ手前の駅からタクシーに乗るしか無い。で、その急行停車駅を一歩出たとたん、周りには何もない、そして灯り一つ見えない空間が広がってたのを覚えてます。(今は立派な町になってますよ、勿論。あくまでおっさんが子供の頃の話です)で、その辺りは養鶏でも有名な地方だったんですね。子供の頃、自転車で遊びに行ける範囲ですからたかが知れてる筈ですが、結構周りに養鶏場がありました。臭いは凄かったですが、鳴き声の方はあまり印象にありませんね。まぁ、養鶏場ですから雌鶏が主だったんでしょうし、雄鶏がいたとしても、雄鶏が夜明けを告げる声を上げる様な時間まで遊び歩いてる不良じゃ無かったって事ですよ。

2011年4月11日月曜日

探してみてください。

さて、本日はおフランス語について。

日本人にとって一番身近な外国語はやっぱり英語でしょうかね。中学・高校・大学も一般教養の間は英語の授業があるし。流暢には話せなくても、聞いた事のある単語が出て来て、それを糸口に何となく何を言ってるか想像がつくとか、単語を並べただけでも何とか意味が通じた、とかいう事も結構ありますよね。先日あるホテルのフロントで、(オートロックのホテルです)結構年配の日本人女性でしたが、「ミー・ヒア。キー・イン・ザ・ルーム」と言って、部屋の鍵を閉じ込んでしまった事を係員に見事に伝えていました。そう、それで良いんですね。英文法の授業を思い出して「キーを部屋に閉じ込んでしまいました。すみませんが、新しいカードキーを作って頂けませんか」という文章を英訳して、発音に気をつけながら読み上げる必要はどこにもありませんねぇ。

で、話が逸れましたが。先日のカフェ・オ・レや、意味の勘違いはあるにせよランデブーとかパトロンとか、フランス語も日本語の中に結構入ってますよね。今日はそんな話です。

ファッション用語等にフランス語が多いのはまぁ分かり易い所でしょう。フランス語を学び始めた頃、プレ=準備OK、ポルテ=着る、プレタポルテ Pret a Porter=Ready to Wear、既製服を意味するフランス語だったのかと「発見」した覚えがあります。「吊るし」なんて言うと身も蓋も無いですが。プレタポルテと来れば、当然オートクチュールも出て来ますが。オート(単純に「高い」という意味もありますが、ここでは品質が「高い」、または高価、高級の意味です。)クチュール(縫い物)haute couture=高級仕立て服ですよね。「高い縫い物」かぁ。

ブルゾンなんて今やファッション用語にも数えない位に日本語になってます。英語のジャンパーと同じ物ですが、日本ではブルゾンはファッション、ジャンパーは作業着と分類されている様ですね。おしゃれな革ジャンを着た人に「素敵なジャンパーですね」、なんて言ったら怒られちゃいます。清水義範さんが、「ある人から、ジャンパーじゃない、ブルゾンだ!と怒られてしまった。だったらお前ら、革ジャンじゃなくて革ブルと言え!」とか書いてましたが。

料理の世界にも多いですねぇ。メニューに「ナニナニのナントカ風」なんて書いてあっても何の事かさっぱりわからない事も多いですが。日本でシェフと言えば厨房のチーフchef de cuisine=料理長を意味しますね。でも、フランス語の元の意味は厨房に限らずチーフの事。(ウルフ・チーフ?古いだろ。意味違うし。)家族のシェフchef de famille=世帯主、企業の部門のシェフchef de ~(その部門名)=責任者、オーケストラのシェフchef d'orchestre=指揮者、芸術作品のシェフchef d'oeuvre=名作。また話が逸れますけど、このシェフという言葉は日本語で言う「旦那!」というニュアンスの呼び掛けにも使われます。ちょっと、旦那旦那!って呼び込みみたいですけど。

呼び込みされた訳じゃありませんが、銀座のバーで、「ぷーる・ぶー」と言う店がありました。お~、フランス語だ、と看板を見上げた覚えがあります。フランス語で書けば pour vous、英語にすれば for you の意味ですね。ま、おっさんは銀座のバーを梯子する様なご身分じゃありませんが。で、そんな話をしたら日本の女の子が「えー、フランス語で「あなた」の事を「ブー」って言うのぉ?じゃあ今度、あいつ(共通の知り合いで、所謂メタボ体型の人です)にブー、ブーって連発してやろう。で、いや、ブーってフランス語で「あなた」の意味です、ってトボケてやるんだぁ~」と喜んでましたが。いいのかよ、それ。

唐突ですがクーデターもフランス語ですね。Coup d’Etat、国家の一撃。反乱を起こして権力を握る事ですね。カエサル暗殺なんか、歴史上有名なクーデターの一つです。失敗したけど。名台詞「ブルータス、お前もか!」はシェイクスピアの創作で、本人は言ってない様です。日本最古のクーデターは645年の大化の改新だそうで。中大兄皇子に襲撃された蘇我入鹿はさて、何と叫んだのでしょうかね。昔、小学館の「小学六年生」の漫画で、中大兄皇子が「入鹿は居るか!」と叫びながら入鹿の所に乱入するシーンがありましたが。

シャンソン。日本でシャンソンと言えば所謂フランスのシャンソンの事ですね。お~シャンゼリゼ~とか。因みに言うと、日本語では只の「おお」と歌われてますが、「おおシャンゼリゼ」の「おお」は、本来は「aux」、シャンゼリゼ「で」またはシャンゼリゼ「では」という場所を表す言葉です。で、フランス語でシャンソンは単に「歌」という意味です。この点はイタリア語のカンツォーネも同じ、ベルカント唱法で歌うイタリア歌曲に限る訳ではありません。例えば鼻歌を歌っている時にフランス人から「それ何の曲?」と聞かれて、あぁ、これは日本に古くから伝わる「シャンソン」だよ、なんていう会話も成立する訳ですね。

ところで、「目の健康」と聞いて何の事だかすぐ気付く人は多くないのでは?目薬の名前です。まんまですね。フランス語で健康をサンテといいます。英語のofに当たるフランス語はde、目の事を単数形でウイユ、複数形でウーと言います。全部合わせると?そう、サンテ・ド・ウー。ご存知でしょう?ただしこれは文法的には間違いで、フランス語のdeは複数形の場合(目は二つありますし)desになりますので、正確にはサンテ・デ・ズューになる筈です。

う~ん、また勘違い大会になって来た気もするぞ…?
でもまぁフランス語を勉強中の方なんか、こんな感じで、身近に潜んでるフランス語を探してみたら、結構楽しくお勉強できるんじゃないでしょうか。

2011年4月10日日曜日

オペラ座地区の有名ホテル二連発。

さぁ今日はパリの二つのホテルをご紹介しましょうかね。別に宣伝料貰ってる訳じゃありませんけど。
フランス第二帝政時代に建てられた二つのホテルが、オペラ座のすぐ隣のスクリブ通りを挟んで建っています。

で、ここでちょっと待った。第二帝政ですね。という事は「第一」帝政もあった訳で、これは当然ナポレオンが皇帝であった期間です。
フランスの政治形態は、大雑把に言えば(といっても長いけど)
1789年 フランス革命。ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑されましたね。1791年、ルイ16世は憲法を認めるサインをし、フランス最後の絶対君主、そしてフランス最初の立憲君主となりました。その後1792年には王権の停止、1793年の処刑となる訳です。
「国王」というものが無くなり、フランスは第一共和制へと移行します。ここで初めてフランスは「共和国」となったのですね。王政を倒した共和派も一枚岩ではなく、内部にいろいろ対立を含んでいました。空中分解寸前だったフランスに現れた強力なリーダーがナポレオンです。混乱の時代には民衆は強いヒーローを求めるのですね。(良いか悪いかは別として。)
このナポレオン時代(1804-1814)が第一帝政ですが、共和制下の混乱を収め、国民銀行設立やナポレオン法典の制定(日本の民法にも受け継がれています)等、国内政治では評価は高いですけど、ヨーロッパ中を荒らしまわった侵略者という見方も根強くありますね。このナポレオン戦争の戦後処理のウィーン会議を舞台にしたオペレッタが名作「会議は踊る」。美しい映画でしたねぇ。
ナポレオンが失脚すると、一時的に王政が復活します。反動ですね。その後、復活ナポレオンの百日天下を挟んで第二復古王政。
1830年には王政に対する不満が爆発、七月革命が起こり、議会によって新国王に指名されたルイ・フィリップの「七月王政」、「株屋の王」とまでいわれたブルジョワ偏重政策は1848年まで続きます。
この七月王政が倒されたのが1848年二月革命です。民衆が諸権利を求めて蜂起し、やがてこの動きはヨーロッパ中に飛び火して、「ウィーン体制」(ヨーロッパ各国が結託してフランス革命以前の状態を基準とし、民主化勢力を抑圧していた)を揺るがす事になります。この「ウィーン体制」はクリミア戦争(そう、あのナイチンゲールの)で崩壊しますね。
二月革命で始まった第二共和制下、大統領となったのがナポレオンの甥、ルイ・ナポレオンですね。共和国政府への不満や、社会の安定を求める民衆は、またもや強力なヒーロー・リーダーを求め、ルイ・ナポレオンはクーデターで政権を取り、国民投票でも認められ、1852年、皇帝ナポレオン三世となりました。やっと出て来ましたね、第二帝政。取りあえずここまでにしときましょう。

で、このナポレオン三世皇帝時代にパリの大改造をしたのが当時のセーヌ県知事、オスマン男爵でした。それまでの、無計画に発展した、裏路地ばっかりのゴチャゴチャしたパリの街に大通りを通し、建物の高さも制限を設けて均一にした現在のパリの街の基礎はここで作られたのですね。

この時代には現在のオペラ座も建てられましたが、これを含むオペラ地区の大再開発計画も行われました。ル・グランドホテルとホテル・スクリブは何れもこの時代の建築ですね。

まずは「ル・グランドホテル」。
1867年の万博に向けて、当時としては驚くべき800室、70の浴室を持っていたこの超高級ホテルは、内装にも当時の一流の画家彫刻家が起用され、ダイニングルームや巨大なレセプションホールが造られ、中庭は素晴らしいガラス屋根で覆われました。内部に電報局や煙草屋も設置され、1862年7月14日、ナポレオン三世皇妃ウジェニーと、銀行家ペレールによってオープン式が行われました。当時はスクリブ通り、オベール通り、カプシーヌ大通りにそれぞれ入り口がありました。オープンするとすぐに大評判となり、1867年のパリのガイドブックには、「アメリカ人観光客の一番の散策スポットはカプシーヌ大通りだ。彼らは皆ニューヨークからグランドホテルにやって来る」とあるそうです。またこのホテルは「(全込み)フル料金」制を提供した初めてのホテルであり、様々なサービスを受けながら宿泊客の予算も尊重されたのでした。充実した近代的なサービスを受けた宿泊客は、容易に「う~ん、もうちょっと滞在しようかな」なんていう気になったものです。 と、お馴染み、パリの歴史を記した「ペール・スターク」には書いてありますけど。何故かあの有名な「オペラの間」の事とかは書いてませんね。まぁ観光ガイドじゃないからしょうがないか。

そしてスクリブ通りを挟んではす向かいの「ホテル・スクリブ」。
1861年のオペラ地区再開発計画に含まれるホテル・スクリブは、1863年からは、1833年創立の、フランス競馬振興会「ジョッキー・クラブ」が置かれ、(ここで一言。この頃の競馬は上流階級の優雅な遊びです。)二階(フランス式では一階)の豪華なサロンが五十年間使われていました。地上階は「グランド・カフェ」で、金色の室内装飾、赤いソファ、12台を下らないビリヤードテーブル、そして数々の個室が社交界の人々を迎えました。地下には「インド風サロン」がありました。1895年12月28日、リュミエール兄弟は「リヨンのリュミエール工場からのお出かけ(?だと思います。この言葉の意味からすると工場からの出荷を意味してもおかしくはありませんが。)」を含む、世界初の10本の映画をこのサロンで上映しました。「この機械が一般に行き渡れば、そして、誰もが、それぞれの親愛なるものを静止した写真だけでなく、その動き、行動、一つ一つの仕種、そして唇の動きに見出される被写体が発する言葉を、記録に収める事ができる様になったら、最早「死」は絶対的な物ではなくなるだろう」(と、誰が言ったのかはここには記されてません。意外と抜けてるんですよね。ペール・スターク。)また1896年1月13日、レントゲン博士はここでエックス線の実験を公開しました。

初のエックス線公開実験ねぇ。そうでしたか。個人的にはやっぱり、ここが映画発祥の地かぁ、という思いが強いですが。
当時は当然無声映画ですね。チャップリンは無声映画時代の人で、当時段々と主流になりつつあったトーキー映画に最後まで抵抗してました。チャップリンが初めて撮ったトーキー映画の中では、彼は声だけは披露してますけど意味のある台詞は言いませんでしたよね。タモリのハナモゲラ語?みたいな。個人的には藤村有弘さんの「国籍不明語」も大好きです。齢がばれるな。とっくにばれてるか。
日本では「活動写真」なんて呼びましたね。徳川夢声さんとか、弁士さんたちの独特の口調の語りを聞きながらの砂嵐の白黒画面。(ってホントは何歳だ?)因みに今も使われている「彼氏」という言葉を発明したのは夢声さんだそうですね。

無声の活動写真からトーキー映画へと時代が移って行く中、活動弁士さん達は舞台とかラジオ、そしてテレビへと活動の場を移して行く訳ですが、その一つが「漫談」ですね。今ならきみまろさんですか。おっさんにとっては「漫談」と言えばウクレレ漫談で一世を風靡したあの牧伸二さんですねぇ。「やんなっちゃた節」は今でも歌われてますしね。(そうか?)子供の頃、「○○テレビ寄席」とか、おじいちゃんに抱っこされて見てました。「いろいろあらぁな」の東京ぼん太さんとか。ゼンジー北京師も、ケーシー高峰さんも、トニー谷さんも出てましたね。早野凡平さんの「ホンジャマー、エー、ナポレオン」もそうでした。

脱線した話を強引にフランスに戻そうとしてないか?ま、いっか。
お後が宜しい様で。

2011年4月9日土曜日

公衆トイレとローマ皇帝の関係について。

日本には無いけれど、フランスにはあるもの。町のゴミ箱。日本に帰った時なんか、本当に不便に思います。日本の街中にはホントにゴミ箱がないですねぇ。みんなごみは持ち帰ってるんですよね。パリの街中には、到る所にゴミ箱があります。まだ日本みたいに分別は進んでませんので、ゴミの種類など御構い無しです。最近やっと分別用の黄色いビニール袋のゴミ箱が出て来ましたが。

日本にはあるけれど、フランスには無い物。公共の時計と公衆トイレ。
パリの街を歩いていて、あ、そういえば時計を忘れた、とか、いつも携帯で時間を見てたのに携帯の充電が切れた、なんていう場合。時間を確かめるのが一苦労ですね。日本なら街灯の支柱みたいなのに取り付けた時計とか、時計台っぽいもの、お店を覗けば大抵時計があるし、こんな不自由は無いんですがね。パリの街で公共の時計があるといえば大きなターミナル駅の大時計とか、(オルセー美術館も元は駅だった建物を改装しているので大時計があります)薬局のネオンとか。パリの街には派手なネオンサインが少ないせいか、緑の十字の薬局のネオンが非常に目立ちます。中には、ネオンサインの中に日付、現在時刻、気温が交互に表示される物があります。その位でしょうか。

公衆トイレ。これもまた苦労します。パリの街でトイレに行きたくなったら、やっぱりカフェでコーヒーを一杯。カウンターで立ち飲みなら1ユーロから1.30ユーロ位ですかね。そう言うと、日本の方の中には「えー、トイレに行くのにわざわざコーヒー飲むの?」なんて聞いて来る方も居ますけど、日本でだってトイレに行きたいから喫茶店に入ったとか、トイレを使う為にコンビニで何か買ったとかあるでしょうにねぇ。

カフェに入って、注文もそこそこにトイレに駆け込むと、便器はあるけど便座が無い、なんて事もよくあります。どうやって使うんでしょうかね。中腰?空気イス状態?フランス人は日本人より脚力が優れているんでしょうか。相撲関係の方から、外国人力士は膝が弱いと聞いた事がありますが。
カフェのトイレでもう一つよくあるのがトルコ式。使い方は和式と一緒です。しゃがんでする訳ですが。和式は便器を跨いで使いますが、トルコ式はこの、何と言うか足を乗せる台?足場?というか飛び石みたいな奴に足を乗せてしゃがみます。
気を付けなければいけないのは流す時ですね。水を流す紐を引っ張ると(こういう事自体日本では見なくなりましたよね)、結構な勢いで水が出て、便器に跳ね返って、そこに立っている人を直撃する事がよくあります。うっかりしゃがんだまま流したりしようものなら…あんまり想像したくありませんけど。皆様、もし海外旅行中にトルコ式トイレに出くわしたら注意しましょう。とあるカフェのトイレには、「跳ね返った水がかかることがあるのでご注意ください」という貼紙があったのですが、「かかることがある」を「必ずかかる」に書き換えた落書きがしてありました。

近代的なトイレもちゃんとありますよ。近代的過ぎて(?)笑ったのはとある空港のトイレ。パリ市内の某ホテルにも同じのがありましたが、このトイレの個室内にはセンサーがついていて、自動で水が流れます。用を足して立ち上がると自動的にジャーッという訳ですが、これが曲者。センサーの設定が悪いのか、もともと設計に問題があるのか、個室に入る為にドアを開けると(内側に開きます)ジャーッ。体を個室内に滑り込ませるとジャーッ。ドアを閉めるとジャーッ。座るとジャーッ。使用の最中でも、少しでも体を動かして角度が変わるとその度にジャーッ、ジャーッ。そしてやっと本来のタイミング、立ち上がるとジャーッ。ドアを開ける時、個室から出る時、ドアを閉める時、一度の使用で一体何回流れたんでしょうか。文明の利器を使って水資源の無駄遣い。行き当たりばったりは得意ですからね、フランス人。

さて、パリの街には公衆トイレが無い訳じゃありませんけど、決して多くは無いのですね。以前は有料だったのが、最近やっと無料化されてきたこんなトイレ。
これも大抵「便座が無い」タイプですが、もう一つの特徴。このトイレは使ったあと、流すスイッチがありません。どうするかというと、そのまま外に出て、ドアが閉まると水が流れ、更にあちこちから水が噴出してトイレ内全部を洗浄します。衛生的ではあるんでしょうが…何人もの人が並んでいても、一人が用を足し、出てきてドアを閉め、洗浄し、OKサインが出たら次の人が入り…と、かなり時間がかかります。それを知らずに、前の人が出て来たのと入れ替わりにトイレに飛び込んでしまい、ずぶ濡れになって出て来た人もいたとか、いないとか。

さて、そんな近代的(?)なトイレがパリの街にも増えつつありますが、パリ最古の公衆トイレというのをご存知ですか?こんなの。
後ろの石の壁はサンテ刑務所ですね。パリ南部、アラゴ大通りにあるパリ最古のトイレ。見てわかる通り、男性の、しかも「小」専用です。1834年からあちこちに設置されたこのトイレは、最初、設置を決定したセーヌ県知事クロード・フィリベール・ド・ランビュトーの名をとって「ランビュトー柱」と呼ばれたそうです。マルセル・プルーストも、超大作(本当に偏執狂的な大作ですが)「失われた時を求めて」の第七編「見出された時」の中で、この公衆トイレの事を、「ランビュトーは幼少の頃から水のせせらぎを聞いて育ったんだろう」なんて書いてるそうですが。写真は現在唯一残っている当時のトイレ。今もタクシーの運転手さんなんかがササッと用を足しては走り去って行きます。

ランビュトー知事としては自分の名前が公衆トイレを意味する言葉として残るのが嫌だったんでしょうか、この名は使われなくなりました。ヨーロッパでは一般に、公衆トイレの事をVespasiennes,ウェスパシアヌスのトイレと呼びます。西暦74年、ローマ帝国のウェスパシアヌス皇帝は内乱の後、復興の為の資金稼ぎにローマ市内に公衆トイレを設置しました。ただしこれは使用者から料金を取るのではなく、集めたオシッコを売って利益を出したのでした。肥料にでもしたのかな?いえ、当時は羊毛の脂分を洗い落とすのに人の尿を使ったので、羊毛業者さんに売っていたのですね。

かくしてウェスパシアヌス帝は、トイレの代名詞として自分の名を歴史に残したのでした。
そういえば、吉田茂さんでしたかね、イギリスで、どこかの大使館だかのパーティー会場に向かう途中、猛烈な尿意に襲われ、会場に着くと同時に案内係に「トイレはどこだぁ~!」と叫んだそうです。ところが、このパーティーのルールとして、到着したゲストは案内係に名前を告げ、案内係は「○○様ご到着ぅー!」と大声で告げる事になっていたのですね。そして、この案内係は忠実に(というか一部のイギリス人にありがちな慇懃無礼さとでも申しましょうか)職務を遂行し、「便所様ご到着ぅー!」とやったとか。

「便所さん」になってしまった吉田さんは、後に「あんなに恥ずかしい思いをした事はない」と語ったそうですが(当たり前だ)、公衆トイレに名を残したウェスパシアヌス帝の方は、政敵から「便所で儲けるなんて」とイヤミを言われても、「その金の臭いを嗅いでみろ、臭うか?」と涼しい顔だったとか。

2011年4月8日金曜日

餡かけ 下膨れ

うんうん。大根のそぼろ餡かけ、餡かけチャーハン、良いですねぇ。そんなに餡かけばっかり食べていたら太って下膨れになってしまったと。いや、そういう話じゃないから。

お店に入る時に、フランスの人は必ず店員さんにボンジュール(こんにちは)を言いますよね。日本の方はあまりそういう習慣はないので、お店に入って、すぐに商品の陳列棚に向かう訳ですが、店員さんはそれを不思議な物を見る様な目つきで見てたり、中には「フランスではボンジュールと言うんだ!」とか怒り出す店員さんもいます。映画館や地下鉄の切符売り場も、日本の方はいきなり「大人一枚」。フランス人はやっぱりボンジュールから入ります。

挨拶の言葉、ボンジュール=こんにちは(フランス語には「おはよう」と「こんにちは」の区別はないので、朝でもボンジュールです。) ボンソワール=こんばんは 位、窓口の係員さんや店員さんにかけてあげましょう。とっさに言葉が出て来なかったらハ~イ!でもハロー!でも良いんですから。
でもまぁ挨拶に限らず、片言でもフランス語を使ってあげるとフランス人も喜びます。ガイドブック等にも色々語呂合わせが載ってますね。メルシー(有難う)を「飯」、シルブプレ(お願いします)を「新聞くれ」とか「下膨れ」とか。ある団体ツアーの添乗員さんが、お客さんに説明して曰く、喫茶店でコーヒーを注文する時は「餡かけ」(アンカフェ=コーヒー一杯)「下膨れ」(シルブプレ=お願いします)。「餡かけ 下膨れ」これで充分通じます、と。ホントかな。今度試してみよう。

逆も又真なりで、外国人が日本語を覚える為の語呂合わせというのもやっぱりある訳です。有名なのが「ありがとう」をアリゲイタ(鰐)、どういたしましてをDon’t touch my mustache(私の髭に触るな)、というやつですね。そう覚えていたら、いざ使う時に間違えてアリゲイタのつもりがクロコダイルと言ってしまった、なんてオチもありますが。
パリのカフェで「餡かけ」と言う筈が間違って「甘酢」と言ってしまったとか、無いよなぁ。

ところでフランスのカフェで例の「餡かけ 下膨れ」をやると、出て来るのはエスプレッソでして、日本で言う様なブレンドコーヒー、アメリカンコーヒーというのはまずありませんので念の為。まぁ、トルコやギリシャの様な、コーヒー粉が下に沈殿してて上澄みを飲む様なコーヒーとか、イタリアの、エスプレッソカップの半分位しかない濃~いコーヒー程ではないにしろ、日頃アメリカンコーヒー専門でエスプレッソは苦手、という方にはちょっときついかも知れません。
薄めのがよろしければとりあえず、「アン カフェ アロンジェ シルブプレ」と言ってみてください。一杯分のコーヒー粉と二杯分のお湯でたてた、半分の濃さのコーヒーが出て来る筈です。中には、エスプレッソと、ミルクピッチャーに入ったお湯が出て来て、自分で薄めて飲め、なんていう店もありますが。「カフェ ロン」という言い方もあります。ロンは英語のロングと同じ、長いという意味ですが、こう言うと、アロンジェ程ではありませんが、多めのお湯でたてたコーヒーが出て来ます。
逆にイタリアンコーヒーで気取りたい時には「アン セレ シルブプレ」と言ってみましょう。セレとはぎゅっと詰まった、という意味ですので、イタリアの様な濃いコーヒーが出て来ます。

日本とフランスの喫茶店・カフェの違いといえばもう一つ。日本の喫茶店はコーヒーを注文すればミルクは自動的について来ます。「ご自由にお取りください」の棚にミルクが置いてある店も多いですね。フランスでコーヒーを注文すると自動的にブラックです。砂糖はついて来るか、立ち飲みならバーカウンターに置いてありますが、ミルクはありません。ミルクが入ってるのがよろしければ、昨日も書きましたけど「カフェ・オ・レ」と注文してください。コーヒーを注文した後に、改めて「ミルクをください」というとボーイさんが「えっ?」という様な、変な顔をする事が多いです。ミルクが入ってた方が良いんだけど、あの大きなカップじゃ多過ぎる、という方は「ノワゼット」ですね。ミルクを加えたエスプレッソです。まぁ、普通のコーヒーより幾らか高いですけど、カフェ・オ・レは普通のエスプレッソの二倍位の値段ですからね。ノワゼットとはハシバミの実の事で、少しミルクを注いだエスプレッソの色が、ドングリみたいなハシバミの実の茶色に似ている所からそういうんだとか。そういえば、タヒチだかどこだか、フランス海外圏出身の人達の、濃い目の肌の色を「カフェ・オ・レ」と形容する言い方もあるそうですね。

さらにもう一つの違い。フランスのカフェはカウンターで立ち飲みと席に座って飲むので値段が倍違いますのでこれも覚えて置いて下さい。座って飲むと高級喫茶店価格、立ち飲みならドトール価格といった所でしょうか。トイレに行きたくなったけど、公衆トイレはあまり無いパリの町の事、カフェにでも入ってトイレを使おうか、なんていう時はカウンターで立ち飲みで充分ですね。
更に、地方やお店にも依りますが、室内の席よりテラス席の方が高い事も結構ありますね。特に地方に行くと、パリ式の、立ち飲みか席に着くかの価格差とはまた違って、カウンターでも席でも値段は同じだけど、テラス席だと高い、なんていう店があったりします。パリではあまりない様ですが…まぁ、田舎に行けば、町の広場を見渡せる店の前にテーブルと椅子を並べたテラス席でお茶、なんてのも良いですし、それで若干値段が高くなるとしてもこのノンビリした雰囲気を味わえるならいいか、という気にもなります。パリでは…テラス席といっても交通量の多い道路脇の舗道にテーブルと椅子を並べただけというのが多いですから、これが高かったらちょっとねぇ。

コーヒーと言えば…ヘドバとダビデの名曲「ナオミの夢」は、元はコーヒーのCMソングだったんだそうですね。「何だい、藪から棒に」「いーえ、壁から釘です」…このネタが通じる方は、落語ファンか「パタリロ!」ファンでしょう、きっと。魔夜峰央さんは落語ファンだそうですね。落語からネタをとった話は「パタリロ!」にかなりたくさん出て来ますしね。
大体ヘドバとダビデねぇ。「ナオミの夢」は1970年の発表です。まぁ、藤原紀香のTVドラマの主題歌で覚えてる方もいるかも知れませんが…あれだって1999年ですし。まったくね。「以前」という言葉の意味する所が20~30~40年前の事だったりする訳ですから、生え際も後退しますわな、そりゃ。

2011年4月7日木曜日

ぷりーず しょう みー ざ うえぃ とぅ えっふぇる・たわー

もう結構前の話になりますが、何回か連続でドイツのシュトゥットガルトに出張しまして。まぁ、毎回スケジュールがタイト過ぎて、ドイツまで行った序でに観光、なんていう時間はとれなかったので、残念ながらベンツ博物館もポルシェ博物館も見られませんでしたけどね。
で、在シュトゥットガルトの日本の方とお話してたら、スタバのマグカップの話になりまして。そういえばろくにお茶する時間も無かったけど、シュトゥットガルトのスタバのマグカップの図柄は何だろう?やっぱりベンツマークやポルシェマークかな?なんて言ってたんですが、さにあらず、シュトゥットガルトご当地スタバマグカップは馬の図柄でした。シュトゥットガルトの名前の由来は「馬の調教をする所」だそうで、シュトゥーテン(馬の調教をする)ガルテン(英語ならガーデンですね。庭というか、公園というか、広い場所の事)が訛ってシュトゥットガルトになったんだそうです。そんな訳で、マグカップは馬の図柄。

フランスについて言えば、フランス・バージョンのモン・サン・ミッシェルと、パリ・バージョンのエッフェル塔のがあります。タンブラーも同様。エスプレッソ用のデミタスカップもあって、エッフェル塔のとモン・サン・ミッシェルのが一個ずつ、二個セットで売ってます。
デミタスカップというのも不思議な言い回しですね。フランス語で「ドゥミ(Demi)」が半分、「タス(Tasse)」がカップで、ドゥミ・タス=半分の分量のカップ。これが英語風に訛ってデミタスです。そこにまた「カップ」をつけて、「半カップのカップ」。「古の 昔の武士の侍が 馬から落ちて落馬して…」などと古い事は申しません。
ところで最近、やはりスタバの影響なのか、日本でもカフェ・ラッテという言い方が一般的になって来ましたね。まぁ、日本語風に訛ってカフェ・ラテとか、イントネーションも変わって、元は「カフェ」で上がって「ラッテ」で下がりますが、あの、日本独特の平板口調というか、平らなイントネーションで、「クラブー」とか「サーファー」とか「ミュールー」とか言うのと同じで、「カフェラテー」という感じに発音する方が多いですね。

パリに見える日本の方から、「カフェラテで通じますか?」「ラテで通じますか?」なんて聞かれる事も多いですね。まぁ通じないでしょうね。「カフェ・ラッテ」(上がって下がるイントネーションで)ならばまだ通じるかと。イタリア語のわかるボーイさんならば、ね。そう、カフェ・ラッテはイタリア語なのですね。カフェは分かるとして、ラッテはミルクですから、例えば「ラッテ」とだけ注文して通じたとして、牛乳が出て来る可能性も大です。

イタリア語でカフェ・ラッテ。スペイン語ではカフェ・コン・レチェですね。じゃあ、フランス語では?と聞くと、意外や、「知らない」と答える方が多いです。いやぁ、絶対に御存知の言葉だと思いますよ~?と押してみても「いや、分からない」と。いや、間違いなく知ってる言葉ですって。フランス語でカフェ・オ・レです。カフェはどこの国の言葉でも似たような発音ですね。「レ」はフランス語でミルク。なので、テ・オ・レと言えばミルクティー。お茶の事も英語でティー、フランス語でテ、日本語や中国語でチャ(茶)、アラブ圏ならチャイ、どこでも似た様な言葉です。(開高健さんが、自分が知ってる中ではポーランド語だけは違ったと書いてましたが。ポーランドでは何て言うのかは忘れちゃいましたけど。)他にも、フランスでよく出て来るデザート、リ・オ・レ。「リ」とは米ですね。固まりきってない、ミルクたっぷりのプリンの様な物の中にゴハンが入ってる奴です。

元々のカフェ・オ・レは、お湯で湿らせた(蒸した?)コーヒーの粉に、温めた牛乳を注いで点てたんだとか。ロイヤル・ミルクティーと同じですね。現在では勿論そこまではしませんが。フランスでカフェ・オ・レとかカフェ・クレームとか言う物は、大抵コーヒーに温めたミルクを加えますね。温めてさえいないミルクが出て来る店もありますが。
さて、フランス語でカフェ・オ・レ。じゃあ英語では?と聞くと、これまた、知らないと言う方が多いです。う~ん、これまたストレート過ぎて、かえって思いつかないんでしょうかね。英語ではコーヒー・ウィズ・ミルクです。そのまんまじゃないですか。
そう聞いて、「ベタですね」と切り返して来た方がいましたが。そうなんです。ベタなんです。ベタ過ぎてかえって思いつかないというのはよくある話で、日本は真面目な方が多いですから、「何て言えば良いんだろう」と突き詰めて考えすぎるのですね。

フランスに旅行して、日本に帰る飛行機が夕方の便の場合、ホテルの部屋は大抵11時か12時にはチェックアウトしなきゃいけませんから、部屋を引き払ったあと、夕方まで荷物をホテルに預ける事になります。「荷物を預ける時は何て言えばいいんですか?」ともよく聞かれますね。これもまたベタ過ぎて思いつかないというのの典型じゃないでしょうか。そう聞かれた時は、つとめてカタカナ口調で、「ぷりーず きーぷ まい ばげーじ。あい かむばっく あっと すりー・さーてぃー。」で通じますよ、と答えるんですが。大抵の方は「え?そんなので良いんですか?」と聞き返して来ます。そんなんで良いんです。真面目に考えすぎる必要は無いのですね。通じりゃ良いんですから。「お前、帰国子女なのに何でこんなに英語の点数悪いの?」「うるせーな、日本の英語が細かすぎるんだよ、もっとテキトーってか、通じりゃいいんだよ」などと言う会話を思い出してしまいますが。このネタが分かった方は少年ジャンプ読者でしょう、きっと。因みにおっさんの娘・息子も帰国子女です。(フランス生まれ、育ちなのに日本に「帰国」ってのも不思議ですが)おっさんの娘が日本の仏検の問題集をフランス人に見せてみたら、「ビクトル・ユーゴーだってこんな言い回しはしない」と言われたとか。そういう事なんですよね。

日本の外国語教育って、まだまだ文法に偏りすぎてて、実際に使う事、話す事を前提にしてないと言う気がします。だから何かを言おうとしても真面目に文法から考えすぎて言葉が口に出て来ないんですよね。どうでしょう、日本で英語の先生をなさってる方、例えば授業の中で、「はい、今あなたは海外旅行中です。ホテルに着きました、チェックインしてください」「チェックインが済みました。早速観光に出るので、ホテルのフロントで行きたい名所への行き方を聞いてください」「お昼になりました。レストランでこの町の名物料理は何かを聞いて、それを注文してください」とかやってみたら如何でしょう。教科書の代わりに海外旅行ガイドブックを使って。ダメでしょうかね、そういうの。

2011年4月6日水曜日

今日のディナーはおフレンチざんす。

おそ松くんのイヤミはおフランス帰りなのに、何で自分の事を「ミー」と呼ぶのでしょうか。英語で自分の事は「アイ」または「ミー」ですが、フランス語なら「ジュ」または「モワ」です。主語で使う時には「ジュ」、目的語として使う時には「モワ」になります。たけしの定番ギャグで「トワ・エ・モワです」というのがありましたが、これは君と僕、貴方と私、英語なら「You & Me」という意味ですね。丁寧な言葉遣いとしては「ヴ」というのも「貴方」ですが。主語を「ヴ」にして喋ると「貴方は何々ですか?」という感じの改まった言い方になりますね。主語を「テュ」にすると(「トワ」に対応する形です)、「君は何々なの?」といった親しげな表現になります。
ところで、日本語には「私」「自分」を表す言葉が沢山ありますね。これはヨーロッパ人から見るとかなり不思議な様です。わたし、わたくし、あたし、僕、俺、その他、今時実際使う人がいるかどうかは別として、おいら、拙者、某、身共、我輩(閣下ぁ~)妾(「めかけ」じゃありませんよ)、etc。方言まで含めたら相当な数に上るんじゃないでしょうか。

で、話を戻しますが、イヤミの人物像は当時(少年サンデーに連載されたのが1962年でしたね)の、外国帰り、外国かぶれの人を誇張してモデルにしたもので、特定の個人のモデルはいないそうですね。例の喋り方はトニー谷の口調ですが。しかしこのトニー谷さんは、いまだに「こち亀」や「パタリロ」をはじめ、いろんな所にこの人のパロディのキャラが出て来て、すべて胡散臭い役回りなんですが…一世を風靡した芸人さんですけど、どんだけ胡散臭かったのよ。まぁ、イヤミみたいに60年代に「洋行帰り」(えらく古い言葉ですなぁ)を自慢し、やたらに会話に外国語を散りばめたりしたら、そりゃ胡散臭いですよね。今だってそうでしょうけど。
因みにおっさんは会話にやたら横文字を挟み込んだりはしません。というか大抵の事を日本語で言ってしまうので、逆に今の日本の方には通じない事もあります。
レストランにて。「サラダに入っているこの赤紫の物は何ですか?」「甜菜です」「甜菜って何ですか?」「砂糖大根です」「砂糖大根って何ですか?」「サトウキビに次ぐ砂糖の原料で、フランスはこの甜菜の砂糖も多く生産しています。」「へぇ~…でも、これ、ビートじゃないんですか?」「同じです。英語でビート、フランス語でベトラヴ、日本語で甜菜ですね」「あ、何だ、ビートの事か」とか。
同じくレストランにて。「サラダに入っているこの野菜は何ですか?」「茴香です」「茴香って何ですか?」「消化促進や整腸作用のある野菜です。漢方薬の材料にもなってますし、太田胃散や仁丹にも茴香の成分が入ってますね。」「へぇ~、日本では見た事ないなぁ」「ヨーロッパではスーパーマーケットや朝市なんかで普通に売ってる野菜なんですけど、日本ではどちらかといえばハーブとしての方が知られてるかも知れませんね。ハーブとしては英語でフェンネルと呼ばれる事が多いようですが」「あ、何だ、フェンネルの事か」とか。
そのうち、林檎の事を話しても通じなくなって、「あ、何だ、アップルの事か」なんて言われる様になるんじゃないかとか、時々思います。

しかしいつまでたっても本題が始まらんな。まったく。
という訳で今日のディナーはおフレンチざんす。とはいえ、「ディナー」という言葉も日本語と外国語でかなり温度差がありますねぇ。ひょっとして豪華なレストランで優雅に食事をしてる所を想像しませんでした?ディナーといっても、おっさんは単純に「夕食」の意味でしか使ってませんから、盛りきりの麦飯とメザシ一匹でも、御飯に味噌汁をぶっかけただけでも、夕方に食事をすれば立派に「ディナー」です。
で、また脱線ですか。まったく。

本日の「ディナー」はフランス風に、フランスパンのサンドイッチでした。因みにフランスで「フランスパン」と言っても通じませんので念の為。日本で言うフランスパンの事はフランス語では「バゲット」といいます。バゲット…読んで字の如しですね。これまた単純に「棒」という意味ですが。
で、本日のディナーはポム・ド・パンのジェネルーセット7.70ユーロでした。このポム・ド・パンはフランスパンのサンドイッチのチェーン店で、パリ市内に幾つもあります。流石フランス、ハンバーガーショップがある様な感覚で、フランスパンサンドイッチの店があります。写真はシャンゼリゼ店。今日夕食をとったのはオペラ店ですけどね。細かい事は気にしない。
夕食という割に写真が昼間じゃないかって?細かい事は気にしない。
Pomme de Pinといえば松ぼっくりの事ですが、フランス語でもパンはpain、パンです。松ぼっくりと「パンの果実(?)」とを引っ掛けてPomme de Painですね。この松ぼっくりマークのサンドイッチ屋さん、ファーストフードのチェーン店ではありますが、結構いけますので、パリで何かフランスらしい、でも軽いものを食べたいな、なんていう時には中々宜しいですよ。
ジェネルー以外にも色んなのがありますし、日替わりメニューなんかもあります。
ヨーロッパは買い食い、食べ歩きも別にお行儀悪いとは思われないですし、天気の良い日なら、公園のベンチなんかでランチも良いですね。

2011年4月5日火曜日

女王様とお呼びっ!

なんというタイトルだ。まぁ訳は後で分かるとしても。
一週間のご無沙汰でした…〇○〇歌のアルバム…古いなぁ。
で、この一週間更新してませんでしたが、別に病に臥してた訳でも、孤独死してた訳でもありません。エイプリルフールネタでもありません。出張です。携帯更新の設定はまだしてないのさっ。

という訳で、色々行って来ましたが、今回行った中から(唐突乍ら)ヴェルサイユのお話。
ヴェルサイユには1682年から宮廷が置かれました。子供の頃から年号の暗記は語呂合わせで乗り切って来たおっさんには有難い年号です。イロハニ。何て安直な。まぁ、良い国作ろう鎌倉幕府(1192)ってのと大差無いと思うんですけど。鎌倉幕府の成立年代は、頼朝が征夷大将軍に任命された1192よりも実際に幕府として機能し始めた1185年をとる見方の方が優勢になって来ましたけどね。幕府としての基本法である御成敗式目の成立年代を取るなら1232年になっちゃいますし。さて、実際の機能、正式な将軍任命、基本法の成立、何をもって正式な幕府と呼べるのか…?はさて置き、ヴェルサイユ宮殿を造らせたのが「太陽王」ルイ14世ですね。


ルイ14世がヴェルサイユに都を移した理由は幾つか挙げられますが、まずはルイ14世のパリ嫌い、及びその原因となったフロンドの乱がありますね。
この時代に進められた王権強化政策に対する、高等法院に勢力を持つ法服貴族(金で官位を買い、更に世襲化された元市民の貴族)達の反発、三十年戦争や仏西戦争の戦費調達の為の増税に反発する市民、またはそういう混乱に乗じて暴れたいだけの市民、硬直した宗教政策による新旧教の対立、イタリア出身の宰相マザランや、スペイン出身の母后・摂政アンヌに対する、「外国人に好き勝手させるな」という反発、地方の帯剣貴族(元々の武家出身の貴族)達の不満、お隣のイギリスで起こった市民革命(ピューリタン革命)の影響等々、いろんな要素がごっちゃになって、反乱が起こり、幼少のルイ14世はパリが大嫌いになってしまいました。散々怖い思いしたんだから当然ですが。

そして1661年、大蔵卿フーケのヴォー・ル・ヴィコント城の完成パーティー。フーケは元々金持ちの家柄でもあった様ですが、更に出世街道を突っ走り、「どこまでも上る」リスを家紋にしていた位でした。そして、この年、建築にはル・ヴォー、庭園設計にル・ノートル、室内装飾にル・ブランを起用して建てた城が完成すると、フーケは国王も母后も招いてパーティーを開きました。フーケとしてはご機嫌取りの積りだったんでしょうが、これが命取り。当時フランスの財政は苦しくて、国王自ら私財を国の戦費として供出していた様な時代です。この立派なお城の豪華なパーティーを見せ付けられたルイ14世は怒り心頭。「私が城を建ててもあなたは招待しない。きっと私の城なんかあなたのお気には召すまい」などと捨て台詞を吐き、後にフーケを逮捕して、追放刑の判決も王様の鶴の一声で終身刑に変更させ、結局フーケは二度とこの城を見る事は無かったのでした。
その割にはルイ14世自身がもっと凄いヴェルサイユ宮殿を造ったんですから勝手なもんです。


そして同じ1661年、宰相マザランが亡くなると、若き国王ルイ14世は親政を宣言します。すべてを国王が取り仕切る、絶対王政の完成に向けて一歩を踏み出した訳ですね。実際これ以降、すべての分野に於いてルイ14世の意見や好みが顔を出します。ヴェルサイユ宮殿もその一つで、当時フランスでは抑え気味で理性的な古典主義芸術が主流でしたが、ルイ14世の派手好みは、イタリアを中心にヨーロッパ中の流行であったバロック趣味に近いものでした。ヴェルサイユの建築にはヴォー・ル・ヴィコントの三人のスタッフがそのまま起用されましたが、室内装飾を担当したル・ブランは当時の古典主義派のリーダーだったにも拘らず、かなり自分の主義を曲げて、派手好みの国王の要求に応えてますよね。

かくしてフランス革命まで、フランスはパリとヴェルサイユ、二つの都を持つ事になります。太陽王の長い治世の時代、その曾孫ルイ15世の時代、そのまた孫のルイ16世の時代…このルイ16世と、その妃マリー・アントワネットがヴェルサイユ時代最後の住人となります。この辺は皆様も御存知の通り。

さて、ヴェルサイユ宮殿に到着すると…こんな看板が。本当に。一日も早い復興を。フランスの皆様、ありがとう。




















で、入場券売り場に行ったら、いきなり力が抜けました。窓口の行列を避けて自動券売機の方に行き、画面を操作していたら、こんな指示が。
女王様の命令よっ!しばらくお待ちっ!って事でしょうか。ヴェルサイユ宮殿だけに、マリー・アントワネットあたりが言ってるんでしょうか。


まぁ、「悪ノ娘」リンちゃんに言わせたい様な気もしますが。ヤンデレモードのルカ姐さんでも似合いそうな。基本イジられキャラのミクにはあんまり合わないかもです。

そしてヒネクレたおっさんは見学コースについては語りません。百聞は一見に如かず、是非とも、実物を見に来て下さいな。どんなに説明したって実物には届きゃしませんって。

見学コースの出口の石の壁。ここを見てたら以前見たニュースを思い出しました。イタリアかどこかの世界遺産に落書きした学生の話。
自分がどこの誰か特定できる様な落書きをしたために吊るし上げを喰らって、泣いて謝罪して、修理費用の寄付を申し出て、でも先方は笑って許して、更にこの落書きした学生を親善大使に任命して、なんてニュースでした。
身元が分かるかどうかは別として、まぁ、大量の落書き(落彫り?)ですねぇ。

こういうのは世界中の名所にある物なんでしょうけど…女王様にお仕置きして貰おうか。