2011年3月28日月曜日

天国と地獄

ここしばらく、おっさんと役所との間で不毛なやり取りが続いております。
発端は住民税の請求書。二年前に引っ越して引き払った住所の住民税の請求が来ました。そこの住所はもう二年も前に引き払いましたよ、という手紙を書いたら、何の回答も無いまま改めて請求書が送られて来て、「だからこの住所にはもういないんだから」と返信→じゃあこれこれの書類を送って下さいという返事、それとはまた別に新たに請求書→請求書に「ここの住所には2年前から住んでません」という返事を書き、指定された書類を送り→書類の不備により受付られませんとの返事→いーかげんにしてくれ。税金を取り立てる時は地の果てまでも追って来るくせに、税金を取り損ねる様な話は絶対認めようとしないのね。

事程左様に、フランスの役所の窓口の対応の悪さ、「お役所仕事」振りはつとに有名です。どんなに大行列ができても知らん顔、隣の職員とのお喋りに使うエネルギーの半分でも仕事に向けたら随分捗るだろうに、と思うのは在仏日本人だけではない様で、“増して奴等は「この書類が足りない、ここが不備だ」と追い返したり、盥回しにするのを生甲斐にしてやがる”と私の友人の仏人も結構怒ってました。

同じ仏語圏でもスイスに行くとフランスと違って随分紳士的になると言われてます(まぁスイスは仏語圏より独語圏の方がずっと大きい訳ですが)。例えば車の運転もフランスと、スイスのフランス語圏と、スイスのドイツ語圏では結構違うとか。公務員の対応又然り。スイスの役所の窓口の対応の良さは又有名です。スイス人について時々言われるのが所謂「ダサい」事。(ダサイという言葉自体がすでにダサイですねぇ。死語です。)まるで日本の何処かの県の様に、「うわー、スイス人だなー」なんて言われたりもする様です。

話が唐突に変わりますけど、今度はイギリスの話。イギリスの警官は「ボビー」の愛称で市民に親しまれてます。この名の由来はロンドン警視庁の創始者サー・ロバート・ピール。ロバートの愛称がボブ。その又親称ですね。イギリスの警官の基本コンセプトは「禁止されてない事はやって良い」だそうですが、対照的なのがドイツの警官だと言われ、こちらは「許可されていない事はやってはいけない」と言う基本姿勢だと俗に言われてます。

世界三大料理にも数えられる有名なフランス料理ですが。何もかも美味しい訳じゃありません。パスタなんかフランスでは鬼門です。フランスの、あまりにも茹で過ぎでヘニョヘニョのパスタに嫌気が差したエンポリオ・アルマーニは、自分のブティックの中にレストラン「アルマーニ・カフェ」を作っちゃった位です。でもまぁフランス料理、美食の代名詞です。どうも食事の評判が宜しくないのはイギリス。勿論イギリスにも美味しい物、沢山ありますが、日本人には余り合わないのでしょうか。ヨーロッパ人も御同様らしく、イギリスってフィッシュ&チップスとキドニーパイの他には何も無い、なんて言います。

そんな訳で、更にドイツ人のカタさ、真面目さ、イタリアの情熱的かつアバウトな国民性をこれに加え、ある小噺に曰く、「天国には仏のコック、英の警官、独の技師、瑞(スイスですよー)の役人、伊の愛人がいる。地獄には英のコック、独の警官、伊の技師、仏の役人、瑞の愛人がいる」と。小噺ですから。真剣に反論しないで下さい。これだけでヨーロッパ各国の事が語り尽せる訳じゃありません。でもまぁ・・・ね。

2011年3月27日日曜日

水と安全はタダではない。

地震、津波、原発、食料不足と来て今度は水ですか。一体どうなってしまうんでしょうか。特に日本は安心して水道水が飲める国であっただけに、その水道水に問題があったら一気に困ってしまいますね。

パリは昔から水の事では苦労して来た所です。
パリの町は、ケルト系のパリシー族が紀元前250年頃からシテ島に住み着いたのが始まりと言われています。その後の研究では、初期の集落はシテ島でなく現在のパリの西郊外にあったとも言われますが。何にせよ、セーヌ川の水運はパリの大動脈でした。その後ローマ人の侵入やゲルマン民族大移動を経て、パリの町は更に発展を遂げる訳ですが…

町の規模が大きくなるにつれ、生活インフラの整備が大変になって来ます。都市の人々の水の確保も大きな課題でした。水源と言えば?目の前にありましたね、セーヌ川。しかし…昔のパリの人々にとって、セーヌ川は輸送手段であったと同時に、ゴミ捨て場でもありました。ゴミをセーヌ川に普通に捨てていましたし、市場の商人は腐って売り物にならなくなった食料品までセーヌ川に放り込んでいました。そんな所から汲み上げた水なんか飲んで大丈夫?と思いますが、セーヌ川から水を汲み上げて売っていた「水屋」さん達は、飲んだ人がお腹をこわさないよう、水に酢を混ぜていたそうですね。酸によって殺菌されるんでしょうか。
昔の水道局のマークは水桶を天秤棒で担いだ「水屋」さんのイラストでした。

時代が進めば、上下水道も整備されて来ますし、かつてパリの大動脈であった水運の方も、陸上輸送が発達するにつれ廃れて行きます。それでも、現在でもパリの町の紋章は船のデザインで、パリ市が発行する公式文書のレターヘッドや、町の施設等、船のマークだらけです。
最近パリのあちこちにできた貸し自転車「ヴェリブ」の貸出機についているエンブレム。
これはちょっと変わってますけど、パリ南東のイタリー広場の近く、サン・マルセル大通りにある学校の入り口。

で、飲み水の話に戻りますが、パリの町で時々見かけるかつての水飲み場(?)があります。ロンドンのウォレス・コレクションのオーナー、サー・リチャード・ウォレスが普仏戦争後パリの町にプレゼントしたワラス(ウォレスの仏語読み)の噴水ですね。

普仏戦争からパリ・コミューンの乱の頃のパリの町はひどい状態で、パリの街は包囲され、兵糧攻めにあい、食べられる物なら何でも、犬や鼠まで食べたんだとか。当然水も不足していた訳ですが、これを見かねてパリ市民の為にウォレス卿が水場を造ったのでした。ウォレスさんはパリ西部、ブローニュの森にあるバガテルの館と庭園の所有者でしたし、ロンドンのウォレス・コレクションはパリのジャックマール・アンドレ美術館やニューヨークのフリック・コレクションの様な、美術品コレクターの館と収集品がそのままの形で見られる美術館として有名ですね。

で、このワラスの噴水とはかなり趣が違いますけど、新しいタイプの「噴水」がノートルダム寺院の前に立ってました。一見何の変哲も無い水飲み場ですが、角度を変えてみると女性の立ち姿になっていて、何だか水芸(古いですねぇ)をしている様にも見えますね。
デザインは新しいですけど、この水芸(?)の噴水の緑の色の感じや塗装の肌がワラスの噴水をほぼ踏襲している所に、新しい物も取り入れつつ、古い物も大切にするというフランスのスタイルが伺えるんじゃないでしょうか。スクラップ&ビルド方式の日本にも、よく探せばこんな新と旧のハーモニーが見つかるでしょうか。

2011年3月26日土曜日

近頃都に流行るもの。

パリの地下鉄で、日本語のアナウンスが流れてました。まぁ、別に日本語だけでなく、英語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、色々ある中に「日本語もある」という感じですが。
曰く、
「スリに狙われない様、お持ちのバッグは必ず閉め、貴重品の管理には充分ご注意下さい」
このアナウンスは結構前から流れていましたが、今度は新バージョンが出まして、
「公共の場所での携帯電話やデジタルオーディオ機器の使用には充分ご注意下さい」
だそうです。で、バスの中にも貼紙がありました。ここにも日本語で書いてあります。
iphoneやipodは狙われる様です。グーグルマップやナビ機能を使ってる方、時計代わりに携帯を見る方、多いですよね。ご注意を。

日本も最近結構物騒になったとはいえ、こういう盗難はまだまだ少ない方です。大体が、その辺に忘れ物をして、しばらく経ってから気づいて取りに行ったらまだそこにある、とか、ビュッフェ形式のレストランで場所取りに荷物を置いてそのまま席を立っても大丈夫な国は世界中にそうたくさんはありませんよ。

単純なスリ、置き引き、引ったくりに関しては気をつければほとんど防げます。ショルダーバッグはたすきがけにするとか、(置き引き、引ったくり対策)そのたすきがけのバッグをおなかの所に持って、開く部分(ファスナーとか蓋(?)とか)に手をかけて押さえるとか(スリ対策)。その程度の事でたいてい防げます、と言ったら、日本の方が、「そこまでしなきゃいけないほど危ないんですか?」と聞いて来ました。見解の相違ですねぇ。
まぁ、確かに本当のプロもいる訳で、ポシェットをたすきがけにして、おなかの方に持って、その上からコートを着て、ボタンもかけ、ベルトも締め、それでも掏られた人の話を聞いた時は凄いと思いましたけど。

こういう盗難の他にも、ドロボーさん達は色々な手口を編み出してる様です。
「ジャパニーズ?オー、ナカタ!」とか言ってサッカーの真似を始められ、足を絡められてごちゃごちゃされてる間に掏られたとか、これの「ジュードー!」バージョンもありましたね。
良い機嫌の酔っ払い(演技でしょうね)に握手を求められ、腕時計を掏られたとか。

偽刑事の話なんかは日本のガイドブックなんかでも紹介されて結構有名になりましたよね。道端でいきなり「ポリス!ポリス!」と話しかけて来て、身分証明書、パスポートを見せろとか、「麻薬取引の警戒中だ、現金を持ってるなら見せなさい」とか。普通に考えればありえない事と分かる筈ですが、外国で、しかもいきなり警察に呼び止められたと思うと、パニックになって従ってしまうんでしょうかね。先日これをやられてる最中の日本人旅行者がいて、パリ在住の日本人の方が気づいて、偽刑事を追い払ったんですが、助けられた方の旅行者さんはキョトンとして、「え、でも今の人は警官ですよ?」いや、だから偽物だ、と説明してもあくまでも納得できない様子、「でもやっぱり本物だったんじゃ?」とか言ってたとか。どこまでも善良なんですね。本物の警官ならこそこそ退散したりしませんって。

最近あるのは「指輪」の話でしょうかね。道を歩いていると隣で誰かがいきなりしゃがみこみ、指輪を拾い上げたフリをして、「これ、今、落としませんでしたか?」「いや、落としてないけど」「ふーん、ま、でも落ちてたんだし、貰っちゃえば?」とか何とか、押し付けられてしまい、後から仲間が出て来て、「私の指輪なんだ、買ってくれ(金を出せ)」とかね。おっさんも実物に会った事がありますが。くれても要らない様な変な指輪でしたけどね。

盗難と言うより寄付金詐欺?街頭署名運動の様な感じで(しかも囲まれて)「署名お願いします」何だか分からないままサインさせられてしまうと、今度は「署名したんだから寄付金を出せ」とか。

これも実物に会った事がありますが、新(珍)商売?です。凱旋門近くで、道端に停めた車から、「すみません、私はイタリアのデザイナーですが」と声をかけられ、「実はパリのデパートでプレゼンテーションして、イタリアに帰るガソリン代が足りないので、安くしとくからプレゼンに使った商品を買ってくれませんか」との事。取り出したのは皮ジャン…風の安物のビニールジャンパー。皮だかビニールだか見分けがつかない様に夕暮れの薄暗い時間にやってる様ですが。まぁ、これなんかはある意味ユーモラスというか、パフォーマンスというか、高級革製と謳ってビニールジャンパーを売ったら詐欺でしょうけど、そうは言わないで、あくまでも皮と錯覚させて売りつけるところがミソなんでしょうね。

いろんな事を考えるもんですねぇ、しかし。

こんな事ばっかり読まされたら、嫌になっちゃうかも知れませんけど。
繰り返しますけど、盗難は気をつけていればほとんど防げます。変なのが馴れ馴れしく寄って来たら取り合わないでその場を離れる事です。

勿論、フランスは警戒しなきゃいけないだけの変な国ではありませんよ。それ以上に魅力のある国ですよ。おっさんも20年以上住んでますけど、まだまだ行って見たい所、見てみたい美術館や博物館、山程あります。
警戒するあまりに海外旅行を楽しめないなんてのは本末転倒です。フランスに限らず、海外旅行に出たら、その土地の面白い物、珍しい物、大いに楽しんで下さい。只、頭の片隅にちょっとだけ、「ここは日本とは違う」と言うことだけ、覚えておけば良いんです。
リラックスして旅行は楽しみながら、心のどこかでは常に緊張を保つ。確かに難しい注文ではありますが。

2011年3月25日金曜日

お幸せに。

パリの街を歩いていると、嫌でもセーヌ川を何度か目にする訳ですが。
「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ…」と詠ったのはアポリネールですね。シャンソンにもなって、日本でもお馴染みです。

日本では堀口大學訳が有名ですね。この詩を含む詩集「アルコール」は句読点を一切含まない独特の文体で書かれています。マリー・ローランサンとの恋に破れて書いたと言われるこの詩ばかりが有名なアポリネールですが、ロマンティストかと思いきや、サド侯爵の著作の再評価に尽力したり、「若きドン・ジュアンの冒険」や「一万一千本の鞭」を著した怪し気な人でもあったのですねぇ。その方面がお好きな方は、日本語訳もちゃんと出てますから、探してみては如何でしょう?

で、やっぱり怪しげな方へ話が行っちゃう訳ですか?う~ん、ここはちょっと方向転換しましょうよ。セーヌ川の畔を散歩してみるとか。これから気候も良くなりますし。
で、セーヌ川岸を歩いてるとこんな物を見かけます。セーヌ川岸名物の一つ、「ブキニスト」です。
パリの歴史を記した「ペール・スターク」によれば、フラマン語の「Boeckjin」を語源とするフランス語の「Boucquain」という言葉は15-16世紀頃に使われ始めた様ですね。ルイ14世時代、辞書を編纂していた学者さん達の遅々として進まない仕事振りにイラついたアントワーヌ・フュルティエールさんは、以前から自分で編纂を始めていた辞書を独自に発行して、学者さん達や、彼らを保護する王様との間にひと騒動起こす訳ですが、そのフュルティエールの辞書の中にも「名も無い傷んだ古い本」という意味でこの「ブッキャン」が登場するそうです。
「ブキニスト」(露天の古本屋)の方はと言えば、1752年頃からセーヌ川岸に(特に左岸側から)出店した店舗の事で、1822年からは法令によって管理される様になりました。(って事はそれ以前は野放しだったんですか?)
19世紀のオスマン男爵のパリ大改造の際にかなり減少してしまった「ブキニスト」はその頃から保護されるようになり、作家のピエール・マック・オルランさんはブキニストの事を「想像の旅への招待状」と言っているそうですね。(すみません、おっさんの勝手な意訳です。公式に何と訳されてるかは存じません。)
現在のブキニストは古本に限らず、絵葉書、ポスター、絵画、色々お土産になりそうな物も売ってたりしますから、天気が良ければ散歩がてら覗くのもいいですね。

で、セーヌ川沿いを散歩していてもう一つよく見かけるのが南京錠ですね。恋人達や新婚さんが二人の名前を書いた(中にはちゃんと二人の名前と結婚の日付が彫り込んであるのもあります)南京錠をこんな感じで金網にカチャリ。
キーの方はと言えばセーヌ川に投げちゃいます。さぁ、もう離れられませんねぇ。
まぁ、この「ずっと一緒だよ」という鍵のメッセージはパリに限らずあちこちにありますから、ご存知の方も多いでしょう。イタリアでしたっけ、鍵で一杯でクリスマスツリーみたいになった柱がありましたね。

さて、パリの聖母の前(後ろ?)で愛を誓った皆様、ブログ画像に使わせて頂きました。お幸せに。

2011年3月24日木曜日

そんなフランスが大好きさ。

パリで発行されている在仏日本人向けミニコミ誌というのが幾つかあります。
有名なのはOVNI(オヴニー)、英語に直せばUFOですね。パリの未確認飛行物体という事でこの名前なんだとか。ニュースダイジェスト誌はフランスのみならずヨーロッパ中にありますね。他にも色々。

そんなミニコミ誌の一つが、以前「日本人紳士録」という「フランスで活動する日本人を紹介するコーナー」をやってまして(今はリニューアルされてなくなってしまいましたが)、その人を紹介する文章と共にインタビューも載っていて、御当人が幾つかの質問に答える訳です。
その質問の中に「フランスでどんな時自分が外国人だと感じるか」というのがありました。言葉が通じない時とか、カフェでお釣りを投げ返されて驚いた時とか(よくあります。お釣りを返す時、落とさないように店員さんが下から手を添えてくれる国なんて世界中探しても日本位のものじゃないでしょうか。で、投げ返したお釣りがカウンターから転げ落ちても、パリのカフェの店員さんは「失礼」でも「すみません」でもなく、「おっと!」で終わりです。)、色んな答えが載ってました。
で、自分ならどうかと考えた訳ですが。やはり日本とフランス、ものの見方、考え方が根本から違う部分もあって、20年以上住んでても馴染めない事もありますねぇ。

¥ 洟をかむ時
フランス人に限った話ではありませんが、欧米人はハンカチで洟をかみますよね。おっさんにはこれができません。洟をかむ時にはやっぱりティッシュを用いてしまうのでして、ハンカチで洟をかんで、その鼻水だか鼻糞だらけのハンカチを又ポケットに保管しておく事にはどうしても抵抗があります。で、ファーストフード店なんかで少し余計に紙ナプキンを貰っといたり…せこいなぁ。

¥ 煙草を吸う時
2007年からフランスでもパブリックスペースは禁煙になった訳ですが、路上での喫煙は禁止されない様です。フランスで路上で煙草を吸っていると結構な頻度で「煙草を一本くれないか」というのに出くわします。ひどい時は一本吸い終える間に二、三人から言われます。すみません、一本頂けませんか、というのはまだしも、道の向こうから見知らぬ人が「オイ、煙草!」そこまで持って来いってか?

¥ 手を洗う時
トイレに「手の洗い方」の解説が貼紙してあったのも驚きましたけど。洗った後のハンドドライヤーが結構曲者。日本程出来は良くない様で、とあるカフェのトイレ、手を洗った後、ハンドドライヤーに手をかざすと出て来る温風が異様に熱い!とても手をかざしていられず、ドライヤーから少し手を遠ざけるとセンサーの範囲が又異様に狭くてすぐ止まってしまいます。結局面倒臭くてハンカチで手を拭いたり。日本じゃ有り得ない。

¥ カメラ付き携帯を買った時
こちらの携帯にカメラの機能がついたのは…日本から10年位遅れてたんじゃないでしょうか。で、その初期の頃、だから相当昔の事ですけど、いまだに鮮明に覚えてます。
初めて買ったカメラ付き携帯から写真をPCに移そうとしたらその機能が無い!?説明書にも書いてない。日本で言う「はてな」「おしえて」的なサイトで調べたら「メールに添付して自分のメアド(それも当時はCメール)に送信して下さい」だと?何だそりゃ?

①買った店で聞いたら、「それはうちではわからない。カスタマーサービスに聞いてくれ」 
②カスタマーサービスに電話したら「技術的な事はここではわからない。技術サポートに聞いてくれ」
③技術サポートでは「この機種のメーカーのカスタマーサービスの番号を教えるからそこに電話して」
④メーカーのカスタマーサービスに電話したら②と同じ事を言われ、
⑤技術サポートに電話。五軒目にしてやっと、メーカーのHPから専用ソフトをダウンロードする事が分かりました。それも当時は赤外線でえらい時間をかけて携帯からPCに移さなければなりませんでしたが。

ま、そんな戸惑いも、笑い話もありながら20年。それなりにフランス生活が気に入ってもいるから住んでる訳ですけどね。

2011年3月23日水曜日

The answer, my friend, is blowing in the wind…

先日町を歩いてたらこんな物を見つけました。鳩さん達のアパルトマンです。
モンマルトルの丘のサクレクール寺院のまん前とは、またえらく高級なアパートですね。
日本の方は「高級アパート」と聞くと違和感を覚えるかも知れませんね。日本風に言えばアパートというと木造で築何十年、オンボロ、を連想する方が多いんじゃないでしょうか。
おっさんが日本で学生の頃に住んでたアパートは確かにオンボロで、窓の下にトラックが停まったらそのエンジンの振動で窓枠がガタガタ鳴り出す様な部屋とか、木の柱とモルタル壁の継ぎ目がずれてしまって、灯りを消したら隣の部屋の灯りが漏れて来る様な部屋とか…そんなんでしたが。
大体今時、例えば女の子を口説いて「僕のアパートに来ない?」などと言ったら「ゲ、この人アパートに住んでんの?」なんて引かれちゃうんじゃないでしょうかね。
フランス語でアパルトマン、英語でアパートメントハウスと呼ぶ物は、日本語ではマンション。英語やフランス語でマンションといえば豪邸の事ですが。

ま、それはともかく。パリ市が鳩の為に住宅まで用意するんですねぇ。確かにパリの街は鳩だらけ。地下鉄の空気口(?)は地下から暖かい空気が吹き出してますので、ホームレスさん達もよく寝てますが、暖かい所に集まるのはホームレスさんだけではない様ですね。
パリの街の中あちこちに、市からの情報を伝える表示板がありますが、冬の間なんかは「地下鉄○○駅は終電の後も暖房をつけたまま開放しておきますのでホームレスの方は御利用ください」なんていうメッセージが表示されてたりします。
だからって訳じゃないでしょうが、地下鉄でも鳩を見かける事もありまして、まぁ迷い込んじゃったんでしょうけど、こんな風にお行儀良く電車を待つみたいなポーズをされると、思わず「おや、どちらへ?」などと聞いてみたくなりますね。

「ヤ」の字から始まる自営業の方から、「地下鉄に鳩がおるんか、コラァ!」と絡まれるというのは文珍師匠の創作落語「おいしい生活」のマクラでしたねぇ。そういえば地下鉄はどうやって地下に入れるのか考えて眠れなくなっちゃったという人もいましたっけ。
ドイツでも見かけましたよ、やっぱり鳩の種類が違うっぽい。
かと思えばシャルル・ド・ゴール空港の待合室にまで居ましたよ。こんなに人の近くでも平気で歩いてますね。よっぽど人に馴れてるんでしょうか。
こちらはヴェニスのサンマルコ広場ですが、鳩の餌を売る屋台が出てました。
屋台と、その近くに群がる鳩を撮ろうと思ったら、ちょうど飛び立った鳩が入っちゃいました。人がカメラを構えてるまん前を無神経に横切る人って居ますけど、こういうハプニングなら歓迎ですね。ところで、この写真を見て、「ハトメ」(って古いな)という言葉の由来に変に納得したおっさんでした。

ハト派・タカ派なんて分け方もしますね。

ノアは洪水の後、放った鳩がオリーブの枝を咥えて帰って来たのを見て、水が引き始めた事を知りました。

煙草の「ピース」のパッケージデザインは鳩でしたね。

ボブ・ディランは「How meny seas must a white dove sail, before she sleeps in the sand?」と歌いました。

平和の象徴である鳩はこんなに身近に居るのにね。人間の世の中はなかなか平和になりませんねぇ。

2011年3月22日火曜日

さぁ、メシだ。

全部一度に食べる訳じゃありませんよ。昼食と夕食です。面倒臭いから2回分まとめて買って来ただけです。
いや、ちゃんと野菜もとってますって。おっさんの家の冷蔵庫は相変わらずシイナ状態です。
時々肉が食べたくなるとこういうのを買って来る訳です。
ケバブの方は最近日本でもすっかりお馴染みですね。アキバ辺りにもありますし。これはドネル・ケバブ、意味は単純に「回る焼肉」ということらしいですね。肉の塊が回りながら焼けてる、あれですね。読んで字の如し。ケバブはトルコでの言い方で、アラブやインドではカバブ、そう、あのシシカバブのカバブです。こちらは串焼きの肉ですね。シシカバブはインドのシーク教徒風の焼肉ですか。それともアラブ語のシーク(首長)の焼肉なんでしょうか。口から火を吐いたのは…古いなぁ。ザ・シーク。
フランスではサンドイッチ・グレック(ギリシャ風サンドイッチ)と呼ぶ事が多いですが、サンドイッチ・チュルク(トルコ風サンドイッチ)とも呼びます。同じ事なんですが。
ギリシャはトルコに支配されていた訳で、同じ料理が伝わっているんでしょうね。というか、トルコ料理がギリシャ料理に取り入れられたんでしょう。1820年にはギリシャ独立戦争が起こってます。この戦争にはロマン派の詩人バイロンが義勇兵として行ってますし、1822年に起こったキオス島の事件を同じロマン派のドラクロワが描いてます(「キオス島の虐殺」ルーブル美術館蔵)。ロマン派の芸術家というのは、中世の歴史ものなんかもありますけど、こういう所謂「時事ネタ」も多いですね。ロマン派の狼煙を上げたジェリコーの「メデューズ号の筏」(同じくルーブル)なんかその代表ですが。
ところで、この「メデューズ号の筏」を見ると、おっさんはいつも「ひぐらしのなく頃に」を連想するんですが。…長くなるからその辺はまた後日。

メルゲーズの方は、まだ日本ではケバブ程にはポピュラーではないのでは?
結構脂っこい、香辛料のきいた羊(牛肉もある様です)のソーセージですが。慣れないと好き嫌いがあるかも知れませんが、チョリソとか好きな方ならOKでしょう。いや、メルゲーズを焼いて醤油をたらすと、それだけで御飯何杯でもいけますって。アラブと和のコンビもなかなかいけます。
メルゲーズはマグレバンさん達のソーセージですね。マグレブとは日の沈む所、つまり西を意味するアラブ語で、北西アフリカ、特にモロッコ・チュニジア・アルジェリアをそう呼びますね。マグレブの人をマグレバンといいます。フランスにはマグレバンが多く、イベントの時なんかメルゲーズのサンドイッチ屋の屋台(?)だらけになります。先日サッカーの試合を見に行った時もちゃんと食べましたよ。お約束です。
マグレブの人はマグレバンです。パリの人は?パリジャン/パリジェンヌですね。マルセイユの人は?マルセイエ/マルセイエーズ。フランス国歌は「ラ・マルセイエーズ」。フランス革命の時にマルセイユから来た義勇兵達が歌っていたというので「マルセイユの」という形容詞をそのまま名詞化して曲のタイトルとした訳ですね。もともとのタイトルは「戦場の歌」だったそうですが。
この、パリ→パリジャン/パリジェンヌ、マルセイユ→マルセイエ/マルセイエーズというのを色々見て行くと面白いですね。中には「何で?」と思うようなのもあったりして。
まぁ、日本でも例えば箪笥は何て数える?弓は?神様は?ってやっていくとキリが無くなるのと似てなくもないですが…これも長くなりそうだな。

何で素直に食べ物の話を続けられないんでしょうね、この人は。

2011年3月21日月曜日

そういう事もあるさ。

先日、少し時間があって、パリの街をブラブラ歩きました。で、なんでこんな写真がUPされるんでしょうね。もう少し、パリに行きたいと思ってる方々に夢を与えられる様な写真は無かったんでしょうか?

ここはモンマルトル。モンマルトルに限らずパリのこういう所を見て歩くだけでも面白いと思いますよ。窓の手摺り。たかが手摺りですけど…どうです?で、またこれがバラエティに富んでて、見飽きないですよ。
窓の一つ一つを…覗き込むと変な人になっちゃいますから、手摺りの形、窓の周りの装飾等々、見比べながらぶらぶら。そうしたら焼き物のギャラリーがありまして。ゴメンナサイ。焼き物にはそれほど惹きつけられなかったんですが、こっちに喰いついちゃいました。植木鉢をぶら下げる支柱のウサギさん。今年は卯年でもありますし。
そしてこれもある意味カワイイんじゃないか?
先日、日本からみえたインベーダーハンターさんと話してたら、「えー、そんな所にあったのかー!行った筈なのに気付かなかったー!」などと悔しがってましたので、ルーブルまで行って撮って来ました。
おっさんはリアルタイムでインベーダー世代ですしね。
リヴォリ通りとルーブル美術館の中庭をつなぐアーチの中。こんな狭い所ですが、路線バスどころか大型観光バスも通ります。もし見に行こうという方がいましたら、車には充分ご注意を。
いきなりインベーダーじゃありませんけどね。

インベーダーちゃんはモンマルトルの丘を侵略してましたので、こちらもちゃんと撮ってありますよ。
ルノワールの絵で有名になりましたね、「ムーラン・ド・ラ・ギャレト」の真向かいの民家の壁と、モンマルトルがまだ郊外の「モンマルトル村」だった頃の旧村役場を侵略するベーダーちゃん達。
で、今日、また仕事で今度は東駅に行ったんですが、駅の薀蓄はまた今度。今日はフランスの新幹線、TGVの発着を見守って…ないベーダーちゃんです。東駅の西側のホーム沿い、石の階段の入り口にいました。

どこにいるかわかりました?ね、見守ってないでしょう?

で、パリを散歩して、報告がこれ?
ま、長い人生、そんな日もあっても良いんじゃないかと。

2011年3月20日日曜日

クラン・キャンベルウイスキーのポスターかと思いました。

今日は仕事でリヨン駅に行きまして、丁度良い感じに月がかかっていたので序でに写真など撮って参りました。ってか何かホラー映画にでも使えそうな感じでもありますが。
パリには中央駅「パリ駅」というのはありません。パリの周りから乗り入れて来る線路はパリの中心までは入らず、全部で6つある駅を行き先に応じて使い分けなければなりません。その一つ、リヨン駅です。
南フランス、リヨン、スイス等の玄関がこのリヨン駅ですね。
駅にある表示板に拠れば最初のリヨン駅は1847年に造られた事になってますが、他の資料を見ると1849年開業となってますね。公式に駅として発足したのが1849年で、その少し前から運行はしていたという事でしょうかね。
初めはパリとブルゴーニュ地方のトネールの町を結んでいた様です。
昔から、パリの南東セーヌ川沿いにはワイン市場がありましたから、ブルゴーニュのワインをパリに運んできたんでしょうか。
1855年には二代目の駅が造られます。古い駅は現在の駅よりもう少し西寄りに在った様です。二代目の駅は現在とほぼ同じ位置で、盛り土の上に在りました。この盛り土のおかげで、1910年の洪水の時にもリヨン駅はそれ程被害はなかったとか。
1900年の万博に向けて三代目の駅が造られまして、でも新駅の落成は1901年だそうです。流石フランス。1900年の万博といえばオルセー駅が造られた年ですね。それまでオステルリッツ駅を使っていた「オルレアン鉄道会社」が造った駅なので、オルセー駅、現在のオルセー美術館の壁面にはPARIS-ORLEANSの文字が刻まれてますね。

話をリヨン駅に戻しますが、この駅の一番の特徴は、やはり時計塔ですかね。案内板によると高さ67m、亜鉛のドームで覆われ、一辺8.5mの四角い塔の上には一辺10mの正方形の時計部分があります。
直径6.4m、140平方メートルの文字盤、亜鉛で書かれた高さ1mの数字、時計の針はアルミで、長針は4m、38kg、短針は26kg、2.8m。1929年までは250個のオイルランプで中から照らされていました。2005年からは電気照明に切り替わった、とありますが、その間はどうなっていたんでしょう。照明されてなかったんでしょうかね。そういえば昔はリヨン駅の時計の文字盤は今みたいに明るくなかった様な気もします。
オールド映画ファンの方は、リヨン駅といえば「終着駅」が思い浮かぶでしょうか。でも、あの映画には「パリ・リヨン駅行きの列車」は出て来ますけど、リヨン駅そのものは出て来ないんですよね、確か。映画そのものの舞台はローマのテルミニ駅だった筈ですし。
おっさんの世代にとっては、「ニキータ」でしょうか。強盗、警官殺しで30年の刑を喰らったニキータですが、殺し屋になって国の為に働くなら訓練期間の3年で出してやる、と国から持ちかけられ、殺し屋としての初仕事というか、卒業試験というかが、リヨン駅構内のレストラン「トラン・ブルー」で行われますよね。

レストランの料理の評判も宜しいですよ。トラン・ブルーオリジナル銘柄のワインなんかもありますし。内装もきれいで雰囲気がありますしね。

そんな訳で、こんな感じで、他の駅や、メトロの駅も含めて、ぼちぼちご紹介して行きたいと思ってます。とりあえず今回はここまで。

2011年3月19日土曜日

勘違いオンパレード。

日本から見てハングルやアラブ文字は「これでどうやって文字として認識できるんだ?」と思いますが、外国から見た日本語も又然り。漢字などヨーロッパ人にとってはグラフィックみたいな物で、お洒落なデザインの感覚でTシャツなどにプリントされてます。愛、東京製といったのが多いですが、中には神、神風、万歳、大和魂、喧嘩上等、なんてのも。ん?

事程左様に、日本で使われている横文字にも「ん?」が結構ありまして、聞く所によると日本にCOCUE(コキュ)というブランドがあるそうで。胸に大きくCOCUEと書かれたTシャツをパリで着ていてフランス人に笑われたというお嬢さんがいました。「プレイガール」という意味だと聞いていたそうですが、プレイガールならCOQUINE(コキーヌ)、COCUは恋人や女房を寝取られた男という意味、COCUEはその女性型ですね。寝取られ女、ねぇ。そんなTシャツをみたらやっぱり驚くでしょう。

言葉の勘違いもさる事ながら、どこの国でも外来語が入って来ると、その言葉の特定の意味だけが一人歩きする様です。日本のクロスワードをやっていたら、ヒントは「密会、逢引き」、答えは「ランデブー」というのがありました。この言葉は本来、英語のアポイントメントと同じ、取引先との打ち合わせでも歯医者さんの予約でも誰かと会う約束の事。まあ、色っぽい意味でのランデブーもお盛んなフランス人ではありますが。

もう一つそんな言葉に「パトロン」なんてのがありますね。日本ではかなり限定された意味でしか使いませんが、本来はボスの事。普通の勤め人が、「ウチのパトロンがさぁ、」なんて会話をします。ギャング映画では子分が親分をパトロン!と呼びます。ルネッサンス美術の本などには画家の「パトロン」の誰々という言葉も出てきます。怪しい関係だった訳ではありません。当時は君主が芸術家を丸抱えで雇っていたのでこう言います。

まぁ、いろんな勘違いがあるもんですね。でも、いつしかそれが勘違いでなく本来の意味に取って代わって行く事も珍しくない訳ですから、言葉って面白いですよね。

2011年3月18日金曜日

おや、こんな所に。

パリの街は夜景の美しさに非常に気を使っているといわれます。主要モニュメントのライトアップには誰でも注目しますよね、凱旋門とかエッフェル塔とか。今日は、若干視点を変えて、「おや、こんな所に」の三連発です。
まずはエティエンヌ・マルセル。パリ市役所の南側、セーヌ川沿いに、パリ商人頭(ほぼパリ市長に匹敵)であったエティエンヌさんの銅像。この人の事は佐藤賢一さんが「双頭の鷲」の中で書いてますね。
百年戦争中に、イギリスの捕虜になったジャン2世善良王や、摂政であった王太子シャルル(後のシャルル5世賢明王)と対立し、北フランスの農村で蜂起したジャックリーの乱とも手を結び、一時はパリを手中にした人ですね。結局はジャックリーの反乱も散り々々になり、エティエンヌも自分の守備隊の隊長に殺されてしまいます。
そしてこのエティエンヌ・マルセルの銅像の後ろ、市役所の建物の壁を見て下さい。わかりますか?影絵になってますね。
そしてもう一人。これも同じく影絵になってますが、今度はドゴール将軍です。シャンゼリゼの中程にあるグランパレ前。日本からフランスにみえる方々は、大抵シャルル・ド・ゴール空港に降り立ちます。第二次世界大戦のフランスの英雄、戦後は大統領でしたが、フランス人の間では評価が分かれます。国民のヒーローの様に持ち上げる人がいるかと思えば、ドゴール崇拝にも神話にもウンザリだ、という人まで。まぁ、政治家さんというのは、評価する人の立ち位置によって評価が違いますからね。評価が分かれるのは当然と言えば当然しょうか。

そして三つめですけど、いきなり話が変わります。これはうちのアパートの中庭です。隣の家から漏れる灯りで…こんなものが。

この写真を、「こんな所にはちゅねミクがいた」と題して日本の家族に送ったんですが。家内は「えー、お父さんは、一人暮らしのストレスでおかしくなっちゃったのかしら?何も無い所に、人には見えない何かが見える様になっちゃったのかしら」と心配したそうです。

すみません、唐突に話題が飛びましたけど、別におかしくなった訳ではありませんので念の為。

失礼しましたぁ~。

2011年3月17日木曜日

そういえば、すっかり忘れてました。

そう言えば14日に、サッカーの話は明日、と言っておきながら15日は更新せず、16日は結婚記念日の話になっちゃいましたね。数日遅れですが、一応サッカーの話に戻りましょうか。

サッカーの起源は色々言われてますが、とりあえずここでは9世紀イングランド説を採りたいと思います。てかこれが一番しっくり来ます。只の伝説だ、とも言われますけど、いや、単純に好きなんです、この話。

4世紀に、アジア系の騎馬民族、フン族に追われてガリア・ローマの地に逃げ込んで来たのがゲルマン民族で、これが所謂民族大移動ですね。この大移動の際に、動かずに北欧に残っていたのがノルマン=北の人=バイキングです。このバイキングが、8世紀から11世紀頃、ヨーロッパ各地に進出します。793年、日本が平安時代に入ろうとする頃、イギリス北東海岸、リンデスファーン島の修道院がバイキングの襲撃を受けました。北東海岸一帯を勢力範囲として固めたバイキングは、851年頃からイングランド進出を狙って動き出します。
この侵略は、やっと団結したイングランド諸国の抵抗によって押し返されるのですが、この頃の戦いで、敵の首を刎ねて城の門に蹴り込んだのがサッカーの起源という説ですね。

大体サッカーボールって人の頭位の大きさだし、「呪怨」ではサッカーボールがごろりと転がると人の頭になっているという演出もありましたね。

そういう訳でサッカー発祥の地はイングランド。日本サッカー協会はJFA,ジャパン・フットボール・アソシエーション、フランスサッカー連盟はFFF,フェデラシオン・フランセーズ・ド・フットボールです。ところが、イングランドサッカー協会の正式名称はThe F.A. フットボール協会です。他の国では国名が付くのに、イングランドだけは国名が付かない訳で、フットボール協会と言えばイングランドの事、という自己主張ですね。

日本への伝来は19世紀、1872年神戸説と1866年横浜説、そして1873年築地説がありますね。日本サッカー協会のホームページによればサッカーの日本伝来は1873年となってますから、築地説を採っているのでしょうね。
日本サッカー協会の前身となる大日本蹴球協会の設立は1921年。1931年には現在も使われている「八咫烏」の紋章が定められます。(勿論デザインは今のとは違いますけどね。三本足の烏のモチーフそのものは同じです。)
三本足の鳥を神の使いとする伝説は中国から朝鮮半島、日本にかけて分布してますね。日本では熊野神社に祀られてます。そして日本近代サッカーの父・中村覚之助に敬意を表し、その出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏が蹴球協会の紋章にデザインされたのだとか。
日本サッカー協会のマスコット、カラッペとカララの着ぐるみにも、まるで尻尾の様に「三本目の足」がついてますね。(間違っても「真ん中の足」などという表現は致しますまい。)可愛いとも思いますけど、なんだか邪魔っけそうにも見えます。サッカー選手にもう一本足があったら最強だろうなとは思いますが。
ここで「名張の五つ」などと…連想した貴方は…ステキな人です。

古事記では神武東征の際に神武天皇を熊野から大和へと導いたのが八咫烏ですね。ところで日本書紀には「金鵄」が出てきますが。神武天皇と長髄彦の戦いの時、神武天皇の弓に金鵄がとまると、長髄彦軍は目が眩んで戦えなくなってしまったとありますね。まぁ、何れも神の使いである訳で、しばしばこの八咫烏と金鵄は同一視されたりします。
序でに言うと太平洋戦争中、日本は敵性語禁止で英語を使わなくなりました。この頃あった(今でもありますけど)煙草「ゴールデンバット」は戦中から戦後の一時期まで「金鵄」と改名しました。金の蝙蝠転じて金の鳶。なかなか上手いですね。

おっさんも日本にいた頃はゴールデンバットのお世話になりました。安かったもの。おっさんが大学生の頃、一箱50円でした。(後、70円、90円、110円と値上げ。今はいくらするんだろう?)
緑のパッケージもカッコ良かった。緑のバックに金色の蝙蝠。
金色の蝙蝠と来ればやっぱり…

「蝙蝠さん、蝙蝠さん…」

「うわっはっはっはっはっ…」

…キリが無いな。この辺で止めときます。なんだかどんどん深みにはまって行きそうで怖い。

2011年3月16日水曜日

別に潜在意識が更新を拒否した訳じゃありませんよ。

昨日は予定外に、従って何の準備もしてなかったんですが、急遽泊り込みになっちゃいましたのでね。
昨日更新をしなかったのは、決して、結婚記念日について書く事に躊躇があったとか、そういう訳ではありません。(今、うっかりarimasu、とタイプミスをしてしまったのですが、本当に、単なる、うっかりタイプミスなんですが、こういうのもフロイト先生に言わせると潜在意識の為せる業なんでしょうね。そう考えると初期の精神分析があれだけ嫌われたのも分かる様な気がします。)

という訳で、昨日おっさんと家内の結婚記念日だったよ、と杏村から便りが届くのですよ。(いや、忙しくて忘れてたって意味じゃありませんよ。)
20年。そして一番上の娘は19歳。計算は合ってますね、ってかそれはさて置き。紙だの藁だのから、やっと陶磁器にまでなった訳です。金・銀・ダイヤまではまだまだ長いですね。
まぁ、結婚記念日に花束を買って帰ったら、「あれ、今日はなんかの日?誰かの誕生日だっけ?」などとボケをかます家内ですから、(しかも、どうも天然だったらしい)結婚記念日ネタを書かなかったからと言って怒りゃしないでしょうが、やっぱりねぇ。書かないというのもなんですし。

結婚20年、こういう女房で良かったと思ってますし(そう言っとかないと後が怖い) 、特にここ数年の変則的な生活を支えて貰ってる事には非常に感謝する訳です。(おっさんは現在、故有って単身赴任(?)中であります。)
地震・原発事故、それに伴う経済の更なる沈滞等々、何だかここ数年は更に厳しくなりそうでさえありますが、30周年、40周年を迎えた時、「20周年の頃は大変だったよねー」などと言っていられる様な夫婦でありたいと思って居ります。はい。
そう言えば某裁判所内には「○○裁判所恐妻組合」なるものがあったそうですね。(Oさん御夫妻、お元気でしょうか。)

以前、なんでそういう話になったのかは覚えてませんが、娘と「バカップル」の話になりまして、
娘     「お父さんとお母さんも…?」
おっさん  「うん、若い頃なんかはやっぱりねぇ。相当に…」
娘 「今も現役だと思う」
とやら。

しかしまた、結婚記念日に限らず、何かの記念の日というのは、またこの日を迎える事ができたという反面、もうそんなに経つのかと、それだけ齢をとったのかと、改めて考えますねぇ。

門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし   一休禅師

一休禅師といえば、例の「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」もありますが、これ、一休禅師と仙厓和尚に同じ話が伝わってますね。色々調べてもどっちが本当なのかよく分からないんですが。序でに言えば一茶にも

親が死ぬ子が死ぬ後に孫が死ぬ

がありますね。

まぁ、時代的には
一休禅師 1394-1481
仙厓和尚 1750-1837
小林一茶 1763-1828
ですから、一休禅師の言葉を仙厓和尚や一茶が引用した、ということなんでしょうかね。それとも後世に加わった伝説なんでしょうか。

話の内容は共通ですが。人から「何か目出度い事を書いて下さい」と頼まれて、書いたのがこれ。目出度いどころか縁起でもない、と依頼主が怒ったら、「これが本来の順番。目出度い事じゃないか。順番が逆だったらどうなるか考えてごらん」と答えた、という話。さて、おっさんは目出度く孫の顔を見てから死ねるでしょうかね。

すみません、MSNニュースから拾った映像、使わせて頂きます。イタリア(だったと思う)の遺跡から発掘された「カップル」。

どういう経緯で二人で葬られたのかは判明していない様ですが、おっさんとしては家内とこんな風に時を越えて一緒に居たいものです。

おまえ百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで

家内は若白髪ですし、おっさんはかなり禿げ上がりまして、そのうち白髪も生え様が無くなるかも知れませんが。

松の双葉は肖りものよ 枯れて落ちても夫婦連れ

ホントに。枯れて落ちても宜しく。

2011年3月14日月曜日

なんなんだ

さて、サッカーを観戦して参りました。リーグ1のPSG-Montpellier。まぁ、仕事でなんですがね。

仕事とあらばサッカーでも野球でも、囲碁クラブだろうが俳句の会だろうが行くんですが。
俳句と言えば(突然話が飛びますが。いや、先日、日本の方から貰った雑誌に、かねて読みたいと思ってた本の事が書いてあったもんで、つい。)
滋酔郎こと江國 滋氏の作。

残寒やこの俺がこの俺が癌 

から

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒

に至る過程というのは凄まじい葛藤だったのか、穏やかな移行だったのか…?闘病記を読みゃ分かるだろ、とは突っ込まないでください。闘病記のタイトルになっているこの句だけは有名だから聞いた事あるけど、こっちで日本の本を手に入れる事はそう簡単ではないんですから。是非入手して読みたいと思ってます。

自分が病を得た時、自分はそれをどう受け止め、どう消化して行けるのか?そして自分はどうやって消えて行くのか。

考えさせられますね。いや、別におっさんは今の所どこも悪くないです。悪いのは頭だけだ、とはバカボンのパパの台詞ですが。おっさんは、先日、健康診断で、「あんたは、あと禁煙さえすれば完璧よ」と言われております。はい。いや、だからこそ、いつの日か(そしてそれは必ずやって来ます)そうなった時、というのを考えるんでしょうかね。

何でこういう方向に行くかな?性格が暗いからです。はい。いや、大事な事ではあるんですけど。

とりあえずもう少し楽しい話に方向転換しましょうか。

落ちさまに虻を伏せたる椿哉 (漱石)

椿にはまだちょっと早いですけど。この句も大好きですよ。椿の花は桜の様にはらはらと散るのではなくコロッと落ちますね。(そこから打ち首みたいで縁起が悪いというので武家の庭には椿は植えなかったというのはご存知の通り。)
寺田寅彦「椿の花に宇宙を見る」には、背の高い樹から落ちた椿の花は仰向けに落ちる確立が高いが、低い樹からだとくるりと反転する間が無いからうつ伏せに落ち易いだろうし、もしそこに虻がとまっていたら、その重みでさらに反転しにくくなるからうつ伏せに落ちるだろう、という様な事が書かれてますが。








まぁ理屈としてはそうかも知れませんが、虻一匹の重さなんて知れたものだし、大体落ちようとする椿の花から脱出できなくてとっ捕まったなんてドジな虻もいないでしょう。
でもやっぱり楽しい句ですね。こんなことが起こったら面白いだろうな、という遊び心、既成の見方にとらわれない自由な発想、あるいは少年のような心を忘れてないと言うか。

で、サッカーは?う~ん、どうしようか。じゃ、ま、「明日に続く」って事で。本日はこれまで。何なんだ。

2011年3月13日日曜日

今度は原発ですか

泣きっ面に蜂とはこの事でしょうか。

地震についてはこれ以上ひどくならない様に鹿島の神様にお願いするとして、原発の事は誰にお願いするんでしょうかね。おっさんがいくら考えたって何とかなるもんじゃなし、ここは「三人寄れば文殊の知恵」、文殊菩薩様か?とも思ったんですが、高速増殖炉「もんじゅ」も事故を起こしてますしねぇ…。いや、事故と文殊菩薩は関係無い事は重々承知しておりますが。

しかし、地震国日本に原子力発電所を造った訳ですから、建物そのものの耐震構造にしろ、原子炉の安全性にしろ、考慮し尽されてる筈なのになんでこんな事故になるんでしょうかね。それだけすごい地震だったという事でしょうか。

何にせよ、これ以上ひどい事にならない様、お祈り申し上げます。

2011年3月12日土曜日

地震・雷・火事…

今回の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

おっさんは在仏二十数年、一度も地震にあってませんので、地震の怖さとか、すっかり忘れてしまったような気がします。北フランスは地震はまず無い地域です。イタリアやスペインにはある様で、ですから南フランスには多少あると聞きますが。

もっと南に下って北アフリカは地震の多い所の様で、地震に関する神話等も伝えられています。北アフリカに限らず、イスラム系の地震圏に多いのが、世界を支える巨大な牛が身動きすると地震が起きるという神話ですが、中には、世界は牛の片方の角の上にあって、牛が疲れて、世界をもう片方の角へヒョイっと乗せ変える、その時に地震が起こるなんて神話もあります。

これが地方によって象(インド)、蛇や竜(インドや中国)、巨人(朝鮮半島)等、支えているものが変わりますが、日本ではやっぱり鯰ですね。子供の頃、祖父に連れられて鹿島神宮の「要石」を見に行ったのを覚えてます。世界を取り巻く竜や蛇というのはインド起源の神話らしいですが、これが中国経由で平安時代に日本に入り、竜蛇が転じて鯰として定着するのはやっと江戸時代初期の事だそうですね。
鯰は地震の前触れの地電流か何かの変化を敏感に感じ取り、地震の前に騒ぎ出すとか。今回の地震でも、揺れ始める前に鯰は騒いでいたのでしょうか?というか大きな町ではもう鯰なんて滅多に見ることができなくなってしまってますが、ニュースで、揺れ始める直前に、頑丈そうな壁の所に猫が何匹も集まって身構えるみたいに蹲っていた、なんていう映像も出てました。

船火事の前に船から逃げ出す鼠の話や、太平洋で核実験が行われた瞬間に一斉に地面から飛び立ったパリの鳩の話もそうですけど、他の動物にあって、恐らくは昔は人間にもあった筈のこういう能力を、人間はどこで無くしてしまったんでしょうね。

地震を起こす鯰を押さえ込んでいるという「要石」は日本にいくつかあるそうですが、一番有名なのが鹿島神宮の物ですね。鹿島神宮の神様は武甕槌神(タケミカヅチ)で、建御名方神(タケミナカタ)と共に、古事記に出てくる相撲の神様ですね。(日本書紀では当麻蹴速と野見宿禰ですが。)

鹿島の神様、改めて四股を踏み直して、地震鯰をしっかり抑えておいて下さいます様、遥拝乍らお願いしますね。

2011年3月11日金曜日

結局何が言いたかったんだ?

さて、本日も仕事を終えて家に帰ったのは深夜です。まぁその分、朝はノンビリだから良いんだけどね。とりあえず夜食でも作るか。
ってかここはシイナ館長の部屋か?何なんだ、おっさんの部屋の冷蔵庫の中の、この人参の群れは?
うるさいな、安いし、健康的だし、良いじゃないか。
増して年男だし。何年で何回目かは…言わなくても分かるよね。
で、この人参小二本を適当に切ります。そして、また適当に醤油と味醂を振り掛け、電子レンジで5分間。チ~ン!という訳で、超簡単夜食の出来上がりです。つまみに良し、夜食に良し、頑張ってステーキなど焼いたら付けあわせにも良し。第一安いしね。

まぁ、ステーキなど滅多に焼いたりしませんがね。
他に最近よく作るのは野菜スープかな?タマネギ、人参、ブロッコリー、卵、etc。塩・胡椒・ニンニク・ブイヨンの素をお湯で溶いてこれまたチ~ン!時にはそこにパスタを放り込んでも良し。

長い事フランスに住んでると、嫌でも倹約が身につきますな。外食高いしね。何によらず、安く済ませる為にはどうしたら良いかを色々考えます。

「俺には俺の計算がある」と食事を断るのが力石。
「俺には俺の計算がある」と食費を削るのがおっさん。
なんてのはどうでしょうか。淋しいなぁ。このネタが分かった方は2ちゃんねらーでしょう、きっと。

所で、チンする、と言えば「電子レンジで温める事」を指しますね。こちら、フランスのレンジはチン!と鳴る物より、ピーッ!と電子音が鳴るものが多い様です。もしも日本で、ピーッと鳴る電子レンジが主流だったらどうなっていたんでしょうか。
料理番組を見ていた筈が、「ここで5分間、『ピー』します」なんて聞こえたら、「えっ!」と驚くんじゃないでしょうかね。
まぁ、言葉とは時代と共に変わり行く物です。自分が知っていた時代の言葉が必ずしも正しい訳じゃありません。
結局何が言いたかったんだ? 良く分からん。

2011年3月10日木曜日

第117空軍基地


軍隊の基地なんて一般人には関係無いとお思いかも知れませんが。パリにおいでになったことのある方で、プルマン・リブ・ゴーシュに泊まった方は見覚えがあるんじゃないでしょうかね。

現在のホテル名はプルマンですが、少し前にはソフィテルといってました。タクシーの運転手さんに「プルマン・リブ・ゴーシュ」と言っても通じなくて、ホテルの所番地を見せたら、「あぁ、ソフィテル・バラールの事か、あそこはいつからプルマンになったんだい?」なんて言われたりします。そのプルマンホテルから地下鉄のバラール駅に行く途中、道端にいきなり戦闘機が展示されてます。

そしてそのバラール駅前にはホテルメディアン・ポルト・ド・ヴェルサイユもありますね。パリを取り巻いて走る環状道路の出口名はポルト・ド・セーブルなのになんでポルト・ド・ヴェルサイユと名づけられたのでしょうか。ポルト・ド・ヴェルサイユはかなり先なのに。因みにここも、昔のホテル名はフォレストヒルといいました。

で、このプルマンとメディアンの間にあたる、ここは一応空軍基地ですが、戦闘機が発着する訳でもなく、作戦基地なんでしょうかね。

このプルマンホテルの傍にはヘリポートも有り、ヘリコプターで上空からパリ観光、なんて事もできます。如何ですか?

2011年3月9日水曜日

パリのモスク、イスラムの寺院、アラブ風レストラン、あるいは…?

パリのモスク。観光ガイドブックにも載ってますし、クスクスやタジンなどアラブ料理のお好きな方にとっても、イスラム建築、イスラム文化に興味のある方にとっても、訪れてみたい場所なんじゃないでしょうか。
おっさんも、モスクの建築様式も、ティールームのやたら油っこくてやたら甘いお菓子も、ミントティーも、大好きですよ。

建築や料理についてはいろんな方々が旅行記に書いてますし、今日は少し違う話をしましょう。

このモスクは1920-26年に建てられました。それ以前にもモスク建設の話はあったようですがなかなかうまく行かず、結局1926年、パリ市が提供した病院跡地に、フランス政府の援助によって、フランス最初の、そして最大のモスクが誕生します。
なぜパリの町と、フランス政府がモスクを建てるのでしょうか?フランスは400万から500万人といわれるイスラム人口を抱え、フランスで二番目に人口が多い宗教がイスラムです。とはいえ国民の7~8割がカトリックであるキリスト教国フランスで。
このモスクは第一次世界大戦で、フランスのために戦い、亡くなった七万人ともいわれるイスラム出身の兵士達に捧げるモニュメントでもあるのですね。日本やアメリカは、自国のために戦った外国人のために、彼等の文化に則った寺院なんか建ててくれたでしょうか?
1992年、時のパリ市長ジャック・シラクによって立てられた、パリの歴史を記した案内板「ペール・スターク」。ペールとはパン屋さんがパンを竈に入れる時のあの大きな木箆(?)の事。まぁ、その後「たゆたえども沈まず」と言われたパリのイメージに沿って、「船の櫂の形」と言われるようになりますが。スタークというのはこの歴史案内板をデザインしたデザイナーさん、フィリップ・スタークの名前からとったものですね。パリ中に767本の「ペール」が立っています。
このモスクの解説もありますけど、なぜイスラム兵士の事には触れてないんでしょうかね。








そしてもう一つ、ここに書かれていないモスクの歴史。第二次世界大戦中、このモスクはイスラム系フランス人達の対独レジスタンスの拠点でもありました。ユダヤ人達を匿い、彼等が安全なところへ脱出する為の中継地として、イスラム教徒達はこのモスクを提供したのですね。

イスラム教徒が?ユダヤ人を?杉原千畝の様に?オスカー・シンドラーの様に?救った?
しかも杉原氏は外交官でしたし、シンドラー氏は大実業家でしたが、このモスクに集まった人達は無数の、無名の、市民であっただろうに。
なんか今のイスラム・ユダヤ関係を考えると泣けて来る様な話ですね。

さて、これ以上は余計な薀蓄は言いますまい。
おっさんなんぞがごちゃごちゃ言うよりも、カレン・グレイ・ルエル&デボラ・ダーランド・デセイ著、池田真里訳、彩流社の「パリのモスク」を手にとってみてください。この本のもとになった1991年作の映画が2009年には日本で公開されてますしね。アルジェリア系フランス人デリ・ベルカニ監督。

2011年3月8日火曜日

お酒は18歳になってから。18歳未満なら…

日本でなら「お酒は20歳になってから」なんでしょうが。

フランスにはお酒も煙草も何歳でなきゃ駄目という法律は無く、別に何歳でも飲んでも吸っても良いと聞きましたが、本当なんでしょうかねぇ。まぁ確かに、休み時間になると、高校の校門の前は「ちょっと一服」の生徒達で一杯です。日本と違って「歩き煙草・ポイ捨てが当たり前」の国ですから、その辺は吸殻だらけ。
お酒も、日本で言う所の「家飲み」は勿論、その辺の公園とか河原の土手とかで「外飲み」している高校生を見かけたりします。そんな高校生の、お酒の入った「宴会」を見ても誰も不思議には思わない様ですから、やっぱり年齢制限は無いんでしょうか。

一応、飲食店では18歳未満にはお酒を出してはいけない事になっているんだそうですが、そうは言っても見た目だけでは判断がつかない場合もあります。おっさんがビールやワインを注文しても誰も何も言いませんが、例えば日本からの卒業旅行の若い方なんか、フランス人の目からは、それこそ高校生以下に見える事も多いようです。それどころか、これはアメリカでの話ですが、ベテランの添乗員さんがお酒を注文したら、身分証明書の提示を求められたとか。

そんな訳で、飲食店には「アルコールの販売に際して身分証明書の提示を求めることがあります」などと書いてありますが、先日東駅の近くのカフェに入ったら、意味は同じなんですが、なかなかしゃれた文句の貼紙がありました。という事で、VOW!ネタが大好きなおっさんとしては、早速写真に収めた訳です。

①「ウェイターは別にお客様にご迷惑をおかけしたい訳ではありません。アルコールに関する法律で定められておりますので。」

まぁ、この辺は普通と言えば普通ですね。


②「もしも、30歳なのに身分証明書の提示を求められたとしたら、それは『お若く見えますね、とても30歳には見えませんよ』という褒め言葉としてお受け取り下さい。」

日本でこんな書き方をしたら「不真面目だ」とか言って怒られちゃいそうですね。








③「18歳未満のあなた、酔い痴れたいのなら恋をしなさい。」

良い台詞ですねぇ。お酒ではなく恋に酔いなさいと。
思わずここだけ写真を大きくしてしまいました。

















以前、家内とおっさんと、フランス人男性と話していたら、そのフランス人さんが聞いて来ました。
「あなた(おっさん)は日本人だけどフランス語も上手だね。ところで奥さん、彼があなたに愛を語る時は日本語なの、フランス語なの?」
家内が答えて曰く、
「愛を語られた事なんか一度もありません」
(日本の古い男はシャイなんだよ、悪かったな)
フランス人さんが応じまして、
「そりゃそうだ。愛とは『語る』物ではなく、『する』ものだからね。

フランス語豆知識 : Parler d'amour : 愛を語る 
Parlez moi d'amour~なんてシャンソンがありました。日本語タイトルは「聞かせてよ愛の言葉を」でしたね。

フランス語豆知識 : Faire amour : 英語で言う所の 「Make love」と同じ意味です。

つまりこのフランス人さんの切り返しは、Love とは speak するものではなく、make するものだと言う事ですね。

う~ん、流石おフランス流。こういう会話にしろ、「恋に酔いなさい」の貼紙にしろ、二人が初めて一夜を明かした記念の日には、初めての二人の朝にそうしたように、旦那が朝食の支度をして、まだベッドにいる奥さんに持っていってあげる、なんていう習慣の残る国、フランスだけの事はありますねぇ。

2011年3月7日月曜日

唯一話せる英語が…

昨日から今日にかけては爆睡してしまいました。更新する間もなく。

ところで、最近も日本からの旅行者の方が、「フランス人は誇り高いから英語がわかってもわざと話さない」って本当ですか?と聞いてきたんですが。いまだに言われているんですねぇ。

そんな事も無いですよ。英語ができる人は話してくれます。英語の質問にフランス語で答える人は、「質問の意味を理解できる程度に英語ができるが、答えを英語で説明する程には英語が出来ない」人です。
日本でも街で英語で声をかけられて道を聞かれるとか言う事はよくあります。何を聞きたいかはわかったけど、英語で何て説明すればいいの?という事もよくありますね。そんな時、日本の方の答えは一般的に「そーりーあいどんとすぴーくいんぐりっしゅ」ですが、フランス人は「英語で説明できないからフランス語で説明する」訳です。「英語が分かるのに使わない」と言われる訳ですね。

フランス人にとっても英語は外国語。得意な人も、苦手な人も様々。流暢に話せる人、何とか、の人、片言の人、さっぱりの人の割合としては日本もフランスも同じ位じゃないでしょうか。

以前シャルル・ド・ゴール空港で、たまたま日本行きとカナダ行きが同じカウンターでチェックインを受け付けてたんですが、「カナダ行きの人~、こちらのカウンターへどうぞ~」とカナダ行きの人だけを選んで受け付けている係員がいました。でも他のどのカウンターでも日本行きもカナダ行きも一緒くたに受け付けてるし、何だろう?と思ってたんですが。「あなたはカナダ専門の係員?」と聞いてみたら、「ん?日本行き?いいですよ、こちらへどうぞ」と。じゃあ何でカナダ行きの人ばかり選んで受け付けてたかというと、英語が出来ないからなのでした。カナダの人ならフランス語が分かるだろうという判断ですね。

また別の時、アメリカ人?イギリス人?とにかく英語圏の人が空港の売店の売り子さんとモメてました。「チーズ売り場はどこ?」帰って来た答えはフランス語。いや、だからチーズ売り場はどこなのか聞きたいだけなんだけど。今度もまくしたてるようなフランス語の答え。お客さんも売り子さんもだんだん喧嘩腰になってきて、英語と仏語で意味の通じてない言い争いを始めました。同僚の店員さんが出て来たり、店長らしき人が出てきたり、ひとしきり揉めて、お客さんはチーズの事なんかどこへやら、店長らしき人に店員の対応への苦情を英語で述べ、憤然とその場を去ろうとしたら、件の売り子さんが一言。
「ゆーますとすぴーくふれんち」
話せる唯一の英語が「あいどんとすぴーくいんぐりっしゅ」だというのはよくある話ですが…ゆーますとすぴーくふれんち…ねぇ。
しかもそれが国際空港に勤めてるって…

いやいや、ちゃんと英語の出来る人もいるんですよ。あるチェックインカウンターの係員さん。お客さんと英語で話しながらてきぱきと作業を進めてました。ところがビジネスクラスの荷物にビジネスの表示を付け忘れて、お客さんが「あ、ビジネスの表示を!」という間もなくスーツケースは行ってしまいました。そこで係員さんが一言、「Oh,Shit!」。いやぁ、なかなか優秀な係員さんじゃないですか。こんな事までちゃんと英語で言ってくれるとは。因みにフランス語なら「Merde!」(メルド!:くそっ!)というんですが。この係員さん、言っちゃったぁ~みたいな感じで恐縮しまくっててかなりカワイかったです。

2011年3月5日土曜日

千人斬り?

本日は「言葉」について。

外国語が日本語に取り入れられる時に意味や発音が変わってしまうのはよくある事ですが、時にはおかしな意味が生じる事もある訳ですね。フランスでミルフィーユと言っても通じません。フイユとフォイユの中間位の発音(難しいですが)で言ってください。ミル=千。フォイユ=箔(英語でフォイル、アルミフォイルのフォイル)、薄い生地を何度も重ねたお菓子ですね。因みにフランス語で「フィーユ」は女の子の事。パリのカフェ辺りで「ミルフィーユ シルブプレ(お願いします)」なんて言ったら…「女の子千人下さい!」って?


日本語が外国語化する時も事情は同じ。あるフランス人から日本で有名な「キャルシー」なる物について聞かれた事があります。何それ?死ぬ程働かされる?蛸部屋か?過労死の事でした。フランス人がKAROUSHIを素直に読むとそうなります。意味の勘違いはともかく。いや、ある意味合ってるか?日本で一般的に使われるヘボン式ローマ字と、フランス人のABCの読み方は結構違っていて、ローマ字式に書くとフランス人はとんでもない読み方をする事があります。日本人の目から見ると、フランス語は表記と発音が合ってないというか、日本の旧仮名遣いを連想させるものがありますね。何で「せう」と書いて「しょう」と読むのか?みたいな。
日仏の言葉の違いと言えば、文章を縦書きする時もそうです。
日本語や英語では本の背とか看板とか、文字を縦に書く時上から下へ書きます。フランス語では下から上に書きます。こんな感じ。だから下のような勘違いも起こる訳ですね。
パリの街で、上から読むと「YNOS」 イノス?何の会社だ?という看板を見かけました。ソニーでした。下から上へ。下から上へ。安西先生ですか。
残念ながら写真は撮らなかったんですが、嘗てあるレストランの前に、上から読むと「せまいゃしっらい」という看板が出ていた事がありました。流石に暫くしたら無くなっていましたが。

2011年3月4日金曜日

主無しとて春な忘れそ


梅?でしょうかね?というかこれはパリのアパートの中庭に咲いてる花なので日本の梅とはまた種類の違う「梅の仲間」の何か、なのかも知れませんが。ま、でもなんとなく梅っぽく見えます。そんな季節なんですね。

東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主無しとて 春な忘れそ

梅の花というと思い出すのがこの歌。都の屋敷に残していく梅を愛でて、左遷される身を悲しんで…というと寂しげですけど、「今は左遷されて田舎にトバされるけど、見てろ、今に都に返り咲いてやるからな!」という意味に取れなくも無いと思うんですがどうでしょう。もしそうなら結構生臭い歌ですね。なんて言ったら怒られちゃうでしょうか。ゴメンナサイ。飛梅伝説は美しいですが、一夜にして飛んで行く、なんて言うと雨月物語の「菊花の約」をどうしても連想してしまうのはおっさんの性格が暗いからですこれまたゴメンナサイ。

菅公はこの歌の中で「東風吹かば」という言葉で「春が来たら」という意味を表してますね。ここが日本とヨーロッパの違う所。日本の春風は東風です。ヨーロッパの春風は西風。「シャーロック・ホームズの最後の挨拶」では、ドイルは戦争が始まるという意味で「それでもやっぱり東風は吹くのさ」という台詞をホームズに言わせてます。西風の反対、東風が吹く厳しい時代がやってくるという意味ですね。

理科の授業でやりましたね。春が近付き、日差しが暖かくなってくると、陸地のほうが海より温まり易いので、陸地に上昇気流が発生し、海から陸へと風が吹く訳です。東に太平洋がある日本では東から。西に大西洋があるヨーロッパでは西から。
そんな訳でヨーロッパの神話の中には、冬の間枯れていた草木が、春の、西風の到来と共にまた芽吹き、生い茂っていく様子を表したものが色々ありますね。代表的なのがゼフュロスとクロリスのお話でしょうかね。ボッティチェルリの「春」の画面向かって右側の三人によって表現されているお話。しかし、ふと見かけた女の子を力ずくでモノにして、その乱暴を償うために正式に結婚するというのも、結構不思議な話ではありますね。まぁ被害者(?)のクロリスさんのほうもそれで納得して結婚して、花の女神として永遠の春を楽しんでいる訳ですから良いんですけどね。このクロリスさんがゼフュロス(西風の神、春風の神であり、この春風はまた愛の風でもある訳ですね。春は色々な生物にとって愛の季節でもあります。)の「愛の風」に触れて変身した姿が花の女神フローラで、ボッティチェルリの「春」の右から三人目の女神です。

春が来て緑が蘇り、花が咲き乱れる様子と、「愛」を知る事で少女から大人の女へ成長する事を同時に表現した、何とも味のある神話ですね。

アポロンとダフネとか、パンとシュリンクスの物語も同じ系譜に属すんでしょうが、裏に何か別の意味が隠されているかどうかは別として、少なくとも物語上はダフネは月桂樹に、シュリンクスは葦に姿を変えてしまい、アポロンもパンも思いは遂げられなかった訳で、色々頑張って女の子にアプローチして、もう少しで手が届く、と思ったけどやっぱりダメだった、なんていうのは今も昔も変わらないんでしょうか。

2011年3月3日木曜日

オンカカカビサンマエイソワカ

ナゾナゾです。
ある事を当てて下さい。
1.それは女性にしか無いもので、男性には絶対ありません。
2.それは決まった周期で定期的に女性にだけやって来ます。
3.最後の一文字は「り」です。

三十数年前、… 太宰は「10年程前(私も齢をとったものだ)」と書いてますが。こっちは10年どころじゃない、三十数年前ですよ。まったく。で、それはさて置き、三十数年前、ナゾナゾブームなるものがありまして、冒頭のもその頃のナゾナゾの一つであります。
まぁ、女の子にこんなナゾナゾを出して「生理」とか言わせようというくだらないナゾナゾの一つですね。正解は「雛祭り」。

雛祭りに辿り着くまでにここまで回り道するかな、普通?

序でに言えばこの手のナゾナゾは他にも色々あって、例えば
ある物を当てて下さい。
1.それは男性の体のほぼ真ん中にあります。
2.それはブラブラ揺れます。
3.4文字で、3文字目は「タ」です。
正解は「ネクタイ」。

もっと露骨なのもありました。
ある物を当てて下さい。
1.それは棒のような形をしています。
2.大体茶褐色ですが、色の感じや濃さは物によって違います。
3.大きさ、太さ、長さ、硬さもまちまちです。
4.太いからといって長いとは限らず、太いけど短い、というのもあります。
5.大きいからといって硬いとは限らず、大きいけど軟らかい、とか小さいけど硬い、というのもあります。
6.先っぽの部分は赤黒くなっています。
7.その赤黒い先っぽから白いものが出ます。
さぁ、何でしょう?何と言わせたいかはさて置き、正解は「葉巻」でした。

平和な時代だった…んでしょうかねぇ。中学生位の頃だったかな、ナゾナゾブーム。

で、雛祭りはどこへ行ったんだ、まったく。

バレンタインが過ぎたと思ったらすぐ雛祭りですねぇ。
現在の雛祭りの原型ができたのは江戸時代頃だそうですね。本人に代わって災厄を引き受けてくれる紙雛を川に流した雛流し(う~ん、ここでやっぱり「綿流し」とか言いたくなるのは何故だろう)の風習や季節の「節句」、女の子の人形遊びが結びついたんだとか。

雛人形とは身代わり地蔵みたいなものでもある訳ですね。ところで地蔵菩薩ってほとんどキリスト様だと思いません?弥勒菩薩が現れるまでという限定つきではありますが、人々を救済する方ですし(大体弥勒菩薩が現れるのは釈迦入滅から56億7千万年後でしたっけ?いったいいつの事やら。)、静岡・陽徳寺をはじめとする身代わり地蔵さんのように人々の苦しみをその身に受けてくれたり、と。
そういえば西岸良平さんだったと思いますが、イエス・キリスト2世が現れ、人々の痛みや苦しみをすべてその身に引き受けていたが、みんなから引き受けた苦痛に耐えられなくなって麻薬に手を出し、遂に逮捕された…なんて漫画を読んだ覚えがありますね。

関東と関西では雛人形の並べ方が違うんだそうで、関東は男雛が右(向かって左)、女雛が左(向かって右)なのに対し、関西は男雛が左、女雛が右。関西の並べ方の方が古くからの宮中のしきたりにのっとったもので、関東風は大正天皇が即位の儀を西洋式の男が右、女が左で行った所から生まれた新しい風習なんですね。
エスカレーターで、関東は左に立って右側は歩いて登る人を通してあげるため空けておくが、関西では右に立って左を通す、とか。なんか関係があるんでしょうか、この違い。因みにフランスでは右に立って左を通します。関西系だったんだ、フランス人。

関係ない話ですけど、東京では「動く歩道」に「危険ですから歩道上を歩かないで下さい」と書いてあり、大阪では「危険ですから歩道上で立ち止まらないで下さい」と書いてあるという話を聞いた事があります。本人はかなり真剣に主張してましたけど本当なんでしょうか。今度日本に行く機会があったら見に行ってみようか。

だからどこへ行ったんだ、雛祭り。

2011年3月2日水曜日

相撲繋がりというか…無茶振りというか。

大相撲春場所が無い春というのは史上初なんでしょうか。それとも今までにも(例えば戦争とか天災とかで)中止になった事ってあるんでしょうかね。とりあえずこのままじゃ夏場所も危ないとか、いや、問題が片付いてなくても夏場所は見切り発車するだろうとか、色々言われてますが、どうなっちゃうんでしょうね、相撲界。

パリ・シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内に向かう高速道路の横にこんな物があります。ピンクのコンテナをやや不自然なポーズで持ち上げるお相撲さん。後ろの、やはりピンクの建物は物流会社の倉庫で、時々はガレージセールとでも言うんでしょうか、メアドを登録してる人に特別セールのお知らせが届いたりして、いろんな物が結構安くで買えたりもするんだとか。
お相撲さんの方は現代アートフェアに出品された「作品」だそうで。この会社が買ったのか、リースなのか、はたまた倉庫に預かっている作品をただ寝かせて置くのは勿体無いし、折角だから飾っとけ、という事なのか。

まぁ、このピンクの建物にしても、このお相撲さんにしても、それだけでかなりの宣伝になってるとは思いますが。

そんな訳で、パリ市内とドゴール空港間を車やバスで移動する方は、空港に向かう時には高速道路の左手、パリに向かう時には右手にピンクの建物とお相撲さんが見えますから探してみて下さい。「宝島」ヘビー読者だった訳じゃありませんけど、VOW!とか大好きなおっさんはこういうネタにも反応します。

2011年3月1日火曜日

日本語がお上手ですね!

3月に入りました。春先は変な人が…いや、それはもういいから。

フランス革命暦では風の月。日本でも春一番は春を告げる風ですね。
"風に吹き上げられた埃の中、あー、あれは春だったね~♪" とか。
フランスにも春を告げる西風が吹くのがこの季節って事でしょうかね?この西風によって春が訪れる所からクロリスとゼフュロスの物語とか…まぁ、それはまた今度にしよう。
三月をまた弥生といいますが。「木草弥や生ひ月」、木や草がいよいよ生い茂る月という意味らしいですね。

ところで弥生、というと縄文、と出て来ません?縄の紋様がついた土器を使って縄文というのは分かり易いけれど、何で弥生なのかと思って調べたら、東京の文京区弥生の貝塚で出土した土器が弥生式土器と呼ばれ、その時代が弥生時代なんですってね。たぶんこれ小学校あたりで習ったのかも知れない。すっかり忘れてました。

日本人の顔にも縄文型と弥生型があるんだそうで。
縄文型は歯の噛み合わせが毛抜き型。先っぽ同士が合わさる型ですね。鼻は鷲鼻、眉や顎が突き出した、南伝系、または土着系。
弥生型は顔にあまり凸凹の無いタイプで、歯の噛み合わせも鋏型。鋏の刃の様に擦り合わさる型ですね。北伝系、または渡来系。

因みにおっさんは縄文型です。
小学校の頃、先生がいきなり "まぁ、君はすごい顔してるね、浮世絵に出てくる人みたいじゃない?"と言って見せてくれたのが写楽の二代目大谷鬼次「奴江戸兵衛」。
今なら「あぁ、そんなに当代一の人気役者に似てますか?」などと嘯くこともできますが、小学生にそんな事言ったって、"変な顔" という意味にしか聞こえませんって。おかげでそれ以来、顔にコンプレックスを持ちましたね。

で、やっぱり珍しい顔なんでしょうかね。よく言われるのが "日本語が上手ですねぇ!" とか、"え?あれ?あ、日本語だぁ!"とか。まぁ、いわゆる "彫りの深い顔立ち"という事?縄文系?
日本の方から言われるのにはいい加減慣れてますが、外国人からまで言われるとはどういうこっちゃ。
フランスに来たばっかりでまだフランス語も拙かった頃、フランス人のマダム曰く "あぁ、貴方はスペイン系だから少し訛りがあるのね!"っておい。先日もアラブ系の方から "南米?アルゼンチンあたりかい?"とか聞かれました。

ま、持って生まれたこの顔ですからね。死ぬまでこの顔です。以前、一家で娘の学校に行ったら、娘は友達から "同じ顔が3つある!" と言われたそうで。おっさんと、上の娘と、下の息子と。恐るべし縄文の遺伝子。

しかし何で "春" からここまで話が飛ぶかな。まったく。