2011年7月31日日曜日

シュッと一吹き。

さて、またもやインベーダー画像が溜まって参りましたので、ここらでひとつ。

「アメリカ政府は宇宙人の存在を知っていて隠している、地球人に変装した宇宙人は地球の社会に入り込んでいる。」なんていう説があるそうですが。
日本政府やフランス政府はそういう事に関してどう考えているんでしょうね。

ま、それは置いといて。


5/25のインベーダーハンターに、セーヌ川に架かる橋「Pont de Bercy」のベーダーちゃんを載せましたが、一匹いるとその近くにも他のインベーダーがいる事が多いので、またベルシー地区に行った序でに、Pont de Bercyの対岸側を見てみたら、やっぱりいましたよ。という事で、今度は橋の左岸側を侵略するベーダーちゃん。


こちらもツーショット。Rue de la Grande Truandrie通りはそんなに長くない通りですが、ここにもベーダーちゃんが二匹来てますね。何か特別な理由があるんでしょうか。


これは同じ通りと言うべきか違う通りと言うべきか。5/21の城壁の話で、今は同じ通りだけれど、嘗ては城壁の外だった方には「Faubourg」が付き、内側だった方には付かないと書きました。
その内側の方、Rue MontmartreとRue 4 Septembreの交差点を侵略するコンビのベーダーちゃんと、6/11の食べ歩き「Chartier」さんの近く、旧城壁の外側、Rue du Fauburg Montmartreを侵略するベーダーちゃん。


結構ツーショット多いですね。こちらは地下鉄が地上に出て高架の上を通るメトロ6号線、St.Jacques駅とGlaciere駅の間の支柱を侵略。下の画像の方、ベーダーちゃんの左にあるものは何だろうかと一瞬考えました。最初ペン先に見えたので、このベーダーちゃんを「描いた」ペンなのかな?とも思ったんですが、どうも良く見ると、ベーダーちゃんに向かって至近距離から大砲をぶっ放している所じゃないかという結論に達しました。
しかしいきなり砲撃はちょっと乱暴ではなかろうか?

そう考えると、5/6のなんか、これもインベーダーの「イラストを描いた」スプレーペイントかと思ってたんですが、ひょっとして、これ、殺虫剤?
いきなり砲撃も凄いですけど、インベーダーに殺虫剤ってどうよ?

第一、宇宙人に効くんだろうか、殺虫剤。

2011年7月29日金曜日

ガラケー?ガラコン?

突然ですが。日本の携帯電話を俗に「ガラケー」と呼びますね。

ガラパゴス・ケータイ。閉ざされた島国で、独自の進化を遂げた独特の生物がいる島、ガラパゴスに引っ掛けて、日本という島国で独特の進化を遂げた携帯電話。

この「ガラケー」という言葉には「世界に例を見ない独自の進化」という肯定の意味と「世界基準から外れている」という否定の意味と、両方が込められているんでしょうね。iPhone日本進出以降の喧々諤々がそれを物語ってます。

ところで、日本には携帯電話以上に独特の進化を遂げた物がありますよ。
コンビニです。こんなもの、世界中どこを探しても無いんじゃないでしょうか。
24時間買い物ができるのは当たり前、夏はソフトクリーム、かき氷、冬は肉まん、おでん、公共料金の支払い、ネットショッピングの支払い、受け取り、銀行業務、郵便業務、宅配便、コピー、FAX、挙げて行ったらきりが無いですね。こんなものが、その辺を歩いただけで何分おきかにある国なんてどこにもありません。

とおっさんが言ったときに帰って来た反応:

1.「そうだな、日本すげぇ。感謝しようぜ。」
若い男性のグループでしたが。その通り。感謝すべき事です。

2.「それ(日本の様な状態)が当たり前だと思っていたので…」
まぁわかります。で、それが外国では当たり前でないとわかった時、1.と同じ意見になるのか、「何て不便な国なんだ」と怒るのかは人によって違う訳ですが。

3.「いや、それがあったんですよ!アメリカに行ったら、セブンイレブンがあったんです!」
まぁ…当たり前ですね。元々アメリカの会社です。この「セブンイレブン」の日本でのチェーン展開の権利を買い取ったのがイトーヨーカ堂ですね。アメリカ発祥だからこそ「セブンイレブン」なんですね。日本の「セブンイレブン」は24時間営業です。今は、アメリカなんかでも24時間営業の飲食店やデリカテッセンなんかも増えて来た様ですが、セブンイレブンが発足した当時では、「7時から11時まで開いている店」なんてのは画期的に便利な店だった訳で、だから「セブン・イレブン」。

で、それはさておき。パリで、コンビニとは行かないまでも、夜遅く、または日曜日(パリのスーパーは日曜お休みです。日曜日午前中だけ営業するけど、その代わり月曜休み、なんて所もありますが。)に活躍するのがEpicerie(食料品店)。こういう店は大抵アラブ系の方が経営していて、フランスのスーパーなんぞよりよっぽど勤勉です。大抵夜中1時頃まで開けてます。


夜、周りの店はみんな閉まってる中、ホッとする灯りですね。日本でも、スーパーとコンビニで値段を比較するとやっぱりコンビニの方が幾らか高いですけど、それはパリも同じ。アラブ屋さんはスーパーより若干高めですけど、おフランスのスーパーは8時か9時頃には閉まっちゃいますからね。それ以降はやっぱりアラブ屋さん。

で、最近やっと、フランス人も日本のコンビニの様な便利さを追求し始めたのか、新感覚の小型スーパーが続々できつつありますよ。


この手の店は何系統かありますけど、代表的な「MONOP'」さんです。MONOP'さんは大抵夜12時までやってまして、


店内に電子レンジなんかも置いてありまして、売り場でもレンジで温めるだけですぐ食べられる食品なんかも置いてあって(画像にあるのは「ハムのラビオリ・チーズソース」おっさんの本日の夕食ですが。)、


こんな感じのカウンターで、今買って、今温めたものをその場で食べられる様になってます。


かと思えば店内にパンの自動販売機が。パリでは自販機ってのはこういう店内に設置した物が主ですね。日本みたいに、人通りの少ない路上のあちこちに自販機が置いてあったら、たちまち泥棒のターゲットです。
最近は日本も結構物騒だとは聞きますが、まだまだ世界的に見て安全な国ですね。警官が銃を常時携帯せずに済むんですから。

で、話を戻すと、日本みたいな「コンビニエントさ」にはまだ程遠いですけど、段々とパリにもこういう店が出て来ましたし、自宅の最寄のスーパーが宅配便を預かっておいてくれるサービスなんかも少しずつではありますが、始まりつつあります。

さて、何年、何十年先かわかりませんが、いつかパリの街にも24時間営業のコンビニとファミレスがあちこちにできる時代が来るんでしょうかね?

2011年7月28日木曜日

不運なプリンス。

かなり前からずっと気になっていた小さな礼拝堂があります。
Chapelle de la Compassionといいます。Compassionとは「同情」や「憐憫」の事ですが。

パリの西端、ポルトマイヨーのすぐ近く、高層ビルのホテル「コンコルド・ラファイエット」や、向かいにあるホテル「メリディアン・エトワール」からは徒歩圏内ですね。
この礼拝堂のステンドグラスが凄い。これは何の解説も要りませんね、画像で御覧下さい。


普通には見かけない様な小さな礼拝堂。何かいわれがあるのかな?と思ってたら、やっぱりありましたよ、ペール・スターク。


1842年7月13日、国王ルイ・フィリップの長男、オルレアン公フェルディナンドは自らの連隊の視察にサン・トメールに向かう前に、ヌイイの城にいる両親に挨拶する為に、二頭の馬に曳かれた軽四輪馬車(訳注:オープンカーの馬車みたいなものです)でチュイルリーを後にした。ポルト・マイヨー付近で馬が興奮して暴れ出し、王子は放り出され、地面に激しく叩き付けられた。レヴォルト街道4番地「コルディエ」食料品店の奥に運び込まれ横たえられた王子は、そこで息を引き取った。32歳だった。同じ年、王家付の建築家ルフランとフォンテーヌが、食料品店があった場所にギリシャ十字型の礼拝堂を建てた。ポルト・マイヨー地下の整備の際に礼拝堂は100メートル程移動された。


ペール・スタークの解説に出て来る「ギリシャ十字」とは縦横同じ長さの十字ですね。正教の教会なんかで使われる事が多いです。これに対して、磔像なんかでお馴染みの、所謂「十字架」は「ラテン十字」といいます。


サン・トメール(Saint-Omer)は北フランス、ほぼフランスの北端の町です。ここに向かう時に、というかその前に父国王に会いに行く時に彼は事故に遭ったのですね。馬車から放り出されて、敷石に頭を強く打ち付けたんだそうです。

しかし、馬が驚いて暴れた為に馬車から落ちて死んでしまったとはよくよく運の無い人ですねぇ。しかも馬に「乗っていた」訳でもないのに。馬車がオープンカーだったのが命取りでした。
これほど運の無い死に方というのは、「キャンピングカーで急ブレーキをかけたら、キャンピングカーのキッチンからフライパンが飛んで来て、頭を打って死んでしまった」というのといい勝負のような気もしますが。誰でしたっけ、フライパンで死んだのって?

2011年7月27日水曜日

「床屋?古いな。」

じゃあ日本では最近は何て言うんだろう?

美容院?ヘアサロン?まさかバーバーショップとは呼ぶまい。フランス語なら「サロン・ド・コワフュール」ですけど。
約半年放っといた髪を切り、すっきりしたおっさんであります。いや、床屋には行ってません。自分で電気バリカンでざざーっと。これで十分。

で、その話じゃなくて、
ゴルゴ13は後ろに人が立つのを嫌うのに、床屋なんかどうするんだろう? 
回答:鏡に映った後ろの様子をちゃんと見てるのさ。バーのカウンターでも、ミラータイプのライターとか酒のボトルに映してちゃんと後ろを見てる。

でもなくて。
いい加減本題に行かねば。といってもその「本題」そのものが暇潰しの話ですけど。
で、待ち時間の暇潰し兼トイレ使用の為、リヨン駅のまん前のカフェに入った訳です。


まぁカフェとは言っても、ほぼレストランに近いですね。喫茶客用のスペースより食事客用のスペースのほうがずっと広い。

で、おっさんはカフェのバーカウンターで暇潰し用のカフェ。席に座って飲むと値段が倍になりますからね。バーカウンターのカフェは1ユーロでした。これだけの店構えで、レベルからしてももうちょっとするかと思ってたので、結構意外。もっとボロい店で1ユーロ20セントとか1ユーロ30セントとか、もっと高い所もありますしね。
トイレも、こういうターミナル駅の近くとか観光名所とか、本当にトイレだけ使いに来る様な人がいる所は、もう店の客にさえトイレを有料にしてる店が結構ある中で、ここは客には無料、しかも広くてきれい。

で、コーヒーを飲みながらふと上を見上げると時計が。よく見ると…裏返し。


さらによく見ると…上下も逆。聖帝サウザーの体よりも複雑ですな。ふむ。床屋さん(だから最近日本では何て呼ぶんだ?)の、鏡に映して見る為の裏返し時計ってのはよくありますけどね。上下まで逆となると?
で、カウンターを見たら、こんな感じでした。


成程。カウンターに映して見る為の物でしたか。しかし普通に顔を上げれば見える位置にある時計を、わざわざカウンターに映す必要があるのかな?増して、カウンターに映してちゃんと見る為には結構いろいろ体の角度を変えて覗き込まなければならないんですけど。
大体、カウンターに映った時計の、位置関係は合ってるけど文字が逆さまじゃないか。
これはわざとなのか?それとも単に見落としてただけなのか?

まぁ、面白いからいいんですけどね。そんなことを考えてたら確かに暇潰しにはなったし。
さて、仕事仕事。

2011年7月26日火曜日

「菅直人空港」とか。

パリの表玄関である空港は「シャルル・ド・ゴール空港」ですね。

シャルル・ド・ゴールさんは第二次世界大戦の軍人さんです。フランスがドイツに占領され、ド・ゴール将軍はイギリスで亡命政府「自由フランス」を組織しました。そしてイギリスからフランスへ、ラジオ放送でドイツへの抵抗を呼びかけました。2010年にはラジオ放送70周年記念2ユーロ硬貨が発行されてます。

ド・ゴール将軍は戦後初の大統領となって、嫌気がさして引退して、また引っ張り出されて…まぁ、政治家ですから、賛成派・反対派がいる訳で、大統領としての評価は人それぞれですが、一般的に言って「著名な軍人・政治家」な訳ですね。

で、このド・ゴールさんの名前を冠したのがパリのシャルル・ド・ゴール空港です。日本ではこういうのやりませんねぇ。地名とか施設とかにあんまり人の名前は使いませんね。例えば名のある軍人と言うなら「乃木希典空港」とか「東郷平八郎通り」とか、政治家で言えば「吉田茂空港」とか「岸信介通り」とか。

日本の海上自衛隊に、例えば巡洋艦「北条時宗」とか駆逐艦「山本五十六」とかあったらどうでしょうかね。なんかやっぱりヘンでしょうか。
フランス海軍にはヘリ空母をはじめ、「ジャンヌ・ダルク」という艦艇が三隻くらいありますね。

パリにも「ジャンヌ・ダルク通り」がありますよ。パリに限らずフランス中に幾つかあるのでしょうが。そしてパリの「ジャンヌ・ダルク通り」にはまたもや銅像がありますね。


で、今までの銅像は(サント・オーギュスタン教会のはわかりませんが)一応ジャンヌ本人と何かしら関係がある場所でしたが、この「ジャンヌ・ダルク通り」はご本人とは特に関係は無いんだそうです。
ま、でも誰かの名前をつけた通りが全て縁の地って事もありませんしね。別にいいんですが。
「ジャンヌ・ダルク通り」に「ジャンヌ・ダルク」の銅像。まぁ、当たり前と言えば当たり前です。

フランス語WIKIによりますと、エミール・フランソワ・シャトルースさんが1889年に作った石膏像はオルレアン美術館に寄贈されてますが、これをもとにした銅像が1891年、ここに設置されたんだそうです。

で、ジャンヌ・ダルクはフランス東部の「ドンレミー」村(現在の名前は「ドンレミー・ラ・ピュセル」になってますが)で生まれ、大天使ミカエルのお告げを受け、「ヴォークルール」の町の守備隊長「ボードリクール」に掛け合って兵隊を貸して貰い、当時の王太子シャルルの下で戦い、1429年「パテー」の戦いで勝って劣勢を跳ね返し、「ランス」の町でシャルル七世を戴冠させてます。

で、これらの、「」で囲った名前は全てジャンヌ・ダルク通りの近くの通りの名前に残されてます。「大天使ミカエル(サン・ミッシェル)」だけはカルチェ・ラタンにありますけど。
現在は「リニー通り」と名前を変えてますけど、昔「サン・ミッシェル通り」と呼ばれていた通りがサン・トーギュスタン教会の近くにありますね。

話を戻すと、ジャンヌ・ダルク通りの近くに、ジャンヌ・ダルク縁の人や土地の名前を冠した通りが一杯ある訳ですね。他にもジャンヌと共に闘ったジャン・ポトン・ド・ザントライユ、ジャン・デュノワ、エティエンヌ・ド・ヴィニョル(通称「ラ・イール」)とか、ジャンヌとは時代は重なってませんが、百年戦争中盤の国王軍司令官オリヴィエ・ド・クリソンなんかの名前をつけた通りがあります。

寂しくない様に皆でジャンヌを囲んであげてるんでしょうかね。

2011年7月25日月曜日

イタリアン?フレンチ?

さてと、昨日の続きです。

昨日、チープお土産がもうひとつあると書いた、そのお土産がこれです。
ギャラリーラファイエットデパートのグルメ館で5ユーロ。


なんか、以前行った時には無かったけど、品切れだったんでしょうかね。

やっぱりこういう事をしてみたくなりますねぇ。


ベタな事をやっちまったぜ。ふっふっふ。

で、なんで昨日はこのパスタについて書かなかったかというと、ここはやっぱりこのパスタを使って何か作らなきゃいかんだろ、という事でして、昨日はその時間が無かったからですね。で、今日は時間に余裕があったので、作ってみましたよ。


ま、スープパスタですね。思いっきりテキトーに作った割にはまあまあの出来じゃないかい?てか、こんなの失敗のしようが無いか。
いや、実はスープパスタを作る前に、グラタンもどきも作ってはみたんですが。何故「もどき」かというとウチにはオーブンが無いので、電子レンジだけで作る「もどき」になってしまうからです。
で、「もどき」を作ったは良いけど、折角パリの名所の形をしてるパスタがクリームソースの中に埋もれてしまって、いや、写真映えしないこと。普通のマカロニグラタンと変わらない。名所パスタを使う意味がなかったんですよ。

そんな訳でクリアなコンソメスープのスープパスタって事です。
そういえばディズニーランド名物のミッキー型パスタもコンソメスープに入ってた様な気がする。

ですから、このパスタを使う時には、パスタの形がはっきり見える料理にした方が良いですね。クリアなスープでスープパスタ。パスタサラダなんてのも良いかも知れない。
カルボナーラ位なら大丈夫かな?(以前、思い立ってカルボナーラを作ってみたんですが、それが夏のクソ暑い時で、カルボナーラで更に暑苦しくなってしまいましたよ。)
ミートソースを使うなら、お皿にミートソースを敷いてから、その上にこの名所パスタを乗っけた方が良いかも知れませんね。

そんな訳で、いろいろと遊べるパスタじゃないかと。

パスタですから、一応イタリアンに分類されるんでしょうが(キッチンにテニスのラケットが置いてあって、「こんな物何に使うの?」「イタリア料理用さ」なんて会話だけ覚えてるんですけど、これって何の映画でしたっけ)、パリ名所パスタがイタリアンってのも何か変かな?

2011年7月24日日曜日

安上がりなお土産特集。

という訳で、本日はお土産の話。

旅行者の方々、いろいろお土産を考えるのも一苦労ですねぇ。で、お土産のアイディアを幾つかご紹介。かなり趣味に走ってる部分もありますが。

まずはこんなの。


ゴルフをなさる方にどうでしょう。エッフェル塔模様のボールにエッフェル塔型ティー。ボール・ティー共3ユーロ。ルーブル美術館前、リヴォリ通りのお土産物屋さん「LOVE PARIS」さんにて。ボールとティーを一個ずつ買ったら、6ユーロの所を5ユーロにまけてくれました。
でも、このエッフェル塔型ティー、ラ・モット・ピケ駅前の煙草屋さん兼お土産物屋さんで、12本入り9ユーロ50セントで売ってました。これをばらして一個3ユーロかぁ…てか問屋さんから仕入れてるんだろうから、原価はもっと安い筈ですねぇ…


同じ煙草屋さんで、こんなのも売ってました。


こう見ると普通のライターに見えませんか?まぁ、パリのお土産物屋さんなのに何故かロンドン・ニューヨーク・ローマの図柄も揃ってる所も変ですけど、実はこれ、大きさが普通じゃないんですね。この観光名所の図柄入りのライターは5ユーロですけど、他の煙草屋さんでは普通の、図柄の無いバージョンも2~3ユーロで売ってまして、こんな感じです。


よくある手ですけど、煙草の箱の大きさと比較してみて下さい。でかいでしょう?
で、このライター、ペンライトならぬライターライトにもなってます。災害時に備えて、ライター&ライト、どうでしょう。但しライターはスーツケースに入れてはいけない事になってますし、機内持ち込みも、ライターは一人一個しかできない事になってますからご注意を。


ライターのライト。何かダジャレっぽいですけど。もうひとつダジャレっぽい、パンのペン。


でもこのパンのペン、日本の方には結構評判が良くて、これを使ってると「かわいー!これどこで売ってるんですかぁ?」なんて言われたりします。やはりルーブル美術館前、リヴォリ通りのお土産物屋さん、「LOVE PARIS」さんで4ユーロですけど、他のお土産物屋さんでも、置いてる所は結構ありますよ。

さて、同じ「LOVE PARIS」さんと、その近くの別のお土産物屋さん「MAZAL」さんで、サイコロも売ってまして、


右のは「MAZAL]さんで3ユーロ。これは日本で言う花びら占いの時の言葉ですね。「愛してる、愛してない」というあれです。
バレエ「ジゼル」にもこの花占いのシーンがありますけど。ジゼルはアルブレヒトとの間を占う時、何と言ってるんでしょうかね。最後の花びらが「愛してない」になると分かって、ジゼルが占いを止めてしまった時、アルブレヒトは「愛してる」で終わる様に花びらを調整してちぎって、「もう一度よく数えてごらん、大丈夫だよ…」なんて言う訳ですが。ドイツでは何て言って花びらをちぎるんだろう?

フランス式は日本のより複雑で、

「Un peu(アン・プー:少し)」
「Beaucoup(ボクー:たくさん)」
「Passionement(パッショネモン:熱烈に)」
「a la Folie(ア・ラ・フォリ:夢中)」
「Pas du tout(パ・デュ・トゥ:全然)」

と言いながら花びらをちぎります。


さて、左のは「LOVE PARIS」さんで2ユーロです。これは「愛してる、愛してない」のレベルは通り過ぎちゃってますね。「今日はどうやって愛し合おうか?」とサイコロで…決めないか、普通。

さて、何かまた話が変な方に行きそうなので、ここらでちょっと軌道修正。お、これは正統派パリのお土産っぽいぞ、ここで売ってるんですから。


アンジェリーナのモンブラン、何か昔より小さくなった様な気がするんですけど。まぁそれはさて置き。このお土産は3ユーロ。


チューブ入りのマロンクリームです。お菓子作りが好きな方とか、自分で作らないまでも、クレープやホットケーキなんかに添えたり、どうでしょうかね。

「モン」は「山」の意味ですね。「ブラン(フランス語の発音は「ブロン」に近いですけど)」は「白い」という事。「モンブラン」は「白い山」です。栗のクリームのケーキだから茶色いんだけど、何で「白い山」なんだろう…?

「モンブラン」というケーキも、最近「アンジェリーナ」以外でもたまに見かけるようになって来ました。以前はここにしかありませんでしたが。
昔々、モンブランはフランス菓子だと信じてたある日本人が、「本場のモンブランを食べてみたい!」とフランスに渡ったんですが、パリ中探してもどこにも無い。で、パリどころかフランス中探し回って、地方の小さなパン屋さんでやっと見つけたそのケーキ、日本で言う「モンブラン」は、そこでは「フジヤマ」という名前だった…というのは今でもパリで語り継がれてるジョークですが、実話なんでしょうかね?それともやっぱりネタかなぁ?

さて、実はもうひとつあるんですけど、故あって後日にしまして、今日はここまで。
フランス旅行を計画中の方、参考になりました?

2011年7月23日土曜日

やっぱり重たい。

こういう有名観光名所の事を書くのはあんまり得意ではないんですけどね。
まぁたまにはいいか。

サン・ジェルマン・デ・プレの続きです。


こんな看板がかかってました。サン・ジェルマンの信者の皆さんが巡礼に行くらしいですね。モン・サン・ミッシェル。


たまたま「フラ・アンジェリコ展」をやってましたよ。と言っても作品がある訳じゃなく、作品の写真ですけどね。


それでも見応えがありました。
そうでなくてもこの教会を見学する時は結構エネルギーを使うんですが。


一通り眺めるだけでもやっぱりかなり時間がかかりました。でもやっぱり、毎回来る度に凄いと思うのはこれですよ。


レリーフに見えるけれど、実はこれ、描いてあるんですね。ここまで描ける様になるにはどれだけの修行が必要なんでしょうか。

ここらで歴史の方に行きましょうか。やっぱりコレですか。


クロヴィス王(訳注:フランス・ドイツ・北イタリアの素、フランク王国の初代国王)の息子、ヒルデベルトは543年頃にサン・ヴァンサンと聖十字架(訳注:キリスト磔刑に使われたとされる十字架で、その断片が各地の教会に祀られている)に捧げる聖堂を建立した。聖堂はメロヴィング朝の王家の墓所となった(サン・サンフォリオン礼拝堂)。教会の名前の由来となった聖ジェルマンもまた576年にここに葬られた。ノルマン人に略奪され、教会は1000年頃に再建された。鐘楼と前庭がそれを物語っている。工事は長期に亘り、建築上の様々な問題は多くの新技術の工法で解決された。身廊は1050年頃完成した。半円形の内陣は、放射状に並ぶ、尖頭アーチを持つ五つの礼拝堂に縁取られた周歩道に囲まれている(1163年)。1245年にピエール・ド・モントルイユが聖処女礼拝堂と修道院を加えたが、現在は残されていない。このベネディクト派修道院は、法王の直接の保護の下、1631年にはサン・モール学派を建て、この修道院はドム・マビヨンをはじめとする多くの優れた学問僧達によって、実り多い歴史研究の中心地となった。1790年には修道院は姿を消した。19世紀の教会の修復は必ずしも最良のものではなかったにしろ、教会の建築物はともかくもその価値を取り戻した。

教会を破壊したノルマン人とはバイキングの事です。ノルマン=北の人=バイキングはセーヌ川を遡って、パリはおろかもっと上流まで行っているのですね。その進攻を食い止める為、911年、シャルル三世がバイキングの首長ロロンにノルマンディーの土地を与え、ノルマンディー公爵として封じた訳です。これがノルマンディー公国の起源でしたね。

ピエール・ド・モントルイユは13世紀の建築家ですが、彼の生涯についてはあまり詳しくはわかっていないそうです。

ドム・ジャン・マビヨンは「歴史考証学の父」と言われた碩学で、「古文書学」の成立に貢献した人でもあり、サン・ジェルマン・デ・プレのすぐ近くの「マビヨン通り」や地下鉄「マビヨン」駅にその名を残してます。

で、ここからベネディクト派の事とか、マビヨン以外にもいっぱいいる学者さんとか、バイキングの事とか、続けようと思ったらきりが無いですねぇ。泥沼に嵌まる前に離脱しておこう。

画像も重たいけど、やっぱりテーマも重過ぎる。
てか素直に観光名所的な事を書いたらもっと軽く書けるだろうに。自業自得か。