2011年11月1日火曜日

ブリュッセル編のトリです。

さて、ここまで引っ張って来たブリュッセルネタの締め括りはサン・ミッシェル・ギュデュル聖堂です。

サン・ミッシェルはお馴染みでしょうが、ギュデュルさんはというと、七世紀の聖女で、ブリュッセルの守護聖女ですね。パリのサント・ジュヌヴィエーヴみたいなもんか。


9世紀、カストラムの丘に大天使を祭る教会が造られた。11世紀にロマネスク様式の教会になり、この教会は1047年に聖堂参事会のタイトルを得た。そして、聖ギュデュルの聖遺物がここに移されて来た。
現在のブラバント地方風ゴシック建築の教会の建築は、13世紀始めにブラバント公アンリ一世の命によって始まった。これはまたこの地にゴシック様式が現れて来た時代とも一致している。この巨大な計画が完成を見るには300年近くを要し、カール五世の君臨の少し前に終了した。
1983年から1999年まで続いた修復工事は石やドーム、ステンドグラスに嘗ての輝きを取り戻させた。そしてこの工事によって、重要な、そして非常によく保存された11世紀ロマネスク教会の遺跡が発見された。
1962年に教会は、メヘレンの聖堂と共にメヘレン・ブリュッセル大司教座として昇格し「サン・ミッシェル・ギュデュル『大聖堂』」に叙せられた。


歴史を少々

サンミッシェル・ギュデュル大聖堂の歴史はブリュッセルの街の歴史と密接に結びついている。元の教会の由来については確かな事は分かっていない。そして聖堂参事会が発足し、それ以前はサン・ジュリ礼拝堂にあった聖ギュデュルの聖遺物が元のロマネスク様式の教会に移されたのがやっと1047年の事である。この教会は町の最初の城壁の中にあった。
おそらく1225年頃現在の聖堂の建設が始まり、これはこの地にゴシック様式が現れた時期と一致している。13・14・15世紀を通じて、ロマネスク様式の教会はゴシック様式のものに取って代わられ、段々に姿を消して行った。壮大な二つの塔の完成は15世紀末まで待たねばならなかった。

聖堂には初期ゴシック、レヨナン・ゴシック、フランボワイヨン・ゴシックの他ルネッサンス、バロック、ネオ・ゴシック等様々な建築様式が混在している。
19世紀には建築家スュイの監督の下、主に教会外壁に対する大規模な修復工事が始められた。
時代を経るにつれ、特に大気汚染によって傷んできた。実際、教会は砂質の石灰岩でできており、これは強い息吹を伴う天候には弱かった。
そのため1950年台から60年代にブリュッセルの町とブラバント地方の主導によって修復工事が始められた。

修復工事公団による修復

この修復工事を成し遂げる為に、作業は1981年、公団に委ねられた。
芸術品(訳注:多分彫刻部分等の)の材質、建築上・考古学上の建物に対する吟味等の、この建築物に関する歴史の研究により、財団はすべての建築上・構造上・物理上の問題点を明確にすることができた。
作業は二部に分けて行われた。

第一部(1983-1990)
さらに二段階に分けられ、第一段階(1983-1987)は身廊、交差廊、交差部の尖塔の屋根、側廊と、連なる礼拝堂の屋根の修復を含んでいた。内部の修復作業はステンドグラスの繊細な修復、交差廊の透かし彫りの復元だった。
第二段階は石材の修復、飛梁と控え壁の安定。考古学調査の折に、昔のロマネスク様式の教会の壁と前庭の遺跡が発見された。この場所には、一般者がアクセスできる地下スペースが整備された。

第二部(1990-1999)
内陣、翼廊交差部、内陣の礼拝堂、聖具室と管理室の修復。調査中、内陣の地下にロマネスク教会の地下墓地の遺跡が発見された。その考古学的な価値の故に遺跡は埋め戻された。条件つき、用予約ではあるが、一般の見学もできる。
作業は1999年11月に終わった。大聖堂ではその十五日後にフィリップ皇太子とマチルド妃の結婚式が執り行われた。


この大聖堂にはちゃんと大天使ミカエルがいますよ。って当たり前か。
ちゃんと龍(悪魔)を打ち倒してます。


ではこれは?誰だか分かりますか?ヒントはこの人物が右手に持っているものですが。


聖ラウレンティウス、フランス語ならサン・ローランです。手に持ってるのは「焼き網」ですね。
この聖人に関しては5/13の記事を御覧頂きましょうか。

さてさて、これでブリュッセル編は終わりです。明日から「仏蘭西薀蓄堂」に戻ります。

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