2011年11月29日火曜日

オリンピア?それは英語読み。

フランス語では「オランピア」と読みます。

これは有名な劇場ですからね。御存知の方も多いでしょう。シャンソンのコンサートで有名なオランピア劇場です。


1888年、ム-ラン・ルージュの創始者であるジョセフ・オレールはこの場所にジェットコースターを設置した:その人気にもかかわらず、ジェットコースターは、これを危険と判断した警視庁によって閉鎖された。そしてオレールは劇場を作らせたが、これは「メラックとアレヴィのオペラグラスから覗いたオリンポス山、オッフェンバックから水彩までの400㎡」を思い起こさせるという内装を施したものだった。この、パリの最初の「ミュージック・ホール」はサーカス、バレエ、オペレッタ、歌のステージを提供し、ラ・ベル・オテロ、リアーヌ・ド・プジーやラ・グルーで名声を得、ミスタンゲット、マックス・ランデル、モーリス・シュヴァリエ、ダミアやピエロ「グロック」がそれに続いた。1928年には映画館となり、1954年、オランピアはブルーノ・コカトリクスの経営の下、再び扉を開いた。全面的に改修され、2000席を擁し、その後このミュージック・ホールはフランス、そして外国の数々のアーティスト達の舞台神話を産む事となった。

…これまた良く解らんな。アンリ・メラックとルドヴィック・アレヴィは共に劇作家、彼等の描くイメージのオリンポス山とは一体どんな風景だったんでしょうね。「地獄のオルフェ」(日本で言う「天国と地獄」、フレンチ・カンカンのバックの音楽)の作曲者オッフェンバックから水彩の400㎡というのは意味不明。いくら調べてもオッフェンバックから水彩に繋がる糸口が見当たらないんですけど。400㎡といえば20mx20m。ちょうど舞台の広さ位かな?

オレールさんはムーランルージュで出て来ましたね。

さてラ・ベル・オテロとはカロリーナ・オテロ 、スペインのダンサー、華麗な男性遍歴の末、6人を自殺に追い込み、彼女を巡る決闘も起きたとか。

リアーヌ・ド・プジーもダンサーで、ラ・ベル・オテロと張り合える程の悪女、しかも両刀遣い。

ミスタンゲットはその脚線美で一世を風靡した「レビューの女王」。

マックス・ランデルは後のチャップリンを思わせる様な映画プロデューサー、俳優、喜劇王。

モーリス・シュヴァリエはイヴ・モンタンやフランク・シナトラを思わせる様な歌手・俳優。

ダミアは謎に満ちた歌手、代表曲「暗い日曜日(Sombre Dimance)」はフランスでは放送禁止、日本では発禁。

グロックはスイス出身のピエロ役者、60年の舞台生活で2500曲以上を作曲、10種類以上の楽器を奏で、15ヶ国語で演じる事ができたとか。

そしてブルーノ・コカトリクス。この人の時代にエディット・ピアフ、ダリダ、イヴ・モンタン、ジョニー・アリデー等々、有名所が次々オランピアの舞台に上ります。

先日もアズナブールの看板が出てましたし。ん?いや、シャルルですよ。シャアじゃないから。

毎日の様に、何となくこの劇場の前を通り過ぎてるんですけどね。改めて見返すとすごい歴史ですねぇ。で、それがまだまだこの先も続くんでしょうね。さて、今の時代にオランピアの舞台を踏んだ若手から、次の時代にはどんなビッグネームが登場するんでしょうか。

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