2011年11月3日木曜日

本命ですねぇ。

今日はメトロの入り口のお話。これはどのガイドブックにも出てますね。

1900年、パリに地下鉄ができた時の入り口はアール・ヌーヴォーの芸術家、エクトル・ギマールがデザインしたものでした。
まぁ、本当の1900年オリジナルのギマールの入り口はあまり残ってなくて、現在見られるものは(ここに載せた画像も含め)レプリカというか、後に作り直したものが結構あるんだそうですが。

キャトル・セプトンブル駅の入り口。


ギマールの入り口 1900年

1899年、メトロの入り口をデザインする為にアール・ヌーヴォーの主要な建築家エクトル・ギマールが選ばれた。
しかし1900年のメトロ開業の際、この大胆な装飾の入り口はパリの人々を仰天させた。「メトロポリタン」の文字は読みづらく、夜に入り口を示す為のチューリップのランプは怪物の目みたいだと言われた。
従って1902年からは、もう少しおとなしい建築家達に入り口のデザインが注文される様になった。1913年、ギマールのデザインによるメトロの入り口の新設は停止され、更に1960年台に行われた駅の改装作業の際には、ギマールの入り口のうちいくつかが取り壊され、近代的デザインの入り口に変えられた。
しかし今日では歴史的記念建造物に指定されたギマールの入り口を修復する為に新しく金型が作られている。

いつの時代も、斬新な物は中々世に受け入れられないのですね。
エッフェル塔然り、印象派然り、ゴッホ然り。

これはちょっと毛色が違いますけど、アール・ヌーヴォー様式には違い無いですね。チュイルリー駅。


批判する人達は、ギマールがメトロの入り口をデザインした事から、アール・ヌヴォーの事を「何だ、地下鉄様式か」なんて揶揄したそうですね。
もうひとつのアール・ヌーヴォーに対する貶し言葉が「麺類様式(Style Neuille)」と言うものです。麺類みたいな、くにゃくにゃした変な曲線の様式、と言う意味ですね。


エクトル・ギマールとアール・ヌーヴォー 1867-1942

建築家エクトル・ギマールはアール・ヌーヴォー様式の源である。モダン・スタイルとも呼ばれたアール・ヌーヴォーは古い形式への拒否を表現している。流れる曲線は、益々工業化が印されて行った近代都市で、自然との繋がりを改めて表現した。ギマールは建築家であると共にまた装飾家でもあろうとした。パリのフォンテーヌ通り14番地のカステル・ベランジェは彼の芸術の主張であった。しかし口さがないパリの人々はこれを「カステル・デランジェ(迷惑な館)」と呼び、サルヴァドール・ダリと共に「麺類様式」と呼ばれたアール・ヌーヴォーは食べ物の芸術だなどと強弁した。
エクトル・ギマールはその生前には、彼が後に受けるであろう栄誉を見る事は無かった。駅の建築をギマール以外の芸術家に依頼した地下鉄は、彼の作品を修復し、復旧しなければならなかった。

「食べ物の芸術」と言う件りはやや意味不明ですが、まぁ貶してるんだろうなという事は想像がつきます。テレビドラマや映画の撮影現場では撮影に使う食べ物の事を「消え物」なんて言いますね。ドラマのシーンの中で飲食して、「消えて無くなってしまう」ものと言う意味ですが、或いはそんな意味が込められていたんでしょうか。こんな芸術はそのうち廃れて、消えて無くなってしまうだろうさ、とでもいう様な。

食べ過ぎて太った訳じゃありませんよ。横幅が広い入り口に合わせたダンフェール・ロシュロー駅の入り口。普通のものよりワイドサイズ。


そんなこんなで、パリの地下鉄の入り口の形や表示は駅によってバラバラで、全然統一されてません。統一する気も無いでしょうしね。日本だったらすべての駅が同じ表示になってなかったら「わかりにくい」とか苦情が来そうです。
こんな所も国民性の違いを表してて面白いんじゃないかと思うんですが、如何なもんでしょうかね。

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