2011年11月7日月曜日

ここにも。

いつだったでしょうかね、以前、「ノートル・ダム」というのは「ノートル」私達の+「ダム」レディー=聖母マリアの事だと書いたと思うんですが。だから聖母に捧げた教会は「ノートル・ダム」と名乗る訳で、「ノートル・ダム」はあちこちにあると。

この教会もそのひとつ。ノートルダム・ド・ロレット教会です。


なかなか美しい聖母じゃないですか。やはり美しいトリニテ教会もすぐ近くにあります。
ロレットというのはイタリアのロレートの事の様です。やはり聖母を祀る聖堂があり、巡礼さんなんかも多いんだとか。ロレートのフランス語読みがロレットですね。


で、例によってまたある訳です。ペール・スターク。


ポルシュロン集落の人口の増加により、パリ大司教ジャン・フランソワ・ド・ゴンディは1645年頃、新しく教会を建立する事にした。ロレットの聖母の御加護の下、モンマルトル修道院に属す教会は現在のラマルティーヌ通り54番地にあった。教会は1791年に完成し、1796年に破壊された。ペルシエとフォンテーヌの弟子であるイッポリット・ルバは1822年に新しい教会の設計コンクールに優勝した。1823年に建造開始、1836年に完成した。三角の破風を頂く4本のコリント式の柱を持つ列柱廊の他は、信仰、希望、愛徳の寓意で飾られており、サント・マリー・マジュールの影響を受けている。ロマネスク式聖堂の様に、実際この教会はカマボコ型の屋根をしておらず、身廊と内陣を凱旋門風のアーチが仕切っている。放置されていた壁画装飾とカヴァイエ・コルのオルガンの修復が1974年から1977年にかけて行われた。

ポルシュロンというのは現在のトリニテ教会の北側にあった集落だそうです。ルイ十三世の城壁にあったゲヨン門(高級レストランのドルーアンがありますね。HISパリ支店もすぐそばですが。)から城壁の外、北へ伸びる街道をポルシュロン街道といったそうで、これは現在のショセ・ダンタン通りに当たります。

しかしこの教会、恐ろしく時間をかけて造った割には数年で破壊されちゃうんですねぇ。1796年と言えば革命後の混乱期だからそういう事があってもおかしくはありませんが。それともこの1791年の教会は最初の教会とはまた別なんだろうか。


ルイ・イッポリット・ルバさんはトリニテ教会のときにも少しだけ顔を出してますね。ルバさんの先生ピエール・フランソワ・レオナール・フォンテーヌはルーブルの中庭のカルーセル凱旋門を造り、またヴェルサイユやルーブル、フォンテーヌブロー、マルメゾンなんかの修復にも活躍してます。もう一人のシャルル・ペルシエさんはフォンテーヌさんと一緒にカルーセル凱旋門の設計をしてますし、これまた同じく様々な城の修復を手掛けてます。実はこの二人は同門で、アントワーヌ・フランソワ・ペイルさんの弟子ですね。


この教会の中にある美術品の配置図がありまして、こういうのがあると助かりますね。


ところで、この教会の裏手の事務所入り口のコンクリートの床に何故か鳥の足跡が。乾ききらないうちに鳥が歩いちゃったんでしょうか。それとも装飾として「狙って」やったんでしょうか?


もしわざとなら、うーん、こういうの好きだわ。

最初の画像が真正面でしたから、最後は聖母の横顔で締めましょうか。どっちが好みですか?

0 件のコメント:

コメントを投稿