2011年11月27日日曜日

有名・無名の人々。

さて、今までこのブログにいろんな人達が登場しましたが。
王様、貴族、革命家、実業家、芸術家…

今日はモンマルトルを散歩していて見つけたこんな店。


一見何て事無いカフェです。テルトル広場の近く、観光客も多い所。日本人旅行者さん達も沢山いますよ。クソ高いミサンガを売りつけられたり、似顔絵描きの値段の高さにびっくりしたり、珍道中しながらも、この辺はやっぱり人気の観光スポットです。

で、ちょっとカフェで一休みする人は多いんですが、こんなプレートに目を留める人はあんまりいないんじゃないでしょうか。赤い日除けの陰、モン・スニ通りの表示プレートのすぐ下に、こんな物がありますよ。


このレストランで、1919年から1935年の間、偉大な芸術家シュザンヌ・ヴァラドンが息子のモーリス・ユトリロを連れてしばしば食事をした。

のだそうです。さて、シュザンヌ・ヴァラドンは「偉大な芸術家」でしょうかね?まぁ、そうなんですけど、日本での知名度はいまひとつじゃないですか?

以前、日本から見えた方が、「昔パリの画廊で絵を買った事がある」とおっしゃいまして。
「へぇ、どんな絵を買ったんですか?」
「えーと、何だっけ、誰だかのお母さんとか何とか…」

画家で、息子の話題が出る(「あの人のお母さんですよ」で通じる)と言えば、これはもうヴァラドン・ユトリロ母子が真っ先に思い浮かびます。

「あぁ、ユトリロのお母さんのヴァラドンじゃないですか?」
「あ、そうそう、それ。」

…ちょっと待て。10号(55x46cm)位の絵だと言ってたから…当時1000万円位してた筈だぞ?「何だか、誰かのお母さん」の絵に1000万円って…凄い金銭感覚だな。

ヴァラドンとユトリロ、母子で名字が違うのはユトリロが私生児だからですね。ユトリロを自分の子として認知してくれたのがミゲル・ユトリロさんだったからです。

画家としては、母子で画風は全く違いますけどね。ヴァラドンはモデルから画家を目指し、ロートレックやドガに認められデビューします。息子のユトリロはアル中の治療の一環として絵を描き始めたのだとか。

こういう有名人達はWIKIにでも行けば、或いはググればいくらでも調べられますけど、今度は本当に無名の人のお話。


これまた何て事無い店です。ユトリロ・ヴァラドンの店と同じ、モン・スニ通りにあります。
そして同じ様に、誰も気に留めもしないプレート。


1436年、サン・リュスティック通りとサン・ドニ通り(現モン・スニ通り)の北の角に、村で唯一の食料品屋であるジュアン・ドゥルセが住んでいた。

モンマルトルがパリの中に含まれる様になったのは1840年以降ですから、このプレートに記されているドゥルセさんの頃にはここはまだ郊外のモンマルトル村でした。その田舎(?)村で唯一の食料品店がここだったと。

この辺がフランスの凄い所というか。村の食料品店の事を、こういうプレートにして後世に伝える訳ですね。念の為フランス語WIKIも見てみましたけど、やっぱり載ってない。本当に「無名の一市民」だったんですね。

アメリカ式スクラップ&ビルドの日本では、こういうのは見ないと思いますが。増して村の食料品店ですよ。勿論石積み建築と違って木造建築ではそうそう古い建物は残ってないと言う事情もあるんでしょうが、この店だって別に15世紀の建物をそのまま使ってる訳じゃありません。建物そのものは最近のものですけど、記念のプレートはちゃんと受け継がれるんですよね。

他にもパリの街を歩いていると、こういうプレートがいくつもあって、有名な人のもありますけど、「この人…誰?」と言うのも沢山あります。まぁ、おっさんが不勉強で知らないだけなのも多いかとは思いますが。またはフランス人ならすぐ分かるけど外国人には難しい、なんてのもあるかも知れません。

ま、いろいろ歩いてみて、こういう発見があるのは楽しいものです。

ん?いや、いつかうちのアパートに「ここに日本人のおっさんが住んでいた」なんてプレートが出るとは間違っても思ってませんよ。

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