さて、比律悉ネタが一段落して、話が巴里に戻って来ました。
しかしこれでどうやってブリュッセルと読むかね。まぁパリだってそうですけど。
パリに戻って来たんだから今回はいかにもって奴で行きましょうか。
これです。
内部は撮影禁止なんで画像が無くて残念ですが、サクレ・クール寺院に入ってすぐの聖水盤の所にキリストを象徴するXPとΑΩの組み合わせ文字があるんだけどな。「ん?何それ?」という方は10/27の記事を御覧下さい。
1873年7月、フランス下院はパリ司教区が建設を提案した、国民からの寄付による、「イエス・キリストの聖なる御心を讃え、フランス、特に首都に慈悲と神の御加護を呼び起こす為」のモンマルトルの丘の頂上の聖堂の一般的有用性を宣言した。こうして1870年に発せられた「国民の願い」は法王解放とフランスの救いの為に具現化された。法王ピオ九世はイエズス会の懇願に応えて聖なる御心の祭礼を制定したばかりだった。この巨大な建造物の礎石は「砲兵隊の広場」の土地に1875年に置かれ、建設は苦難の末に達成された:献堂は1919年10月16日にやっと行われた。
いつも思うけど、このペール・スタークの文章って読みにくい。修飾語をいくつも挿入したり、途中で文章が飛んで別のところに係ったりするのがかなり多いんですが。
ま、それはともかく。
1873年と言えばフランスの苦難の頃ですね。普仏戦争ではナポレオン三世皇帝自らが敵の捕虜になっちゃう体たらく、アルザス・ロレーヌ地方も取られてしまい、「こんな無能な政府に任せておけるか!」と立ち上がったコミューンの乱も線香花火に終わり、フランス国民は皆して落ち込んでた頃です。ここで国民が元気になる様な、立派な聖堂を建立して新規一転、やる気を出そうじゃないか!という事で寄付も集まり、「聖なる御心」を讃える聖堂建設の運びとなった訳ですね。
内部の丸天井のモザイクのキリスト様の胸に「聖なる御心」が表現されていますよ。そしてキリスト様の左右にマリア様と大天使ミカエル、足元には法王様とジャンヌ・ダルク。その左には様々な国の民族衣装(?)を纏った人々、おそらく「世界」を象徴するんでしょうが、その中には日本の着物を着た人物もちゃんと描かれてます。右にはサクレ・クール寺院をキリスト様に捧げる高位聖職者や政府関係者と思しき人達。
画像は
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Sacre_Coeur_-_Mosaique_de_l%27abside.jpg
で見られます。
鐘楼。だから外からの画像しか撮れないんだってば。
斜め前から。
イッポリット・ジュール・ルフェーブルの手になるジャンヌ・ダルクとルイ九世の像が見事ですね。このルフェーブルさんは中にある主祭壇も手がけてます。でもやっぱり画像なし。
聖堂に背を向けて南を見れば、パリの街を一望できるテラスです。
こういう所にお約束のコイン望遠鏡とかもありますしね。ここから見える景色の、どこに何が見えてるのかを解説する案内板も当然設置されてます。
さて、「聖なる」場所なんですが。地下鉄のブランシュ駅から寺院に向かう階段にはミサンガの押し売りが一杯です。「手を出して!」なんて言われ、いきなり手に組み紐を編み始められ、手を引っ込めようとすると「FREE!FREE!」なんて言われ「え?タダなの?」なんて思ってたらやっぱり料金を請求され…50ユーロくらい払わされた人も居たとか。タダの訳が無いし、増して普通払うか?それ。大体そこまでの事態になる前に振り払うべきでしょう、どう考えても。
日本人って善良。
似顔絵描きもいますけど、描いて貰うなら値段交渉してから描いて貰って下さい。描かせてから値段を尋ねるととんでもない値段を言って来ますからね。以前日本から見えた方お二人とテルトル広場に行った時、はじめに「いくら?」と聞いたら一万円近い値段を言って来まして(今は円が強い分そこまでは行かないかも知れませんが)、で「高い、いらない」と言うと「ちょっと待って!じゃあ…(値下げ)」「それでも高い、いらない」「ちょっと待って!じゃあ…」これを繰り返し、最後は二千円相当位になり、一人がOKして描いて貰ってました。
画家さんがもう一人寄って来て、「もう一人の方も似顔絵いかがですか?今描いて貰ってる画家さんと同じ値段で良いですよ」と。で、「こっちの画家さんには二千円相当で描いて貰ってるんだけど…本当に同じ値段でいいの?」と聞いたら「え?二千円?」と一瞬ギクっとしたその画家さん、溜め息をつきながら「しょうがない、描きます」と言って筆を執ったのでした。
こんな事ばっかり読まされたらイヤになっちゃうかも知れませんが。そういうのに気を付けてさえいれば大丈夫。「気をつけて」、でも「楽しんで」下さい。
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