さて、昨日出てきましたゲヨン門です。
と言っても門はもうありません。ルイ十三世の城壁の門ですからね。シャルル五世のパリはグラン・ブルヴァールからサン・ドニ門の所で南西に曲がり、現在のアンドレ・マルロー広場の辺りまででしたが、ルイ十三世がこれをゲヨン門を通ってマドレーヌ大通りまで、西に広げた訳ですね。ルイ十三世の城壁の西端がロワイヤル通り、マドレーヌ寺院とコンコルド広場を繋ぐ通りで、だからサン・トノレ通りもここから西は「フォーブル」がついて、東は「フォーブル」がつかないと言う事です。詳しくは5/21の記事を御参照ください。
という訳で画像はありません。代わりにこれ。
ゲヨン門はルイ十三世のパリの境界線を示していた。1672年、アルドワン・マンサールはミショディエール通りの位置に、金融家ニコラ・フレモンのために館を建てた。娘婿のロルジュ公爵は1690年、住居を拡大する為に門を取り壊させたが、館は1778年から1826年にかけて、不動産投資の犠牲となって徐々に失われて行った。1707年、ジャン・ボージールはロルジュ邸の壁に凭れる様に泉水を造ったが、館とともに失われ、ヴィスコンティにより再建された。ゾラはミショディエール通りの2番地、「御婦人方の幸せ」と呼ばれた店の所に居たが、店の本当の名前は「平和」と言った。向かいの1880年開業のレストラン「ドルーアン」では1914年以降、ゴンクール賞の選考会が開かれている。
ゴンクール賞はフランスでもっとも権威ある文学賞のひとつです。作家のゴンクール兄弟の遺言により、その遺産で「ゴンクール委員会」が運営されていますが、受賞者に贈られる賞金は10ユーロなんだそうです。これは賞金そのものはただの象徴であり、実際に受賞者が受ける名誉や、受賞した事で話題になって、本の売れ行きがぐんと伸びる事の方が本当の賞品であるという意味なんでしょうね。
高級レストラン「ドルーアン」。ゴンクール賞審査委員会が開かれます。このレストランには一般のフロアの他に個室が幾つかあって、委員会が開かれる「ゴンクールの間」もちゃんとありますよ。
ペールの解説に出て来る泉水。ヴィスコンティ作の1827年のものですね。
元々は1707年、国王付き建築家ボージールによる「大ルイ(ルイ十四世の事)」の泉水がありましたが、これは失われました。しかしこのボージールさん、泉水専門の建築家だったんでしょうかね。履歴を見たら、作品リストが泉水の建築と修復ばっかりなんですが。
そしてヴィスコンティが再建、現在の物は更に1971年、パリ市の建築家オベルドゥルフェール(読みにくい名前だ)によって修復されています。
この泉水の建築費は勿論パリ市が出してる訳ですが、他にも「A.E.ヴィオー、C.A.カユー両氏」と記されてますね。この人達が寄付でもしたんでしょうか。
泉水の前はレストランになっていて、夏なんかは涼しげで宜しいですね。これからの季節はちょっとつらいものがありますが。でもフランス人って寒い時期でも、コートを着込んででもテラス席(とは言っても舗道にテーブルと椅子を並べただけって気がしますが)で飲食するのが好きですね。更に室内は禁煙ですし。テラス席は外だから煙草OKです。
ところで、ゲヨン門ともロルジュ公の館とも関係無いんですが、このすぐ近くにある建物の装飾が面白かったんでついでに載せます。
えらく手の込んだ彫刻と窓枠です。でもその窓から見える中の様子からすると、何か事務所として使われてるんでしょうが、なんともはや、艶消しですねぇ。もうちょっと片付けてもいいんじゃないでしょうか。せっかく美しい建物なのに。
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