突然ですが爆弾です。
フランス語でBombe(ボンブ)、英語ならBomb(ボム)ですね。オペラ座近く、キャトル・セプテンブル(Quatre Septembre)駅のすぐ近く、同名の通りにある「Bombe(爆弾)」という名前の店です。
何でこんな物騒な名前になったかというと、多分これのせいじゃないかと思うんですが。
1918年という事は第一次世界大戦ですね。第一次世界大戦中にはイタリア、ロシア、イギリスが爆撃機を生産して戦闘に投入、ドイツは飛行船でパリやロンドンを爆撃しました。フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵が硬式飛行船を開発したのが1900年、戦争中には飛行船は爆撃にも使われました。戦後、ドイツは敗れましたが、飛行船建造はドイツの夢として続けられ、1929年にはツェッペリン伯爵の夢を引き継いだエッケナー博士がグラーフ・ツェッペリン号で世界一周飛行を達成し、日本にも立ち寄っていますね(ツェペリン伯爵はこれには間に合わず既に他界していましたが)。そして第一次世界大戦後、ナチスが台頭する中、ドイツの国威発揚としての巨大飛行船ヒンデンブルグが造られますが、アメリカからヘリウムガスの供給を拒否され、危険な水素ガスでの飛行を余儀無くされ、爆発・炎上して飛行船時代の終焉を迎えたのは御存知の通り。
第一次世界大戦後期にはドイツも「爆撃機」を開発・投入してます。この爆弾の跡も1918年、そして「Bombe d'avion(飛行機の爆弾)」となってますから、飛行船ではなく飛行機から投下された物でしょう。
そしてサントス・デュモンの国際連盟への嘆願。「飛行機を戦争の道具にするな」と。
これについては5/31の記事参照。
パリジャン・パリジェンヌが楽しくお茶してお喋りするカフェのすぐ脇、画像では右手の貸し自転車の貸し出しスタンドの所に、この爆撃の記念碑があります。
そしてもうひとつ、パリには爆撃を思い起こさせるものがありますよ。毎月第一水曜の正午、パリの街には空襲警報が鳴り響きます。パリのあちこちに設置されたサイレンが一斉に鳴り出すんですね。まぁ、今では空襲に限らず防災の意味もあるでしょう。勿論今後パリの街が内乱とか外敵の侵入とかに絶対に出くわさないという保障も無い訳ですが。
警報装置をずっと放置しておいたら、実際に何かあって警報を鳴らそうとした時に錆付いてて作動しなかった、なんてのじゃ困る訳で、月に一回テストをするんですね。
このサイレンが第一水曜の正午以外に鳴らない事を祈りますが…
このサイレンが鳴る時、戦争を知ってるおじいちゃん・おばあちゃん達は子供や孫達に戦争の頃の事を語り聞かせるんでしょうか。水曜日は子供達は学校が休みですし。あえて水曜日の昼を選んだという事はやっぱりそういう意図もあるのかな。
そして、この「Bombe」のすぐ近く、キャトル・セプテンブル通りとルイ・ル・グラン通りの交差点にはもうひとつの記念碑。
1944年8月20日、FFIのルイ・デュマ、19歳はここに、敵の銃弾に倒れた。
フランス人よ、忘れるな!
FFIというのは「Force Francaise de l'Interieur」つまり「フランス国内軍」で、ドイツに対するレジスタンス組織ですね。レジスタンスに関しては8/2の記事を御覧頂きましょうか。
1940年6月14日、パリはナチス・ドイツの手に落ちます。フィリップ・ペタン首相は降伏しフランス南部を基盤とする傀儡政権、ヴィシー政権を樹立、北フランスはドイツに直接支配されます。6月17日にロンドンへ亡命したシャルル・ド・ゴール将軍は亡命政府「自由フランス」の前身「国民委員会」を設置。6月18日、ド・ゴール将軍はラジオでフランス国民にドイツへの抵抗を呼びかけます。
「自由フランス」は連合国と協力してフランス国外で活動すると共に、フランス国内のFFI・レジスタンス組織を指揮します。
映画「大脱走」でもカフェの主人がレジスタンスで、オープンカフェにいたジェームズ・コバーン演じるセジウィック(捕虜収容所を脱走中)に手招きをします。二人がカフェのバーカウンターの陰に隠れた途端、同じくカフェにいたドイツ兵に向かって、カフェに乗りつけたレジスタンス兵士の車から銃撃が…そしてセジウィックはレジスタンスの協力を得てピレネーに向かいます。セジウィックが片言のフランス語でレジスタンス兵士に「エスパーニュ?」と聞くと、兵士は「エスパーニュ。」と答えますねぇ。
捕虜の脱走ネタならもうひとつ「勝利への脱出」がありますね。これはドイツ国内の話で、FFIは直接には関係ありませんけど。
捕虜たちが暇つぶしに始めたサッカーを見て、ドイツ側は「ドイツは捕虜とサッカーの親善試合をする位に民主的なんだぞ」とアピールする為に捕虜チーム対ドイツチームの試合を組み、その裏で捕虜側は集団脱走計画を練り…
本物のサッカー選手(ペレとか)が出演した映画ですが、このストーリーのモデルになった実話、ウクライナのクラブチーム「ディナモ・キエフ」対ドイツチームの試合では、ディナモにフルボッコにされてプライドを傷つけられたドイツは腹いせにディナモの選手達を強制収容所送りにしてます。ひどい話だ。
当時、捕虜は脱走して敵の後方を撹乱する事、脱走した捕虜の捜査や捕獲に人員や時間を割かせて、敵が戦闘に使える兵員を減らす事も任務の一部だったそうですね。
岡本喜八監督の「近頃なぜかチャールストン」(これまたおっさんの大好きなATG映画ですねぇ。ATGについては4/30に書きました。)なんて映画があります。「世の中がキナ臭くなって来るとチャールストンが流行る」「チャールストンが流行ると戦争が起きる」なんて言われていて、近頃何故かチャールストンが流行りそうな雰囲気だぞ、気をつけろ、という意味のタイトルですね。
チャールストンのリズムは好きですけど、流行って欲しくはないですね。
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