2011年12月19日月曜日

話が前後しますが。

昨日の話でロッシュ編が終わるとちょうど良かったんですけどね。そううまくは行かなかった。ま、何事もなかなか思う通りには行かないもんです。

まだ続くのです。町の一番の中心広場「ナポレオン広場」です。
ロッシュ・スュル・ヨン村そのものは昔からあった訳ですが、ナポレオンがここをヴァンデ地方の都と定めてから更に大きく発展した町ですからね。


普段は市民の憩いの場といった「公園」なんでしょう。今日は市が立ってました。


こんな感じの「あずまや(?)」もあって、普段は公園なんだろうな、とわかります。


そしてこの広場の一角、旧裁判所。


1814年に完成した旧裁判所の正面は、ドーリア式の柱と三角の破風で形成された壮大な構えになっている。その抑制の効いたスタイルは、この新しい町の建設に採用されたネオ・クラシック様式建築をよく表している。正面入り口ホールには、嘗ては二つの中庭に面した採光窓の光に照らされた傍聴席があった。上階は犯罪、懲罰、民事の法廷で占められていた。
裁判所裏手には刑務所があった。刑務所はたったひとつの中庭で裁判所と隔てられているだけだった。1903年に取り壊され、郵便局の建物にとって代わられるまでは、刑務所は男女合わせて平均五十人程を収監する監獄として使われた。
1978年、旧裁判所は音楽学校、そして250席の小劇場を持つ国立音楽、舞踊、舞台芸術院となった。

下の豆知識の所にはナポレオン法典の事が書かれてますね。4ヶ月かけて推敲を重ねたという(それを長いと見るか短いと見るかは人それぞれでしょうが)ナポレオン法典はそれ以降のほぼ世界中の法律に影響を与えたといわれ、日本の民法にもその影響が見られるそうですが。
ナポレオンの平均睡眠時間が4時間とかいわれた頃でしょうね。えらい体力だ。

さて、旧裁判所でいきなり夜景になっちゃいました。序でにもっと夜景。


うーん、やっぱり夜景を撮るのって難しい。ライトアップされたナポレオンの銅像なんか、1968年、エジプトのカイロ近郊の町ゼイトゥーンの聖母マリア教会(エジプトはイスラムの国ですけど、カイロにはコプト派のキリスト教徒も結構いた)に出現した「光の聖母」の写真みたいですね。

さて、さっきの市場の写真の奥にチラッと見える教会の事を書いたらロッシュ編は終わりです。いや、ここだけは単独で取り上げざるを得ないんで。また明日。

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