2011年12月17日土曜日

到着。

一泊の出張の話を書くのに何日使うんだ。そして仕事はどうなったんだ?

てな訳でやっと目的地ロッシュ・スュル・ヨンの話に入りました。人口52000人程。1804年、ナポレオンによって開かれた町ですね。


のどかな、地方都市の駅です。駅前にはこんな案内板が。


ナポレオン周遊路は、貴方を三つの解説コースを通して、発見、散策のひと時、建築・都市的記念建造物等、ロッシュ・スュル・ヨンの歴史的中心をご案内します。

旧市街
ロッシュ・スュル・ヨン村(訳注:原文「Bourg」とは市が立つような地方の重要な村を指す)は11世紀の資料に既に記載が見られ、村の中心となる要塞の周りに向けて段々に広がって行った。ポワトーとの境界線付近にある城は百年戦争の激戦の時のものでもある。15世紀には大公領の資格の許、ロッシュ・スュル・ヨン荘園が発展した。

ナポレオンの町
ナポレオン一世皇帝は1804年5月25日、ヴァンデ県の県庁をフォントネ・ル・コンテからロッシュ・スュル・ヨンに移し、自らの名を冠した町を造る事を宣言した。新しい町は広い大通りに囲まれた五角形の中に位置し、権勢を表す公共の建物に囲まれた中心広場は皇帝がこの町を選んだ事を象徴している。その周りの地区は、機能的都市の例に従って、碁盤の目状に配列されている。

駅周辺
1866年のロッシュ・スュル・ヨンへの鉄道の開通は、駅周辺の新開地の建設により、五角形の大通りの西側への町の拡張をもたらした。北側の大通りの外側には二つの重要な建物が造られた:鉄道に面して造られたEcole Normale de garcons(訳注:通常Ecole Normale (Superieur)というと研究者や指導者の養成校です。ただ、この学校がそれに当たるのかどうかは未確認ですが。)と劇場の通りの延長上に造られたサクレ・クール教会である。

この町の面白い所はフランス伝統のロータリーを採用せず、日本で言う碁盤の目、フランスで言うDamier(チェス版の様な格子模様)になっている事ですね。

案内版にあるサクレ・クール教会。


残念ながら開館日が合わなくて見られませんでした。百年戦争時代の城も見に行く時間は無かったしなぁ。ま、次回という事で。

上記の総合案内板のすぐ近く、駅前に早速ありますよ。駅周辺コースNo.20が。


しまった、下の「豆知識」の部分が反射して読めないじゃないか。

ナポレオン・ヴァンデ鉄道

1866年12月24日、ナント=ロッシュ・スュル・ヨン間の最初の鉄道がオルレアン鉄道会社によって開設された。地方の鉄道会社に宅されていたラ・ロッシェル、レ・サブル・ドロンヌ等他の町への線は1878年に国鉄に合併される事になる。その時からロッシュ・スュル・ヨンの町は経済・商業の発展に好都合な「星型の中心」になって行く。地方の為の幾何学的鉄道網は1900年から全国網に接続された。鉄道網の発達は「五角形」の外側へと広がる新しい町を発展させた。ロッッシュ・スュル・ヨンはヴァンデ県の経済の中心、農産物取引の極となった。

さて、少し町を歩いてみましょうか。おや、またありましたよ、案内板。これはナポレオンの町コースですね。


1847年に開設された美術館は市役所の中にあった。建築家オーギュスト・ブドーによって造られた現在の建物は吹き抜けの本体部分と、併設された両翼により、元の市役所に匹敵する容量になっている。初期には地上階には簡易裁判所、上階に美術館があったが、最終的には美術館がこの貴重な建築物の恩恵を受ける事となった。破風の彫刻は芸術と文学を象徴している。
美術館のコレクションは二百年の間に国の援助、寄贈、遺贈などにより拡大されて行った。特にポール・ボドリーの作品と、「ジェデオン」と「ヴァッシュ・キ・リ」の生みの親であるイラストレーター、バンジャマン・ラディエのデッサンが挙げられる。1980年以降は、現代写真のコレクションが増強された。


これまた美術館の開館時間は過ぎちゃってますけどね。
ジェデオンというのはフランスの漫画の主人公の小鴨です。ヴァッシュ・キ・リ(笑う牛)はチーズの銘柄で、まぁ日本で言う6Pチーズみたいな感じですが、そのパッケージのイラストが本当に笑ってる牛の図柄です。どっちもこの解説にあるラディエさんの作ですね。


味のある郵便局の建物。こういうの大好きです。

さて、見物はこの辺にしとかなきゃなぁ。仕事仕事。

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