別に「ヨーロッパ周遊」出張に出る訳じゃありませんよ。(そんなのがあったらいいなぁ。)
サン・ラザール駅の裏を一回りするだけです。駅そのものについては9/27の記事をご覧頂きましょうか。サン・ラザール駅の北側一帯は「ヨーロッパ地区」と呼ばれ、ヨーロッパの都市の名前をつけた通りが沢山ありますのでね。ちょっと時間ができたから歩いてみようかと。
スタート地点はサン・ラザール駅前南西側、「Court de Rome」ローマ広場です。
サン・ラザール駅の西側に沿って進むとローマ通り。
以前、日本から見えた方に「この、オペラ座の西側を…」と言ったら、「東西南北言われても分からないっ!」と怒られました。いや、地図ってのは上が北ですからね。西側と言ったら地図上の左側ですよ。こういう人に限って、右左で説明すると、なんかとんでもない方向を基準にしてそこから左右を考えて、結局迷うんですよね。
それはさておき。
すぐ左側(西側って事ですよー)にはストックホルム通り。
右側には駅構内が見えます。
更にローマ通りの坂を上ればウィーン通りが。フランス語ではヴィエンヌですね。ドイツ語でヴィーン、これを英語読みしたのが日本でお馴染みの読み方「ウィーン」です。
所で、クロワッサンやパン・オ・ショコラ等の菓子パン(?)をヴィエノワズリー(ウィーン風菓子)といいます。これはマリー・アントワネットがオーストリアから嫁いで来た時に伝わったものだからそう呼ぶんだと聞いた事があります。
そして更に上り、左側にはマドリッド通り。マドリッド通りを進むと、途中からリスボン通りと名を変えます。やっぱりスペインとポルトガルってセットなんだろうか。
一旦ローマ通りに戻り、更に北上。次の変形交差点ではローマ、エディンバラ、コンスタンティノープルの三つの通りが交差してます。コンスタンティノープルってヨーロッパなんだろうか。まぁ、東ローマ帝国の都ではあったけど、今はトルコのイスタンブールになってる訳ですしねぇ。そういえばトルコのヨーロッパ連合加盟問題はどうなったんでしょうか。サッカー協会やオリンピック委員会の組織なんかではトルコはすでにヨーロッパに含まれるんだそうですが。
そのすぐ先がナポリ通り。1492年、コロンブスはアメリカ大陸に到達します。そこで現地の風土病を貰って来てしまいました。コロンブスがヨーロッパに持ち帰ったのが「梅毒」です。梅毒はヨーロッパに広まり、更に1512年には既に日本での感染が確認されてるそうですから、凄いスピードで世界中に広まった事になりますね。1494年、シャルル八世がイタリアに攻め込み、ルネッサンス芸術に驚嘆して、イタリアの芸術家や職人をフランスに連れ帰る訳です。シャルル八世、ルイ十二世、そしてフランソワ一世の時代にフォンテンブロー派の芸術が花開く事になりますが、このフランソワ一世は梅毒で死んだと伝えらていますね。
この梅毒、フランスではイタリア遠征の時に「うつされた」ナポリ病、イタリアではフランス軍が「持ち込んできた」フランス病と呼ばれたんだとか。責任のなすりあいか。
ナポリ通りのすぐ北側がコペンハーゲン通り。この辺りから先にはヨーロッパの都市の名前の通りはありませんから、ここらで方向転換ですね。もうかなり北へと上ってまして、ここからモンマルトルの丘の入り口、クリシー広場もそう遠くありません。
ほら、もうこんなに上って来た。
ここらで休憩。下りは明日。
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