2011年12月18日日曜日

やっと仕事かい。

もう出張はとっくに終わってパリに帰ってますけどね。
やっと出張先の仕事の話題にまで辿り着いたか。

おっさんの仕事なんか誰も興味無いでしょうから内容まで書きませんが、ともかくやって来たのは県議会。県議会に用がある訳じゃなく、この県議会ホールで行われるイベントのお仕事。


随分かわいらしい、小屋みたいなホールですね…という訳ではありません。これは前庭の入り口。前庭に入ればこんな感じ。


そしてここにもありますよ、案内板。ここは元は病院だった様ですね。


ナポレオンの病院

軍病院建設の計画は、町にいた軍人達の治療の為、かなり早い時期から検討されていた。五角形(訳注:の形をした町)の外周沿いに造られた病院は、健康と衛生の問題を町から取り払った。
技師コルミエに委ねられ、1811年に完成した病院は1818年に県に譲られ、(訳注:軍人だけでなく)市民も受け入れる総合病院となった。初期の建物は四角い前庭を取り囲むものだった。病院は建築家カストロ、ペレラン、ウィロームによって改造され、県議会ホールとなった。

ここにもありました。イエス様生誕前バージョンのクレッシュ。


イベントの話は省略します。別に読みたい人もいないでしょうし。しかし少々シャンペンを飲みすぎたぜ。

で、お開きの後外に出るともう真っ暗。


ホテルに戻る途中、いや、ここにもあったじゃないか。


劇場

もともとは、1804年の皇帝勅令により、興業、または「コメディ(訳注:コメディといってもお笑いではなく、演劇そのものや、或いはイタリア軽喜劇を指したりします)」の為の建物が計画されていた。建築はやっと1843年になってから、城の敷地にあった仮兵舎の跡地で始められた。
建築は「古代調」に分類されるもので、ナポレオン広場周辺にあるサン・ルイ教会や裁判所と共にネオ・クラシック建築の重要な一例である。建物は建築家ユルバン・ピヴァールに、内部装飾はナント出身の二人の芸術家、ルイ・ルシアン・ペンヌとジョルジュ・ルヴローに委ねられた。
1845年の私立劇場の完成は、40年前に始まった町の公共施設建築計画の完了を告げた。県庁前の町で第二の広場に建てられ、劇場は町の中で象徴的な位置を占めている。2004年に修復され、劇場は現在373席の収容力がある。

そんな訳でロッシュ出張も終わり、パリに帰ります…と、そう簡単にいかない所が何ともはや。町の一番の中心をまだ紹介してないじゃないか。
まだ引っ張るのか。

0 件のコメント:

コメントを投稿