いきなりこれです。
この、当市の重要な記念碑は19世紀始めを特徴付けるネオ・クラシック様式を呈している。(訳注:この教会を造った)橋梁や道路の技師達は、ギリシャ神殿を参考にしたバジリカ構造の設計を採用しているが、しかし、元は側面の礼拝堂は予定に入っていなかった。礼拝堂は1824年に、身廊の壁を補強する為に造られた。そして教会はラテン十字の形態をとる事となった。
教会は1830年にサン・ルイの守護の元に献堂された。中央身廊は薔薇型装飾を用いた騙し絵が描かれた巨大な半円形のアーチ型屋根で覆われている。
教会には、14世紀の彩色を施した木彫のロッシュの聖母像の他、多くの美術、調度品が収められている。
下の豆知識コーナーは1801年のナポレオンと教皇ピウス七世の政教条約の事が書かれてますね。フランス革命で否定され、不安定な立場だったカトリック信仰がやっと復権し、しかしその代償として国家の管理下に収まった訳です。
そんな訳でロッシュ編のトリはサン・ルイ教会です。
見学してたら教会の人が来て、いきなり解説が始まったのには驚きましたが。
曰くこのギリシャ神殿風の、古代回帰はここから始まったんだ、パリのノートルダム・ド・ロレット教会とか、サン・フィリップ・デュ・ルール教会とか、あれはここを真似したんだ、と。そうですか。
でもまぁ自慢するだけあって、凄い教会ですね。
身廊を一巡りする壁には、例によってイエス様の「十字架の道行き」がありまして。「道行き」については10/31の記事を御覧頂きましょうか。ここの「道行き」は油絵でして、かなり珍しいので撮影したかったんですが、いくつかの絵が修復中という事で全体を通して見る事ができなかったので、今度また改めて見に来ようと思った次第です。したがって今回は画像無し。
で、解説にある、
後から付け足された礼拝堂と言うのがこれですか。
カトリックの教会と言うのは上から見ると十字の形をしてるのが多いんですね。
ところでイエス様の磔に使われた形の十字を「ローマ十字」といいます。十字の縦と横が同じ長さのをギリシャ十字、アルファベットの「T」の形のはタウ十字です。
それはさておき元は長方形だった教会に、これが加わって十字型になったと。
しかしこの壁の騙し絵みたいな装飾も凄いですねぇ。
こんなのもありました。特別古い物とかではないでしょうが、結構好きだわ。
教会の外。上に乗ってるのは誰だろう?見て来るの忘れた。
そんな訳で最後はかなりグダグダですが、これでロッシュを離れる事になりますね。
また来るよー。
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