さて、11/26のムーランルージュ、11/29のオランピアと来まして、今度はオランピアの解説に出て来たオッフェンバック繋がり。
フレンチ・カンカンの音楽、おっさんが子供の頃は学校の運動会なんかでも流れてましたが。或いは文明堂カステラのTVCMの音楽と言いましょうか。日本では「天国と地獄」、フランス語では「Orphee aux Enfert」(地獄のオルフェ)といいますが、これが上演されたのがここ、「Bouffes Parisiens」劇場です。
オペラ座の近くでもあり、仕事でこの近くによく行きますので、結構前から気になってたんですが、本日やっと登場。
1826年、俳優学校長のルイ・コントはブリュヌトンとアラールに、学生達の劇を上演する劇場を建てさせた。1855年、ジャック・オッフェンバックが劇場を借り上げ、バリュに拡張と装飾を行わせ、こけら落としに中国趣味ミュージカル「バ・タ・クラン」が上演された。こうして「『冬の』ブッフェ・パリジャン」が生まれ、1862年までの間、オッフェンバックの作品が上演され、その中のひとつに「地獄のオルフェ」があった。オッフェンバックが去った後、劇場は一旦取り壊され、1863年再建された。この劇場は1871年以降オペレッタの上演で嘗ての栄光を取り戻した。特によく上演されるのは「ムスクテール・オー・クーヴァン」「ヴェロニク」「フィ・フィ」、メサジェ、ヴィルメッツ、クリスティネ等の作品。
しかし。何と言うか、このペール・スタークの解説は毎度思いますけど、名前だけポンと書いてあって、調べるにも何の手掛りも無いというのが多いですね。
このブッフェ・パリジャンの解説の中に出て来る名前としては、オッフェンバックはともかく、調べてみて辿り着いたのは作曲家・指揮者のアンドレ・メッサジェとテオドール・バリュだけです。メッサジェさんはサン・サーンスの弟子、サン・シュルピス教会のオルガニスト、オペラに転じてからはペールの解説にもある「ヴェロニク」でイギリス・フランスで大成功した作曲家。バリュさんはトリニテ教会、サント・クロチルド教会、サン・タンボワーズ教会なんかの建築を手掛けた人です。ま、この中で既に記事で紹介したのはトリニテだけかな?あとの教会はまたおいおいに。
そしてもうひとつこの解説の中にあるちょっと気になる言葉。
オッフェンバックのオペラ「バ・タ・クラン」から名前を採ったバタクラン劇場というのがパリにありますね。といっても演目はオペラではなくロックやパンクだったりしますが。これまたなかなか面白い建物なんですけど…これまた後日に続きます。いや、まだ画像がないもんで。準備できたらアップしまーす。
で、ブッフェ・パリジャンに戻りますけど、上の画像は昼間普通の時間帯に撮ったものですが、夕方、舞台開幕前くらいの時間にちょうど通りかかったらこんな感じでした。やっぱりこういう劇場の活気というか、ザワザワした感じって、見てるだけでも楽しくなりますね。
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