さて、街を歩いていると、いろいろ目に飛び込んで来るものがありますね。「おや?」なんて立ち止まって眺めてるといつの間にか結構時間が経ってたりして。
画廊街マティニヨン通りの、とあるビルの彫刻。天空を支える巨人アトラスかな?
毎度思いますけど、ギリシャ・ローマ神話って、生臭かったり、血腥かったり。
ティタン神族はゼウス率いる神々と戦争をして敗れ、ティタン族に属するアトラスは天空を支える役目を言いつけられ、とんでもない重さの「天」を未来永劫支えなければならなくなります。
アトラスの弟、人類に「火」をもたらしたプロメテウスは永遠に禿鷹に肝臓をつつかれ、食われる責め苦にあいますし、そのまた弟エピメテウスにはゼウスの謀略でパンドラが送り込まれ、パンドラの箱から世界中に災いが撒き散らされますね。
ま、日本の神話だって結構エグいのもありますけどね。蛆の湧いたイザナミとか。
こっちはバッカスでしょうかね。オペラ広場です。
ロレンツォ・デ・メディチの「酒の神なるバッカスとその妻なる女神アリアドネ」の一節。
青春は何とまた美しいかな、
何とまた淡く儚く消ゆるかな。
快楽に溺れる人は溺れな、
明日の事定めある身と誰か知るかな。
一説によるとこの詩の一節からインスパイアされたのが「ゴンドラの唄」であったとも言われてますね。まぁ、「ゴンドラ」の言葉そのものはアンデルセンの作品からとったそうですが。
黒澤明の1952年の映画「生きる」の中で志村喬さん演じる勘治が公園のブランコでこの「ゴンドラの唄」を歌いますね。そして勘治は「自分という人間が生きた証」である公園で倒れ、息を引き取ります。
「自分の生きて来た証」ねぇ。考えさせられますなぁ。特にこの齢になると。
「明日の月日は無いものを」か。
これは彫刻とは言えないでしょうけど、きれいなんで載せちゃいます。
以前書いたロシア正教の教会の近くにあるんですけどね。ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡後、コンスタンティノープル教会の主である東ローマ・ビザンツ帝国皇帝レオ三世の偶像崇拝禁止令に端を発して、とうとう1054年、東西教会は完全に分裂します。
ローマ教皇率いるカトリック教会は当時のゲルマン民族への布教に聖画像なんかを使ってましたから、東ローマ皇帝からいきなり偶像崇拝禁止を言い渡されてもハイそうですかって訳には行かなかったんですね。
しかし、イスラム勢力から偶像崇拝を非難されて「成程、それもそうだ」ってな感じでレオ三世は偶像崇拝禁止令を出した訳ですけど、結局現在の正教会にもイコンとかの形で偶像は残ってますよね。どうなってんでしょう。
カトリックと比べればプロテスタントの方が偶像から離れた立場をとっていて、だからプロテスタントの教会ってシンプルですよね。カトリック教会みたいな壁画や天井画が殆ど無くて、本当にただ十字架が掛かっているだけなんて所もあります。
しかし、異教徒(どころか無宗教者)の、しかも素人考えですけど、十字架だって偶像じゃないのかな?
ま、でも偶像崇拝をしない分、イスラムの寺院はタイルとかモザイクとかきれいですね。
そのイスラムに影響された正教会もカトリック程には偶像を用いません。
正教会と特別関係ある建物には見えなかったけど、この鉄格子(?)もイスラムや正教会の装飾にちょっと似てる様な気もします。
インスティテュート・ハングロワ(「ハンガリー協会」とでも訳しましょうか)。
ダ・ヴィンチ・コードで有名になったサン・シュルピス教会の近くです。
正式名称はInstitut Balassiというそうですが、フランス・ハンガリー両国の交流、親善の為に1927年に創立された機関です。その入り口にあるからには、これはやっぱりハンガリー人彫刻家さんの作品ですね。人待ち顔(?)でベンチに座っている女性像。「Sous le chapeau(帽子の下)」、アンドラス・ラピさんという彫刻家さんの作品だそうです。
最後はこれ。rue des Canettes(小鴨通り)にある鴨の彫刻。これまたサン・シュルピス教会の近くです。
鴨の彫刻があるから小鴨通りなのか、小鴨通りだから鴨の彫刻が造られたのか?卵と鶏みたいな話ですね。ま、通り自体は13世紀の地図に出ていて、その頃は「サン・シュルピス通り」と呼ばれてたそうです。
東からこの通りに突き当たる短い通り「ギザルド通り」がありますが、これは16世紀宗教戦争時代、旧教同盟の主要人物ギーズ公の屋敷があって、ここでカトリック派がプロテスタント派に対する陰謀の計画を練ったんだそうで、「ギーズ派の通り」という名が残ってるんだとか。
東西教会分裂の次は宗教戦争です。カトリック教会は「免罪符」を発行して売っていました、というのは少々語弊がありますが。もともとはこの免罪符は十字軍に従軍した人に与えられていましたが、実際に従軍できない人は従軍の代わりに巡礼や寄進を行う事で免罪符をもらうことができたんですね。寄進をもって代える事ができるとなれば、これはもう「販売」と紙一重です。結局最終的には免罪符は「金で買える」物になってしまい、これに異議を申し立てたのがマルティン・ルターですね。ジャン・カルヴァンやフリードリッヒ・ツヴィングリがルターに続きます。
そしてカトリックとプロテスタントは戦争状態にまでなってしまうんですね。イギリス・フランス・ドイツ・スイス・オランダ等で宗教戦争が起こり、この中ではフランスはカトリックに留まりましたが、ルターのドイツ、カルヴァンやツヴィングリのスイスはプロテスタント化します。オランダもですね。
イギリスはまだそれほどプロテスタント優位という訳でもありませんでしたが、ヘンリー八世がカトリックから独立したイギリス国教会を発足させると、プロテスタントがイギリスにどんどん流入してきます。別にヘンリー八世はカトリックを捨ててプロテスタントになった訳ではなく、新しい嫁さんを貰いたいがために、離婚を認めないローマ・カトリックの支配権から離れて、離婚を認める、自分に都合のいい「イギリス国教会」を作っちゃっただけなんですけどね。でもイギリスが脱カトリックしたとなればあちこちで迫害されていたプロテスタントがイギリスに逃げ込んで来るのは当然です。
そしてこの時代にプロテスタント化したイギリスをカトリックに戻す為、容赦無いプロテスタント迫害を行ったのがヘンリー八世の娘メアリ一世、俗に言う「ブラディー・マリー」ですね。
さて、やっぱりキリがなくなって来た。そりゃ時間もかかるわ。
でもやっぱり道草ってのは楽しいですねぇ。
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