昨日のクリスマスソングで薀蓄スイッチが入りましたよ。
ジャクソン5の(とは言っても彼らのオリジナルじゃありませんけどね)「ママがサンタにキッスした」(I saw Mommy kissing Santa Claus )のお話。
歌詞はこんな感じ。
Wow! Mommy's kissing Santa Claus!
I saw Mommy kissing Santa Claus
Underneath the mistletoe last night
She didn’t see me creep
Down the stairs to have a peep
She thought that I was tucked up
In my bedroom, fast asleep
Then I saw Mommy tickle Santa Claus
Underneath his beard so snowy white
Oh, what a laugh it would have been
If Daddy had only seen
Mommy kissing Santa Claus last night
He saw Mommy kissing Santa Claus
I did! I really did see Mommy kissing Santa Claus
And I'm gonna tell my Dad
Then I saw Mommy tickle Santa Claus
Underneath his beard so snowy white
Oh, what a laugh it would have been
If Daddy had only seen
Mommy kissing Santa Claus last night
Oh, what a laugh it would have been
If Daddy had only seen
Mommy kissing Santa Claus last night
I did! I did! I really did see Mommy kissing Santa Claus
You gotta believe me! You just gotta believe me!
Come on, fellas, believe me! You just gotta believe me!
この途中の、
「見たんだよ!本当にママがサンタにキスしてるのを見たんだ、パパに言ってやる」
とか、最後の
「本当に見たんだ、信じてよ、信じてってば!」
という台詞。この辺が可愛くて良い訳ですね。当時12歳のマイケル・ジャクソンのヴォーカル、台詞、この子が将来児童虐待で訴えられる事になるとは誰が想像したでしょうね。
ま、それはさて置き。
この歌は日本でも沢山の人達が歌ってます。英語バージョンの事もあれば、日本語訳の事もありますね。アンパンマンの中で使われる曲を数多く歌っている「ドリーミング」さんなんかも歌ってます。そして日本語訳を見ると…
それは昨日の夜
サンタのおじさんが
重い袋肩に担いで
そっとお部屋に入って来たら
ママは寄り添いながら
優しくキッスして
とても嬉しそうに
お話してる
でもそのサンタはパパ
…何だこれは?
元の歌詞と比べてみると、
英「ママは僕が階段の陰に潜んで見ていたのに気づかなかった、部屋に行って寝てると思ってたんだ」
日「サンタのおじさんが重い袋担いでそっとお部屋に入って来たら」
英「何て事が起こったんだ?もしパパがこんな所を見てたら…ママがサンタにキスをした」
日「ママがサンタにキスをした、でもそのサンタはパパ」
もう一度書きます。何だこれは?(大事な事なので二回言いました)
身も蓋も無いというか…全く別物ですね。
或いは「ママがパパ以外の男にキスする事などあってはならない」という日本の倫理観(実際どうかは別として、建前上は)の押し付けか?
まぁ、この歌詞の中では、キスといってもどの程度のキスかは語られてませんけどね。所謂欧米のソーシャル・キス、挨拶の軽いキスなら、人妻に、旦那の目の前でしたって何の問題も無いし。でも「何て事だ」「パパに言ってやる」なんて言ってるからにはちゃんとした(?)キスだったんでしょうね。
そしてもうひとつ、
「I saw Mommy kissing Santa Claus,Underneath the mistletoe last night 」
「ママがサンタにキスしてるのを見た、昨夜、ヤドリギの下で」
ここが問題ですね。
Mistletoe(ミスルトゥ)とはヤドリギの事ですね。日本にもありますし、フランスでもよく見かけます。フランス語ではGui(ギー)と言います。クリスマスや新年の飾りに使う縁起物です。
木の枝にマリモみたいな塊がくっついてるのがヤドリギ、木に寄生する木ですね。クリスマスにはこれを切り取って来て、部屋に飾ったりします。
北欧神話では、オーディンの息子・光の神バルドルは、邪神ロキに騙され操られた異母弟ヘズによって殺されますが、その時の武器がヤドリギでした。
元々は、バルドルの母フリッグは息子を蘇らせる為にあらゆる手を尽くしたが果たせず、光の神を失った世界は闇に閉ざされてしまった…というのが北欧の厳しい気候の由来を説明する神話であった様ですね。
キリスト教伝播以降は、光の神亡き後の世界はラグナロク(最終戦争、ハルマゲドンみたいな物かな)へと突き進み、ラグナロク後にバルドルが蘇るとか、フリッグの奔走によってバルドルは蘇り、(キリスト教の「復活」思想の影響?)その時フリッグが流した涙が、真珠の様なヤドリギの実になったとか、バリエーションが生まれてきた様です。(ラグナロクの概念そのものはキリスト教伝播以前からありますが)
このバルドルの母フリッグの奔走は、争いを止めさせるという意味から、ヤドリギの下で出会った者は、戦争中の敵同士であっても仲直りのキスを交わさなければならないという言い伝えを生み出しました。
これは男女間のキスにも延長して適用され、クリスマスにヤドリギの下にいる女の子には、男の子はキス「しなければなりません」。女の子は「拒んではなりません」。もし適齢期の女性が誰からもキスして貰えなければ次の年まで(最低限)結婚できません。ヤドリギの下での恋人同士のキスは求婚を意味します。或いは女性はヤドリギの下での男性からの求婚にキスで応えなければなりません。etc.etc.
バルドルの母フリッグは時に愛の女神フレイヤと同一視される事もありますしね。このフリッグの神話が「愛」の方向に向かうのは必然だったのかも知れません。または「母の愛」から「男女の愛」への移行と言おうか。
まぁ、フレイヤは愛だけじゃなく美、死、戦い、いろんな特性を兼ね備えた女神ですけどね。
さて、本体の木の方が葉が全部落ちて裸になっても、枝に寄生して葉のままで冬を越すヤドリギは生命力、繁栄の象徴でもあります。また魔を払い、病気を治すとも言われてますから、上記神話とも合わせて縁起物になるのは当然ですね。
しかし御用心、ヤドリギの実には毒性があるそうですからね。「縁起物」にあやかって…なんて思って実を食べてみたりしちゃ駄目ですよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿