そんな訳で、リエージュ駅はここひとつだけで取り上げないとね。
地下鉄13番線リエージュ駅です。
南北線
この駅は1905年、技師ジャン・バティスト・ベリエの主導で創設された旧南北線に属している。南北線には2系統があった:ポルト・ド・ヴェルサイユ-ジュール・ジョフラン間(A線)1910年開通、そしてサン・ラザール-ラ・フルシュ-ポルト・ド・クリシー/ポルト・ド・サン・トゥアン間(B線)1911年開通。
パリの人々は、ここに乗客の好評を得るための努力を惜しまない地下鉄を見出したのだった。車両は様々な色で飾られ、地下鉄の入り口はギマールの手になるアール・ヌーヴォースタイルとは一線を画す錬鉄の手摺りと陶器の帯状装飾で飾られていた。
この両線は同一の切符で相互に乗り換える事ができた。1930年、南北線網はCMP(パリ地下鉄道会社)と合併し、A線は12番線に、B線は13番線となった。
この同じプレート、12番線のRue du Bac駅でも見かけました。当然ですが。
そして同じく12番線セーヴル・バビロン駅にあったのと同じ古風な駅長室。
駅長室
メトロの初期の頃、そして1970年代まで、駅長はホームにあって、ホームの様子と電車の動きが見渡せる事務所を使っていた。この駅長室の建築デザインは駅によってそれぞれ違っていた。カマボコ型天井の中に紛れ込んでいたり、または特別な装飾でそれとわかる様になっていたりした。全体にガラス張りであり、小型の電話交換台と、運行用のいくつかの装置のスイッチなどがあった。
地下鉄網の近代化に伴い、駅長の業務も変わって行った。監視業務は現在では駅の設備を駅員が遠隔操作・管理できる通信設備がある券売窓口から行っている。古い駅長室は少しずつ取り壊されたり、展示用のウィンドウになっている。
そしてこれもセーヴル・バビロン駅と同じ物ですが。
南北線の装飾
この駅は地下鉄網の中でも珍しく、南北線時代の装飾を残す駅である。南北線は、CMP(パリ首都圏鉄道会社)によって敷設された地下鉄網に対抗して技師ジャン・バティスト・ベルリエによって1905年から作られ、現在は12・13番線になっている二つの「南北線」はCMPのものよりいっそう洗練された設備によって差別化を図っていた。
例えば、青地に白で示された駅名はCMPでは七宝を施した鉄板だったが、南北線では陶製のタイルだった。軒蛇腹は普通の駅では茶か青だったが、乗換駅では緑になっていて見分けられたし、駅名は飾り縁に囲まれている。NORD・SUD(北・南)を表すNSのロゴは広告の額縁部分に配置されている。
カマボコ型天井それ自体も装飾され、元々の行き先の表示がトンネル上部のアーチに陶製のタイルで示されている。
で、ここまではセーヴル・バビロン駅と同じなんですが、リエージュ駅の面白い所はこれからなんですねぇ。
さて、ここまでだけでも結構長くなっちゃいましたね。という事で「続く」。てかその続編の方が目玉なんですけどね。
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