2011年9月13日火曜日

♪知床の岬に~♪

これ、見る限り多分浜茄子だと思うんですけど。


ハマナスと打って変換すると「浜茄子」と出ますけど、本当は「浜梨」なんですってね。確かにこの実は茄子より梨に似てる。

ここはパリの士官学校の前庭です。


コルシカから出て来たナポレオンが学んだ王立士官学校です。ここは現在でもフランス軍の士官学校ですね。


この士官学校の建物の壁は実は傷だらけです。
学校の人に聞いてみると、丸い穴になってるのが銃弾の跡、表面から抉られた様になってるのが爆弾の破片の跡だとか。

これが銃弾で、


こっちは爆発の跡でしょうかね。


建物一面こんな感じですから、修復すると言ったって直しきれませんし、まぁ、モニュメントとして残しておこうか、ってな所ですかね。

裏に廻ってみるとこんな眺め。立派な中庭です。


そしてお馴染みペール・スターク。


仕官学校は1751年ルイ15世の勅令によって建てられ、軍での活動に向けて500人程の貧乏貴族の子供達を教育していたと思われる。君主の栄光に捧げる壮大な建築プランはジャック・アンジュ・ガブリエルに委ねられたが、1773年まで、深刻な資金難によって遅滞を余儀なくされた。1878年に経営難により廃止が決まった時、学校はその学生達の中に「将来大成する見込みあり」の評価とともに若き日のナポレオン・ボナパルトを迎えたばかりだった。19世紀には兵舎となり拡張され、1878年には高等戦争学校(?)がここに入り、今日では仕官の教育機関を統括している。

若き日のナポレオンは成績はあんまり良くなかった様ですねぇ。下から数えた方が早かったとか。何故か、他の子達が嫌う数学は得意だったそうです。クラスでイジメにあって、図書館に篭ってる事が多かったとか。大器晩成?とは言ったってトゥーロン攻略の軍功を挙げて25歳で少将になってる訳ですから、特に「晩成」って事もありませんが。

ところで、この士官学校の裏にはこんなモニュメントがあります。


このモニュメントは国からの寄贈により、祖国を守るため名誉の戦死を遂げたフランス陸・海軍の仕官、下士官、兵達の思い出に捧げるために建てられた。

「国を守る」「名誉の戦死」ねぇ。
今、日本でこういう事を言ったら煙たがられちゃいそうです。そういうところ日本って不思議な国です。

今度は士官学校の前にあるもうひとつのモニュメント。「平和の壁」。
これは2000年に、「20世紀には壁とは『分断するもの』だったが、21世紀に向けて分断ではなくみんなを『繋ぐ』壁を作ろう」という趣旨で建てられたものですね。


いろんな国の言葉で「平和・平和・平和」と書いてあるのがわかりますか?

「ピンフじゃありませんよ」

こういうのをオヤジギャグって言うんですよね。

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