さて、昨日予感した通り、本日は壁画のお話。
ヴェルサイユでこんな物を見かけました。
とはいえこれはちょっと特殊です。というのは「壁画」ではありますが、描いてあるところが壁ではないからです。
ラ・フォンテーヌの寓話としては、日本での知名度は今一つかも知れませんね。
「狐と胸像」というお話。
大体の意味としては、「外見だけで大物ぶって、ちょっと見はすごいかも知れないが、なぁに、よくよく見たら中身は空っぽじゃないか」という事ですね。
ロバさんは「英雄(?)」の胸像の見た目(立派な姿)だけで恐れ入ってしまいますが、頭の良いキツネさんは胸像をよく調べてみます。「頭は立派だけど、脳味噌が無いな。頭空っぽじゃないか」
「町のねずみと田舎のねずみ」
これはご存知でしょう。しかし、ここにも「ラ・フォンテーヌの寓話」と書いてありますけど、このお話、イソップですよね。それとも同じ様な話がラ・フォンテーヌにもあるのか、あるいはフランス人さんの事だから「いーや、これはフランスのラ・フォンテーヌのお話なんだ!」と強弁してるだけなんでしょうか。それとも似た様なタイトルだけど別の話とか?
で、これが描かれてるのは壁じゃなく、電力会社の管理施設や配電盤とかを収めたケース(?)です。誰かが個人的趣味で描いたにしちゃ良くできてるなぁ…などと思って見てたらとんでもない。これはヴェルサイユの「壁画学校」の学生さん達の作品の様です。ちゃんとサインが入ってました。
まぁ、ヴェルサイユですからね。こういう学校で、こういう壁画とかの技術の後継者をどんどん育てないと、宮殿を始めとする歴史遺産の維持管理ができなくなっちゃいますもんね。
ヴェルサイユの町も、こういう「壁画家」さん達にこうやって積極的に活躍の場を提供してるのかも知れません。
もう一つ、これは何やら哲学的です。
これは「壁画」ではありませんね。「道路画」?
材質が良くわからないんですが。ペイントか溶かしたゴムかなんかをたらして描いた様に見えますけど。
しかしそんな材料で(本当にそうかはわかりませんが)、これだけのイラストを?
そして二つのイラストの下に書かれた「Existe」と「Etre」の文字。
「Existe」とは存在の事ですけど、何せここはフランス、やっぱりサルトル流の用語法を用いて「実存」と読むべきでしょう。
「Etre」は英語のBe動詞に当たる言葉ですから、これを「実存」と対比した意味で「存在」と解釈すればいいのかな。
そして「実存」がヌードで「存在」が着衣である事も、これはやっぱり狙って描いてると見ましたが。
そう言えばやったなぁ。「存在」と「実存」。
サルトルの「存在と無」から「嘔吐」にかけて言うところの「対自存在」と「即自存在」を当て嵌めてもよかったかも。
ドイツだったらカント・ヘーゲル・ハイデッガー辺りの「ザイン(存在)」と「ダー・ザイン(現存在)」になってたりして。
いやー、懐かし。
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