Hiyake shite, hitai no haegiwa no koutai shita bubun dake kawa ga muketa. Hokano tokoro ha nantomonai.
Kakkowari-
Hageagatta tokorotte,soremade kaminoke de hogo sareteta bun dake hifu ga yawa nandarouka.
生え際後退の話なんか誰も読みたくないか。フン。
じゃあ時間を「後退」して、このシャモニーがあるサヴォワ地方の歴史でも見てみましょうか。
西ヨーロッパの形成の大きなきっかけとなったのは紀元前500年頃のケルト人の侵入でした。ケルト人は当時既に鉄の武器を持ち、勇猛で、乗馬も巧みだったので、先住民族を制圧してどんどんヨーロッパに侵入し、やがて先住民族と混血してガリア地方、ガリア民族を形成します。
そこへまた、シーザー率いるローマ軍が攻めて来て、紀元前52年、ガリアはローマの属領となります。パリ南部の「アレジア」の地名は、ガリア人のリーダーのウェルキンゲトリクスがとうとうローマの軍門に下る事になった最後の包囲戦があった所の地名に因んでます。
ここでラテン系が入って来ましたねぇ。
で、このガリア・ローマに更に4世紀、ゲルマン民族が侵入します。ゲルマン民族の中でも最大・最強となったフランク族が建国したのがフランク王国で、これが分裂してフランス・ドイツ・北イタリアの素になるんですが。
このフランク王国程ではないにしろ、他にもランゴバルド(北イタリアの「ロンバルディア」の地名の由来です)族やブルグンド族がいた訳ですが、サヴォワ地方はこのブルグンド王国に属していました。
ブルグンド王国は結局フランクに滅ぼされ、サヴォワはフランク領になります。
フランク王国の分裂を経て、サヴォワは神聖ローマ帝国(東フランク王国由来のドイツの素…とでも言えばいいのかな)領となりました。
この頃、王国領の端っこの方、特に異民族と国境を接する辺りは「辺境伯」と呼ばれる地方官(?)が治めたのですね。「辺境伯」はそのリスクの大きさ故に、普通の「伯」よりも大きな権限と広い領地を与えられました。普通の「伯(Graf)」に対して「辺境伯」は「Markgraf」として一段上の扱いを受けたのですね。この「マルクグラーフ(Markgraf)」の英語読みが「マルグレーヴ」で、萩尾望都さんの「マージナル」なんぞお読みになった方はご存知かと。
サヴォワ辺境伯家は初代ウンベルト一世に始まるとされ、「サヴォワ伯国」時代を経て1416年、アメデオ八世の時代より「サヴォワ公国」となります。
1701年に起こったスペイン継承戦争、それに伴って起こったアメリカのアン女王戦争の結果、ユトレヒト条約でシチリア島を手に入れたサヴォワ公国は、1720年、シチリアを手放す代わりに今度はシチリアの隣のサルデーニャ島を入手、サヴォワ、サルデーニャ、北西イタリアのピエモンテ、ニースを主要な領地とする「サルデーニャ王国」となりました。
サルデーニャ王国の都はピエモンテ地方のトリノで、トリノの「サヴォワ王家の宮殿」は世界遺産ですね。
このサルデーニャ王国が後のイタリア統一の立役者となる訳ですが、このイタリア統一に当たって、フランスの支持を取り付ける為にサルデーニャはサヴォワとニースをフランスに割譲したのですね。「プロンビエールの密約」という奴です。
やれやれ、やっとサヴォワがフランス領になる所まで来ましたね。
現在のサヴォワ地方は、登山やスキー、トレッキング、パラパントといったスポーツ、グリュイエールやトム、ボーフォールやルブロッションといったチーズや、エヴィアン、トノンといったミネラルウォーター、鉱泉、観光、カジノが有名です。
農業も盛んですよ。シャモニーの朝市。
ソーセージやハムなんかも一杯です。
そしてまたこれがすごい。ヌガーですねぇ。
「ヌガーって何ですか?」なんてよく聞かれるんですけど。日本語でもヌガーですね。
水飴、卵白、ナッツなんかを煮込んで練り固めた、言わばキャラメルの親戚みたいなお菓子ですが。
こんな巨大なヌガーは初めて見ました。普通はそれこそキャラメル位の大きさのものとか、せいぜい板チョコ位なんですけどね。この巨大な塊を見た時はチーズかと思ったんですけど。
ここのおじさんの手作りで、着色料・添加物一切無しだとか。でも半年くらいもつそうです。
パリの朝市ではこんなの見た事無いですね…パリはパリで好きですけど、地方ってやっぱり楽しい。
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