2011年8月8日月曜日

悲劇?喜劇?

さて本日はモンマルトル墓地です。

パリには三つの有名な墓地があって、そのひとつ、正式名称「北墓地」、通称「モンマルトル墓地」。

いろんな人が眠ってますねぇ。

しかし、WIKIの「モンマルトル墓地」の項目を見て、思わず笑ってしまった。

『モンマルトル墓地 (Cimetie`re de Montmartre) はフランスのセーヌ川右岸パリ北部、モンマルトルの丘にある墓地。』
この後に『埋葬されている著名人(抜粋)』として一覧表が載ってて、それだけ。
こんだけシンプルな項目も珍しいな。

で、作曲家のオッフェンバック、「ゴンクール賞」のゴンクール兄弟、スタンダール、小デュマ、ドガ、トリュフォー、ニジンスキー、ハイネ、ベルリオーズは良いとして、ユトリロ?ユトリロはモンマルトルには違いないけど「サン・ヴァンサン墓地」じゃなかったっけ?
そして、かの荻須高徳画伯が入ってないのはどういう事だ?

WIKIに書いてある事も鵜呑みにはできない訳ですよね。まぁ、それは昔から言われてはいますが。

されはさて置き、墓地の中は特別な許可が無いと撮影できません。ですから外から見える部分を撮ってみました。ほんの雰囲気だけ。


パリの墓地は基本は期間限定のレンタルです。お墓の使用権を借りる訳ですね。まぁ、「借りる」といっても、中には「永久」に借りてる区画もあるそうですが。

モンマルトル墓地を見下ろす「テラスホテル」。


というか、パリの街も見下ろしてるんですけど、遠くを見てる分にはいいけど、すぐ下を見るとお墓が…というね。

こんな所に泊まってて、夜、誰かが会いに来たりしないんだろうか…なんて考えてしまう、オカルトものも結構好きなおっさんであります。

で、またさて置き。今度はこれ。


18世紀には、この場所は丘の石膏を採る無数の坑道の入り口だった。その後革命の動乱による犠牲者の共同墓地となり、この場所は陰鬱な記憶と共に「白い障壁の墓地」の名の下、墓地の機能を果たし続けている。パリ市内の墓地(訳注:モンマルトルは元はパリ郊外だった)の墓地が衛生上の理由から閉鎖された後、パリの人々はここに悲惨な状態で葬られたのだった。1825年1月1日に公式に「北墓地」となってからは、やっと墓荒らしからしっかり守られる様になった:そして1856年、墓地は一人の墓守を失った。M.ド・ヴォーベル氏、墓荒らしを銃撃するトラップの考案者は、彼自身の装置の犠牲となり、胸の真ん中に致命の銃弾を受けたのだった。

「墓荒らしを自動的に銃撃するトラップ装置」ですか?いやはや。
まぁ、このヴォーベルさんの話は、自分が作ったトラップのテストで死んだという説と、夜の見回り中に墓荒らしと間違えられて射殺されたという説がありますけどね。

どっちにしろ、なんて話なんだ。

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