Chamonix shucchou desu.
Nihongo nyuuryoku dekine-zo-
Gazou mo up dekin.
で、帰って来たので追記&画像UP。
まずはジュネーヴへ。フランス国内の移動なのに一旦スイスへ行くとは変な気分。
スイスに着いた途端にごみの分別がきちんとしているので思わず笑ってしまいましたよ。やっぱりスイスはフランスと違って真面目です。フランスは(家庭ごみには分別があるが)街や空港のゴミ箱なんかではまだまだ分別は無きに等しい位遅れてますねぇ。
さて、ジュネーヴから車で一時間。シャモニー着です。まぁ、他の来方もあるんですがね。今回はそういうルート。
ホテルからも、
「シャモニー・モンブラン」駅からも、
町の中心の教会からも、
とにかく山また山。あたりまえか。
シャモニーはモンブランの麓の町であり、1786年のモンブラン初登頂は近代登山史の幕開けとなりました。よってここは登山家さん達の聖地でもありますね。
初登頂を果たしたのはミッシェル・ガブリエル・パッカールさんとジャック・バルマさん。
パッカールさんは医師であり、植物・鉱物学者でもありました。
もう一人のバルマさんは山の猟師でもあり、水晶採りでもあり(水晶はこの辺の名産です)、またその豊富な山の経験を生かした山岳ガイドでもありました。
で、バルマさんが「ほら、あれがモンブラン山頂ですよ」と指し示している(この銅像の指差す先は本当にモンブランの方を向いてます)のが、モンブラン初登頂のもう一人の立役者、オーラス・ベネディクト・ド・ソスュールさんですね。
ソスュールさんは植物・地質・気象学者で、自らも調査旅行でいろいろな山にも登ってますし、モンブラン初登頂に懸賞金をかけた人でもあります。パッカールさんとバルマさんの初登頂の翌年、自身もモンブラン登頂を果たしてます。
このソスュール先生の多岐に亘るアドバイスが無かったら、いかに優れた学者パッカール先生でも、山を知り尽くしたバルマさんでも、登頂は難しかったんじゃないか、とも言われてますね。
しかし良い事ばかりでもなかった訳で、初登頂後、パッカールさんは雪の乱反射で目を完全にやられてしまい、ずっと目を閉じたままの下山でした。
そして、麓の町に帰って来た二人を待っていたのは、パッカール先生の患者さんでもあったバルマさんの娘、ユディットさんの訃報だったのですね。
男が山で死んで、残された女は…というのはドラマや小説によくある設定ですけど(おっさんとしては「風」?「かぐや姫」?「パンダフルハウス」?「イルカ」?の名曲「あいつ」なんぞを思い出しますが。中学生の時、文化祭バンドでやりましたなぁ。)、これもまた悲しい話です。
「そこに山があるからだ」とは有名な台詞ですが。「山で死ぬなら本望だ」とも言いますが。
今でも、登山客からの要請で、多い時には一日に10回以上レスキュー隊が緊急出動するとか。
それでもやっぱり魅力的な山なんでしょうねぇ。根性無しのおっさんにはとても真似できませんが。
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