古いですねぇ。昭和35年ですか?
こういう古い歌とか、他にも例えば、今、日本でサマータイム導入云々の議論がある様ですが、昭和20年代の一時期、日本でもサマータイムやってましたよね、なんて言うと、「何でそんな生まれる前の事なんか知ってるんですか?」なんて聞かれる事があります。
そりゃ本で読んだりテレビで見たり、最近ならネットで拾ったネタだったり。
大体、生まれる前の事ですけどフランス革命は1789年だと知ってますし、大化の改新は645年だと知ってますよ?
で、それはさて置き。
結構パリのあちこちにアカシアが咲いてますよ。
歌詞の通りに花弁がひらひらと…でもこれ、違うんですってね。「アカシアの雨が止む時」に歌われているのはニセアカシアだそうで。明治初期、日本に「アカシア」として輸入された街路樹は「ニセアカシア」だそうです。「アカシアの蜂蜜」として売られているのも、大抵はニセアカシアの蜜なんですってね。あの、葡萄の房みたいに垂れ下がる、天ぷらにして食べる花ですね。
「アカシアの雨が止む時」
作詞:水木かおる 作・編曲:藤原秀行 歌:西田佐知子
1 アカシアの雨に打たれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日が昇る
朝の光のその中で
冷たくなった私を見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか
2 アカシアの雨に泣いてる
切ない胸はわかるまい
思い出のペンダント
白い真珠のこの肌で
淋しく今日も暖めてるのに
あの人は
冷たい眼をして どこかへ消えた
3 アカシアの雨が止む時
青空さして鳩が飛ぶ
むらさきの羽の色
それはベンチの片隅で
冷たくなった私の抜け殻
あの人を
さがして遙かに 飛び立つ影よ
で、この曲について色々調べてたら、
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_5892.html
に行き当たりまして。
このブログの中で、この歌詞の中の「鳩」は主人公の魂で、「冷たくなった抜け殻」を残して飛び上がった、つまり主人公は死んだという解釈と、主人公は恋に破れて疲れ果てて、「冷たくなった抜け殻」を夢想する所までは行ったけれど、夢から覚めて現実に戻って、新たな一歩を踏み出す。その時に今までの自分の思いを解き放った、それが「鳩」の意味する所じゃないかという解釈が紹介されてました。
さぁ、作者の水木さんがどういう思いでこの詞を書いたのかは分かりませんが、どちらの解釈も成り立ちますし、その時の自分の状況に合わせて、どっちに解釈してもいい様な気もしますし。
で、この二つのほぼ逆の解釈から連想した物を二つ。
藤村操「巌頭之感」の中の一節。
『既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。』
で、藤村氏は自殺しちゃう訳ですけど。
「明日のジョー」のラストシーン。
ホセ・メンドーサとの死闘を終えて、「完全燃焼」して「真っ白な灰」になった矢吹丈は果たして死んだのでしょうか?
後からできた劇場版アニメなんかでは死んだという前提で演出されてた様な気がしますが、原作の漫画の方では、ジョーはあくまでも「完全燃焼」したのであって、まぁ、読み様によっては死んだとも取れなくもない、といったニュアンスだったと思うんですが。
どうでしょう。
「巌頭之感」は明治36年、おっさんはまだ生まれてません。
「明日のジョー」は子供の頃読みましたが。
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