Kyou ha Montblanc tonnel wo nukete italie Courmayeur he ikimashitayo.
Kankei naikedo yuube tabeta tonkatsu teishoku umakatta.
モンブラントンネルも、1999年に事故があってから長い事閉まってましたが、2002年に再開しました。
トンネルそのものは1965年に開通してますが、それ以前は物資なども山越えで運ぶしかなかった訳で、大変な大回りになってたんですね。
で、その山越えの主要ルートのひとつがサン・ベルナール峠で、紀元前217年にここを超えてイタリアに攻め込んだのがハンニバル、第二次ポエニ戦争の時の事です。
そして1800年、ナポレオンが同じくこの峠を越えてイタリアへ。
1796年、ナポレオンはオーストリアによって占領されていたイタリアを取り戻しました。そしてそのままオーストリアまで攻め込み、政府の承諾も得ずに独断で「カンポ・フェルミオ条約」を結んで北イタリアとベルギーを手に入れた訳ですが…結構ムチャクチャやる人ですね。ま、その位の型破りでなきゃでかい事はできないって事でしょうか。
しかしその後ナポレオンのエジプト遠征中、対仏大同盟軍(オーストリア・プロイセン・ロシア等)が大反撃に出てフランスは再びピンチになります。
そしてパリに戻ったナポレオンはブリュメールのクーデターで政権を奪取、国内政治の安定に努め(国民銀行設立、税制の公平化、教育機会均等化、公共事業奨励による失業対策、そしてナポレオン法典の整備等、ナポレオンの国内政治は結構高く評価されてます)、更に1800年、アルプスを越えて攻め込み、イタリアを取り戻しました。
ところで、この話にはオチがありまして。
ナポレオンの戦争のスタイルは、最初は必要最低限の物だけ持って行き、その後は現地調達するという物でした(だからロシア遠征時には焦土作戦でやられちゃった訳です)。
で、このアルプス越えの時も同じで、峠越えの直前に地元で大量の食料を仕入れました。
略奪同然に持って行ってしまう事もあった様ですが。
この時は食料を「買い取った」のですが、支払いはお金ではなく借用書でした。
この「借用書」の「借金」が完済されたのは…1984年ミッテラン大統領時代でしたとさ。
180年越しの借金か。
そしてまた、この「サン・ベルナール」の名前からも判る様に、ここは救助犬「セント・バーナード」の名前の由来の地でもありますね。フランス語読み「サン・ベルナール」、英語読み「セント・バーナード」です。
とりあえず脱線はこの位にして、画像など。
やっぱり国が変われば風景も、建物も違いますねぇ。
こんなのもありましたよ。イタリア語だからさっぱり読めないけど、察する所、3700から2200万年前に、全長8メートル、全高5.5メートル、体重16-20トンのこんな生物が氷河地帯に棲息してた様ですね。
象か何かのご先祖様でしょうかね。
そして残念ながら、トンカツ定食の画像が何故か消えちまったぜ。
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