2011年5月30日月曜日

おっさんは結構シャーロキアンですよ。

さて、今日はホテル・デュ・ルーブルのお話。

ルーブル美術館のすぐ前、オペラ大通りの両端、オペラ座と向かい合う様にして建っているのがホテル・デュ・ルーブルです。フランス語はHの音は発音しませんので「ホテル」でなく「オテル」になるんですけどね。
シャーロキアンさん達には面白いホテルじゃないですかね。このホテルのロビーには「シャーロック・ホームズの計略で、このホテルで国際スパイのフーゴ・オバーシュタインが捕まった」というフランス・シャーロック・ホームズ協会の認定証が掛かってます。そんな協会があったんですねぇ。
このオバーシュタインさんは「ブルース・パティントン潜水艦建造計画」の話に出て来ます。世にも珍しい事に、マイクロフト兄さんがベーカー街に持ち込んだ事件ですね。

日本でも力石徹やラオウの葬儀が行われたとか、架空の人物を実在した様に扱う事がありますが、日本のどこかに、例えば「明智小五郎と怪人二十面相がここで対決した」なんていう記念碑があったりするんでしょうか。

ここはもうひとつ、印象派ファンの方にとっても面白いホテルですね。このホテルには「ピサロの間」があります。ピサロといえば、第一回から八回まで、一度も欠かさず印象派展に出品した唯一人の画家です。印象派の仲間内では長老とかモーゼとか呼ばれて慕われていました。

当時、変わり行くパリの街を、パリジャン、パリジェンヌはあまり好みませんでした。急速な変化というものは時に人を困惑わせ、反発させるものですね。でもピサロは(ピサロに限らず、印象派の画家一般に言える事でもありますが)、「近代的な物」が好きでした。鉄道とか、大都市とか、その大通りとか。1890年頃から経済的に楽になってきたピサロはエラニー・シュル・エプトに住んでいましたが、1893年にこのホテルに滞在し、「ここからの眺めは美しくはないかも知れないが、近代化に満ちている」という手紙を書いています。

そしてピサロがここに滞在中に描いた作品「テアトル・フランセ広場 冬の午後の太陽」(ノートン・サイモン美術館)は、1890年以降の、点描画法が一段落してからの作品ですね。で、この作品を見ると、パリのオペラ大通りを知っている人ならば、「あ、あの場所だ」と、すぐに判ると思います。この辺が凄いですね。120年近く前の作品と今の風景がほぼ同じというのが。例えば東京で、120年前の面影が残っている所がどれだけあるでしょうね?

序でに言えば、もう一つ、印象派ファンの方には興味深い場所がありますね。ルーブルから歩いて15分位でしょうか。1874年、オペラ座のすぐ近く、写真家ナダールのアトリエで第一回印象派展が開かれましたが、カプシーヌ大通り35番地にあったこのアトリエも、「あ、ここだ」と見て判る形で残ってます。
ここを撮影するのは冬の時期を選ぶべきだったなと後悔しました。夏は木が茂ってるので、正面から撮ったんじゃ建物が見えない。で、こういう撮り方になった訳ですね。

ナダールの時代のこの建物の画像は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Atelier_Nadar_35BoulevardDesCapucines_1860_Nadar.jpg
で見られますので、比べてみて下さい。

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