先日フライング気味に始めてしまいましたが…やっとそういう季節ですね。
紀元前207年、秦滅亡後の中国統一を巡り覇を競った二人の英雄がいました。楚の項羽と漢の劉邦です。この「楚漢戦争」は「股潜り」の韓信による、僅か二万の兵力で三十万の趙軍を打ち破った「背水の陣」で有名ですね。その韓信をかつて召抱えていたのが項羽ですが、冷遇されていた韓信は楚を離れ漢に仕官します。この韓信の活躍により、楚軍は徐々に追い詰められて行きます。やがて完全に包囲された項羽達が立て籠もる垓下の砦の四方から、項羽の祖国である楚の国の歌を歌う声が興ります。「四面楚歌」です。砦を取り囲む漢軍の中から楚の国の歌が聞こえるという事は、楚はもう完全に漢の軍門に下ったのだと悟った項羽は、最後の宴を開き、その席で自らの無念を謡います。
垓下歌 項羽
力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何
自分は力と気概を併せ持つ豪傑であるが、時勢は私に味方せず、幾多の戦場を共に駆け抜けた名馬・騅ももう動けなくなってしまった。動けない騅をどうしたら良い?愛する虞よ、お前をどうしよう?
3,4節目の問いの答えは「どうしようも無い」です。虞というのは最後まで項羽に従った愛妾です。この「汝を如何せん」の一言には、項羽の悲壮な思いが込められています。項羽にはもう決死の突撃を試みる事しか残されていません。残された虞が敵に捕らえられたり、敵の手にかかったりするのは耐えられない項羽は、自分も決死の覚悟で戦う、お前も一緒に死んでくれと言いたかったのですね。この意味を汲んだ虞はやはり歌で答えます。
返歌 虞美人
漢兵己略地 四方楚歌声
大王意気尽 賤妾何聊生
漢軍はもう完全に地を支配し、四方から楚の歌が聞こえる。お仕えしてきた大王様が意気尽きてお困りであるのに、私の様な者が何でのうのうと生き永らえる事ができるでしょう。
虞は自分がいる事が足手纏いであり、決死の突撃に出る項羽の心残りになる事を悟って自刃します。項羽もまた血路を開いて砦を脱出、一度は追撃してきた五千の敵兵を僅か28騎で打ち破りますが、最後には力尽き、やはり自害します。次の夏、垓下の砦の虞を葬った塚から咲き出た血の様に赤い花を、土地の人達は自刃した虞を哀れみ「虞美人草」と呼びました。この花が、フランスの野に咲く季節がもうすぐやって来ます。コクリコ(仏)、ポピー(英)、パパヴェロ(伊)、アマポーラ(西)、日本では…雛罌粟、ですね。
あゝ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟 我も雛罌粟 与謝野晶子
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