2011年5月21日土曜日

大通り。

さて、今日はパリの街の事を少し。

例によってペール・スタークなんですが。
1670年、ルイ十四世は、古い城壁を取り壊し、道幅の広い、何列かの並木を持つ新しい大通りを整備する事を決めた。ルイ十五世の時代には、劇場やカフェに囲まれたこの最新流行の大通り沿いには、館や大きな庭園等が次々に造られていった。王政復古から七月王政の時代には、この大通りの二極は、若い優美な富裕層や伊達者、ダンディ、勇者等が集まったガン大通り(またはイタリアン大通り)と、もっと庶民的な、数々の劇場で演じられた悲惨な(訳注:「流血の」という意味もあります)メロドラマの故に「犯罪大通り」と呼ばれたテンプル大通りだった。1900年以降、パリの豪華と娯楽の中心はシャンゼリゼへと移って行った。
画像はモンマルトル大通りです。ペール・スタークのタイトルが「Le Grand Boulevard」でなく、「Les Grands Boulevards」と複数形になっています。この近くにある地下鉄の駅名も複数形です。つまり「グラン・ブールヴァール」とは幾つかの大通りを纏めた総称なのですね。で、古い城壁を壊して造った大通りをブールヴァールというんだそうですが、以前ここにあったのはシャルル五世とルイ十三世の城壁で(やっぱりこういう事が書かれてないペール・スターク)、これはボーマルシェ、フィーユ・デュ・カルヴェール、テンプル、サン・マルタン、サン・ドニ、ボン・ヌーベル、ポワソニエール、モンマルトル、イタリアン、カプシーヌ、マドレーヌの各大通りを指します。で、お暇な方はパリの地図を広げて見て下さい。この、バスティーユからマドレーヌまで何度も名前を変えながら続く「グラン・ブールヴァール」を南北に横切る通りの名前を見て頂くと、大通りの北側と南側で、通りの名前は同じだけれど、大通りを境に北には「Faubourg」という言葉がつくのに、南側ではつかないというのが沢山あります。「Faubourg」という言葉は現在では裏町とか下町と訳しますけど、元は「城壁の外」という意味だったのですね。ですから、元城壁の「グラン・ブールヴァール」を境に、北(外)には「Faubourg」がついて、南(中)にはつかないのですね。フォーブル・モンマルトル、フォーブル・ポワソニエール、フォーブル・サンドニ、etc。まぁ、パリの街には何度か城壁が築かれ、城壁があったのはここだけじゃないので、この「フォーブール」がつくかつかないかの境目は場所によって違うんですけどね。左岸(パリのセーヌ川より南側)なら、南側が城壁の外だった訳です。

同じ「大通り」でも、「アヴェニュー」にはそういう意味は無く、「アヴェニュー」は「並木道」と訳されますね。ただし、「アヴェニュー」なら全て並木があるかと言うとそうでもないんですが。難しいですねぇ。

で、パリの街を歩いていて、「あれ?どっちへ行けば良いんだろう」なんて事になったら、地図でセーヌ川と現在地の位置関係を確かめて下さい。パリの通りのナンバリングは、セーヌ川と平行の通りなら上流(東)の方が番号が若く、下流(西)の方が番号が大きくなってます。セーヌ川に交わる通りなら、セーヌ川に近いほうが番号が若く、遠い方が大きい番号です。日本でも、皇居に近いか遠いかで番地が違うとか、ありますよね。

どうでしょう、パリ歩きの助けに多少なりともなったでしょうか。

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