2011年5月12日木曜日

苦労人とは限りませんが。

最近、パリのタクシーが新しくなりました。今までの、そして今でも一番多いオーソドックスなタクシーはこれ。
「TAXI」という看板その物が光っていれば空車、看板その物は光っていなくて、その下についている豆電球が点いていれば実車。ところがこれ、日中の明るい時には物凄く見づらい。冬は日が短いから良いけど、夏の一番日が長い時は23時頃夕暮れですからね。やって来たタクシーが空車か実車か、目を凝らして見てもよくわからない。

そんな消費者の声が届いたんでしょうか。最近、立て続けに二種類の新しいタクシーの看板が登場しました。どちらも、タクシーの看板が緑に光っていれば空車、赤く光っていれば実車という事で、光り方は違っても、意味は同じ。
とは言え、緑に光ってる看板のタクシーならどれでも、手を挙げれば停まる訳じゃありません。
車にもよりますが、手を挙げてタクシーが停まり、運転手「どちらまで?」「オペラ座まで」「そんな近い所歩いて行け」とか。いきなり行き方を説明し始める運転手もいます。それもフランス語で。外国人が道端で手を挙げていても英語の出来ない運転手は停まらず逃げたりね。

しかしまた、タクシーというのは、同国人同志の互助会の機能も果たしている様です。中国人もそうですが、タイ・ラオス・カンボジアとかの人達が、金を出し合って、或いは同国出身の人が良い条件で金を貸してあげて車を買い、皆で交代で営業しているなんてのは以前よく聞いた話です。日本人ではあまり見かけませんけど。まぁ、わざわざタクシーをやる為に日本から来る人もいないのでしょうが、これは難民として外国に逃れざるを得ない状況に有るか無いかの違いですね。

ところでタクシーと言えば。1976年の映画ですねぇ、スコセッシ監督、デ・ニーロ主演の「タクシー・ドライバー」。この、デ・ニーロが演じたトラヴィスは(自称?)ベトナム帰りの元海兵隊員。この時代のアメリカの苦悩が描かれてますが、後でそんなに悩むなら、何で侵攻したりしたんだ?他の道は無かったのか?まぁ、これはアメリカに限らず日本にも、フランスにも、旧ソ連にも言える事ですが。マリコ・テラサキさんの(と言って良いのかわかりませんが)「昭和天皇独白録」など読むと考えさせられますねぇ。ベトナム戦争は、他にもスタローンの「ランボー」を産み出しましたが。あの映画はあんまり好きじゃないなぁ。

更に脱線して、中島みゆき「タクシー・ドライバー」。同じく中島みゆきの「蕎麦屋」と共に、おっさんの一番好きな曲です。寂しい歌の代表格ですけど、この二つの曲の主人公は、ある意味幸福なんだと思います。「蕎麦屋」の主人公は、「今更こいつの顔見て蕎麦など食ったって仕方が無い」相手だろうが、そういう相手が居るんですもんね。「タクシー・ドライバー」の主人公は、泣き顔に見て見ぬ振りをして、関係無い話を続けてくれる苦労人のドライバーに出会えたんですもんね。羨ましくさえ思える程、幸福なんじゃないでしょうか。

別におっさんがそこまで寂しいという話じゃありませんけどね。「寂しい時には僕の好きな菜の花畑で泣いてくれ」とは森田童子の「たとえば僕が死んだら」の歌詞ですね。寂しいといえば、中島みゆき「歌姫」も大好きですが。まぁ、ここに挙げた曲は大抵ようつべに出てますから、興味のある方は探してみてください。

だから性格暗いんだってば。

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