「また後日。」と書いたのが3月22日の事だったとは…
いやはや、月日の経つのは早いものですね。で、ジェリコー作「メデューズ号の筏」と「ひぐらしのなく頃に」の共通点というお話。
「ひぐらし」というのも面白いゲームですねぇ。というか、あれはゲームと呼べるのか?推理ゲームというのはある程度ストーリーが進んだらプレイヤーに推理させて、選択肢が出て来て、プレイヤーは自分の推理に基づく選択肢を選んで…というのが普通なのに、それが全く無い。これはある意味ゲーム機で読書をしてるのと同じですね。
アニメにもなった「ひぐらし」は、その残虐シーンで有名になり、物議を醸しました。ただ、この作品が何を言いたいのかはあまり世間一般に伝わってないんじゃないですか?作者の竜騎士07さんがこの作品で伝えたかった事は「仲間を信じる事」「力を合わせる事」の大切さでした。
パラレルワールド的に繰り返す各ストーリーは、「仲間を信じる」「力を合わせる」事ができなかった為に起きた悲劇であり、残虐シーンはその「失敗」を象徴する訳ですよね。「罪滅し編」で圭一とレナが気づいたのは「仲間を信じられなかったからこんな事になってしまった」という事、そして「祭囃し編」ではそれまで傍観者だった羽生も加わって「力を合わせる」事によってハッピーエンドを勝ち取るのですね。
これは漫画版でもアニメ版でも、勿論一番最初のゲーム版でも、一通り内容を見た人にはすぐ判る事なんですが、残虐シーンの評判ばっかりが先行して、それだけで見る気がしなくなった人も多い様です。ストーリー全体を追っていない人にとっては「鉈で頭を叩き割ったり、拷問して殺しちゃうヤツでしょ?」という事になるんですよね。
さて、では「メデューズ号の筏」はと言うと、これも物議を醸した作品です。1816年に実際に起こった軍艦メデューズ号の遭難事件は、最初は隠蔽されたそうですが、結局世間の知る所となりました。これを題材に、ジェリコーは現在ルーブル美術館にある大作「メデューズ号の筏」を描きます。
画像はWIKIにも出てますし、すいません、無断借用ですがhttp://www.salvastyle.com/menu_romantic/gericault_meduse.html
でも見る事ができます。解説も付いてますので。
この作品はメデューズ号事件の生存者の協力を得てアトリエに筏を再現して貰ったり、病院で瀕死の人をデッサンしたり、死体置き場で本物の死体をデッサンしたりして、入念な準備の下に描かれたので、画面下部に配置された死体、病人、狂人の迫力は恐ろしい程ですね。
で、ここで嫌になっちゃう人が結構多い訳です。
この作品の結論は画面上部にあって、やや斜めながらピラミッド状に配置された群像の上の方の人達は、遠くに船影を見つけて「これで助かる」と喜び、布を振って助けを求めている所が描かれている、この「絶望から希望へ」「死から生へ」と転換する瞬間、この一瞬のドラマ、ここをこそ見なきゃいけない作品です。
技法的にも、一見新古典主義派がよく使うピラミッド構図の様に見えながら、このピラミッドは右側に傾き、左下の死体から右上で振られる布へ向けて、ダイナミックな動きが加えられていますね。このベクトルがストーリーの進行を支配している、つまり「死から生へ」「絶望から希望へ」なんですが、横たわる死体、病人、狂人、そして実際のメデューズ号事件では食人まで行われたなんていう話を聞くと、それだけでもうこの絵から目を背けてしまう人も多いんですね。
本当に伝えたい事は別にあるのに、そこへ至る過程の表現だけが一人歩きして注目されてしまい、嫌悪され、一番伝えたい事が伝わらない。
「ひぐらし」も「メデューズ号」も、まぁ、実際、表現はかなりどぎついのは確かですけど、それ程の絶望から、危機から、脱出した喜び、感動の大きさの方があんまり評価されてないというか、目立たないですね。ここに書いた様な事を説明してもなお、「えー、死体の絵なんてやだー」という人もいまして…まぁね、死体を見たいとは普通は思わないでしょうが。
「全体を見る」という事の難しさ、とでも言いましょうかね。今回書いた事については自分なりに消化した上で書いてるつもりですけど、きっと他のいろんな所で、感覚的に、感情的に拒否してしまって本当の意味が解ってない事って沢山あるんでしょうね。
歳だけは「知命の齢」に近づいて来ましたけど、天命どころか身の回りの事でもわからない事だらけですねぇ。困ったもんだ。
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