さて本日は、パリ東駅。ここの所東駅づいてるというか。
パリにはパリ中央駅というのがありません。六つのターミナル駅を使い分けなければなりませんが、ここ東駅は文字通り、東に向かう列車の玄関口ですね。
2007年には TGV EST が開通して、東フランスのストラスブール、ナンシー、ランス、スイスのバーゼル、南西ドイツ方面への移動時間が短縮されました。1883年には、イスタンブールに向かうオリエント急行の一番列車を送り出した駅でもあります。
さて、ここでお馴染、ペール・スターク。
1847年から1849年にかけて、フランソワ・デュケネーとピエール・シャバネル・ド・セルメによって建てられた東駅は、パリの駅の中でもっとも古いものである。しかし、1852年に東駅へのアクセスとして通されたストラスブール大通りに面した最初の建物は、その後段々拡張されたが、現在の大規模な建造物全体の左側の翼の部分でしかなかった。現在も列柱、半円形の装飾窓、ネオ・ルネッサンス様式のパビリオン、そして特に彫刻の装飾が残されている。破風の頂上にある、ストラスブールの町を象徴する彫刻は彫刻家ルメール(1789-1880)の作品。中央の大時計は、ジャン・ルイ・ブリアン(1805-1864)の手になるセーヌ川とライン川を象徴する彫刻を伴っている。列柱の柱頭の装飾の中には、東鉄道区の列車が通る地方の様々な農産物が見られる。
しかし。1852年に東駅へのアクセスとしてストラスブール大通りを通したのはナポレオン三世時代のオスマン知事(ナポレオン三世皇帝の指示の下、パリを大改造した)であった事はここには書かれていないのですね。やっぱりペール・スターク、どこか抜けてる。
この東駅は、第一次世界大戦では西部戦線に向かう兵士を送り出しましたし(「西部戦線異状なし」ルイス・マイルストン監督の1930年の映画ですが。悲しい映画ですねぇ。この、同じレマルク原作、マイルストン監督のコンビで、1948年に名作「凱旋門」が撮られるのですね。)、第二次世界大戦の少し前には敵の爆撃に遭っても駅の機能が保てる様に地下ホームも造られました。そして現在、シャルル・ド・ゴール空港と東駅を結ぶ「CDGエクスプレス」の計画が進行中です。
映画の話序でにもうひとつ。この東駅はマルセル・カルネ監督の戦前の代表作、「北ホテル」の舞台になった同名のホテルからもそう遠くないですね。現在は北ホテルはカフェになってます。
更にもうひとつ。アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」は1974年にシドニー・ルメット監督で映画化されてますね。中東での仕事を終えてヨーロッパへ帰るポワロによる、列車内の殺人事件の謎解き。
まぁ、いいんですけど。これをはじめると本当にキリが無いですね。
この辺にして、明日に備えて、寝る事にしよう。おやすみなさい。
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