さて本日はケフタです。
またもや馴染みのアラブ人さんの店で、今日はケフタにしました。ケフタもメルゲーズ同様、日本ではあまり有名ではないかも知れませんね。要するに肉団子なんですが。ハンバーグの親戚みたいな物でしょうが、アラブ系は豚は食べないので肉は牛か羊です。ケフタそのものはアラブ圏以外にもある様で、中には山羊の肉のもあるそうです。鰯でも作れるとか。
相変わらずポテト大盛り、そして具は違ってもサンドイッチの形はいつも一緒。
ケフタのタジンもありますね。タジンはアラブ風煮込み料理とでも申しましょうか。ケフタのレシピを紹介しているサイトなんかも結構あります(日本の方のサイトも)。因みに材料は挽肉の他に刻みパセリ、玉葱、クミン、コリアンダー、カイエン・ペッパー、シナモンやパプリカ。ケフタ用香辛料ミックスみたいなのも売ってます。他にもクスクス用香辛料ミックスとかもスーパーで売ってます。
フランスはやっぱりアラブ系の人が多いんだなぁと改めて感じますね。旧植民地の時代から、社会党政権時代に支持者を増やす為、労働移民としてアルジェリア人を大量に入国させたり、勿論自分の意思で出稼ぎに来た人もいます。フランスの国民の七、八割がカトリックで断トツですが、フランスで二番目に人口の多い宗教はイスラムですもんね。
先日、仕事関係のマグレバンさんが、「腹減った、忙しくて食事してる暇もない」と言ってまして。実はおっさんも同じで、仕事が一段落したら食べようと思って買っておいたサンドイッチを分けてあげようとしたら、「ありがとう、でもこのサンドイッチにはハムが入ってるから食べない」と。いろいろと難しいですねぇ。そういえばおっさんの知り合いで、和食屋さんに行って、連れの人がアラブ系なのにうっかりトンカツなど注文してしまい、気まずい思いをしたという人がいましたが。
フランスにはマグレバンさんに限らず、セネガルやマリといったアフリカ・アラブ圏の人も多いですし、トルコ人さんも多いですね。知り合いのトルコ人さんは日本ファンで、「エルトゥールル号遭難事件の時から日本とトルコは友達だ」というのが口癖です。まぁその頃はまだトルコじゃなくてオスマン帝国だったんですが。1890年、トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山沖で遭難し、紀伊大島の住民さん達が救助、捜索、生存者の手当て、保護、死亡者の埋葬等、惜しみなく援助し、自分達の食料さえ十分でないのに、緊急用備蓄食料さえ出して遭難者さん達を助けたと言う事件でした。
後に山田寅次郎は義援金を持ってトルコに渡り、士官学校で日本語や日本学を教え、また日露戦争では、ボスポラス海峡でロシア黒海艦隊の動きをキャッチしてその情報を日本に伝えたりもしてます。トルコはロシアの脅威にさらされていたため、日露戦争で日本が勝った事を喜び、東郷平八郎元帥に因んで子供に「トーゴー」と言う名前をつける人が多かったとか、「トーゴー通り」や乃木希典大将に因む「ノギ通り」と名づけられた通りがあったそうです。(序でに言えば「東郷ビール」は現在はオランダ産ですね。元はフィンランドで「世界の提督ビールシリーズ」というのがあり、この中に東郷平八郎元帥と山本五十六元帥をデザインしたラベルのものがあった訳ですが。ラベルだけとはいえ、「東郷ビール」は現存してるのに、何故「山本ビール」は無いんでしょうか。)
このエルトゥールル号事件で受けた恩義が後に、イラン・イラク戦争の際に、在イラン邦人救出のため、トルコ航空が特別機を飛ばし、トルコ人は陸路でも脱出できるからと自国民を陸路に切り替えさせてまで日本人を助けてくれた理由になる訳ですから、まさに「情は人のためならず」ですね。
で、その知り合いのトルコ人さんは「いつか日本に行きたい、遭難現場を見たい」と言ってましたので、串本町や紀伊大島の地図とか、慰霊碑やトルコ記念館の資料とか、取りあえず集められる限りの資料を渡したんですが。まだ日本に行ったとは聞いてませんが、そのうちおっさんの知り合いのやたら濃い人が地図を持って和歌山辺りをうろつくかも知れません。
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