かなり前からずっと気になっていた小さな礼拝堂があります。
Chapelle de la Compassionといいます。Compassionとは「同情」や「憐憫」の事ですが。
パリの西端、ポルトマイヨーのすぐ近く、高層ビルのホテル「コンコルド・ラファイエット」や、向かいにあるホテル「メリディアン・エトワール」からは徒歩圏内ですね。
この礼拝堂のステンドグラスが凄い。これは何の解説も要りませんね、画像で御覧下さい。
普通には見かけない様な小さな礼拝堂。何かいわれがあるのかな?と思ってたら、やっぱりありましたよ、ペール・スターク。
1842年7月13日、国王ルイ・フィリップの長男、オルレアン公フェルディナンドは自らの連隊の視察にサン・トメールに向かう前に、ヌイイの城にいる両親に挨拶する為に、二頭の馬に曳かれた軽四輪馬車(訳注:オープンカーの馬車みたいなものです)でチュイルリーを後にした。ポルト・マイヨー付近で馬が興奮して暴れ出し、王子は放り出され、地面に激しく叩き付けられた。レヴォルト街道4番地「コルディエ」食料品店の奥に運び込まれ横たえられた王子は、そこで息を引き取った。32歳だった。同じ年、王家付の建築家ルフランとフォンテーヌが、食料品店があった場所にギリシャ十字型の礼拝堂を建てた。ポルト・マイヨー地下の整備の際に礼拝堂は100メートル程移動された。
ペール・スタークの解説に出て来る「ギリシャ十字」とは縦横同じ長さの十字ですね。正教の教会なんかで使われる事が多いです。これに対して、磔像なんかでお馴染みの、所謂「十字架」は「ラテン十字」といいます。
サン・トメール(Saint-Omer)は北フランス、ほぼフランスの北端の町です。ここに向かう時に、というかその前に父国王に会いに行く時に彼は事故に遭ったのですね。馬車から放り出されて、敷石に頭を強く打ち付けたんだそうです。
しかし、馬が驚いて暴れた為に馬車から落ちて死んでしまったとはよくよく運の無い人ですねぇ。しかも馬に「乗っていた」訳でもないのに。馬車がオープンカーだったのが命取りでした。
これほど運の無い死に方というのは、「キャンピングカーで急ブレーキをかけたら、キャンピングカーのキッチンからフライパンが飛んで来て、頭を打って死んでしまった」というのといい勝負のような気もしますが。誰でしたっけ、フライパンで死んだのって?
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