2011年7月6日水曜日

「おーい山田君」。

さて。現在のフランスは「第五共和制」です。じゃ、その前は?という話ですね。

フランス革命から第二帝制までは4/10に書きましたのでそちらを御覧頂く事として、その続きです。

ナポレオン三世の第二帝制は1870年普仏戦争で崩れます。皇帝本人がプロシャの捕虜になっちゃったんですね。その後が第三共和制です。第三共和制の一番初期はコミューンの乱の時代で、まぁホンのちょっとの間だけですけど労働者市民が政治を行います。史上初の労働者政権ですね。ただ、コミューンはすぐに空中分解、第三共和制の時代にフランス「共和国」を象徴する女性像「マリアンヌ」があちこちに描かれる様になります。1940年、ドイツによるフランス占領、ヴィシー傀儡政権の出現により、亡命政府「自由フランス」の時代に入ります。

序でに言うと、映画「カサブランカ」の中で、モロッコ植民地警察のルノー署長が「ヴィシー」のミネラルウォーターの壜を「フン…」てな感じでゴミ箱に放り込むシーンがありますけど、これはミネラルウォーターの「ヴィシー」に引っ掛けて、ヴィシー傀儡政権を批判してるんですよね。

1944年、共和国臨時政府がアルジェに開かれ、ノルマンディー上陸作戦後、パリ解放に伴いパリへ移転。1946年には「臨時」ではなくなって正式に第四共和制政府が発足。この第四共和政時代にアルジェリア問題が起こり、アルジェリア駐留フランス軍がクーデターを起こします。煮え切らない第四共和制政府は駄目だ、と。そして臨時政府時代に大統領を辞任し、しばらくは国民連合を率いていたものの、完全に嫌気がさして政界から引退していたド・ゴール将軍の返り咲きをクーデター軍が要求したのですね。ド・ゴール将軍は大統領権限を大幅にアップした新憲法を制定し、第五共和制の初代大統領となります。

そういう訳で現在のフランスは第五共和制。

で、フランスのどこの町に行っても、必ずあるのが「共和国」大通りとか「共和国」通りとか、「共和国=Republique 英語読みリパブリック、フランス語読みレピュブリック」の名を冠した地名ですね。

そしてその筆頭、パリのリパブリック広場の真ん中には、共和国の象徴、マリアンヌさんの記念碑がありますよ。


そしてここでまたペール・スターク。


この場所は14世紀のシャルル五世の城壁のテンプル門の砦に当たる。1811年には泉水で飾られ、マジェンタ大通りと、現在はヴォルテールの名に捧げられているが、当時のプリンス・ウージューヌ大通りの開通に伴って、第二帝政下に現在の形を整えて行った。パリ市の建築家ガブリエル・ダビウーは、古いダンスホールやダゲールのジオラマ、そして密集した商店に代わって兵営を建てた。1879年に開かれた、共和国の象徴を設置するためのコンクールで、モリス兄弟が、彫刻についてはレオポルド、台座についてはシャルルが栄冠を受けた。除幕式は1883年7月14日に行われた。

ジオラマというのは当時流行った見世物小屋というか覗き絡繰みたいなもんですね。その発案者がルイ・ダゲールさんでした。

現在のこの広場は商店、飲食店が立ち並ぶ賑やかな所で、中には朝五時位までやってるレストランなんかもあります。いや、日本では24時間営業の店なんて珍しくも何ともないですが、パリでは24時間どころか、朝までやってる店さえも珍しいんですよ。

日本はどこに行っても大抵24時間営業のコンビニやファミレスがありますけど、世界中探したって、そんな国は無いんじゃないでしょうか。まぁ、ニューヨークとかならまだ24時間の軽食とか総菜屋みたいなのはありますが。

そう言ったらある人が、「いや、アメリカにもセブン・イレブンがあったんです!」と言って来まして。まぁ、あって当たり前です。もともとアメリカで出来た会社なんですから。

それはさて置き。で、別に朝までやってる訳じゃありませんが(夜一時位までかな)、リパブリック広場にはこんなカフェがありますよ。


で、まぁそんな訳で、別に何か特別な訳じゃなく、ごく普通のカフェなんですが。じゃなんでわざわざ紹介するかと言うと、別に深い意味は無いんですけど、マークが面白かったからです。赤い日除けの両端に、分かりますか?駐車禁止の標識みたいな、丸で囲まれた斜めの線の中に王冠の図柄。脇の日除けにも同じマークがついてます。アップで見るとこんな感じ。


「共和国」広場ですからね。フランス革命で王政を倒した共和国の名を冠した広場の、同じ名前のカフェに、王冠「禁止(?)」の標識。

なかなか上手いじゃないですか。

座布団一枚。

0 件のコメント:

コメントを投稿