2011年7月20日水曜日

さて三日目。

そんな訳でムフタール通りを下るだけで三日もかかってしまいました。

ムフタール通りをコントルスカルプ広場とは反対側、南に下りきった所にあるのがサン・メダール教会ですね。


ちょうど教会に着いた時に結婚式をやってました。しばらく時間潰し。


ムフタールの市場あり、こんな広場ありで、広場の方にも結構お店などもあり、一通り眺めてたら、その間に結婚式の人達はもういなくなってました。

さて毎度お馴染みペール・スターク。


1163年には、サント・ジュヌヴィエーヴ修道院の宗教家が「サン・メダールの町」の礼拝堂を利用していた。現在の教会は、身廊と正面は15世紀半ば、内陣と礼拝堂群は1560-86年、側廊は1665年、オルガンケースは1647年の作になる。1561年12月、教会はプロテスタントに略奪された:所謂サン・メダール「騒動」である。1728ー32年の間は新たな「騒ぎ」…ヤンセン派の助祭・フランソワ・ド・パリの埋葬に伴い、巡礼、病人の奇跡の治癒、群集が集団催眠にかかったかの様な場面…が起こった。1732年1月27日に塗り込められ閉鎖された扉には、「王の名によって、神がこの場所で奇跡を起こす事を禁ずる」という落書きがあった。

奇跡というのは有難がられるばっかりではない様です。奇跡のおかげで大騒ぎになってしまって迷惑する事もある訳ですかね。宝くじが当たった様なものか。
宝くじが当たった途端に、今まで疎遠だった親類縁者が続々たかりに来て、とうとうノイローゼになって自殺未遂事件を起こした人がいましたね。あれはインドの話だったかな…?
まぁ、神様の奇跡をそんな事と比べちゃいけないんでしょうが。


ところで、御覧の通り、ここもまた絵画・彫刻等、見事なものですが、ペール・スタークにも、館内案内図にも、特に何も書いてなかったけど、このブログを書くために改めて資料を当たったら、バロック期の画家スルバランや、ペール・スタークにも出て来たヤンセン派とも関わりの深いフィリップ・ド・シャンパーニュの作品があるとか書いてあり…こんな人達の作品なら案内図に載せとけぇ、こらぁ!見落としちゃったじゃないか!等と叫びたくなりますが、見落とした自分が悪いので、しょうがない、後日また改めて見に行きます。あーあ。

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